Bar Night

彼方

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5.Rise of the Dragon

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 何度経験しても慣れることがない。否、慣れてはいけないと思うけれど。
 ふぅ、と白い息を吐く。風になびき、首元のマフラーが揺れる。

 商店街にさしかかると、色とりどりのライトが辺りを照らしている。聞こえてくるのは冬の定番ソング、ジングルベル。
「あぁ……もうそんな時期か」
 よく見ると、アーケードにはリースやベル、トナカイの飾り物が備え付けられ、何処の店にもクリスマスシーズンの予約を歌うチラシが貼られ、赤や緑、白や金銀で鮮やかに彩られている。
「昨年もやらされたなぁ」
 昨年の出来事を思い出し、思わず苦笑する。職場の上司命令で、サンタクロースの格好をさせられ、職場中を歩き回った。毎年若手の仕事らしく、同期と共に大きな白い袋を肩に背負った記憶がよみがえる。

 「先生、僕、大きくなったら先生みたいになるね」
 不意に脳内に聞こえてくる、少年の声。

「……また、か」
 歩いていた足を止め、天を仰ぐ。

 可愛らしい笑顔を持つ少年だった。未だ八歳、これから沢山友達を作り、勉強をして、遊んで、将来が待っていて……そんな普通の生活を送るはずだったのだ。あの日が来るまでは。


  残酷な運命のせいで、わずか八歳だった少年はこの世を去ってしまった。

  外の空気が吸いたいと願った少年を車椅子に乗せ、中庭に連れて行った。既に紅葉を終え、木々は丸裸で、綺麗な景色が広がっている、なんてことはなかったけれど。少年は嬉しそうに笑っていた。いつも真っ白な建物の中にいて、季節を肌で感じることも出来なかった少年にとって、冬の寒さはおそらく新鮮だったのだろう。あちらこちらを指さし、声を上げて笑っていた。

 「先生、僕ね、元気になったら沢山お勉強するの」
 「偉いね、じゃぁ一緒に治そうね」
 「うんっ。先生、僕、大きくなったら先生みたいになるね」
 にっこりと笑う少年に、思わず戸惑う。
 「僕みたいになったら駄目だよ、もっと他の先生を見てよ」
 「うぅん、先生みたいに、病気の子を治すの。僕の名前ね、パパとママが、いつでも上に頑張って光れるようにって付けた名前なんだよ」
 そう言って、少年は自分の手首を見せる。そこに付けられたリストバンドには龍輝リュウキと記されている。
 「そうか、良い名前だね」
 「うんっ、だから、ちゃんと良くなって、頑張って勉強して、先生みたいになるんだ」
 純粋な瞳に捉えられ、こちらも笑顔を見せる。心の中を悟られないように、必死の作り笑顔で。


 ぶるり、と身体が震える。この寒い中突っ立っていたんだから仕方ない。何処かで暖を取り、ついでに少し呑んでいくか。そう思い辺りを見回し、不意に目に入る一軒の店。いつもの帰り道にこんな店があっただろうか、不思議にそう思いながらも店内へと足を運ぶ。

 カランカラン

 入口の扉に取り付けられた古めかしいベルが鳴る。狭い店内には、数えられるほどのカウンター席しかない。
 店内に入ると、気温の差のせいか、視界が一瞬で真っ白になる。眼鏡を取り外し、コートの袖口でレンズを拭いていると。

「いらっしゃいませ、どうぞ」
 声をかけたのは、バーテンダー。白のワイシャツに黒のスラックス、ベスト。黒のサロンを腰に巻いている。
 案内されたのはカウンターの丁度真ん中の席。斜め左前に立つバーテンダーは、チョコレートやナッツが乗った小皿を出してくれる。

「あの、此処バーですよね」
 店内は薄暗く、ランプの灯りのみでカウンターは照らされ、壁に散りばめられたステンドグラスが木の床に色を映し出している。

「えぇ、メニューはありません。ご希望の物をお作りします」
「そうですか……」

 突然そう言われると、結構困る。そういえばお腹もすいているし。そんなことを考えていると、ふっと笑う声が聞こえる。

「日本酒はいかがですか」
「はい?」
 思わず聞き返す。バーと言えばカクテルが普通ではないか、そう口にしようとするも、日本酒は自分の大好物だ。
「実は、良い刺身と日本酒が手に入りまして。いかがでしょう」
「え、刺身もあるんですか」
「えぇ、たまたま。どうでしょう」
「じゃぁ……お願いします」
 メニューがないから値段もわからないが、バーの相場を考え、まぁそれも有りかと返事をする。一礼すると、バーテンダーは店の奥へと姿を消した。

 手元のチョコレートを口に頬張る。ふわりと溶ける、甘い香り。

 「先生、僕ね、全然大丈夫だよ」
 いつだったか、治療の最中に少年……龍輝が突然自分にそう伝えてきた。何のことかわからず、一瞬返事に戸惑っていると。
 「ママがね、さっき泣いてたでしょ。先生に色々言ってたけど、僕、大丈夫だから」
 くったくのない笑顔。椅子に座り、龍輝と同じ目線になり頭をなでる。
 「龍輝は優しいなぁ、ママのこと心配してるんだ」
 「うんっ。もうすぐね、僕お兄ちゃんになるんだよ」
 そう、龍輝の母親は二人目を妊娠していた。入院中の龍輝の見舞いに来ながら家事をこなし、妊娠中の自分の身体も気遣う。おそらく、随分疲れていただろう。よく病室の外で泣いていた。そして、龍輝はそれを敏感に感じ取っていた。

