Bar Night

彼方

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4.Light Bell

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 カチャカチャとメールを打ち込み、送信ボタンを押す。
 ふぅ、と一息吐くとポケットに携帯を入れる。メールの送信先は、大学二年になってから付き合いだした彼氏だ。といっても高校時代からよく知っている腐れ縁というか、部活時代の仲間。それは大学に入学してからも同じで、お互い体育会系の硬式庭球部に入部した。さすがに一年生の頃はレギュラーにはなれなかったけれど、自主練の甲斐あってか、二年生でレギュラーの座を手に入れた。

 ポケットに入れた携帯のバイブの振動を感じ、開く。内容を読んで……はぁ、とため息。返信する気も起きず、そのままポケットにしまう。
「……何でかなぁ」
 誰に言うわけでもなく呟く。既に腕時計の針は二十時を超えている。部活の正規練習を終え、自主練をしていたらこの時間だ。疲労と空腹。 何処かでご飯を食べてから帰ろうと辺りを見回し、ふと目に付く一軒の建物。どうやらお店のようだが、いつも歩いているこの道に、こんな店があっただろうか……不思議に思いながらも、その店の扉を押していた。

 カランカラン
 入口の扉に取り付けられた古めかしいベルが鳴る。狭い店内には、数えられるほどのカウンター席しかない。

「あ」
 店の奥のカウンター席に、人影。その声に反応し、先客が顔をこちらに向ける。
 小さく会釈をされ、私も思わず頭を下げる。

「いらっしゃいませ、どうぞ」
 声をかけてきたのは、バーテンダー。白のワイシャツに黒のスラックス、ベスト。黒のサロンを腰に巻いている。
 案内されたのはカウンターの丁度真ん中の席。斜め左前に立つバーテンダーは、チョコレートやナッツが乗った小皿を私の前に差し出した。

 辺りを見回し、ようやく気付く。此処がバーだということに。バーに食事なんか置いてあるわけがない。せいぜい、摘めるようなソーセージやら スナック菓子、オリーブ程度だろう。おまけにメニューがない。

「あの……此処、バーですよね」
「えぇ、メニューはございません。お好きな物をお作りします」
 ふわりと微笑むバーテンダーに、頭を悩ませる。実はお酒はあまり強い方ではない。いつもカクテル2杯で顔を真っ赤にさせてしまうくらいだ。

「えっと……あんまりお酒強くなくて……その、軽めのものを」
「かしこまりました」

 それからバーテンダーの視線がゆっくり動く。
「部活帰りですか」
「え、あ、はい。練習してたら遅くなっちゃって」
 椅子に立てかけたテニスラケットのケースを見て苦笑してみせる。
「それではお腹がすいているのでは」
「あーまぁ……」
 私の返事を聞いたバーテンダーは、店の奥の席に座っていた先客の方へ身体を向ける。

「何が食べたいんや、お嬢さん」
「え」
 聞こえてきたのは関西弁。既にグラスを空にした先客が立ち上がる。
「オムライス、ハンバーグ、ドリア。何がえぇ」
「あ、じゃぁ……オムライス」
「了解。ほな、キッチン借りるで」
 ひょい、とカウンター内へ入り、のれんをくぐり店の奥へと消えていく。その姿をポカンと見送ると、店内は再びしんと静まりかえる。

 ポケットに入れられた携帯のバイブの振動を感じ、携帯を取り出す。送り主は彼氏のノボルだった。

 高校時代、お互いテニス部に所属していた彼。当時、付き合っている彼女がいて……私は昇の相談相手で、恋愛感情は持っていなかった。けれど、付き合いだして一年ちょっとした頃から二人の仲はぎくしゃくしてきた。というか、彼女の気持ちが昇にとって重荷になってきた、らしい。昇のことが大好きで、常に相手を優先していた彼女。部活があるから大変だろうと、返信はいらないとか、お疲れ様の一言だけのメールとか。同性の私からすれば、すごく出来た子で。始めは良い子じゃない、そう伝えていたけれど、段々……昇の表情が暗くなっていくことに気付いた。
 同時にテニスのプレイも冴えず……連日相談に乗るようになって、気付いた。自分だったらそんな顔させない、自分なら、もっと理解出来るって。

