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花淵カレンのケース
fragment #7 電子の海の偶像
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あー、マジで最高だ。今の俺は間違いなく、世界で一番幸せな男の一人だろ。
VRゴーグルのスポンジが汗を吸って、こめかみに張り付く感触。
部屋に充満したカップ麺の残り香と精子の臭い。
そんな現実(リアル)のゴミ情報は、ログインした瞬間に全部吹っ飛んだ。
視界いっぱいに広がるのは、新作『VR深度100% -Deep Dive-』の世界。
見ろよこのグラフィック。高層ビルみたいにデカい珊瑚礁の間を、発光魚の群れが泳いでいく。俺がいるのはその最前列。廃課金した甲斐があったわ。マジで神席だ。
で、煌びやかなステージの光の中から出てきたのが、花淵カレン。
俺たちの女神様だ。
数ヶ月前に急に失踪してネット中が大騒ぎになった、伝説のAV女優。画面越しに散々お世話になって、毎晩のように消費して、それでも聖女みたいに笑ってた彼女が、今、目の前にいる。
「みんな、今日は来てくれてありがとう!」
うわ、ヤバい。声が脳みそに直接響いてくる。
最新のハプティクス技術はすげえな。肌の質感、まつ毛の震え、潤んだ瞳の動きまで完全に再現してやがる。
昔の動画で見てた彼女より、なんかこう、生々しいんだよな。それでいて、あの頃みたいな「疲れ」が一切ない。クマもないし肌荒れもない。
完全に仕上がってる。これぞアイドルの完成形ってやつだ。
司会のアバターが大げさな動きでスクリーンを指差した。
「さて、次はファン参加型のQ&Aコーナーです!」
心臓がバクバクいって痛え。コントローラー握ってる手の手汗が止まんねえよ。
いや、選ばれるわけないって。冷静になれ俺。ここには数万人のアバターがいるんだぞ? 俺みたいな底辺モブが当たる確率は、宝くじより低いっての。
「えっとね……これかな」
カレンが可愛い仕草で指差した空中に、テキストが浮かんだ。
『カレンさん! もしファンと一日だけデートできるとしたら、どこへ行きたいですか?』
は?
息が止まった。
嘘だろ。それ、俺が昨日の夜、祈るような気持ちで送信したやつじゃん。一字一句同じだぞ。
ステージのカレンは、「うーん」って小首を傾げた。人差し指を顎に当てて考え込んでる。その「間」すら可愛い。
数秒後、彼女はとろけるような笑顔でこう言ったんだ。
「うーん……。どこか特別な場所じゃなくて、普通にお家で、一緒に映画とか観たいな。あなたが好きな映画を、隣で一緒に」
頭ん中が真っ白になった。脳汁が出すぎておかしくなりそうだ。
エロいことしたいとかじゃないんだよ。ただ、恋人みたいにまったりしたい。俺が備考欄に書いた「理想」そのまんまの答えだ。
まあ、頭の片隅じゃ分かってるよ?
どうせAIが俺の購入履歴とか解析して、「コイツはこういう答えが欲しいんだろ」って計算して弾き出したセリフだってことは。
でもさ、それがどうしたって話だろ。
現実の女がこんなに俺を分かってくれるか? こんな完璧なタイミングで欲しい言葉をくれるか? 絶対無理だね。
マイクがオンになってるのも忘れて、俺の口から勝手に声が漏れてた。
「カレン……愛してる……」
その瞬間だ。
ステージのカレンが、ふっと動きを止めた。
で、こっちを見たんだ。
数万人はいる客席の中から、正確に俺のアバターだけをロックオンした。
目が合った。絶対に合った。彼女の目が優しく、三日月みたいに細められる。
周りの音とか全部消えて、世界には俺と彼女しかいなくなった気がした。
彼女の桜色の唇が、音もなく、でもはっきりとこう動いたのが見えたんだ。
『 わ た し も 』
もう駄目だ。涙とか鼻水とか、ぐちゃぐちゃに溢れて止まんねえ。
現実の彼女じゃありえないファンサだ。いや、これはサービスなのか?
