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2.Spring Wind
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いつものように仕事を終え、帰宅しようとしていた若いサラリーマンはふと足を止める。目立たず、ひっそりと佇むのはどうやらバーのようだ。いつもと同じ帰路のはずだが、こんな所に店があっただろうか。少し考えてから、男は木製の扉を押した。
カランカラン 入口に取り付けられたベルが鳴る。狭い店内には数えられるくらいの席しか用意されていない。
「いらっしゃいませ」
男に声をかけたのは、この店のバーテンダーだった。白のワイシャツに黒のスラックス、ベスト。黒のサロンを腰に巻いている。
「どうぞ、こちらへ」
促されるままに座ったのは、カウンターの真ん中の席。斜め左前に立ったこの店のバーテンダーは、チョコレートやナッツ類が入った小皿を男の前に置く。
「あ、メニューは」
カウンターを見回すが、それらしき冊子は見当たらない。
「申し訳ありません、当店はお客様のご要望にお応えしておりますので、メニューがないのです」
「そうなんですか……じゃぁ、ちょっと強めのカクテルを」
「かしこまりた、智也様」
バーテンダーはにこりと微笑み、手前に置いてある銀のシェイカーを手に取った。
男は小皿からチョコレートを摘み、口に放る。店内はランプの灯りで照らされ、クラシック音楽が流れている。そういえば、昔似たような雰囲気の場所へ行ったことがある気がするが、どうも思い出せない。辺りを再度ぐるりと見回すが、やはり記憶に霧がかかっている。
そんなことを考えながら、男……智也はいくつめかのチョコレートを口に頬張った。
シャカシャカとシェイカーを振る音が心地よい。斜め前に立つバーテンダーは慣れた手つきでグラスにカクテルを注いだ。
「お待たせいたしました」
「え」
目の前に置かれたカクテルを見て、智也は思わず声を上げた。
「どうしました」
「あ……いや」
尋ねてくるバーテンダーに平静を装い、カクテルに手を伸ばす。
強めのカクテルを、そう頼んだのだが、目の前に出されたのは印象とはほど遠い、淡いピンク色のカクテル。呑み会で女の子達が好んで頼みそうな甘そうなカクテル。やや拍子抜けし、渋々口に含み……驚いた。
「うわっ」
再び声をあげた智也とバーテンダーの目がぱっと合う。バーテンダーはいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。
「意外、でしたか」
「はい……なんかもっと甘いと思ってました」
「よく言われます」
もう一口、含む。ピリッとしたお酒独特の辛みが口内に広がる。見た目と味にかなりのギャップがあり、けれどクセになる。
「これ、桜ですか」
「えぇ、嫌いな方もいますが……大丈夫でしたか」
「はい。確かに桜味って春になると出回りますけど、好き嫌い分かれますよね」
そう言って智也は口をつぐむ。
思い出されるのは一人の女性。そういえば、彼女は桜味のモノが好きだった。そして、奴は桜味が苦手だった。
「……何か悩みでもおありですか」
「あぁいや、悩みってほどでもないんですけどね」
バーテンダーの問いに智也は苦笑して答える。
そう、悩みと言うほどではない。けれど、心に引っかかる何か。二十七にもなって何を今更、と自分にツッコミを入れてしまう。
「大したことじゃないんですけどね」
再びそう前置きをし、カクテルをぐいっと喉に流し込む。ヒリヒリとした辛さが喉に心地よい。
「昔なじみが結婚するんです」
「それはそれは……おめでとうございます」
「男も女も知ってて、どっちもいい奴なんです。いい意味でよく似てて……すげぇ単純なところとか、やたらお人好しのところとか」
智也は頬杖をつき、二人を思い出す。
中学からのいわゆる腐れ縁。部活もずっと同じで、大学を卒業して社会人になった今でも近くのコートでバスケをし、合宿にOBとして顔を出す。
「二人が付き合う前から知ってて、その縁もあって……友人代表のスピーチなんか頼まれちゃったんです」
「おやおや……それは大変ですね」
カラカラとグラスの中の氷が音を立てる。
バーテンダーは白い布でグラスを拭きながら相槌をうつ。