 そうして、二人は高校二年生の頃別れてしまった。カッとなって言い合いになったらしく、事の一部始終を聞いて、お互いが嫌な思いをしたまま別れたことを不憫に思った。そんな昇を励まして、部活に力を入れられるよう相談に乗って……けれど、恋愛で一度落ち込んだ昇の心の隙につけいるようなことは出来なくて。そのまま偶然第一志望の大学が同じで、入学し……大学二年目、昇に告白され、付き合うようになった。

 当時のことはもう口にしなくなっていたけれど、彼が引きずっているのは明らかだった。でも私からその話は口に出来なくて。もしかしたら、彼が元彼女の元へ戻ってしまうかもしれない。そう考えると……怖かった。

「どうぞ」
 カタン、と小さな音。はっと我に返ると、目の前には黄色から橙色のグラデーションが見事なカクテル。上にはオレンジの切り身が添えられている。

「お腹がすいているのに呑んだら酔ってしまいますね。もうすぐ食事も出来上がりますので」
「あ、いいえ、少しなら大丈夫だと思います」
 バーテンダーの気遣いが申し訳なく、一口、口にする。ふわりと香る、オレンジとパイナップルの香り。
「あ、美味しい」
「アルコール度数はそんなに高くないので大丈夫かと思います」
「あ、ありがとうございます」

 小さく会釈をしたバーテンダーは、最初に立っていた斜め前のポジションに戻り、白い布でグラスを拭き始める。

「何かお悩みですか、スズさん」
「え」
 その問いかけに顔を上げる。
「どうして……」
「何か思い悩まれた顔をされていたので」
 バーテンダーの言葉に、カクテルグラスを手に取る。

「……今の彼氏と、一年くらい続いてるんですけどね……前の彼女と、良い別れ方が出来て無くて……」
「でも、今は貴方と長くお付き合いしているんでしょう」
「はい。まぁ……今は私のことを好きでいてくれてるとは思うんですけど」
 そう、昇の気持ちは嘘じゃないと思う。それは自分でも感じている。約一年、マンネリ化もせず、浮気もせず……もうすぐ大学四年生、お互い就職活動が始まるけれど、一緒に頑張って行こうって話もしている。大学三年生、お互い部活でも幹部になり、中心メンバーとして、良きライバルとしても上手くいっていると思う。

「元彼女のこと、私も知ってるんですけど……」
「えぇ」
「その、未練があるんじゃないかっていうか……綺麗な別れ方をしていないことに、彼も気になってるみたいで」
「……えぇ」

 優しいバーテンダーの相打ちに、これまで喉元で止まっていた言葉があふれ出る。

「本当は一言、言ってあげたいんです。元彼女と、話してみたらって」
「えぇ」
「でも……」
「でも?」

 言葉を反復するバーテンダー。視線を合わそうとしない事に、どこか安心感を覚える。

「怖いんです」
「怖い」
 バーテンダーがゆっくりと顔を上げる。
「もしも、話をして……彼が向こうに行っちゃったらどうしようって」
「……信じておられないのですか」
「……そういうわけじゃ……」

 そう、信じていないわけじゃない。そのはず、なのに。

「どうしたら……いいんですかね。わからないんです」
 そう、どうしていいかわからない。大学も違うし、部活も違ったから、高校の同窓会がない限り、会うことはないと思う。心配な反面、ちょっと安心する自分が何処かにいる。これで私たちの関係が崩れることはない、と。
 酷い女だと思う。

