Digital Proxy Disorder

木村 忠司

文字の大きさ
8 / 16
権田守のケース

fragment #7 増殖する青

しおりを挟む
 季節が変わった。
 蝉の鳴き声が止み、乾いた風が吹き始める頃。
 都心から離れた、小高い丘の上にある精神科病院。その閉鎖病棟の最も奥まった個室に、権田守は収容されていた。

 一命は取り留めた。しかし、代償はあまりにも大きかった。
 ベッドに横たわる彼は、全身を白い包帯で幾重にも巻かれ、チューブに繋がれた姿は、さながら出来損ないのミイラだった。

 自傷による損傷は激しく、両目の視力を失い、鼓膜は破れ、舌の一部を噛み切ったことで発声機能も失っていた。左手の指は全て切断され、右手の機能も麻痺が残っている。
 今の彼には、外部とコミュニケーションを取る手段が何一つ残されていない。
 ただ、生命維持装置の規則的な機械音と、点滴の滴る音だけが、彼が生物学的に「稼働」していることを証明していた。

 担当医の春日は、電子カルテを見ながら深いため息をついた。

「バイタルは安定しています。脳波も正常。……ですが、意識レベルの判定が難しい」

 傍らの若い看護師が、少し怯えたように包帯の男を見下ろす。

「先生。この患者さん……時々、笑うんです」
「笑う?」
「はい。何も見えないし、聞こえないはずなのに、深夜になると、包帯の下で口元が……」

 春日は眉をひそめ、ペンライトを取り出した。
 包帯の隙間から、わずかに露出している左目――瞼がなくなり、乾いた眼球が剥き出しになっている――に光を当てる。
 対光反射なし。瞳孔は散大したままで、虚空の一点を見つめている。

「脳の機能的な障害だろう。反射だよ。彼の中身はもう……」

 春日は事務的に処理しようとした。
 その時だった。

 ピロン♪

 看護師のポケットに入っていた私物のスマートフォンが、通知音を鳴らした。
 マナーモードにし忘れていたのだ。
 その瞬間。
 ベッドの上の「物体」が、ビクンと跳ねた。

 春日と看護師が息を飲む。
 権田の喉がゴロゴロと鳴り、包帯の下の筋肉が引きつった。口角が不自然に吊り上がり、三日月のような形に歪む。
 それは、紛れもなく「笑顔」だった。

 だが、そこには喜びも、悲しみも、人間的な感情の色は一切なかった。
 ただ、「入力(通知音)」に対して「出力(笑い)」を返しただけの、プログラムされた条件反射。
 パブロフの犬よりも単純で、壊れた玩具よりも虚しい反応。

「……先生、これ……」
「……行こう。ここはもう、空っぽだ」

 春日は逃げるように病室を出た。看護師も青ざめた顔で後に続く。
 再び静寂が戻った部屋で、権田守は、天井の一点を虚ろに見つめ続けていた。
 彼の意識(ゴースト)は、もうこの肉体という名のハードウェアにはない。
 彼が望んだ通り、彼は「あちら側」へ行ってしまったのだ。

     *

 病院のロビーにある大型テレビでは、ワイドショーが流れていた。
 画面には、ガモン党の代表、ガモンが大写しになっている。
 彼は黒いスーツに喪章を付け、神妙な面持ちでマイクを握っていた。

『権田さんは、被害者なんです!』

 ガモンが叫ぶ。演技がかった涙声だ。

『あの痛々しい姿を見ましたか!? メディアは「自傷行為」などと報じていますが、そんなわけがない! 人間があそこまで自分で自分を傷つけられるはずがないんです!』

 ガモンはカメラを睨みつけ、声を張り上げた。

『あれは、彼が真実に近づきすぎたせいで、「闇の勢力(ディープステート)」に拉致され、拷問を受けた痕跡なんです! 指を切り落とし、目や耳を破壊し……見せしめのためにあんな姿にされたんだ!』