「えぇ、付き合いだして喧嘩するといっつも二人して俺の所に来るんですよ。鬱陶しいことに、結局すぐ仲直りするんですけどね」
散々わめいておきながら、ケロッと笑顔になる。それが奴らの良いところだろうが、毎度毎度話を聞かされるこっちの身にもなってほしい。
「……微笑ましいですね」
「えぇ、まぁ」
そう、微笑ましい。
仲が良い二人をずっと見てきた。そう、ずっと。
ふんぎりがついたのは、大学三年生の時だった。
中学時代からずっと好きで、卒業の日、思い切って告白した。ふられる事なんて始めからわかっていた。彼女が好きなのは奴で、奴も彼女が好きで。すぐ近くにいたから、嫌でもわかる。両思いのくせになかなか付き合わない二人を見て……苦笑するしか無かった。同じ高校に行く事は決まっていたから、この中途半端な片思いを断ち切るために、一つのケジメとして、自分の気持ちを伝えた。後悔はなかったし、そんな二人を見ているのは、案外嫌じゃ無かった。
そうしてようやく二人がつきあい始めたのは、高校二年生の頃だった。
「仲が良い二人を見るのが好きだったんですよ。俺、中学から彼女のことが好きで、ケジメとして一応告白してふられらんです。全然二人には気付かれなかったし、そんな素振りも見せなかったんですけどね……すげぇ女々しいことに、俺、大学入っても彼女のこと忘れられなくて」
そう、近くにいすぎて……どうしても次の人を見つけることが出来なかった。もちろん、二人の仲を壊そうなんて思ったことは一度も無い。俺が好きなのは、奴を好きな彼女だ。奴を見て、嬉しそうに笑顔を見せる彼女。
でも、だからこそ自分の中に歪みが出てくる。奴と喧嘩をして、泣きながら相談に来る度に思う。 俺だったら、そんな顔させない って。
「俺だたっら、あんなに泣かせないのにとか思って。でも逆も思うんですよ。俺は彼女にあんな笑顔させてあげられないって」
「……どちらの方も大切なんですね」
「えぇ、まぁ」
面と向かって言われるとちょっと恥ずかしいが、その通りだ。
グラスを傾けると、中の氷がカランと音を立てる。ピンクのカクテルは思いのほか、アルコール度数が高いらしく、ほろ酔い気分になってくる。じっとカクテルを見ていると、段々あの二人との事が思い出されて……思わず苦笑する。
「どうされました」
「いや……上手く言えないんですけど、やっぱり俺の中で二人はセットだなって思うんですよ」
「セット」
「はい。思い出すとき、一人ずつじゃ無くて必ず二人一緒なんです」
そう言い、カウンターに突っ伏す。
別に今更どうこう言うわけじゃない。自分にだって大切な人がいて、いづれは結婚するつもりだ。遅かれ早かれそうなることは薄々感じている。
「なーんて言うか……ねぇ」
店のバーテンダーを横目で見やると、微笑を浮かべ相変わらずグラスを拭いている。
少しの間、無言の時が続く。店内に流れるクラシック音楽が耳に入り込んでくる。普段は全く興味が無いけれど、心がゆっくりと穏やかになって いくのを感じ、目を閉じる。
友人代表のスピーチ。内容を考えて気付いた、どうしてもちらつく彼女への想い。とっくに吹っ切れて、今の恋人だけなはずなのに。
「気付かれるというか……今の大切な人に未練があるって思われそうで」
そう、自分の恋人と彼女は高校からの友人だ。ついでに言うと、俺が彼女をずっと好きだったことを恋人は知っている。そうして、恋人はその間、ずっと俺に片思いをしていてくれた。
「別にいいのではないですか」
「え」
バーテンダーの声に、俺は顔を上げる。
「お二人のご友人である貴方がそれほど大切に思っている……そんな人にスピーチをしていただける二人は幸せ者ですし、貴方の恋人はそんな貴方だからこそ、好きになったのではないでしょうか」
透き通った、人を納得させ、安心させるような声。
「大切なご友人でしょう。貴方の自然な気持ちを言葉にしてみては」
そこで、胸元のポケットに入った携帯が振動する。バーテンダーの どうぞ という目配せに、俺は小さく会釈をして携帯の通話ボタンを押す。
「もしもし」
『ごめんね遅くに。今、大丈夫』
「あぁ、大丈夫」
電話の相手は恋人だった。心地よい、安心する声。
『スピーチ内容、煮詰まってるんじゃないかなぁと思って』
相変わらず勘が良いというか、空気が読めるというか。
俺は苦笑し、グラスを回す。カラカラと氷の音が辺りに響く。やっぱり、彼女には全てお見通しのようだ。
