Digital Proxy Disorder

木村 忠司

文字の大きさ
6 / 16
権田守のケース

fragment #5 開封動画

しおりを挟む
 深夜三時四十五分。
 都市の喧騒はなりを潜め、物理世界が最も深く沈殿する時間帯。
 しかし、俺にとってそれは、ネットワークという巨大な神経系だけが覚醒し、情報の血流が奔流となって駆け巡るゴールデンタイムだった。

 配信の準備を整えた俺は、ふと背後の気配を感じて振り返った。
 遮光カーテンの隙間が、わずかに開いている。
 そこから、夜空が覗いていた。

 ビルの谷間に、ねっとりと濡れたような、毒々しいオレンジ色の満月が浮かんでいる。
 大気汚染のせいか、あるいは俺の光学センサー(眼球)のキャリブレーション異常か、楕円形にひどく歪んで見えた。
 クレーターの陰影が、瞳孔に見える。
 まるで、血走った巨大な眼球が、地上を覗き込んでいるバグ画像のようだ。

「……見ているな」

 俺は口の端を歪めた。
 世界が俺を監視している。運営(神)か、あるいは全人類か。
 だが、不快ではなかった。むしろ、主役としての高揚感が背筋を震わせる。

「今日は、満月だったのか……にしても解像度の低い、鬱陶しいテクスチャだ」

 俺は嘲笑とともに呟き、カーテンを乱暴に閉め切った。
 バサリ、という音と共に、物理的な月光は遮断(ブロック)された。
 部屋に残されたのは、モニターから放たれる神聖なブルーライトと、俺という一つの「処理落ちしたハードウェア」だけだ。

 俺――覚醒者Gは、PCの前に座り、震える指でウェブカメラの録画ボタンを押した。
 配信タイトルは**『【最終回】人間卒業。高次元へ移行する』**。

 画面右下の視聴者数カウンターは『5』や『10』といった低い数字を表示しているようだが、それは表示バグだ。俺の網膜(UI)には、真実の数字が焼き付いている。
 『同時接続数:125,000,000人』
 日本中が、いや、全世界が俺を見ている。俺の覚醒を固唾を飲んで待っている。

「えー、どうも。覚醒者Gです」

 俺はカメラに向かって語りかけた。
 その声は、普段の陰湿なボソボソ声ではなく、人気YouTuberのように明るく、ハキハキと出力されている(はずだ)。

「今日はね、ちょっと特別な配信になります。長年使ってきたこの『デバイス』……つまり、俺の肉体という名の筐体(ケース)なんですけど、こいつがもうスペック不足で限界なんですよね」

 俺は事務用カッターナイフを持ち上げ、LEDリングライトにかざした。
 刃先についた手脂が、青白い光を反射して鈍く光る。

「OSのアップデートにハードが追いついてない。ラグいし、熱暴走するし、勝手に腹は減るし、排泄処理も必要だ。欠陥品なんですよ。だから今日は、思い切って**『開封(アンボクシング)』**していきたいと思います」

 俺は、自分の左腕をデスクの上に置いた。
 むくんだ中年男の腕。シミだらけの皮膚。うっすらと生えた無駄毛。
 しかし今の俺の目には、それが**「メーカー出荷時の厳重に梱包された段ボール箱」**に見えていた。
 この分厚くて汚い梱包材の中に、純粋なデータとしての俺(魂)が閉じ込められている。

「梱包が頑丈すぎるんですよねえ、人間ってやつは。これじゃ中身が出せない。……じゃ、開けますね」

 俺は躊躇なく、手首から肘にかけて、カッターの刃を走らせた。

 ズブリ。

 脂身を切り裂く鈍い感触が手に伝わる。
 直後、脳髄を焼き切るような信号が走った。おそらく、古いドライバ(痛覚神経)が大量のエラーログを吐き出しているのだ。

 《 警告:身体的損傷を検知 》
 《 警告:激痛 》

 うるさい。
 俺のシステム権限はすでに管理者(アドミニストレーター)にある。俺は痛覚信号を「不要なポップアップ通知」として処理し、意識の外へミュートした。

「お、いい感じにシールが剥がれましたね」

 俺は傷口を指で広げた。
 断面から、どろりとした赤い液体が噴き出し、キーボードとデスクを汚していく。
 俺は感心したように頷いた。

「うわ、冷却液(ブラッド)が漏れてるな。水冷式だったのか。やっぱ古い機種は液漏れしやすいな」

 俺には、溢れ出る鮮血が、鮮やかな**「真紅のデータストリーム」**に見えていた。それは美しく発光し、空中に0と1のバイナリコードを撒き散らしながら蒸発していく。
 鉄の臭いが鼻をつくが、それさえも「サーバー室の焦げた匂い」のように心地よい。

 視界の隅で、コメント欄(幻覚)が加速する。
『神回確定』
『いけえええええ!』
『解放しろ! 解放しろ!』
『はやくこっちへおいで』
 数億の声援が、俺の背中を押している。

