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四者四様
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三日後、約束通りに睦助が龍之介に連絡をつけて来た。
まさに名前にロクが入る六兵衛と言う渡り中間がいて、奉公しているのか博打をしているのかどうかは定かではないが、藤堂家下屋敷に出入りしているらしいことを確認したと。
しかも、その六兵衛が明日、本所北割下水近くの旗本の中間部屋で開かれる賭場に顔を出すらしいと言うことも突き止めた。
「と、言うことで今からそこに行って来る。いつ帰って来るかわからないから、悪いがゆみを見ててくれないか」
昼八ツ半、龍之介は、るいの家にゆみを連れて行って頼んだ。
「構わないけど、その賭場が開かれるのはどこ?」
るいは、北割下水と聞いてから何かに引っかかったような表情をしていた。
「高井なんとかって言う旗本の中間部屋だとよ」
「高井、高井ね……」
「何だよさっきから。あの辺に何かあるのか?」
「近頃、北割下水の辺りでは一回限りの賭場がよく開かれるらしいんだけど、胴元と一部の客がグルになってイカサマをしたり、酷いと客を脅して金を奪い取ったりしてるらしいのよ」
「なに……もしかするとそいつらは忠兵衛らの賭場を荒らしてた連中かもな。ちょうど良いじゃねえか」
「恐いなあ。父上、行かない方がいいんじゃない?」
ゆみが不安そうに龍之介を見上げた。
「心配はいらねえ、そっちの方が好都合だ。もし秋野屋を襲ったロクって奴もいて、そいつらの仲間だったら、その場ですぐにおこんおばさんたちの仇討ちができるってものだ」
龍之介は、るいとゆみの心配を笑い飛ばした。
「押上村の辺りでも若い村娘が何人か人さらいに遭ってるって言うし、とにかくあの辺りの治安は今酷いのよ。気を付けてちょうだい」
「何言ってやがる。飢饉以来、江戸中の治安が最悪じゃねえか。じゃあ行ってくる」
龍之介は笑うと、木戸口の方へ歩いて行った。
「まあ、腕だけは立つからそんなに心配はいらないかな」
るいは龍之介の背を見送ると土間に入ったが、ゆみはまだ龍之介の後ろ姿を見ていた。
「おゆみちゃん、さあ入って」
るいは優しく声をかけたが、ゆみは空を見上げた。今日の空気はとても澄み切っており、昼であったが空には十三夜の月がうっすらと見えていた。
「なんか起きる気がする」
ゆみはやや不安そうな顔で土間に入ると、戸を閉めた。
「なんか起きる? 龍さんに?」
「ううん。それが父上に悪いことなのかどうかはわからないけど、その北割下水ってところで何かが起きる気がする」
ゆみは式台に上がると、ちょこんと座った。
「そう……でもわたしたちには何もできないし、無事を願って待ってましょう」
「うん」
「何かして遊ぶ?」
るいが訊くと、ゆみは不安げな表情をぱっと消して嬉しそうに、
「三味線教えて欲しい!」
「え、三味線?」
「うん、この前から三味線の音聴いてて、わたしもやってみたいって思ってたの」
「あらそうなの。じゃあいいわよ、本来なら束脩もらうところだけど、おゆみちゃんは無料で教えてあげる」
るいはにっこりと笑うと、ゆみを奥の座敷に連れて行って座らせ、三味線二本を隣の間から持って来た。
一本をゆみに渡して、るいは向かい合って正座すると、
「いい? ここが天神、糸巻き、これが棹で、ここが胴って言うの。棹には一の糸……」
るいは、いつも初心者に教えるのと同じように各部の名称から説明し始めたが、ゆみが目をくるくるさせているのを見ると、
「あ、まずは色々音を出してみましょうか。それが一番楽しいものね」
と、自らも三味線を持って右膝の上に胴を置いた。