「さすがだな。絶賛悩み中だよ」
『やっぱり。昔の気持ちが入ってきてどうしよう、って感じかな』
「あたり。よくわかってんなぁ」
『何年見てきたと思ってるの』
電話先でクスクスと笑う恋人の声に、俺も笑う。
「まぁでも……いいや。思うように話すよ」
『うん、素直が一番だよ。楽しみにしてるね』
「あぁ……サンキュー」
『どういたしまして』
いつものように明るい声。ほっとする。
そういえば、最近仕事の残業続きで会えていなかった。メールはしていたけれど、声を聞いたのは随分久しぶりな気がする。
そうして、声を聞いたら無性に会いたくなってきた。腕時計を見やり、終電が未だ残っていることを確認する。
「なぁ、明日って仕事」
『うぅん、明日は休み。智也は』
「俺も休み。なぁ、今からそっち行っていいか」
電話の先でクスクスと笑う声。
『うん、待ってる』
「あぁ」
ピッと電源ボタンを押して、胸元のポケットに携帯を戻す。
「すみません、いくらですか」
「五百円です」
「え」
バーテンダーの返事に驚く。普通、バーと言えば一杯、七、八百円。そこにチャージ代でいくらかかかると思っていたのだが。
「安い……ですね」
「えぇ、よく言われます」
カウンターに、財布から取り出した五百円玉を一枚置く。
「ごちそうさまでした、また来ます」
「えぇ、また何かあれば。次回は恋人も一緒に」
ちょっと照れくさくて、俺は会釈をして店を出る。
カランカラン 入口に取り付けられた古めかしいベルが鳴った。
電車に揺られ、窓の外を見つめ……気付く。あのバーテンダーは俺の名前を呼んでいた。名乗った覚えはないはずなのに。
そうして思い出す。何故忘れていたのだろう……あのバーによく似た雰囲気の店のことを。
そうだ、あの時も確か迷って、混乱して……ふと入ってしまった、不思議な骨董品屋。あの店の店主も、そういえば俺の名前を呼んでいた。
「……同じ」
いや、同じではない。よく似ているけれど、佇まいは違っていた。
そうしてバーテンダーの顔を思い出す。何処かで見たことがあるような気がするが……段々とあやふやになってきてしまった。
恋人の住む家の最寄り駅に着くと、改札の向こう側で手を振って待ってくれていた。俺も手を上げ、改札を出る。
おそらく、もうあの店には行けないだろう。
否、何か迷いがあれば、またいつか辿り着けるかも知れない。あそこはきっとそういう店なのだろう。
「どうしたの、何かいいことあった」
「まぁちょっと。いい店見つけて」
「今度連れて行ってよ」
「それ、多分無理かな。探しても見つからないだろうし」
からかうように話す俺に、恋人はちょっと驚いたような顔。
少し間を置いて、隣に立つ俺を見上げて口を開く。
「それって……古い骨董品屋さん」
「え」
思わずフレーズに俺は立ち止まる。
「あ、ごめんごめん。何でもない、忘れて」
「いや、今日行ったのはバーだけど……古い骨董品屋もある」
「えっ、本当」
お互い立ち止まり、顔を見合わせる。
「もしかして……オルゴール、買ったのか」
「え、智也もなの」
驚いた。やっぱりあの店のことは……夢じゃなく、本当に存在するんだ。それならきっと、あのバーもいつかまた行ける。
財布を取り出し、中から……お守りのように入れていた橙色の球型の石を取り出す。オルゴールはいつの間にかなくなってしまったけれど、 代わりにこの石が残っていた。バスケットボールを連想させるそれを、俺は大学の頃からずっと大事にしている。
「あ、それ似たようなの私も持ってる」
そう言って彼女がやはり財布から取り出したのは……淡いピンク色の丸い石。
お互い顔を見合わせ、笑う。
「今度何か悩みとかあったら……探してみるか。いつかまた行けるかも」
「うん、そうだね」
二人笑い合い、自然と手を繋ぐ。
家に着いたら、スピーチを考えよう。恋人からの助言をもらいながら。
しょっちゅう喧嘩して、友人の俺達を困らせていたこと。色々やらかした、失敗談。
それから最後に付け加えよう。俺達の結婚式での友人スピーチを、今から楽しみにしている、と。
薄暗い店内。カウンターに置かれた、一冊の古い本。椅子に座るバーテンダーは胸ポケットから万年筆を取り出し、智也に出したカクテルのレシピを書き込んでいく。
「名前は……」
少し間を置き、再び万年筆を滑らせる。
「Spring Wind」