あの目の奥の光、ただのプログラムとは思えないくらい切実に見えたぞ。まるで助けを求めてるみたいな、魂の叫びみたいな。
このタイトルの意味、ようやく分かった気がする。
『Deep Dive(深層へのダイブ)』ってこういうことかよ。
彼女はここにいたんだ。現実から消えた彼女は、この電子の海の底に溶けて、俺たちを待ってたんだ。
ああ、もう現実(リアル)になんて戻りたくない。この汚い部屋も、クソみたいな人生もどうでもいい。
ここが俺の居場所だ。この幸せな泥沼に、一生沈んでいたい。
*
都内某所、地図には倉庫として登録されている巨大スタジオ。
その片隅、機材の影になった暗がりに私は立っていた。
黒いパーカーのフードを目深に被り、自身の存在を消すように息を潜める。
左耳のイヤホンに、コントロールルームからの無機質な報告が流れ込む。
『ユーザーID"KENJI"、エンゲージメント率98.7%到達。心拍数、アドレナリン、ドーパミン値、予測モデルと合致。絶頂(ピーク)です』
「了解」
私は短く応じ、タブレット端末を操作する。
「彼専用のリップシンク・データを送信。ターゲット固定、実行」
『受信確認。……同調(シンクロ)率、臨界を超えます』
私は感情を殺した目で壇上を眺めていた。
VRゴーグルをつけた連中が見ている「深海」も「女神」も、ここにはない。
あるのは無機質なグリーンスクリーンの背景と、その中央で踊る精巧な機械人形だけだ。
シリコンスキンで覆われた最新鋭のアンドロイド。
一挙手一投足はスーパーコンピュータからの指示で制御され、人間には不可能なほどの正確さで「花淵カレン」を演じている。
だが現場の技術者たちは皆、薄気味悪い違和感を抱いていた。
あのアンドロイドを動かすソースコード――その深層にはブラックボックス化された「何か」が組み込まれている。
開発主任でさえ解読できない、複雑怪奇なニューラルネットワークの塊。
それはまるで、生きた人間の脳神経をそのままデジタルに焼き付けたかのような、歪な構造をしていた。
モニターには熱狂するアバターの群れ。
彼らは知らない。自分たちが愛を囁いている相手がプログラムの幽霊であることを。
かつて肉体を使って欲望を搾取されていた彼女は、今や肉体を捨て、電子信号となって数万人を同時に愛撫している。
終了時刻が近づく。
アンドロイドは最後の曲を終え、観客に向けて深々とお辞儀をする。その角度、速度、静止する時間に至るまで、かつて「人間だった頃」のカレンの癖を完全に再現したものだ。
照明が落ち、スタジオが闇に包まれる。
動きを止めたアンドロイドは、ただの「モノ」に戻った。
慈愛に満ちた表情は消え失せ、光の消えた瞳は虚空を見つめている。
ふと、アンドロイドの頬を一筋の透明な液体が伝い落ちた。
オイル漏れか。それとも結露か。
私は眉をひそめ、ステータスを確認する。エラーログはない。システムは正常だ。
ならばあの涙のようなものは何だ?
