Digital Proxy Disorder

木村 忠司

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権田守のケース

fragment #3 自動翻訳

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 職を失って三日目。
 俺の時間は、太陽の運行とは無関係に流れていた。
 遮光カーテンの隙間から漏れる微かな昼の光だけが、ここが物理的な現実世界であることを示している。だが、俺にとっての現実は、発熱するスマートフォンの向こう側にしかなかった。

 画面の中で、カリスマは吠えていた。

『いいですか! これは革命なんです! 私、ガモンは、本日をもって国政政党『ガモン党』を立ち上げます!』

 コメント欄が爆発的な速度で流れる。
『万歳!』『ついに来た!』『日本が変わる!』

 俺もまた、安酒で震える指を走らせる。

『一生ついていきます! 俺たち覚醒者が支えます!』

 本気だった。社会から弾き出された中年男にとって、この新しい旗印は、失われた自尊心を埋める唯一の希望だった。

 だが、祭りの熱狂は、一本の週刊誌記事によって冷や水を浴びせられた。
 夕方、ネットニュースに速報が流れたのだ。

『ガモン氏の元私設秘書A子さん(28)、党の公金横領と深刻なパワハラを告発』

 記事には、ガモンによる怒号の録音データや、不正な金の流れを示す帳簿の写真が掲載されていた。
 ネットの空気が一瞬で凍りつき、やがて沸騰した。アンチたちが勢いづき、嘲笑のコメントを書き込む。
 俺の顔から血の気が引いた。
 違う。そんなはずはない。ガモンさんが、俺たちの希望が、そんな汚いことをするはずがない。

「……罠だ」

 俺は掠れた声で呟いた。

「これは、既得権益層が仕掛けたハニートラップだ。あの女は工作員だ!」

 数時間後、ガモンが緊急配信を始めた。
 いつもの派手なスーツではなく、白シャツ姿で、憔悴しきった表情を浮かべていた。

『皆さん……信じてください。私は嵌められたんです』

 ガモンは涙ながらに語った。A子がいかに精神的に不安定だったか、いかに党を内部から破壊しようとしたか。あることないこと、あるいは全てが嘘かもしれない物語を、真実として語った。
 そして、配信の終盤。

『私は彼女を信じていたのに……。見てください、この誓約書を。彼女のサインもあります』

 ガモンは一枚の書類をカメラに向けた。
 そこには、A子の署名と捺印があった。
 そして――住所と電話番号が、黒塗りされずにそのまま映っていた。

 ガモンは数秒間それを映し続け、慌てたように引っ込めた。

『あっ、いけない。個人情報が……。いや、まあ、もう過ぎたことですが』

 ガモンは一瞬だけ、カメラの向こうの誰か(俺たち)に向けて、ニヤリと目を細めたように見えた。

 俺の脳内で、指令のベルが鳴り響いた。
 それは「犬笛」だった。
 直接的な命令ではない。「やってしまえ」とは言わない。だが、飼い主に忠実な犬だけが聞き取れる周波数で、その音は確かに響いたのだ。

《 ターゲット確認:裏切り者A子 》
《 座標データ受信完了 》
《 ミッション:制裁 》

 俺は立ち上がった。
 酒の酔いは一瞬で吹き飛んだ。

「許せねえ……俺たちのガモンさんを泣かせやがって……」

 迷彩柄のジャケットを羽織り、自撮り棒を握りしめる。
 鏡に映る俺の目は、正義感に燃えているというよりは、これから始まる「祭り」の予感にドロドロと濁っていた。

     *

 深夜一時。都内某所の高級マンション前。
 そこには既に、異様な光景が広がっていた。
 十数人の男たちが、スマホやビデオカメラを構え、マンションのエントランスを取り囲んでいるのだ。
 彼らは互いに挨拶し、談笑している。まるでアイドルの出待ちか、深夜のオフ会のような軽いノリだった。

 俺もその輪に加わった。

「お疲れ様です。覚醒者Gです」
「おお、Gさん! よくコメントで見ますよ!」

 リアルでの承認欲求が満たされる。ここには仲間がいる。同じ敵を憎む、熱い同志たちが。

「よし、じゃあ凸(トツ)りますか!」

 誰かが合図し、一斉に配信が始まった。
 俺も配信ボタンを押す。

「えー、現在、工作員A子の自宅前に来ております。逃げ隠れせずに説明責任を果たしてもらいましょう!」

 ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。
 インターホンの呼出音が連続して夜の闇に響く。

「A子さーん! ガモン党の支持者ですけどー! お話聞かせてもらえませんかー!」
「出てこーい! 嘘ついたこと謝れよ!」
「ハニトラ仕掛けたって本当ですかー!?」

 男たちの怒号と、下卑た笑い声が交錯する。
 彼らは知っている。オートロックの向こうで、女が一人、恐怖に震えていることを。その想像が、彼らの加虐心を煽り、性的とも言える興奮をもたらしていた。