きっと今頃、二人は昔の思い出話に花を咲かせているだろう。幼い、けれど本当の恋の話を。
「……気付かれなくて良かった」
そう呟き、本を閉じる。
静かに立ち上がり、腰に巻いたサロンをはずし椅子の背もたれにかける。
バーテンダーはそのまま店の奥へと姿を消した。
カランカラン 入口に取り付けられたベルが鳴る。狭い店内には数えられるくらいの席しか用意されていない。
「いらっしゃいませ」
男に声をかけたのは、この店のバーテンダーだった。白のワイシャツに黒のスラックス、ベスト。黒のサロンを腰に巻いている。
「どうぞ、こちらへ」
促されるままに座ったのは、カウンターの真ん中の席。斜め左前に立ったこの店のバーテンダーは、チョコレートやナッツ類が入った小皿を男の前に置く。
「あ、メニューは」
カウンターを見回すが、それらしき冊子は見当たらない。
「申し訳ありません、当店はお客様のご要望にお応えしておりますので、メニューがないのです」
「そうなんですか……じゃぁ、ちょっと強めのカクテルを」
「かしこまりた、智也様」
バーテンダーはにこりと微笑み、手前に置いてある銀のシェイカーを手に取った。
男は小皿からチョコレートを摘み、口に放る。店内はランプの灯りで照らされ、クラシック音楽が流れている。そういえば、昔似たような雰囲気の場所へ行ったことがある気がするが、どうも思い出せない。辺りを再度ぐるりと見回すが、やはり記憶に霧がかかっている。
そんなことを考えながら、男……智也はいくつめかのチョコレートを口に頬張った。
シャカシャカとシェイカーを振る音が心地よい。斜め前に立つバーテンダーは慣れた手つきでグラスにカクテルを注いだ。
「お待たせいたしました」
「え」
目の前に置かれたカクテルを見て、智也は思わず声を上げた。
「どうしました」
「あ……いや」
尋ねてくるバーテンダーに平静を装い、カクテルに手を伸ばす。
強めのカクテルを、そう頼んだのだが、目の前に出されたのは印象とはほど遠い、淡いピンク色のカクテル。呑み会で女の子達が好んで頼みそうな甘そうなカクテル。やや拍子抜けし、渋々口に含み……驚いた。
「うわっ」
再び声をあげた智也とバーテンダーの目がぱっと合う。バーテンダーはいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。
「意外、でしたか」
「はい……なんかもっと甘いと思ってました」
「よく言われます」
もう一口、含む。ピリッとしたお酒独特の辛みが口内に広がる。見た目と味にかなりのギャップがあり、けれどクセになる。
「これ、桜ですか」
「えぇ、嫌いな方もいますが……大丈夫でしたか」
「はい。確かに桜味って春になると出回りますけど、好き嫌い分かれますよね」
そう言って智也は口をつぐむ。
思い出されるのは一人の女性。そういえば、彼女は桜味のモノが好きだった。そして、奴は桜味が苦手だった。
「……何か悩みでもおありですか」
「あぁいや、悩みってほどでもないんですけどね」
バーテンダーの問いに智也は苦笑して答える。
そう、悩みと言うほどではない。けれど、心に引っかかる何か。二十七にもなって何を今更、と自分にツッコミを入れてしまう。
「大したことじゃないんですけどね」
再びそう前置きをし、カクテルをぐいっと喉に流し込む。ヒリヒリとした辛さが喉に心地よい。
「昔なじみが結婚するんです」
「それはそれは……おめでとうございます」
「男も女も知ってて、どっちもいい奴なんです。いい意味でよく似てて……すげぇ単純なところとか、やたらお人好しのところとか」
智也は頬杖をつき、二人を思い出す。
中学からのいわゆる腐れ縁。部活もずっと同じで、大学を卒業して社会人になった今でも近くのコートでバスケをし、合宿にOBとして顔を出す。
「二人が付き合う前から知ってて、その縁もあって……友人代表のスピーチなんか頼まれちゃったんです」
「おやおや……それは大変ですね」
カラカラとグラスの中の氷が音を立てる。
バーテンダーは白い布でグラスを拭きながら相槌をうつ。
「えぇ、付き合いだして喧嘩するといっつも二人して俺の所に来るんですよ。鬱陶しいことに、結局すぐ仲直りするんですけどね」
散々わめいておきながら、ケロッと笑顔になる。それが奴らの良いところだろうが、毎度毎度話を聞かされるこっちの身にもなってほしい。
「……微笑ましいですね」