「右手の指はこうして……左手の指でここを押さえてみようか。で、右手の指でこうする」
るいは、糸を弾いて音を出して見せた。
ゆみも真似して、同じ音を出すことに成功すると、顔を輝かせた。
「わあ……音出たよ」
「そうそう、上手いわ。じゃあ、別の音も出して続けてみましょう」
るいも笑顔を見せ、続けて別の音を弾いた。
こうして、二人は稽古と言うよりも遊ぶようにして三味線に興じていたのだが、ふと玄関の方から訪ないの声が聞こえた。
「おるい、いるか?」
大人、と言うより年配の男の声であった。るいは、顔色を変えてゆみを見て、
「おゆみちゃん、悪いんだけどど別の間にでも隠れててくれる? 今から上がる人には、おゆみちゃんの姿は見せない方がいいかも」
「お昼の月でもシロになれるよ。シロになってればいいかな?」
ゆみは、腰高障子を開けて空を見上げながら言ったが、
「猫の姿を見せるのはもっと良くないかも」
「え? なんで?」
「でも、猫なら隠れやすいわね。猫になって布団の中にでも入っててくれる?」
「わかった」
ゆみは賢い。何か事情があるのだとすぐに察した。
猫に変化すると、隅の枕屏風を飛び越え、畳まれている布団の中に潜り込んだ。
るいが土間へと急いで戸を開けると、そこには網み笠をかぶった身なりの良い初老の武士が、従者二人を背後に従えて立っていた。
武士は、笠を上げてるいを見ると笑顔を見せた。
「久しいな、お瑠衣」
「父上、お久しゅうございます」
るいは両手を揃えて頭を下げた。
――父上?
猫の時は遠くの音でも容易に聞き取れる。
ゆみは布団の中にいたが、るいが父上と呼んだのをはっきりと聞いて驚いた。
一方、龍之介は北割下水近くの源光寺の門前で睦助と待ち合わせていたのだが、その時偶然にも、通りを挟んで向かい側の荒井町の茶屋に、龍之介の親友で奉行所の同心、勝田与四郎がいた。
与四郎は、臨時廻り同心である杉内彦左衛門と近くでたまたま会い、情報交換も兼ねてこの茶屋で一服していたのだった。杉内は小者二人を連れていたが、その二人は外で待っている。
そして茶菓子も食べ終えて二人が店を出ようとした時、与四郎が向かい側の源光寺門前に立つ龍之介に気付いた。
「龍……」
与四郎は、暖簾を払った手を下ろし、一歩下がった。
「いかがした、勝田」
彦左衛門は四十半ばで、与四郎より一回りも上の先輩に当たる。
「いえ、私の友人があの寺の門前にいましたもので」
「友人なら何を遠慮することがある。声をかければいいではないか」
「そうなのですが、ちょっと事情がありまして」
「なんだ?」
「あいつ、例の化け猫娘の世話をしているらしいのです」
「なに、あの化け猫をか?」
「ええ。つい三日前に知ったのですが」
「なんと、お主が逃がした化け猫を、まさかお主の友人が世話しているとはな……」
その奇縁に彦左衛門も驚きを隠せなかったが、すぐに同心の顔になって龍之介を遠目に見た。
「ここにいるならちょうど良い。捕まえて化け猫の居所を吐かせよう」
「いや、お待ちください。もしかしたら今、あいつは化け猫と一緒なのかも知れません。何らかのわけがあって 化け猫だけ寺にいて、戻って来るのを待っているとか……」
「なるほど、一緒にいるのなら化け猫が戻って来るのを待って捕まえるのが一番良いな」
「ええ」
こうして、二人は茶屋から出ずに龍之介を見張ったのだが、門の柱に寄りかかる龍之介の前にやって来て声をかけたのは中間風の男であった。
「化け猫娘は一緒ではなかったか」
彦左衛門は舌打ちしたが、
「いや、あれは二人でこれからどこかへ行く様子。もしかしたら行く先に化け猫娘がいるのかも知れません」
「よし、つけるか。勝田、時間はあるのか?」
「ええ、もう一通り見回りは済ませたので」