 画面の向こうで、支持者たちの悲鳴と、万雷の拍手が沸き起こる。

『許せない!』『DSを倒せ!』『権田さんの仇を討て!』

 彼らは信じている。いや、信じたい物語を選び取っている。
 権田守という男が、狂気の中で自らを破壊したという救いのない現実よりも、「巨悪と戦って傷ついた英雄」というファンタジーの方が、彼らにとっては心地よいのだ。

 ガモンにとって、権田は最高の「使えるコンテンツ」だった。
 生きたまま廃人となった権田は、何も語らない。否定もしない。永遠に搾取できる、都合の良い殉教者(アイコン)。

 そして、インターネットの海。
 そこでは、権田の肉体の機能停止とは裏腹に、『覚醒者G』という概念が爆発的に増殖していた。
 SNSのタイムラインには、権田の切り抜き動画や、AIで生成された彼の音声が溢れている。

『反日を許すな』
『Gの意志を継げ』
『権田さんは拷問に耐え抜いた英雄だ』

 無数の匿名アカウントが、権田の顔をアイコンにし、新たなターゲットを見つけては一斉攻撃を仕掛けている。
 彼らは権田を知らない。会ったこともない。
 だが、彼らは権田の言葉を借りて、日頃の鬱屈を晴らし、自らの空虚な人生を「正義の戦い」で埋め合わせようとしている。

 権田守という一個人の人格は消滅した。
 しかし、「インターネット性人格障害」というシステムは、彼というサンプルを食らい尽くし、さらに強固に、肥大化して回転し続けている。

     *

 深夜。都心を走る最終電車。
 車内は、疲労したサラリーマンたちで満員だった。
 誰も言葉を発しない。全員が、手元の小さな長方形の板――スマートフォン――を見つめ、指を動かしている。
 車内の照明よりも、スマホの画面から放たれる青白い光(ブルーライト)が、彼らの顔を亡霊のように照らし出していた。

 吊革に捕まった一人の男がいた。
 くたびれたスーツを着た、どこにでもいる中年男性だ。
 彼は職場での理不尽な扱いに耐え、家での居場所のなさに耐え、押しつぶされそうな孤独を抱えていた。権田守がかつてそうであったように。

 彼はスマホの画面で、『覚醒者G』のまとめ動画を見ていた。
 画面の中のGが叫ぶ。

『お前は悪くない! 世界が間違っているんだ! 目を覚ませ!』

 男の指が止まる。
 彼の乾いた瞳の奥に、画面の青い光が吸い込まれていく。
 心臓の鼓動が速くなる。灰色の日常に、色彩が戻ってくる感覚。

 彼は、震える指で『フォローする』のボタンを押した。
 そして、コメント欄に書き込む。

『……俺も、覚醒しました』

 男がふと顔を上げる。
 電車の窓ガラスに、夜の闇を背景にして自分の顔が映っていた。
 男は、ニヤリと笑っていた。
 その笑顔は、病室で包帯に巻かれた権田守の笑顔と、全く同じ形をしていた。

 電車の窓の外には、巨大な都市の夜景が広がっている。
 ビル群の窓、街灯、車のヘッドライト、そして無数の人々が持つスマートフォンの光。
 地上は、星空よりも眩しい、人工的な光の海に沈んでいる。

 空には、満月が浮かんでいた。
 かつて、人々を狂わせたと言われる月の光は無言だ。
 しかし今、その淡い光を見上げる者は誰もいない。
 人々はもう、空を見る必要がないのだ。
 手の中にある、もっと強く、もっと刺激的で、スマートフォンの「青い光」に夢中なのだから。

 都市のどこかで、また誰かの通知音が鳴る。
 それは、新たな症候群の発症を告げる、産声のような音なのだ。

(完)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ
キャラ文芸
架空の国の後宮物語。 若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。 有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。 しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。 幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……? あまり暗くなり過ぎない後宮物語。 雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。 ※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...