紅き龍棲の玉座

五月雨輝

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少女との再会

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 ルード・シェン山の開発は順調に進んで行った。

 東南部の日当たりのいい土地を切り開き、水路を整備して小麦畑と水田を作り、そこから少し北に行ったところには牧場と養鶏所を作った。
 リューシスらの住まいと政庁を兼ねる城は、中央よりやや南西部の最も標高の高いところに築かれ、住居部分だけを先に一ヵ月ほどで完成させ、リューシスらはそこに移り住んだ。

 防衛施設の建設も着々と進み、地上部隊が下界に降りる時の出入り口も整備された。
 金鉱の開発と宝玉類の採掘も体制が整い、それらは、毎月アンラードに納める分を除いても、莫大な利益をリューシスらにもたらした。

 ところが、それにも関わらず、ルード・シェン山には何故か財政問題が発生した。
 原因はもちろん、リューシスの欠点である金銭感覚の欠如である。

 莫大な利益が上がるようになると、元々の気前の良さも手伝って、リューシスは兵士ら全員の俸給を上げてやった上、「これまでよく頑張ってくれた。これからも頼むぞ」などと言って、これまでの苦労をねぎらう意味で、俸給のおよそ六か月分にあたる賞与を出してしまったのである。

 更にリューシスは、激戦続きで兵士らの武器甲冑がかなり傷ついているのを見て、「これではいざと言う時に満足に戦えない」と言って、新しい武器甲冑を購入した。
 それ自体は悪いことではない。むしろ急務であろう。しかし、リューシスはなんと、わざわざアンラードの高名な職人らに発注し、将軍格が使うような、良質で高価な物を仕入れたのであった。

 それらは装飾も美しく、兵士らが皆喜んだのは言うまでもない。
 だが、ローヤンの正規武官であり、武具類の相場を理解しているイェダーとヴァレリーは青くなった。

「殿下、これらは将校が使用するものです。一般兵らにこれほどのものを使わせる必要はございません」

 しかしリューシスは気にせず、新しい武器甲冑に喜ぶ兵士らを満足げに見回して、

「将校が使用するぐらいの良質な武具を全員に着用させれば、全体の戦力が底上げされる。しかも見ろ、あの皆の喜んでいる顔を。これで士気も上がる。結果として、実兵力の何倍もの戦力になるんだ」
「しかし、合戦に行けばこれらの武具も傷つきます。傷つけば修繕をしなければなりません。これほどの高価な武具類であれば修繕の費用も高くなります。いくら金があっても足りませんぞ」
「大丈夫大丈夫。その辺の財政は俺がしっかりと管理するから」

 と、リューシスは平然と笑った。
 だが、そもそも金銭感覚が欠如している彼が財政管理をすること自体が間違っていた。

「あれ? おかしいなあ。予想していた金額と合わないぞ。これじゃ来月の兵士らの俸給が……」

 リューシスは、自分の執務室で、まだ紙質が新しい帳簿を見ながら頭を抱えていた。

 すると、その執務室で仕事を手伝っていたエレーナがやって来て、

「どうしたの? ちょっと見せて」

 と言って、横から覗き込んだ。
 エレーナは、一目見て顔から血の気が引いた。

「え? 何よこれ。どうなったらここまでお金が無くなるの?」
「いやあ、何でだろうなあ。おかしいよな」

 リューシスは気まずそうに小さくなった。

「何でだろうじゃないでしょ。あれだけあったお金はどこに行ったのよ」

 エレーナは帳簿を取り上げ、青い顔でぱらぱらとめくった。

「う~ん。わからない。まあいいじゃないか。ここにはまだまだ金や宝玉が沢山ある。今月はとりあえず近くの商人から金を借りて来月に……」

 リューシスが呑気に笑いながら言うと、エレーナは帳簿を机の上に叩きつけて怒った。

「借金なんて駄目よ! あなた、四年前に私に五十万リャンを渡した頃から何も変わってない。本当に戦争以外のことは何もできないのね」
「そこまで言わなくても……」
「言うわよ! もう駄目。今後、ここの財政管理は私がやります」

 エレーナは白い顔を赤くして、帳簿を再び取り上げた。

「そうか。エレーナはホウロー山で塩の密売をやって利益を出してたんだもんなあ。こういうのは得意か、流石だな」

 リューシスは機嫌を取ろうと、調子の良い言葉を並べたが、エレーナは青い瞳でじろりと睨んだ。

 しかし――

「う~んと……これが一人当たりの食糧だけど、この量は妥当なのかしら? この槍の仕入れ値は安いのかな……?」

 などと、エレーナも頭を抱えることが多く、なかなか仕事がはかどらない。

 それもまた当然であった。
 彼女がホウロー山でやっていた塩の密売。彼女は生産から売り先までのルート作りなど、全体の指揮をしていただけで、売値の決定や金銭の管理などは、部下に任せっきりだったのである。
 しかも、彼女も元々がお姫様育ちで、リューシスほどではないが、一般の金銭感覚と言うものが無い。