こうしたやり取りがされているとは知らない龍之介、睦助と落ち合うと、すぐに睦助の案内で歩き始めた。
「高井家は松倉町の近くなんでもう少し歩きますがようございますか?」
「もちろん構わねえよ。けど、今日はその六兵衛ってのは来るのかねえ」
龍之介が並んで歩きながら訊く。
「昨日、私が自分で行って六兵衛と言う男とちょっと話しまして、何時になるかはわからないけど今日も来ると言ってました」
「よし、じゃあ一緒に少し遊んで、六兵衛が帰る時に出て行って捕まえよう。お前はそのまま打っててもいいし、いつ帰ってもいいぜ。礼は後日届ける」
「わかりました」
二人は北割下水の河岸を東へ歩いてから三つ目の辻を北へ曲がり、松倉町近くの高井家の屋敷へ着いた。
高井家は禄高四百石と聞いた。高千五百石の龍之介の実家本庄家とは屋敷の大きさから門構えに至るまで比べ物にならないが、四百石の割りには敷地は広い。同じ四百石の横田家と比べてもはっきりと広いのがわかった。だが、屋敷の外観や門構えなどは、同じ四百石の横田家よりは質素であった。
――まあ、横田は屋敷の飾りから暮らしぶりまで、四百石には分不相応な感じだったけどな。
龍之介は、横田家の邸内を思い出しながら高井家の敷地内に入った。
高井家の敷地は広いので、母屋と中間部屋がかなり離れていた。
それ故に主人の目が届きにくく、中間部屋を博奕場とするには便利なのだろう。
もっとも、中間部屋が賭場になるような家はどこも、主人はそれを承知で目を瞑り、
――裏でその賭場で上がった利益を吸い上げてるんだけどな。
龍之介は皮肉そうな笑みを浮かべながら、睦助の後に続いて中間部屋に上がった。
日光が入りにくい薄暗い部屋では、半裸の胴元の前に六、七人ほどの客がおり、丁だ半だと声を上げている。
龍之介が睦助の顔を見ると、睦助は小さく顔を横に振った。
まだ、六兵衛は来ていないらしい。
他方、龍之介をつけて来た勝田与四郎と臨時廻りの杉内彦左衛門は、龍之介と睦助が高井家に入ったのを確認すると、共に腕組みをした。
「何故こんなところに?」
「恐らく賭場でしょう。であれば目的は博打だけで、化け猫はいないでしょうな」
与四郎は編み笠を上げて高井家の門を見た。
「近頃はどこの旗本屋敷でも博打じゃ。博打は取り締まらなければならんが……」
彦左衛門はそこで言葉を止めた。
江戸の行政、治安、犯罪を管轄する町奉行所であるが、武家屋敷と寺社だけは踏み込む権限が無い。この二つの区域は言わば江戸の治外法権であり、それ故に違法の賭場は専らこの二箇所で開かれることが多いのだ。
与四郎は目を光らせた。
「まあ、龍がここで博打をしているならばちょうど良い。出て来たところをつかまえて化け猫の居場所を吐かせ、ついでに博打のことも吐かせましょう。今は現場を押さえられなくとも、その情報はいずれ役立ちます」
「よし、では出て来るのを待つか」
こうして彼らは、高井家が見通せる近くの居酒屋に入り、連子窓から高井家の門が見える位置の床几に座って再び見張り始めたのだが、
「あれ? あのさむらいは確か……」
と、店内の別の場所で飲んでいた三人のうちの一人が、杉内彦左衛門に気付いて目を凝らした。
「どうしました、兄貴?」
あとの二人は子分格らしい。兄貴と呼んだ男に訊くと、
「あれは、杉内彦左衛門って言う臨時廻りじゃねえかな」
兄貴は、小声で答えた。
「ああ、奉行所の同心の」
「そう。もういい歳の同心なんだがちょっとせこい奴でな。それがああして外を見張れる位置に座るってことは何かあったな」
「まあ、放っておきましょうや。俺たちだって今は何もしてねえ、ただ飲んでるだけです」
「そうだが、何か気になるな」
体格の良い兄貴分は、飲みながらも時折ちらちらと二人に目をやった。
