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第六章 互いの傷痕
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「大きな手のひら……。表側はきれいなのに、裏は皮膚が硬くて案外ごつごつとしているのですね。こんな風に改めて握ってみると、私の覚えているあなたの手とは全然違って、ちょっと驚きました」
ふふ、と漏らしたリリーシャは、懐かしそうに目を細める。
「私は……、この手が好きです。いつも優しく触れてくれる、あなたの手が」
「…………」
「この手が奏でてくれる笛の音も、とても好きです。私のために、いろいろなことをしてくれるこの手が、すごく好きです。この手のおかげで、私がどれだけ慰められて癒されてきたかわからないくらいです」
リリーシャは右手の代わりに頬を寄せると、フィルロードの手を間に挟む。
ビクッとわななく彼の指先も空いた右手で包みこんで、彼女は自分の顔に当てた。
「だから今度は、私の番です。私の熱でよければ、いくらでも差しあげますから」
「姫……」
冷え切っていたはずの手が、リリーシャの熱を吸いこんで奪うように徐々に温かさを取り戻していく。同時に、凍りついて隠していたはずの内側も、融解が始まって。
それに刺激されるように、フィルロードはリリーシャを片腕で抱きしめた。
「フィルロード?」
「すみません……、ですが……っ」
耳を撃つ、苦しげなフィルロードの声。
今まで感じたことのない折れそうなほどのきつい拘束に少しだけ戸惑いながら、リリーシャは彼の手を頬に触れさせたまま、そっと瞳を閉じた。
***
リリーシャは、窓から差しこむ淡い光に揺り動かされるように目を覚ました。
寝台から起きて窓の外を見れば、どんよりとした厚い雲たちに覆われた空。今日は雪が降るのかもと予想しながら、彼女は身支度を始めた。
こんな風に昼間でも自由に部屋の外を歩けるようになるなんて、少し前までは思ってもいなかった。
すれ違う兵士や侍女に挨拶をしながら、彼女は城の奥へと向かう。
この城には、いい思い出がない。
けれど、少し前までは薄暗く汚らしいイメージしかなかったそこは、行き届いた掃除に赤い絨毯が引かれて光源も増えたらしい、王城としてふさわしい威厳のようなものに変わっていた。
そういえば、この辺りは足を踏み入れるのは初めてかもしれないとぼんやり思っていると、彼女の視界に鮮やかな色合いが映りこむ。
「あれは……、フィオナ?」
移動している長い青髪を遠くに見つけて、リリーシャは早足で彼女の後を追った。
角を曲がると彼女の姿はもう既になく、がらんとした廊下が続いていて。
リリーシャは残念そうに息を吐くと、引き返そうとしたところですぐ右手側に木製の小さな扉があることに気がついた。取っ手の部分に本来施錠されているだろう南京錠が、今ははずされてかけられている。
不思議に思ったリリーシャがそこをそっと開けると、軋んだ音と共に冷たい風がそばを通り抜けていく。外に通じていたらしいそこは、木々に囲まれ、ひっそりとした小さな庭になっていた。
「こんなところが……」
つぶやいたリリーシャの瞳に、フィオナのうしろ姿が飛びこんでくる。彼女の手に握られたものが、どんよりとした雲の合間から流れ落ちてきた光を浴びてギラときらめいた。
さっとリリーシャの顔が青ざめ、彼女ははじかれたように駆け出した。
「! 駄目です!!」
「っ!? 姫、様……!?」
驚愕に目を見開いたフィオナの手から短剣を弾き飛ばしたリリーシャは、手の甲に小さな痛みを感じたが、構うことなくフィオナに詰め寄った。
「こんなところで、何をしているのですか! どうして、こんな……!」
「姫様、落ち着いて」
「落ち着いていられるわけがありません! だってこんな……、こんな……! 自ら死のうとするなんて馬鹿なことは、やめてください!」
青ざめた表情で、リリーシャが叫ぶ。
呆気にとられていたフィオナの顔が、次第に崩れていき。
「……ぷっ、ふふふっ」
小さく吹きだしたと同時に、おかしそうに笑い始める。
「フィ、フィオナ?」
予想外の彼女の行動に、リリーシャの淡黄色の瞳が困惑に揺れた。
「嫌ですわ、姫様。私は別に、死にたいなんて思っていませんから」
「え! そ、そうだったのですか? すみません、私はてっきり……。私の早とちりだったようですね」
「いえ。止めにきてくださったこと、本当に感謝致します。……優しいのね、姫様は」
「そんなことは……」
かぶりを振って否定するリリーシャに、フィオナはふふっと微笑してから視線を上向かせた。赤の瞳に、暗澹とした灰色が混じりこんでいく。
「……最初は、確かにそう決めていたことは認めます。誓いを果たせたら、もう未練も何もなくなると思っていましたから」
「え……っ」
言葉に詰まるリリーシャに、フィオナは艶やかに唇を緩めてから背を向けた。
「ですが今は、他にやりたいことが出来てしまったので、もうしばらくは我慢して貰おうと思って。それで、報告にきたのです」
「……報告?」
リリーシャがフィオナの背中に問えば、背中越しにフィオナが頷く。
フィオナの横からのぞきこめば、そこには盛りあがった土の山と花輪が置いてあって。それはまるで、小さな墓標のように見えた。
「これは……、どなたかのお墓ですか?」
「はい。結局、あの男から、すべてを取り返すことは出来ませんでしたけれど」
「え、それはどういう……」
眉を寄せるリリーシャに微笑してから、フィオナは近くに転がっていた短剣を拾いあげると、自分の首元に刃先を当てる。
リリーシャが止める間もなく、フィオナが短剣を引いた。