「えぇ、まぁ」
そう、微笑ましい。
仲が良い二人をずっと見てきた。そう、ずっと。
ふんぎりがついたのは、大学三年生の時だった。
中学時代からずっと好きで、卒業の日、思い切って告白した。ふられる事なんて始めからわかっていた。彼女が好きなのは奴で、奴も彼女が好きで。すぐ近くにいたから、嫌でもわかる。両思いのくせになかなか付き合わない二人を見て……苦笑するしか無かった。同じ高校に行く事は決まっていたから、この中途半端な片思いを断ち切るために、一つのケジメとして、自分の気持ちを伝えた。後悔はなかったし、そんな二人を見ているのは、案外嫌じゃ無かった。
そうしてようやく二人がつきあい始めたのは、高校二年生の頃だった。
「仲が良い二人を見るのが好きだったんですよ。俺、中学から彼女のことが好きで、ケジメとして一応告白してふられらんです。全然二人には気付かれなかったし、そんな素振りも見せなかったんですけどね……すげぇ女々しいことに、俺、大学入っても彼女のこと忘れられなくて」
そう、近くにいすぎて……どうしても次の人を見つけることが出来なかった。もちろん、二人の仲を壊そうなんて思ったことは一度も無い。俺が好きなのは、奴を好きな彼女だ。奴を見て、嬉しそうに笑顔を見せる彼女。
でも、だからこそ自分の中に歪みが出てくる。奴と喧嘩をして、泣きながら相談に来る度に思う。 俺だったら、そんな顔させない って。
「俺だたっら、あんなに泣かせないのにとか思って。でも逆も思うんですよ。俺は彼女にあんな笑顔させてあげられないって」
「……どちらの方も大切なんですね」
「えぇ、まぁ」
面と向かって言われるとちょっと恥ずかしいが、その通りだ。
グラスを傾けると、中の氷がカランと音を立てる。ピンクのカクテルは思いのほか、アルコール度数が高いらしく、ほろ酔い気分になってくる。じっとカクテルを見ていると、段々あの二人との事が思い出されて……思わず苦笑する。
「どうされました」
「いや……上手く言えないんですけど、やっぱり俺の中で二人はセットだなって思うんですよ」
「セット」
「はい。思い出すとき、一人ずつじゃ無くて必ず二人一緒なんです」
そう言い、カウンターに突っ伏す。
別に今更どうこう言うわけじゃない。自分にだって大切な人がいて、いづれは結婚するつもりだ。遅かれ早かれそうなることは薄々感じている。
「なーんて言うか……ねぇ」
店のバーテンダーを横目で見やると、微笑を浮かべ相変わらずグラスを拭いている。
少しの間、無言の時が続く。店内に流れるクラシック音楽が耳に入り込んでくる。普段は全く興味が無いけれど、心がゆっくりと穏やかになって いくのを感じ、目を閉じる。
友人代表のスピーチ。内容を考えて気付いた、どうしてもちらつく彼女への想い。とっくに吹っ切れて、今の恋人だけなはずなのに。
「気付かれるというか……今の大切な人に未練があるって思われそうで」
そう、自分の恋人と彼女は高校からの友人だ。ついでに言うと、俺が彼女をずっと好きだったことを恋人は知っている。そうして、恋人はその間、ずっと俺に片思いをしていてくれた。
「別にいいのではないですか」
「え」
バーテンダーの声に、俺は顔を上げる。
「お二人のご友人である貴方がそれほど大切に思っている……そんな人にスピーチをしていただける二人は幸せ者ですし、貴方の恋人はそんな貴方だからこそ、好きになったのではないでしょうか」
透き通った、人を納得させ、安心させるような声。
「大切なご友人でしょう。貴方の自然な気持ちを言葉にしてみては」
そこで、胸元のポケットに入った携帯が振動する。バーテンダーの どうぞ という目配せに、俺は小さく会釈をして携帯の通話ボタンを押す。
「もしもし」
『ごめんね遅くに。今、大丈夫』
「あぁ、大丈夫」
電話の相手は恋人だった。心地よい、安心する声。
『スピーチ内容、煮詰まってるんじゃないかなぁと思って』
相変わらず勘が良いというか、空気が読めるというか。
俺は苦笑し、グラスを回す。カラカラと氷の音が辺りに響く。やっぱり、彼女には全てお見通しのようだ。
「さすがだな。絶賛悩み中だよ」
『やっぱり。昔の気持ちが入ってきてどうしよう、って感じかな』
「あたり。よくわかってんなぁ」
『何年見てきたと思ってるの』
電話先でクスクスと笑う恋人の声に、俺も笑う。