まさに名前にロクが入る六兵衛と言う渡り中間がいて、奉公しているのか博打をしているのかどうかは定かではないが、藤堂家下屋敷に出入りしているらしいことを確認したと。
しかも、その六兵衛が明日、本所北割下水近くの旗本の中間部屋で開かれる賭場に顔を出すらしいと言うことも突き止めた。
「と、言うことで今からそこに行って来る。いつ帰って来るかわからないから、悪いがゆみを見ててくれないか」
昼八ツ半、龍之介は、るいの家にゆみを連れて行って頼んだ。
「構わないけど、その賭場が開かれるのはどこ?」
るいは、北割下水と聞いてから何かに引っかかったような表情をしていた。
「高井なんとかって言う旗本の中間部屋だとよ」
「高井、高井ね……」
「何だよさっきから。あの辺に何かあるのか?」
「近頃、北割下水の辺りでは一回限りの賭場がよく開かれるらしいんだけど、胴元と一部の客がグルになってイカサマをしたり、酷いと客を脅して金を奪い取ったりしてるらしいのよ」
「なに……もしかするとそいつらは忠兵衛らの賭場を荒らしてた連中かもな。ちょうど良いじゃねえか」
「恐いなあ。父上、行かない方がいいんじゃない?」
ゆみが不安そうに龍之介を見上げた。
「心配はいらねえ、そっちの方が好都合だ。もし秋野屋を襲ったロクって奴もいて、そいつらの仲間だったら、その場ですぐにおこんおばさんたちの仇討ちができるってものだ」
龍之介は、るいとゆみの心配を笑い飛ばした。
「押上村の辺りでも若い村娘が何人か人さらいに遭ってるって言うし、とにかくあの辺りの治安は今酷いのよ。気を付けてちょうだい」
「何言ってやがる。飢饉以来、江戸中の治安が最悪じゃねえか。じゃあ行ってくる」
龍之介は笑うと、木戸口の方へ歩いて行った。
「まあ、腕だけは立つからそんなに心配はいらないかな」
るいは龍之介の背を見送ると土間に入ったが、ゆみはまだ龍之介の後ろ姿を見ていた。
「おゆみちゃん、さあ入って」
るいは優しく声をかけたが、ゆみは空を見上げた。今日の空気はとても澄み切っており、昼であったが空には十三夜の月がうっすらと見えていた。
「なんか起きる気がする」
ゆみはやや不安そうな顔で土間に入ると、戸を閉めた。
「なんか起きる? 龍さんに?」
「ううん。それが父上に悪いことなのかどうかはわからないけど、その北割下水ってところで何かが起きる気がする」
ゆみは式台に上がると、ちょこんと座った。
「そう……でもわたしたちには何もできないし、無事を願って待ってましょう」
「うん」
「何かして遊ぶ?」
るいが訊くと、ゆみは不安げな表情をぱっと消して嬉しそうに、
「三味線教えて欲しい!」
「え、三味線?」
「うん、この前から三味線の音聴いてて、わたしもやってみたいって思ってたの」
「あらそうなの。じゃあいいわよ、本来なら束脩もらうところだけど、おゆみちゃんは無料で教えてあげる」
るいはにっこりと笑うと、ゆみを奥の座敷に連れて行って座らせ、三味線二本を隣の間から持って来た。
一本をゆみに渡して、るいは向かい合って正座すると、
「いい? ここが天神、糸巻き、これが棹で、ここが胴って言うの。棹には一の糸……」
るいは、いつも初心者に教えるのと同じように各部の名称から説明し始めたが、ゆみが目をくるくるさせているのを見ると、
「あ、まずは色々音を出してみましょうか。それが一番楽しいものね」
と、自らも三味線を持って右膝の上に胴を置いた。
「右手の指はこうして……左手の指でここを押さえてみようか。で、右手の指でこうする」
るいは、糸を弾いて音を出して見せた。
ゆみも真似して、同じ音を出すことに成功すると、顔を輝かせた。
「わあ……音出たよ」
「そうそう、上手いわ。じゃあ、別の音も出して続けてみましょう」