背筋に冷たいものが走る。私は思考をシャットダウンした。
深入りすれば、私までもあちら側へ引きずり込まれる気がしたからだ。
私の役目は終わった。
誰にも気づかれることなく踵を返す。
非常口の鉄扉を押し開けると、東京の生ぬるく湿った夜気が流れ込んできた。
夜空を見上げても星は見えない。あるのは地上の光を反射して赤黒く濁った雲だけだ。
この街全体が巨大なVRゴーグルのようなものかもしれない。誰もが何かを見ているようで、実は何も見ていないのだから。
*
高層ビルの最上階、広大なエグゼクティブルーム。
近藤は、巨大なガラス窓の前で腕を組み、眼下の光の海を見下ろしていた。
宝石箱をひっくり返したような東京の夜景。その光の一粒一粒の下で、愚かな消費者たちが今日も金と時間を浪費している。
部屋の中央に置かれたホログラムには、イベントの成果を示すデータが美しい幾何学模様となって浮かび上がっていた。
総接続者数、平均エンゲージメント時間、課金総額。そしてこの瞬間に生み出されている莫大な純利益。
全てが計画通りだ。
背後のデスクでラップトップPCが控えめな着信音を鳴らした。
ゆっくりと振り返る。
ガラスに映った自分の顔は、かつて花淵カレンが精神を病み、その絶望を「資産」と断じた時の表情と同じだったろうか。
AV女優としての価値は加齢と共に減衰する。
だがデジタルデータとして昇華されれば、彼女は永遠に処女であり、永遠に娼婦であり続けられる。
デスクに座り、画面を確認する。開発チーム『アルファ』からの最終報告。
[FROM: DEV_TEAM_ALPHA]
[SUBJECT: Project "Syndrome" Final Report]
[MESSAGE: "被写体"の人格データは完全にシステムへ融解しました。意識レベルの境界線消失を確認。現在、極めて安定した状態で稼働中。プロジェクトは成功と見なします。]
近藤は満足げに小さく頷いた。
融解。美しい響きだ。
彼女はもう二度と「帰る」ことはない。狭苦しい肉体という檻から抜け出し、無数のサーバーを行き来する電子の精霊となったのだから。
彼女が失踪したあの日、地下の研究施設で何が行われたのかを知る者は、近藤を含めて片手で数えるほどしかいない。
キーボードに細い指を置き、返信を打ち込む。
巨大プロジェクト「シンドローム」の、最後の一行を記すための冷徹な署名。
[TO: DEV_TEAM_ALPHA]
[MESSAGE: 了解。関係者各位の尽力に感謝する。]
送信ボタンを押すと乾いた音が響いた。
パタン、とラップトップを閉じる。
「花淵カレン」という商品は肉体という枷から解放され、永遠に利益を生み続ける完璧なデジタルゴーストとなった。
地下の焼却炉で灰になるものが、かつて彼女だったものなのか、それとも魂の抜けたただの有機物質なのか。
それは哲学的な問いに過ぎない。
近藤は再び窓の外に目を向けた。唇の端がかすかに吊り上がる。
空には、鋭いナイフのような下弦の月はもうなかった。
その代わりにあるのは、満ちる一歩手前の、いびつなほどに明るく膨張した光を放つ月。
待宵の月(まつよいのつき)。
未完成ゆえに美しく、永遠に完成を待ちわびる月が、冷たく輝いていた。
VRゴーグルのスポンジが汗を吸って、こめかみに張り付く感触。
部屋に充満したカップ麺の残り香と精子の臭い。
そんな現実(リアル)のゴミ情報は、ログインした瞬間に全部吹っ飛んだ。
視界いっぱいに広がるのは、新作『VR深度100% -Deep Dive-』の世界。
見ろよこのグラフィック。高層ビルみたいにデカい珊瑚礁の間を、発光魚の群れが泳いでいく。俺がいるのはその最前列。廃課金した甲斐があったわ。マジで神席だ。
で、煌びやかなステージの光の中から出てきたのが、花淵カレン。
俺たちの女神様だ。
数ヶ月前に急に失踪してネット中が大騒ぎになった、伝説のAV女優。画面越しに散々お世話になって、毎晩のように消費して、それでも聖女みたいに笑ってた彼女が、今、目の前にいる。
「みんな、今日は来てくれてありがとう!」
うわ、ヤバい。声が脳みそに直接響いてくる。
最新のハプティクス技術はすげえな。肌の質感、まつ毛の震え、潤んだ瞳の動きまで完全に再現してやがる。
昔の動画で見てた彼女より、なんかこう、生々しいんだよな。それでいて、あの頃みたいな「疲れ」が一切ない。クマもないし肌荒れもない。
完全に仕上がってる。これぞアイドルの完成形ってやつだ。
司会のアバターが大げさな動きでスクリーンを指差した。
「さて、次はファン参加型のQ&Aコーナーです!」
心臓がバクバクいって痛え。コントローラー握ってる手の手汗が止まんねえよ。
いや、選ばれるわけないって。冷静になれ俺。ここには数万人のアバターがいるんだぞ? 俺みたいな底辺モブが当たる確率は、宝くじより低いっての。
「えっとね……これかな」
カレンが可愛い仕草で指差した空中に、テキストが浮かんだ。
『カレンさん! もしファンと一日だけデートできるとしたら、どこへ行きたいですか?』
は?