 俺はエントランスのガラス戸に顔を押し付け、カメラを向けた。
 俺の視界(UI)には、マンション全体が赤く染まり、《 敵拠点:耐久度低下中 》というゲージが表示されている。

「おいA子! お前のせいでガモンさんが泣いたんだぞ! 死んで詫びろ!」

 俺の叫びに、仲間たちが「そうだそうだ!」と同調する。
 警察が来るまでの三十分間、俺たちは石を投げるように言葉の暴力を投げ続けた。
 それは、俺の人生で最も充実した夜だった。

     *

 翌朝。
 祭りの終わりは、唐突で、静かだった。
 ニュース速報のテロップ。

『昨夜未明、都内マンションから女性転落死。ガモン氏の元秘書か』

 自殺だった。A子は、俺たちが去った後、ベランダから身を投げたのだ。

 俺は、散らかった部屋でそのニュースを見た。
 一瞬、胸の奥で何かがざらついた。人が死んだのだ。自分が追い詰めた人間が。
 しかし、スマホを開いた瞬間、その罪悪感はデジタルの波に押し流された。
 ガモンの信者たちが、祝杯を挙げていたのだ。

『逃げたな』
『死んで証拠隠滅かよ』
『やましいことがあったから死んだんだ。自白したも同然』
『因果応報だ』

 俺は、ストロング缶のプルトップを開けた。
 プシュ、という音が、勝利の合図のように聞こえた。

「……そうだよな。あいつが悪いんだ」

 俺は呟いた。

「俺たちは質問に行っただけだ。勝手に死んだのはあっちの責任だ。……俺たちの正義が、悪を浄化したんだ」

 酒を流し込む。
 脳内の快楽物質が、不安を塗りつぶしていく。

《 クエスト完了:工作員の排除 》
《 経験値獲得 》
《 称号獲得:英雄 》

 その夜、俺は勝利の美酒を買い足すためにコンビニへ向かった。
 足取りは千鳥足だが、気分は高揚していた。
 自動ドアをくぐり、弁当コーナーへ向かう。
 ふと、レジの方を見た。
 店員が一人、俯いて立っている。

「……おい、レジ頼むよ」

 俺が声をかけると、店員がゆっくりと顔を上げた。
 女性だった。
 長い髪。白いブラウス。
 そして、顔が――無かった。

 いや、顔はある。
 だが、それはひどく損壊していた。頭蓋骨が歪み、片目が眼窩から飛び出し、顎が砕けて皮膚一枚でぶら下がっている。
 コンクリートに叩きつけられた、生々しい死体そのものだった。
 A子だった。

 普通の人間なら、悲鳴を上げて腰を抜かすだろう。
 だが、俺の脳(OS)は、すでに不可逆的なアップデートを済ませていた。
 俺の目には、そのグロテスクな死体が、**「バグって表示が乱れた3Dモデル」**にしか見えなかったのだ。

 彼女の姿は、古いブラウン管テレビのようにノイズが走り、時折、体が透明に明滅している。
 デジタル・ゴースト。
 システムのエラー。

 砕けた顎が動き、ヒューヒューと空気が漏れる音と共に、言葉が紡がれる。

「……ひと……ご……ろし……」
「……おまえ……たちが……ころ……」

 亡霊の呪詛。
 しかし、俺の脳内で、**【音声データの自動翻訳】**が作動した。
 脳内システム(アルゴリズム)の慈悲深い干渉が、彼女の怨嗟の声を、都合の良い賛辞へと書き換える。

『……いつも……応援……ありがとうございます……』
『……ガモン党……万歳……』

 俺の顔が、とろけるような笑顔に歪んだ。
 俺はその場に直立し、ビシッと敬礼をした。

「いやあ! 当然のことをしたまでですよ!」

 俺は大声で答えた。

「君もやっと目が覚めたんだね! 死んで禊(みそぎ)を済ませて、こっち側の住人になれたんだ! おめでとう!」

 俺は上機嫌で、何も持っていない空中に向かって話しかけ続けた。

 防犯カメラの映像には、無人のレジカウンターに向かって、薄ら笑いを浮かべながら敬礼と会釈を繰り返す、小太りの中年男の姿だけが映っていた。
 店内のBGMは、陽気なジングルベルだった。
 視界の端で、A子の亡霊がザザッというノイズと共に掻き消える。
 俺はそれを「通信状態が悪いな」程度にしか思わなかった。

 俺にとって、もはや現実の死など存在しない。
 あるのは、削除(デリート)か、保存(アーカイブ)か、それだけだった。
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