 「あのねっ、女の子だって。妹だよ、ママが名前どうしようって」
 「龍輝も一緒に考えているんだろう」
 「うんっ」
 へへっと笑う龍輝の頭を再びなでる。子どもは素直だ。


「お待たせいたしました」
 カタン、と目の前に置かれるガラス製のお猪口と徳利。ゆっくりとお猪口に注がれる日本酒からは、ほんのりと良い香りが漂う。
 更に、その隣に置かれるのは刺身の五点盛り。

「これ……」
「右から鮪、サーモン、ハマチ、帆立、のど黒です」
「へぇ、珍しい」
 まずは日本酒を口にする。
「! うわ、なんだこれ……始めて呑んだ」
 美味い、その一言に尽きる。呑みやすい、芳醇な香り。
「お気に召していただいたようで何よりです」
 小さく礼をすると、バーテンダーは左斜め前に立ちグラスを白い布で拭き始める。

 刺身をつまみに、日本酒をゆっくりと口に付ける。

 幼い頃からの夢だった。理由なんて覚えていないほど昔から思い続け、希望の大学への進学率が高い高校に入学し、大学も合格し、希望の病院にも配属された。研修の二年を終え、今年ようやく臨床一年目。勉強漬けの日々だが、苦じゃない。ただ、職場に行けば必ず直面する死。職場は県内でも珍しい症例ばかりが集まる、専門病院だ。亡くなっていく子ども達も数多くいる。

 その都度心を痛め、けれど仕事は続けなければいけない。
 元々の性格はかなり……というか、随分腹黒いし、良いか悪いかと聞かれれば間違いなく悪い。仲の良い友人にも、職業合わずだな、なんて冗談で言われるくらいだ。けれど、やはり人の死は辛い。先輩には2パターンいる。
 死に慣れるしかない、いちいち落ち込んでいたら自分がいつか参ってしまう
 死に慣れてはいけない、亡くなった命の分、助けていかなければいけない

 自分は後者だ。亡くなる度に自分の力量不足、医療の限界を痛感する。せめてもう少し良い関わりが出来たら。手の施しようのない段階に至っても、笑顔を見せ、治ると信じている子ども達。
 自分が勤めているのは、小児専門病院。0歳から15歳程度までの子ども達ばかりが入院しており、現在は血液内科に配属されている。

 龍輝は、今年の4月からずっと診てきた患者だった。小学3年生、笑顔の絶えない、治療がどんなに辛くても弱音を吐かない少年だった。

 子どもは好きだ。大人のように嘘を付かない、本音を正直にぶつけてくる。
 その笑顔は可愛い。だからこそ、亡くなっていく姿を見るのは辛い。これから数十年生きるはずだった命。あどけない死に顔は、呼びかければ今にも起きてきそうで、つい声をかけてしまいそうになる。両親の手前、職業柄、子どもの前で泣くことは許されない。そう思い続け三年。未だ、泣けていない。
 家に帰宅して泣きそうになることも多々あるが、その分勉強する。そうして気を紛らわせてきた。


マコトさん、おつらいですね」
「え」
 声をかけられ、顔を上げる。バーテンダーは変わらずグラスを拭き続けているが、自分に声をかけてきたのはこのバーテンダーしかいない、はずだ。

「あ、あぁ、まぁ……」
「慣れましたか」
 中性的な、独特の優しい音色。何処かで聞いた記憶がある気がするが、思い出せない。

「慣れたらいけないので……」
「いいえ、そうではなく」
「え」

 その表情はほとんど変わらないが、微妙に眉が下がっている。

「我慢をすることに、ですよ」
「……あぁ、そっちですか」
 思わず苦笑する。

 そうか、と納得する。我慢することに慣れてしまったのか、と。


「まぁ……あの場では泣けないし、男のプライドっつーか。貴方もわかるでしょう、人前で男が泣くのはちょっとな」
「悲しき男の性、ですか」
「そんなもんですね。ま、自分の問題ですけど」

 そこそこ勉強も運動もこなしてきた。中学・高校・大学ととんとん拍子に進み、部活もなかなか良いポジションを築いてきて、周りからは優秀だともてはやされ。なかなか弱音を吐くことが出来ずに来たのは事実だ。

「それでも、貴方の周りには支えてくれる友人がいるのでは」
 そう言われ、脳裏によぎるのは高校時代の友人達。同じ部活で、たった三年間一緒に過ごしただけなのに、随分前から知っているような感覚。社会人になってからはなかなか会う機会も少なくなってしまったけれど。