息が止まった。
嘘だろ。それ、俺が昨日の夜、祈るような気持ちで送信したやつじゃん。一字一句同じだぞ。
ステージのカレンは、「うーん」って小首を傾げた。人差し指を顎に当てて考え込んでる。その「間」すら可愛い。
数秒後、彼女はとろけるような笑顔でこう言ったんだ。
「うーん……。どこか特別な場所じゃなくて、普通にお家で、一緒に映画とか観たいな。あなたが好きな映画を、隣で一緒に」
頭ん中が真っ白になった。脳汁が出すぎておかしくなりそうだ。
エロいことしたいとかじゃないんだよ。ただ、恋人みたいにまったりしたい。俺が備考欄に書いた「理想」そのまんまの答えだ。
まあ、頭の片隅じゃ分かってるよ?
どうせAIが俺の購入履歴とか解析して、「コイツはこういう答えが欲しいんだろ」って計算して弾き出したセリフだってことは。
でもさ、それがどうしたって話だろ。
現実の女がこんなに俺を分かってくれるか? こんな完璧なタイミングで欲しい言葉をくれるか? 絶対無理だね。
マイクがオンになってるのも忘れて、俺の口から勝手に声が漏れてた。
「カレン……愛してる……」
その瞬間だ。
ステージのカレンが、ふっと動きを止めた。
で、こっちを見たんだ。
数万人はいる客席の中から、正確に俺のアバターだけをロックオンした。
目が合った。絶対に合った。彼女の目が優しく、三日月みたいに細められる。
周りの音とか全部消えて、世界には俺と彼女しかいなくなった気がした。
彼女の桜色の唇が、音もなく、でもはっきりとこう動いたのが見えたんだ。
『 わ た し も 』
もう駄目だ。涙とか鼻水とか、ぐちゃぐちゃに溢れて止まんねえ。
現実の彼女じゃありえないファンサだ。いや、これはサービスなのか?
あの目の奥の光、ただのプログラムとは思えないくらい切実に見えたぞ。まるで助けを求めてるみたいな、魂の叫びみたいな。
このタイトルの意味、ようやく分かった気がする。
『Deep Dive(深層へのダイブ)』ってこういうことかよ。
彼女はここにいたんだ。現実から消えた彼女は、この電子の海の底に溶けて、俺たちを待ってたんだ。
ああ、もう現実(リアル)になんて戻りたくない。この汚い部屋も、クソみたいな人生もどうでもいい。
ここが俺の居場所だ。この幸せな泥沼に、一生沈んでいたい。
*
都内某所、地図には倉庫として登録されている巨大スタジオ。
その片隅、機材の影になった暗がりに私は立っていた。
黒いパーカーのフードを目深に被り、自身の存在を消すように息を潜める。
左耳のイヤホンに、コントロールルームからの無機質な報告が流れ込む。
『ユーザーID"KENJI"、エンゲージメント率98.7%到達。心拍数、アドレナリン、ドーパミン値、予測モデルと合致。絶頂(ピーク)です』
「了解」
私は短く応じ、タブレット端末を操作する。
「彼専用のリップシンク・データを送信。ターゲット固定、実行」
『受信確認。……同調(シンクロ)率、臨界を超えます』
私は感情を殺した目で壇上を眺めていた。
VRゴーグルをつけた連中が見ている「深海」も「女神」も、ここにはない。
あるのは無機質なグリーンスクリーンの背景と、その中央で踊る精巧な機械人形だけだ。
シリコンスキンで覆われた最新鋭のアンドロイド。
一挙手一投足はスーパーコンピュータからの指示で制御され、人間には不可能なほどの正確さで「花淵カレン」を演じている。
だが現場の技術者たちは皆、薄気味悪い違和感を抱いていた。
あのアンドロイドを動かすソースコード――その深層にはブラックボックス化された「何か」が組み込まれている。
開発主任でさえ解読できない、複雑怪奇なニューラルネットワークの塊。
それはまるで、生きた人間の脳神経をそのままデジタルに焼き付けたかのような、歪な構造をしていた。
モニターには熱狂するアバターの群れ。
彼らは知らない。自分たちが愛を囁いている相手がプログラムの幽霊であることを。
かつて肉体を使って欲望を搾取されていた彼女は、今や肉体を捨て、電子信号となって数万人を同時に愛撫している。
終了時刻が近づく。
アンドロイドは最後の曲を終え、観客に向けて深々とお辞儀をする。その角度、速度、静止する時間に至るまで、かつて「人間だった頃」のカレンの癖を完全に再現したものだ。
照明が落ち、スタジオが闇に包まれる。
動きを止めたアンドロイドは、ただの「モノ」に戻った。
慈愛に満ちた表情は消え失せ、光の消えた瞳は虚空を見つめている。
ふと、アンドロイドの頬を一筋の透明な液体が伝い落ちた。
オイル漏れか。それとも結露か。
私は眉をひそめ、ステータスを確認する。エラーログはない。システムは正常だ。
ならばあの涙のようなものは何だ?
