Bar Night

彼方

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3.Sunrise

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 はぁ と一つ、息を吐く若い男。黒のスキニーパンツに白のシャツ、黒のジャケット。一見、サラリーマンに見えるがスーツではない。夜八時を過ぎ、男は腕時計を見やり再度息を吐く。

 毎年、この日だけは一人になって何処かで時間をつぶす。大学時代から付き合っている彼女に詳しく話をしたことはないけれど、何となく察してくれているようで、メールも電話も来ない。ポケットから携帯を取り出して見るが、やはりメールも電話も入っていない。

 不意に目にとまる、一軒のバーらしき店。何となく惹かれるように、男は中へと入っていった。

 カランカラン
 入口の扉に取り付けられた古めかしいベルが鳴る。狭い店内には、数えられるほどのカウンター席しかない。

「いらっしゃいませ、どうぞ」
 声をかけたのは、バーテンダー。白のワイシャツに黒のスラックス、ベスト。黒のサロンを腰に巻いている。
 案内されたのはカウンターの丁度真ん中の席。斜め左前に立つバーテンダーは、チョコレートやナッツが乗った小皿を男の前に差し出す。

「あの、バーですよね」
 わかっているのだが、男は尋ねてみる。目の前に並ぶシェーカー、お酒のリキュール、グラス。わかりきっているのに尋ねてしまうのは、カウンターの何処にもメニューらしきモノがなかったからだ。
「えぇ、当店はお客様のご要望にお応えしておりますので、メニューがないのです」
 バーテンダーの言葉に男は頷き、少し考え込む。

「……それじゃぁ、明るいのを」
 そう答えてから男は少し後悔する。あまりに抽象的すぎるのではないか、と。
「かしこまりました」
 しかし、バーテンダーは間を置かずに返事をし、笑みを見せた。

 男は小皿からチョコレートを摘み、口に頬張る。一日の仕事の疲れが癒やされていくような感覚がし、二つ目のチョコレートに手を伸ばす。
「お仕事は忙しいですか、月斗ツキトさん」
「え、あ、まぁ……そうですね」
 声をかけられ、男、月斗は苦笑いをする。連日の仕事は大変だ。一日中走り回り、昼をまともに取ることが出来ないことも週に1,2日じゃない。
「でも……やりがいありますから」
 そう答える。嘘じゃない、これは事実だ。この数ヶ月、毎日目の前にいるのは、小さな子ども達。それも健康体ではない、身体のどこかしらに病気や怪我を抱えている。彼等は無邪気で、くったくのない笑顔を浮かべて自分に話しかけてくれる。もちろん、話せず、返事も出来ず、チューブに繋がれた子ども達も数多くいる。それでも日々、同じ目線まで腰を下げ、話しかける。返事が出来なくても、聞こえている気がして。

「皆……可愛いんですよ、自分の子どもみたいで」
 大学に六年間通い、研修の二年目を迎え、今年で社会人二年目。働き出して診てきた人達の数は覚えていないが、笑顔で帰って行った子もいれば、既に会うことの出来ない子もいる。

「人の命ってね、案外儚いんです」
 月斗はそう呟き、脳裏に一人の少女を浮かべる。

 ふわりと、くったくなく笑う顔が印象的だった。
 卑屈になっていた、閉じこもりがちだった自分を変えてくれた少女。

 カラン、と氷の鳴る音。バーテンダーはグラスにカクテルを注ぎ、月斗の前に置いた。

「お待たせいたしました」
「あ」

 目の前に置かれたカクテルを見て、小さな声を上げる。二層になったカクテルは、底の部分が黄色、上の部分はスカイブルーと鮮やかだった。さらに、上には赤いサクランボ、黄色の星と三日月型のゼリーが浮かんでいる。

「……これ……」
「明るいモノを、とのことでしたので……月と太陽をイメージしてみました」
 店主の言葉に、月斗はゆっくりとグラスに手を伸ばす。そうして、色を崩さないように、そっと喉に流し込んだ。

 鼻に抜ける、ブルーキュラソーとパイナップルの良い香り。同時に、口腔内に甘みが広がる。

 再度脳内に浮かび上がる、一人の少女。
 屈託のない笑顔で、少女はいつも多くの人を和ませていた。いつでも笑顔で、辛いとも、苦しいとも一度も言わなかった。むしろ、周りを気にし、 周りの身体ばかり労っていた。

「命日なんです」
 不意に口から出る言葉。
 今まで他人に話したことのなかった、あの出来事。それなのに月斗は知らず知らずのうちに口にしていた。
「命日、ですか」
 バーテンダーは月斗の斜め前に立ち、真っ白の布でグラスを拭いている。

「もう……十一年も前の話だし、たった三日しか顔も合わせなかった人なんですけど」

 今でこそ健康体で、大学や卒業後もスポーツをするほどだが、昔は身体が弱く、小中学生時代をほぼ病院で過ごした。どうせ治らない、そんな諦めも多少はあった。毎日見過ぎて飽きてしまった、真っ白な天井。病院独特の臭いとはいうが、それが慣れきってしまい、注射も薬も何の抵抗もなく受け入れるようになっていた。

「上から見ていた三日間と、実際に話した三日と……最後の一日。たった一週間しか見てなかったのに、すごく印象的で。笑顔がね……綺麗で。あ、綺麗っていうか可愛いか。まだ小中学生だったし……ませガキだったみたいで、本当たった一週間なのに好きだなとか思って」