るいも笑顔を見せ、続けて別の音を弾いた。
こうして、二人は稽古と言うよりも遊ぶようにして三味線に興じていたのだが、ふと玄関の方から訪ないの声が聞こえた。
「おるい、いるか?」
大人、と言うより年配の男の声であった。るいは、顔色を変えてゆみを見て、
「おゆみちゃん、悪いんだけどど別の間にでも隠れててくれる? 今から上がる人には、おゆみちゃんの姿は見せない方がいいかも」
「お昼の月でもシロになれるよ。シロになってればいいかな?」
ゆみは、腰高障子を開けて空を見上げながら言ったが、
「猫の姿を見せるのはもっと良くないかも」
「え? なんで?」
「でも、猫なら隠れやすいわね。猫になって布団の中にでも入っててくれる?」
「わかった」
ゆみは賢い。何か事情があるのだとすぐに察した。
猫に変化すると、隅の枕屏風を飛び越え、畳まれている布団の中に潜り込んだ。
るいが土間へと急いで戸を開けると、そこには網み笠をかぶった身なりの良い初老の武士が、従者二人を背後に従えて立っていた。
武士は、笠を上げてるいを見ると笑顔を見せた。
「久しいな、お瑠衣」
「父上、お久しゅうございます」
るいは両手を揃えて頭を下げた。
――父上?
猫の時は遠くの音でも容易に聞き取れる。
ゆみは布団の中にいたが、るいが父上と呼んだのをはっきりと聞いて驚いた。
一方、龍之介は北割下水近くの源光寺の門前で睦助と待ち合わせていたのだが、その時偶然にも、通りを挟んで向かい側の荒井町の茶屋に、龍之介の親友で奉行所の同心、勝田与四郎がいた。
与四郎は、臨時廻り同心である杉内彦左衛門と近くでたまたま会い、情報交換も兼ねてこの茶屋で一服していたのだった。杉内は小者二人を連れていたが、その二人は外で待っている。
そして茶菓子も食べ終えて二人が店を出ようとした時、与四郎が向かい側の源光寺門前に立つ龍之介に気付いた。
「龍……」
与四郎は、暖簾を払った手を下ろし、一歩下がった。
「いかがした、勝田」
彦左衛門は四十半ばで、与四郎より一回りも上の先輩に当たる。
「いえ、私の友人があの寺の門前にいましたもので」
「友人なら何を遠慮することがある。声をかければいいではないか」
「そうなのですが、ちょっと事情がありまして」
「なんだ?」
「あいつ、例の化け猫娘の世話をしているらしいのです」
「なに、あの化け猫をか?」
「ええ。つい三日前に知ったのですが」
「なんと、お主が逃がした化け猫を、まさかお主の友人が世話しているとはな……」
その奇縁に彦左衛門も驚きを隠せなかったが、すぐに同心の顔になって龍之介を遠目に見た。
「ここにいるならちょうど良い。捕まえて化け猫の居所を吐かせよう」
「いや、お待ちください。もしかしたら今、あいつは化け猫と一緒なのかも知れません。何らかのわけがあって 化け猫だけ寺にいて、戻って来るのを待っているとか……」
「なるほど、一緒にいるのなら化け猫が戻って来るのを待って捕まえるのが一番良いな」
「ええ」
こうして、二人は茶屋から出ずに龍之介を見張ったのだが、門の柱に寄りかかる龍之介の前にやって来て声をかけたのは中間風の男であった。
「化け猫娘は一緒ではなかったか」
彦左衛門は舌打ちしたが、
「いや、あれは二人でこれからどこかへ行く様子。もしかしたら行く先に化け猫娘がいるのかも知れません」
「よし、つけるか。勝田、時間はあるのか?」
「ええ、もう一通り見回りは済ませたので」
こうしたやり取りがされているとは知らない龍之介、睦助と落ち合うと、すぐに睦助の案内で歩き始めた。
「高井家は松倉町の近くなんでもう少し歩きますがようございますか?」
「もちろん構わねえよ。けど、今日はその六兵衛ってのは来るのかねえ」