「我慢して貰う代わりに、こうしようと思って」
銀の髪飾りがはずされ、群青の束がその場に舞い散ったかと思うと、吹き抜けてきた風に乗って大空へと消えていく。
ふふ、と漏らしたリリーシャは、懐かしそうに目を細める。
「私は……、この手が好きです。いつも優しく触れてくれる、あなたの手が」
「…………」
「この手が奏でてくれる笛の音も、とても好きです。私のために、いろいろなことをしてくれるこの手が、すごく好きです。この手のおかげで、私がどれだけ慰められて癒されてきたかわからないくらいです」
リリーシャは右手の代わりに頬を寄せると、フィルロードの手を間に挟む。
ビクッとわななく彼の指先も空いた右手で包みこんで、彼女は自分の顔に当てた。
「だから今度は、私の番です。私の熱でよければ、いくらでも差しあげますから」
「姫……」
冷え切っていたはずの手が、リリーシャの熱を吸いこんで奪うように徐々に温かさを取り戻していく。同時に、凍りついて隠していたはずの内側も、融解が始まって。
それに刺激されるように、フィルロードはリリーシャを片腕で抱きしめた。
「フィルロード?」
「すみません……、ですが……っ」
耳を撃つ、苦しげなフィルロードの声。
今まで感じたことのない折れそうなほどのきつい拘束に少しだけ戸惑いながら、リリーシャは彼の手を頬に触れさせたまま、そっと瞳を閉じた。
***
リリーシャは、窓から差しこむ淡い光に揺り動かされるように目を覚ました。
寝台から起きて窓の外を見れば、どんよりとした厚い雲たちに覆われた空。今日は雪が降るのかもと予想しながら、彼女は身支度を始めた。
こんな風に昼間でも自由に部屋の外を歩けるようになるなんて、少し前までは思ってもいなかった。
すれ違う兵士や侍女に挨拶をしながら、彼女は城の奥へと向かう。
この城には、いい思い出がない。
けれど、少し前までは薄暗く汚らしいイメージしかなかったそこは、行き届いた掃除に赤い絨毯が引かれて光源も増えたらしい、王城としてふさわしい威厳のようなものに変わっていた。
そういえば、この辺りは足を踏み入れるのは初めてかもしれないとぼんやり思っていると、彼女の視界に鮮やかな色合いが映りこむ。
「あれは……、フィオナ?」
移動している長い青髪を遠くに見つけて、リリーシャは早足で彼女の後を追った。
角を曲がると彼女の姿はもう既になく、がらんとした廊下が続いていて。
リリーシャは残念そうに息を吐くと、引き返そうとしたところですぐ右手側に木製の小さな扉があることに気がついた。取っ手の部分に本来施錠されているだろう南京錠が、今ははずされてかけられている。
不思議に思ったリリーシャがそこをそっと開けると、軋んだ音と共に冷たい風がそばを通り抜けていく。外に通じていたらしいそこは、木々に囲まれ、ひっそりとした小さな庭になっていた。
「こんなところが……」
つぶやいたリリーシャの瞳に、フィオナのうしろ姿が飛びこんでくる。彼女の手に握られたものが、どんよりとした雲の合間から流れ落ちてきた光を浴びてギラときらめいた。
さっとリリーシャの顔が青ざめ、彼女ははじかれたように駆け出した。
「! 駄目です!!」
「っ!? 姫、様……!?」
驚愕に目を見開いたフィオナの手から短剣を弾き飛ばしたリリーシャは、手の甲に小さな痛みを感じたが、構うことなくフィオナに詰め寄った。
「こんなところで、何をしているのですか! どうして、こんな……!」
「姫様、落ち着いて」
「落ち着いていられるわけがありません! だってこんな……、こんな……! 自ら死のうとするなんて馬鹿なことは、やめてください!」
青ざめた表情で、リリーシャが叫ぶ。
呆気にとられていたフィオナの顔が、次第に崩れていき。
「……ぷっ、ふふふっ」
小さく吹きだしたと同時に、おかしそうに笑い始める。
「フィ、フィオナ?」
予想外の彼女の行動に、リリーシャの淡黄色の瞳が困惑に揺れた。
「嫌ですわ、姫様。私は別に、死にたいなんて思っていませんから」
「え! そ、そうだったのですか? すみません、私はてっきり……。私の早とちりだったようですね」
「いえ。止めにきてくださったこと、本当に感謝致します。……優しいのね、姫様は」
「そんなことは……」
かぶりを振って否定するリリーシャに、フィオナはふふっと微笑してから視線を上向かせた。赤の瞳に、暗澹とした灰色が混じりこんでいく。
「……最初は、確かにそう決めていたことは認めます。誓いを果たせたら、もう未練も何もなくなると思っていましたから」
「え……っ」
言葉に詰まるリリーシャに、フィオナは艶やかに唇を緩めてから背を向けた。
「ですが今は、他にやりたいことが出来てしまったので、もうしばらくは我慢して貰おうと思って。それで、報告にきたのです」
「……報告?」
リリーシャがフィオナの背中に問えば、背中越しにフィオナが頷く。
フィオナの横からのぞきこめば、そこには盛りあがった土の山と花輪が置いてあって。それはまるで、小さな墓標のように見えた。
「これは……、どなたかのお墓ですか?」
「はい。結局、あの男から、すべてを取り返すことは出来ませんでしたけれど」
「え、それはどういう……」
眉を寄せるリリーシャに微笑してから、フィオナは近くに転がっていた短剣を拾いあげると、自分の首元に刃先を当てる。
リリーシャが止める間もなく、フィオナが短剣を引いた。
「我慢して貰う代わりに、こうしようと思って」
銀の髪飾りがはずされ、群青の束がその場に舞い散ったかと思うと、吹き抜けてきた風に乗って大空へと消えていく。
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