背筋に冷たいものが走る。私は思考をシャットダウンした。
深入りすれば、私までもあちら側へ引きずり込まれる気がしたからだ。
私の役目は終わった。
誰にも気づかれることなく踵を返す。
非常口の鉄扉を押し開けると、東京の生ぬるく湿った夜気が流れ込んできた。
夜空を見上げても星は見えない。あるのは地上の光を反射して赤黒く濁った雲だけだ。
この街全体が巨大なVRゴーグルのようなものかもしれない。誰もが何かを見ているようで、実は何も見ていないのだから。
*
高層ビルの最上階、広大なエグゼクティブルーム。
近藤は、巨大なガラス窓の前で腕を組み、眼下の光の海を見下ろしていた。
宝石箱をひっくり返したような東京の夜景。その光の一粒一粒の下で、愚かな消費者たちが今日も金と時間を浪費している。
部屋の中央に置かれたホログラムには、イベントの成果を示すデータが美しい幾何学模様となって浮かび上がっていた。
総接続者数、平均エンゲージメント時間、課金総額。そしてこの瞬間に生み出されている莫大な純利益。
全てが計画通りだ。
背後のデスクでラップトップPCが控えめな着信音を鳴らした。
ゆっくりと振り返る。
ガラスに映った自分の顔は、かつて花淵カレンが精神を病み、その絶望を「資産」と断じた時の表情と同じだったろうか。
AV女優としての価値は加齢と共に減衰する。
だがデジタルデータとして昇華されれば、彼女は永遠に処女であり、永遠に娼婦であり続けられる。
デスクに座り、画面を確認する。開発チーム『アルファ』からの最終報告。
[FROM: DEV_TEAM_ALPHA]
[SUBJECT: Project "Syndrome" Final Report]
[MESSAGE: "被写体"の人格データは完全にシステムへ融解しました。意識レベルの境界線消失を確認。現在、極めて安定した状態で稼働中。プロジェクトは成功と見なします。]
近藤は満足げに小さく頷いた。
融解。美しい響きだ。
彼女はもう二度と「帰る」ことはない。狭苦しい肉体という檻から抜け出し、無数のサーバーを行き来する電子の精霊となったのだから。
彼女が失踪したあの日、地下の研究施設で何が行われたのかを知る者は、近藤を含めて片手で数えるほどしかいない。
キーボードに細い指を置き、返信を打ち込む。
巨大プロジェクト「シンドローム」の、最後の一行を記すための冷徹な署名。
[TO: DEV_TEAM_ALPHA]
[MESSAGE: 了解。関係者各位の尽力に感謝する。]
送信ボタンを押すと乾いた音が響いた。
パタン、とラップトップを閉じる。
「花淵カレン」という商品は肉体という枷から解放され、永遠に利益を生み続ける完璧なデジタルゴーストとなった。
地下の焼却炉で灰になるものが、かつて彼女だったものなのか、それとも魂の抜けたただの有機物質なのか。
それは哲学的な問いに過ぎない。
近藤は再び窓の外に目を向けた。唇の端がかすかに吊り上がる。
空には、鋭いナイフのような下弦の月はもうなかった。
その代わりにあるのは、満ちる一歩手前の、いびつなほどに明るく膨張した光を放つ月。
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未完成ゆえに美しく、永遠に完成を待ちわびる月が、冷たく輝いていた。
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