「ははは、エレーナだって駄目じゃないか。俺を馬鹿にできないぞ」

 リューシスが緑茶を飲みながら笑うと、

「な、何よ……あなたよりはマシでしょ!」

 エレーナは怒って、左手を突き出した。そこから小さな突風が吹いて、リューシスは吹き飛ばされた。赤毛混じりの褐色の髪が緑茶で濡れた。

「待てよ。天法術ティエンファーはないだろ」

 リューシスは頭を擦りながら文句を言った。

 その時リューシスは、先日、父のイジャスラフと自分が言った言葉を思い出した。

「どうだ、あのフェイリンの元王女は? 稀な美貌であるし、気立ても良い。もう一度結婚してみるのもよいと思うがな」

「もし万が一私と愛し合い、結婚した後に私が殺されたら……エレーナは、フェイリン滅亡に続いて、再び家族を失うことになってしまうのです」

 ――その前に夫婦喧嘩で俺が殺されるぜ。

 リューシスは苦笑いで、エレーナの不機嫌そうな横顔を見た。

 エレーナも駄目となると、では他の者はどうだろうか。
 しかし、他の者らもこういったことには向いていなかった。
 下町の不良少年上がりのバーレンやネイマンは無論のこと、士官学校で一通りの学問を修めているイェダーとヴァレリーも、基本的には武辺一辺倒で、このようなことは不得手であった。

「ちょっと困ったなあ。アンラードの戸部(財政を管理する機関)から誰か優秀な人間を寄越してもらうか」

 弱り切ったリューシスは、アンラードに使者を出そうとした。

 だが、ちょうどその頃であった。

 ルード・シェン山の外、ユエン河やウールン河の岸辺には、番所を置いている。
 そこから、リューシスに一つの急報が来た。

「殿下。ただ今、番所に乞食のような子供が来て、泣きながら殿下に会わせて欲しいと言っております」
「乞食のような?」

 その時、リューシスは行儀悪く両脚を机の上に投げ出しながら書類を見ていた。

「ええ。衣服もボロボロで、全身汚れております。帰るように追い返そうとしたのですが、泣いたまま座り込んで動きません。子供なので手荒いまねもできず……如何いたしましょう」

 兵士が言うと、リューシスは書類を置いて睨んだ。

「おい、子供が泣いてまで俺に会いたいと言っているのに何故追い返そうとする」
「も、申し訳ございません。あまりにみすぼらしかったので」

 兵士が青くなり、慌てて謝る。リューシスは両脚を机の上から下ろして、

「人間を見た目で判断するのは仕方のないところがある。しかし、それは顔つきと目つきで判断しろ。決して身なりでは判断するな」
「はっ……」
「で、その子供は男か、女か?」
「ハンウェイ人の少女です。小柄な」
「ハンウェイ人の……? 俺に会いたい? もしかして……」

 リューシスの直感が反応し、背筋を伸ばした。

「名前は訊いたか? 何と言う?」
「え~っと、何でしたかな……ティンティンとか言ってました」
「馬鹿、ワンティンだ!」

 リューシスは叫んで立ち上がった。

「すぐに連れて来い」

 そして、その小柄な少女は城に連れて来られた。
 現れたのは、案の定、リューシスの宮殿で最後の侍女として働いていたワンティンであった。
 黒髪はボサボサ、衣服も汚れてボロボロの酷い有様であった。

「ワンティン! よく来たな」

 完成したばかりの大広間で、リューシスは笑顔でワンティンを出迎えた。
 しかしワンティンは、リューシスを見ると、ぼろぼろと大粒の涙をこぼし、リューシスに駆け寄って抱きついた。

「殿下!」

 小柄なワンティンは、リューシスの腹の辺りに顔を埋め、泣きじゃくった。

「どうした、珍しいな。そんなに泣いて。それにそのぼろぼろの格好は何だ? 何があった?」

 リューシスは笑いながら、ボサボサになったワンティンの黒髪を優しく撫でた。
 ワンティンはまだ泣きじゃくっている。

「まあ、何があったかわからないが、ここに来たからは大丈夫だ、安心しろ」

 リューシスは、背中をぽんぽんと叩いた。
 その後、すぐに落ち着いたワンティンは、これまでのことを話し始めた。
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