 当時を思い出し、苦笑する。学校に行けなかった当時、話す女性は看護師だけだった。初恋なんて出来るはずもなく……
 少女が入院したのは二週間前だったと看護師に言われた。少女が亡くなり、もっと早くに話しかければ良かった……そんな後悔が押し寄せる。けれど、後悔しても時既に遅し。少女はもうこの世にいない。


「たった一週間、されど一週間です」
「え」
 バーテンダーは微笑を浮かべ、手元のグラスを拭き続けている。

「月斗さんの一生にとって、一週間とは本当に短い……全体を通してみれば、一瞬の出来事かもしれません。それでも心に残ったのならば……そして貴方のその後の人生を変えるような存在であったというのならば、とても有意義な一週間だったのでしょう。その一週間、貴方は幸せでしたか」

 バーテンダーがゆっくりと顔を上げ、月斗の顔を真正面からとらえる。

「……はい、幸せでした」
 バーテンダーはゆっくりと頷き、グラスを棚に置く。

「そして今も幸せですね」
「はい」

 これにも即答する。

「素敵な彼女ですね」
「はい。自分のことを理解してくれていて……今日のこの日のことも、何も聞かずに毎年そっとしていてくれるんです」
「良く出来た人ですね」
「本当に。仕事の理解も……同じ現場なので」

 カクテルをさらに口に含む。脳裏に浮かぶ、大学時代から付き合っている彼女。友人を介して紹介して貰ったけれど、本当に理解が良すぎて、 時々不安になる。言いたいことを我慢しているんじゃないか、自分に不満があっても言い出せないんじゃないか。けれど、会えば仕事の話ばかりして、彼女を労ったり、普段どう思っているのか聞くことも出来ない。それは彼女の聞き上手な雰囲気に甘えてしまっているからだとはわかっている。

「甘えちゃうんですよね……どうも。お兄さんは彼女さんに甘えたりしますか」
 苦笑しながらバーテンダーを見ると、少し困った表情を浮かべている。

「あ、すみません。プライベートでしたね」
「いいえ……ただ、甘えるのは悪いことではないと思いますよ。彼女さんもきっと理解してくれているでしょうし」

 そう、それはわかっている。充分わかりすぎている。

 残ったカクテルを喉に流し込む。

 そうして目に入る、小さなブランドメーカーの袋。
 言わなければ、そう思いつつ時間が経ってしまった。

「遅くはないですよ」
「え」

 顔を上げると、バーテンダーは次のグラスに手を伸ばしていた。

「貴方の夢を決めた大切な人で、一週間の出会いが貴方を変えた。そうして、今の貴方を十分すぎるほど理解してくれている大切な人がいる。遅くはないです、どうぞ……伝えてください、貴方の気持ちを」

 脳裏に交差する、二人の笑顔。屈託のない幼い少女と、優しく包み込んでくれる大人の女性。
 どちらも自分にとってかけがえのない、大切な人だ。

 帰宅して、彼女に連絡をしよう。次の休みに二人で会って……そうだ、ホテルとレストランを予約しよう。そうして全てを話して……この紙袋に入った小箱を渡そう。社会人二年目、自分を支え続けてくれた彼女に思いを告げる時が来たのだ。


「ありがとうございます、いくらですか」
「五百円です」
 財布を取り出し、耳に入った金額に驚いて顔を上げる。普通、バーだとチャージ代も合わせて千円は軽く超すと思っていた。

「安いですね」
「えぇ、よく言われます」

 カウンターに五百円玉を一枚乗せ、店を後にする。
 カランカラン 入口に取り付けられた古めかしいベルが鳴る。


 帰り道、携帯でメールを打ちながら気付く。何故自分はあの店をバーだと思ったのだろう。看板も何も出ていない、ただの扉が付いた建物だった。
 それに、いつ自分は名前を告げたのだろう。バーテンダーは、確かに自分の名前を呼んでいた。

 立ち止まり、後ろを振り向く。行き交う人々に埋もれ、店は見えない。

「……また行けるかな……」

 良い結果をもらえたら、報告に行こう。そう思ったけれど、すぐにそれは無理なのではないかという考えが浮かぶ。理由はわからないけれど、おそらくまた行ける場所ではない、そう直感が言っている。

「まぁいいか……」
 そう呟き、空を見上げる。今日は良い天気だったから、雲一つ無い夜空に、星と三日月が並んでいる。

 そうだ、彼女に良い答えをもらえたら、一緒に墓参りに行こう。そうして報告しよう。君の分まで、幸せになるよ、と。


 名前の通り、暗闇にいた自分を救ってくれたのは、太陽みたいな笑顔を持つ彼女だった。
 そうして大人になった今、自分の隣にいてくれるのは満開の花のような笑顔を持つ彼女。

 次回の休みを聞いたメールを送信する。後は返信を待つだけだ。
日奈ヒナ……サキ……ありがとう」
 誰に聞こえるわけでもなく、そう呟いた。




 薄暗い店内。カウンターに置かれた、一冊の古びた本。椅子に座るバーテンダーは胸ポケットから万年筆を取り出し、月斗に出したカクテルのレシピを書き込んでいく。

「月と太陽、か」
 少し間を置き、再び万年筆を滑らせる。

「Sunrise」

 おそらく彼は彼女に話せるだろう、昔のことを。

「……夢、か」

 そう呟き、本を閉じる。
 静かに立ち上がり、腰に巻いたサロンをはずし椅子の背もたれにかける。

 バーテンダーはそのまま店の奥へと姿を消した。
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