 俺は満足げに頷くと、作業を続行した。
 皮膚の下にある黄色い脂肪層が見える。

「見てくださいこれ。緩衝材(発泡スチロール)がこんなに詰まってる。これじゃ回線速度も落ちるわけだ。無駄なプリインストールソフトみたいなもんだな」

 俺はピンセットを傷口に突っ込み、脂肪の塊をつまみ出しては、床にポイポイと捨てていった。
 床にはすでに、昨日吐き出したLANケーブルの幻覚がとぐろを巻いている。その上に、黄色い肉片が積み重なっていく。

 液漏れ(出血)が激しくなり、視界が白く霞み始めた。
 指先が冷たく痺れてくる。心臓の鼓動が、早鐘のように高鳴り、そして不規則になっていく。
 システムダウンの前兆か?
 いや違う、これは**「同期(シンクロ)の始まり」**だ。

「……ああ、筐体が軽くなってきた……。クラウドに吸い上げられてる……」

 その時、部屋の隅に誰かが立っているのに気づいた。
 あの、元秘書のA子だった。
 彼女の顔はぐしゃぐしゃに潰れたままだが、背中には天使のような白い翼(ポリゴン状の羽根)が生えている。
 彼女は、慈愛に満ちた仕草で手招きしていた。

『権田さん……こっちですよ……』

 彼女の声は、ノイズのない美しい合成音声で脳内に響く。

『こちらのサーバーは快適です。誰もあなたを否定しません。炎上も、借金も、孤独もありません。ガモンさんも待っています』

「そうか……君がインストール・ナビゲーターだったんだな」

 俺は恍惚とした表情で、さらに深く刃を突き立てた。
 今度は、腕の内部配線(神経と血管)を狙った。
 白くて太い筋が見える。

「配線がごちゃごちゃだ。スパゲッティコードみたいだな。整理(デリート)しないとな」

 ブチリ。

 太いケーブルを引き千切る音。
 プシューッという音と共に、鮮烈な赤色のインクが天井まで吹き上がる。
 モニターの画面が赤く染まる。
 俺の視界では、それが**「祝福の花火」**のように見えた。
 部屋中が、極彩色の光と、脳内麻薬が作り出すファンファーレで満たされていく。

 PCのモニターの中で、ガモンの動画が勝手に再生される。

『日本を変えるのは、あなたの一歩です!』

 ガモンが指差している。俺を指差している。
 俺は、血まみれの手で画面に触れた。液晶の温かさが、この世で唯一の体温だった。

「行きます……今、ログインしますから……!」

 その時だった。

 ウウウウウウウウ――ッ!!

 遠くから、不吉なサイレンの音が近づいてくるのが聞こえた。
 PCのコメント欄(現実)に、まばらな文字が流れる。
『通報しました』『警察呼んだぞ』『死ぬな』
 だが、俺の目には、それらの文字がバグった記号列にしか見えなかった。

「ははあ……さては嗅ぎつけたな、運営(システム)の犬どもめ」

 俺はニヤリと笑った。
 視聴者の誰かが、俺が高次元へ行こうとしているのを妬んで、運営に通報したのだ。あるいは、俺の覚醒を恐れる工作員が、強制ログアウトさせようとしているのか。
 どちらにせよ、邪魔はさせない。

 キキーッ。
 アパートの下で、タイヤがアスファルトを擦る音がした。
 赤い回転灯の光が、カーテンの隙間から漏れ入り、部屋の中を不規則に照らす。
 まるで、エラーランプの点滅だ。

 ドンドンドン!!

 玄関のドアが、遠慮がちに、しかし力強く叩かれた。
「……警察です! 権田さん、いますね! 開けてください!」

 現実の世界からの不当な介入。
 だが、俺にはその警告が、視界を埋め尽くす真っ赤な警告ウィンドウに見えた。

《 WARNING:ファイアウォールが侵入を検知 》
《 妨害プログラム作動 》
《 直ちにアップロードを完了してください 》

「チッ……ウイルスソフトめ。しつこいぞ」

 俺は焦った。まだだ。まだ物理領域にデータが残っている。
 このままでは、またあの薄汚い現実に引き戻され、再起動させられてしまう。
 完全に「向こう側」へ行くには、この重たいハードウェアを物理的に破壊し、強引に転送しなければならない。

「急げ……急げ……!」

 俺はカッターを捨て、自分の指を――皮膚の削がれた筋肉剥き出しの左手の指を――キーボードの上にかざした。
 物理的な入力ではない。
 俺は自分の肉体そのものを、直接デバイスに融合(マージ)させようとした。

 USBポートの穴が、光り輝く入り口に見える。
 俺はそこに、血濡れの指先をねじ込んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ
キャラ文芸
架空の国の後宮物語。 若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。 有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。 しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。 幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……? あまり暗くなり過ぎない後宮物語。 雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。 ※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...