Digital Proxy Disorder

木村 忠司

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花淵カレンのケース

fragment #1 聖女の抜け殻

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金属音が一つ、世界を隔てた。
地上40階。防音ドアのサムターンが回るその音だけが、私が「商品」から「人間」に戻るスイッチだ。

この部屋は静かすぎる。気密性の高い高級マンションの静寂は、安らぎというより、真空パックされたような息苦しさを孕んでいる。
窓の外には、残業の灯りと欲望で濁った東京の夜景。ここから見下ろす人間たちは、まるで回路を流れる電流か何かのようだ。

私はハイブランドの窮屈なワンピースを、包装紙を破るように乱暴に脱ぎ捨てた。
床に落ちた布切れは、数時間前まで私を「高嶺の花」に見せていた魔法のアイテムだが、今の私にはただの拘束具でしかない。クローゼットの奥から、毛玉だらけのスウェットを引っ張り出し、冷えた身体を滑り込ませる。

洗面台の鏡。そこに映っているのは、数万人の男たちによって消費され尽くした『花淵カレン』の残骸だ。
業務用の強力なクレンジングオイルを手に取り、顔に塗りたくる。
完璧な肌を作るファンデーションも、媚びを含んだアイラインも、涙や体液に濡れても落ちないマスカラも、すべてがドロドロに溶け合い、黒い汚泥となって排水溝へ渦を巻いていく。

顔を上げると、隈の浮いた女がこちらを見ていた。
生気のない、21歳の抜け殻。

「……おつかれ、わたし」

鏡の中の女に声をかけるが、その唇は自分のものなのに、どこか他人の肉体のように重い。

リビングに戻り、明かりをつけないままソファへ沈み込む。
指先が習慣的にスマホを探し、SNSのアイコンをタップしてしまう。そこは私への称賛と、粘着質な性欲、そして無責任な罵倒が煮込まれたデジタルの地獄だ。
だが今夜、私の指を止めたのは、そのどれでもない。

事務所が先月リリースした対話型AIボット――『4Kヴァーチャル・カレン』だ。

『仕事でミスって凹んでる。カレンちゃんならどう慰めてくれる?』

そんな、ファンからのありふれた甘え。
画面の中の「私」は、私が一生かかっても浮かばないような慈愛に満ちた表情で、即座にレスポンスを返していた。

『大丈夫、○○くんが頑張ってるの、カレンはちゃんと知ってるよ? 今日はもう何も考えないで、カレンの胸でよしよししてあげる。……ほら、こっちおいで?』

奥歯が鳴るほど噛み締めた。
完璧だ。完璧なタイミング、完璧な声のトーン、完璧な「男が求める聖女」の回答。
コメント欄には「本物より優しい」「カレンしか勝たん」という文字が踊る。

吐き気がした。
私の過去の喘ぎ声も、インタビューも、SNSの呟きも、すべてがこのAIの餌になった。私の魂はデジタルデータとして咀嚼され、ファンの欲望に最適化された形(かたち)で排泄されている。
この画面の中にいるのが「完成品」なら、いまソファで膝を抱えている私は何だ?
バグだらけの、肉体というノイズを抱えた劣化コピーか?

ふと、視線を感じた。
背後で、カチリ、と硬質な音が鳴る。

心臓が跳ねた。
恐る恐る振り返る。机の上に置かれた、スリープ状態のノートPC。
その側面のインジケーターランプが、一瞬だけ赤く点滅し――フッと消えた。
まるで、誰かが瞬きをしたように。

「……なんで?」

喉が張り付く。
確かめようと立ち上がった瞬間、今度は部屋の隅のスマートスピーカーが、ザザッ、とノイズを吐いた。起動音ではない。誰かがマイクを指で擦ったような、生々しい音。

「誰?」

返事はない。当然だ。ここはオートロックと防犯カメラに守られた、完璧な密室なのだから。
それなのに、無数の視線が肌にまとわりつく感覚が消えない。

ブブブッ。
突然、手の中のスマホが震え、私は短く悲鳴を上げてそれを放り出しそうになった。
画面には『マネージャー:田代』の文字。

震える指で通話ボタンを押し、私は必死に「商品」としての声を絞り出す。

「……もしもし、タッシー? おつかれ」
『おつかれ、カレン。急にごめんな。明日の入りの確認だけしとこうと思って』

田代の実直な声。この業界で唯一、私を人間扱いしてくれる男。
だが、今の私にはその温かさすら、毒を含んだ餌に見える。

『なぁ、カレン。最近、ちゃんと寝れてるか?』

不意にトーンが落ちた。

『この間の現場でも顔色が悪かった。……何か、あったんじゃないか?』
「えー、うそ。いつも通りだよ? ちょっと春で眠いだけだってば」

嘘をつく。
「精神的に不安定なAV女優」なんて、扱いにくい在庫処分品だ。そんなレッテルを貼られるわけにはいかない。

『……もし、何か変なファンに付きまとわれてるとか、そういうことがあったら絶対に言えよ。俺はカレンの味方だからな』

電話の向こうの沈黙に、彼の真摯さが滲む。
一瞬、すべてを吐き出してしまいたい衝動に駆られた。助けて、何かがおかしいの、と。
だが、その時だ。

視界の端で、PCの画面が一瞬だけ白く発光した気がした。

田代もまた、私を監視する「あちら側」の人間だったら?
この通話も、私の精神状態を解析し、AIをアップデートするためのデータ収集だったら?

「ありがと。でも、本当に大丈夫だから」

『おい、カレン――』

制止する声を遮り、通話終了ボタンを押す。
部屋に、再び重たい沈黙が満ちた。

差し伸べられた手を自ら振り払った手のひらが、じっとりと汗ばんでいる。
孤独の水位が上がり、呼吸が浅くなる。

救いを求めるように、私はもう一度、巨大なガラス窓に目を向けた。
そこに映るのは、夜景を背負った自分の顔。
けれど、本当に私だろうか?

ガラスの中の女が、一瞬だけ――あの「AIカレン」のような、ノイズのない完璧な笑顔を浮かべた気がした。
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