「その話題すら……怖くて出せないんですけど」
 付き合ってもうすぐ一年。三年生になり、部活も幹部代となって、お互い忙しい中頑張っている。
 高校時代から知っているからこそ、わかる。昇は別れてから少し変わった。言葉を選ぶのに慎重になっているというか、言葉に敏感というか。一言一言選んでいる節がある。微妙な別れ方をしたとは聞いていたから、それが原因だとは何となくわかるけれど。

「お待たせしました」
 カタン、と目の前に置かれるオムライス。ふわりと鼻に入るいい香り。
「わ、美味しそう」
「そやろ、味も絶品やで」
 にこりと笑う表情は、とても優しくて、ついドキッとしてしまう。
「あの、いただきます」
 一口、口に運んで……思わず顔がほころぶ。

「良かった、口に合ったみたいやな」
「はい、美味しいです」
「それは良かった」

 それからは、ほぼ無言だった。オムライスを口に運んで、カクテルを呑んで。オムライスとお酒なんてってちょっと変な感覚だったけれど、甘いカクテルとオムライスは不思議と相性が良くて。あっという間に完食してしまった。

「言葉って難儀やな」
「え」
 食べ終わったタイミングを見計らったかのようにかかる声。オムライスを作ってくれた人だった。

「言葉一つで、相手を喜ばせたり泣かせたり怒らせたり……難しいもんやな」
「そう……ですね」
「でも、だからこそ口にせんと伝わらんよ」
「え」
 顔を上げると、カウンター席に座る先ほどの男の人……黒縁眼鏡をかけた人がまっすぐこちらを見ている。

「大丈夫、ちゃんと話せるて」
 ふわりと笑われ、心の中にあった何かがストン、と落ちる。

「っ……あの、いくらですか」
「五百円です」
「え」
 最後の一口を喉に入れ、お財布を取り出し……金額を聞いて驚く。普通、チャージ料とお酒で千円くらいするものだと思っていた。しかも、今日は食事までしている。
「オムライス代は結構です、こちらのサービスですから。それから、チャージ料などはいただいておりませんので」
「わかりました、ありがとうございます」
 お財布から五百円玉を取り出し、カウンター席に置く。それからラケットケースを肩に背負い、店を出る。
 そのまま携帯を取り出し、見慣れた番号に電話をかける。

「もしもし、昇? 私だけど、今時間有るかな……」


 あれから三日、昇から電話が来た。
 駅で偶然、元彼女に会ったとか。思わず逃げそうになったけれど、向こうに謝られて……自分も言わなきゃ、って思ったらしい。ちゃんと話せてすっきりしたのか、次に会った時、昇はいい顔をしていた。色々と吹っ切れたらしい。

「ありがとな、鈴」
「うぅん。私もね、後押ししてもらったの」
 あのバーにお礼を言いに行きたくて昇を誘って行ってみたけれど、何処を探してもバーは見当たらなかった。
 でも、不思議と……それで良い気がした。


「本当に此処にあったの」
「うん。でも……いいんだ、多分……ないってことは私が解決出来たってことだから」
 私の顔に満足したのか、昇は笑ってくれた。

「あ」
 別のお店に行く途中、ふと思い出した。中学時代のことを。

「あのね昇、魔法って信じる」
「魔法って……あの、魔法」
「うん。あのバーも、それから……中学の時ね」




 薄暗い店内。カウンターに置かれた、一冊の古びた本。椅子に座るバーテンダーは胸ポケットから万年筆を取り出し、鈴に出したカクテルのレシピを書き込んでいく。

「余計な口挟んですまんな」
「いいや」
 古びた本の隣には、湯気の立ったオムライス。

「にしても、不思議な話やなぁ……あっちの客でもあるんやろ」
「昔の事らしいけど」

 少し間を置き、再び万年筆を滑らせる。

「Light Bell」

 きっと、彼女がこの店に来ることはもうない。自分達と出会うことも、おそらく、ない。

「ほな、温かいうちにいただこか」
「あぁ」
 返事をし、本を閉じる。

「いただきます」
 バーテンダーと黒縁眼鏡の男性は、ゆっくりと食事を取り始めた。
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