「まぁ……あいつ等だったらね、色々聞いてくれるし理解はしてくれるってわかってるんですよ。俺の性格も全部知り尽くしてるだろうし。だからこそ恥ずかしいっつーか、上手く言えねぇけど……何か面倒だな俺」
 自分で言っていて笑ってしまう。
 常に優位でありたい、そう心の奥で思っている。一歩引いて、後ろの位置でクールな自分を演じていたい。職場でもそうだ。周りの同期が弱音を吐いたり泣いている姿を見てきた。 おまえは強いな よく言われる言葉だ。その印象を崩さないよう、常に冷静に立ち回ってきた。

「……よく頑張りましたね」

 ふわり、と背中を押された感覚。

 「先生、肩凝ってるよ-」
 「お、肩叩いてくれるのか」
 「堅すぎ! 僕のパパとママはこんなに堅くないよ。先生、頑張ってるね」

 龍輝の笑顔が浮かんでくる。


「……俺は」

 あぁ、そうだ。
 俺は、そこまで強くない。


「あ」

 頬を伝う何かに指で触れ、気付く。自分が泣いていることに。

 最後に泣いたのはいつだろう。全く覚えていない。

 頭の中に次々と浮かんでくる、これまで見てきた子ども達の笑顔。


「っ……」


 「先生、先生の名前っていい名前だね」
 「そうか?」
 「うん。真って、本当って意味なんでしょう。あとね、ママが教えてくれたよ、純粋って意味もあるんだって。純粋って綺麗な事なんでしょ」
 純粋な少年の瞳に、自分はどう映っていたのだろう。



 止められない、止まらない涙。堰を切ったように流れ出る涙に抗うことは出来なくて。ただ、せめて声は出さないように、必死で下を向いていた。


 どのくらいそうしていたのだろう。ふと顔を上げると、バーテンダーは変わらずグラスを拭いていた。

 その何も言わない姿に何処か居心地の良さを覚え、残りの刺身と日本酒を平らげる。
 気付かぬうちにレンズに落ちていた涙の滴を拭き取り、ふぅ、と一息吐く。

「ごちそうさまでした。いくらですか」
「五百円です」
 財布を取り出し、固まる。普通バーと言えばチャージ代と酒代、千円は余裕で超すものだ。

「食事はこちらからのサービスです」
「そうですか。じゃぁ」
 微笑むバーテンダーに五百円玉を手渡す。


「あの」
 立ち上がり、脱いだコートとマフラーを着込みながら声をかける。

「何処かでお会いしたことありますか」
「……いいえ、と言っておきます」
 その答えに、やはり何処かで会ったことがある人か、と納得する。

「やっぱり。その声、何処かで聞いたことあると思ったんですよ」
「そうですか」
 困ったように笑うバーテンダー。

「あ、日本酒の銘柄教えてください、美味かったです」
「龍泉、といいます」
 聞き慣れない銘柄だ。帰宅してから検索しようと思い、 わかりました と伝え店を後にした。




 翌日から、また変わらない日々が始まった。仕事、仕事の日々。
 少し変わったことといえば、自分の中に作っていた壁を少し薄くしたこと、だろうか。

 あとは、タイミング良く、高校時代の部活の友人達と呑む予定が出来た。今までと、少し変われるかもしれない。


「あ、真先生」
「あ……」
 声をかけられ、振り向く。そこに立っていたのは龍輝の両親だった。その腕には小さな女の子が眠っている。

「先生に見て欲しくて。龍輝の妹で、イズミっていいます。あの子が付けてくれたんですよ」
「いい……名前ですね」
 両親に笑みを見せ、一礼する。
 去って行く親子二人と乳児。ふわり、と風が吹く。

 「先生、可愛いでしょ」

 何処からか、龍輝の声が聞こえてきた気がした。





 薄暗い店内。カウンターに置かれた、一冊の古びた本。椅子に座るバーテンダーは胸ポケットから万年筆を取り出し、 龍泉 と一言記す。


「あー美味ぇ」
 バーテンダーの隣に座るスーツ姿の青年はお猪口に注がれた日本酒を飲み干し、声を上げる。

「よく手に入ったな、これ」
「まぁ、ちょっと」


 空になったボトルを手に持ち、バーテンダーは苦笑する。今回は珍しく、なかなかの出費だった。
「そういえば、来週高校の部活の連中と呑むんだけどさ。真って覚えてるか、同じ大学の医学部に行ってた奴。あいつ小児科医なんだけどさ」
「あぁ」
「あいつ、此処来ただろ」
 日本酒を口に含んだまま、バーテンダーは隣に座る青年を見る。

「メールしてたらさ、不思議なバーに行ったって。五百円で日本酒と刺身が出てきて、次の日行ったら店がなくなってたって。此処の事だろ」
 とんとん、とカウンターを指で叩く青年にバーテンダーは頷く。

「あいつも悩んでたんだな。何言ってた」
「企業秘密」
「ちぇっ。でもさ、何で皆一回来たら二度と来られないんだろうな。俺はしょっちゅう入り浸ってるのに」
「……さぁ」

 曖昧に返事をし、本を閉じる。


「なぁ、俺も刺身食いたい。まだあるだろ」
「図々しい奴だな」

 苦笑し、バーテンダーは店の奥へと姿を消した。
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