「まぁでも……いいや。思うように話すよ」
『うん、素直が一番だよ。楽しみにしてるね』
「あぁ……サンキュー」
『どういたしまして』
いつものように明るい声。ほっとする。
そういえば、最近仕事の残業続きで会えていなかった。メールはしていたけれど、声を聞いたのは随分久しぶりな気がする。
そうして、声を聞いたら無性に会いたくなってきた。腕時計を見やり、終電が未だ残っていることを確認する。
「なぁ、明日って仕事」
『うぅん、明日は休み。智也は』
「俺も休み。なぁ、今からそっち行っていいか」
電話の先でクスクスと笑う声。
『うん、待ってる』
「あぁ」
ピッと電源ボタンを押して、胸元のポケットに携帯を戻す。
「すみません、いくらですか」
「五百円です」
「え」
バーテンダーの返事に驚く。普通、バーと言えば一杯、七、八百円。そこにチャージ代でいくらかかかると思っていたのだが。
「安い……ですね」
「えぇ、よく言われます」
カウンターに、財布から取り出した五百円玉を一枚置く。
「ごちそうさまでした、また来ます」
「えぇ、また何かあれば。次回は恋人も一緒に」
ちょっと照れくさくて、俺は会釈をして店を出る。
カランカラン 入口に取り付けられた古めかしいベルが鳴った。
電車に揺られ、窓の外を見つめ……気付く。あのバーテンダーは俺の名前を呼んでいた。名乗った覚えはないはずなのに。
そうして思い出す。何故忘れていたのだろう……あのバーによく似た雰囲気の店のことを。
そうだ、あの時も確か迷って、混乱して……ふと入ってしまった、不思議な骨董品屋。あの店の店主も、そういえば俺の名前を呼んでいた。
「……同じ」
いや、同じではない。よく似ているけれど、佇まいは違っていた。
そうしてバーテンダーの顔を思い出す。何処かで見たことがあるような気がするが……段々とあやふやになってきてしまった。
恋人の住む家の最寄り駅に着くと、改札の向こう側で手を振って待ってくれていた。俺も手を上げ、改札を出る。
おそらく、もうあの店には行けないだろう。
否、何か迷いがあれば、またいつか辿り着けるかも知れない。あそこはきっとそういう店なのだろう。
「どうしたの、何かいいことあった」
「まぁちょっと。いい店見つけて」
「今度連れて行ってよ」
「それ、多分無理かな。探しても見つからないだろうし」
からかうように話す俺に、恋人はちょっと驚いたような顔。
少し間を置いて、隣に立つ俺を見上げて口を開く。
「それって……古い骨董品屋さん」
「え」
思わずフレーズに俺は立ち止まる。
「あ、ごめんごめん。何でもない、忘れて」
「いや、今日行ったのはバーだけど……古い骨董品屋もある」
「えっ、本当」
お互い立ち止まり、顔を見合わせる。
「もしかして……オルゴール、買ったのか」
「え、智也もなの」
驚いた。やっぱりあの店のことは……夢じゃなく、本当に存在するんだ。それならきっと、あのバーもいつかまた行ける。
財布を取り出し、中から……お守りのように入れていた橙色の球型の石を取り出す。オルゴールはいつの間にかなくなってしまったけれど、 代わりにこの石が残っていた。バスケットボールを連想させるそれを、俺は大学の頃からずっと大事にしている。
「あ、それ似たようなの私も持ってる」
そう言って彼女がやはり財布から取り出したのは……淡いピンク色の丸い石。
お互い顔を見合わせ、笑う。
「今度何か悩みとかあったら……探してみるか。いつかまた行けるかも」
「うん、そうだね」
二人笑い合い、自然と手を繋ぐ。
家に着いたら、スピーチを考えよう。恋人からの助言をもらいながら。
しょっちゅう喧嘩して、友人の俺達を困らせていたこと。色々やらかした、失敗談。
それから最後に付け加えよう。俺達の結婚式での友人スピーチを、今から楽しみにしている、と。
薄暗い店内。カウンターに置かれた、一冊の古い本。椅子に座るバーテンダーは胸ポケットから万年筆を取り出し、智也に出したカクテルのレシピを書き込んでいく。
「名前は……」
少し間を置き、再び万年筆を滑らせる。
「Spring Wind」
きっと今頃、二人は昔の思い出話に花を咲かせているだろう。幼い、けれど本当の恋の話を。
「……気付かれなくて良かった」
そう呟き、本を閉じる。
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