龍之介が並んで歩きながら訊く。
「昨日、私が自分で行って六兵衛と言う男とちょっと話しまして、何時になるかはわからないけど今日も来ると言ってました」
「よし、じゃあ一緒に少し遊んで、六兵衛が帰る時に出て行って捕まえよう。お前はそのまま打っててもいいし、いつ帰ってもいいぜ。礼は後日届ける」
「わかりました」
二人は北割下水の河岸を東へ歩いてから三つ目の辻を北へ曲がり、松倉町近くの高井家の屋敷へ着いた。
高井家は禄高四百石と聞いた。高千五百石の龍之介の実家本庄家とは屋敷の大きさから門構えに至るまで比べ物にならないが、四百石の割りには敷地は広い。同じ四百石の横田家と比べてもはっきりと広いのがわかった。だが、屋敷の外観や門構えなどは、同じ四百石の横田家よりは質素であった。
――まあ、横田は屋敷の飾りから暮らしぶりまで、四百石には分不相応な感じだったけどな。
龍之介は、横田家の邸内を思い出しながら高井家の敷地内に入った。
高井家の敷地は広いので、母屋と中間部屋がかなり離れていた。
それ故に主人の目が届きにくく、中間部屋を博奕場とするには便利なのだろう。
もっとも、中間部屋が賭場になるような家はどこも、主人はそれを承知で目を瞑り、
――裏でその賭場で上がった利益を吸い上げてるんだけどな。
龍之介は皮肉そうな笑みを浮かべながら、睦助の後に続いて中間部屋に上がった。
日光が入りにくい薄暗い部屋では、半裸の胴元の前に六、七人ほどの客がおり、丁だ半だと声を上げている。
龍之介が睦助の顔を見ると、睦助は小さく顔を横に振った。
まだ、六兵衛は来ていないらしい。
他方、龍之介をつけて来た勝田与四郎と臨時廻りの杉内彦左衛門は、龍之介と睦助が高井家に入ったのを確認すると、共に腕組みをした。
「何故こんなところに?」
「恐らく賭場でしょう。であれば目的は博打だけで、化け猫はいないでしょうな」
与四郎は編み笠を上げて高井家の門を見た。
「近頃はどこの旗本屋敷でも博打じゃ。博打は取り締まらなければならんが……」
彦左衛門はそこで言葉を止めた。
江戸の行政、治安、犯罪を管轄する町奉行所であるが、武家屋敷と寺社だけは踏み込む権限が無い。この二つの区域は言わば江戸の治外法権であり、それ故に違法の賭場は専らこの二箇所で開かれることが多いのだ。
与四郎は目を光らせた。
「まあ、龍がここで博打をしているならばちょうど良い。出て来たところをつかまえて化け猫の居場所を吐かせ、ついでに博打のことも吐かせましょう。今は現場を押さえられなくとも、その情報はいずれ役立ちます」
「よし、では出て来るのを待つか」
こうして彼らは、高井家が見通せる近くの居酒屋に入り、連子窓から高井家の門が見える位置の床几に座って再び見張り始めたのだが、
「あれ? あのさむらいは確か……」
と、店内の別の場所で飲んでいた三人のうちの一人が、杉内彦左衛門に気付いて目を凝らした。
「どうしました、兄貴?」
あとの二人は子分格らしい。兄貴と呼んだ男に訊くと、
「あれは、杉内彦左衛門って言う臨時廻りじゃねえかな」
兄貴は、小声で答えた。
「ああ、奉行所の同心の」
「そう。もういい歳の同心なんだがちょっとせこい奴でな。それがああして外を見張れる位置に座るってことは何かあったな」
「まあ、放っておきましょうや。俺たちだって今は何もしてねえ、ただ飲んでるだけです」
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織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
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