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6.Full Blossom
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「監督、何か一言お願いします!」
「おめでとうございます、今のお気持ちを一言!」
「次回作のご予定は?」
矢継ぎ早に報道陣からかけられる声。まばゆいシャッターに照らされ、はにかみ笑いを浮かべる一人の男性。
「二十二歳という若さでこの受賞、いかがでしょうか」
「これからどのような作品を撮って行きたいですか」
所定の位置に付くと、男性は一つ、咳払いをしマイクを手にする。
「この度は、このような素晴らしい賞を受賞させていただき誠にありがとうございます。私のような若造が賞をいただけたのは、支えてくれたスタッフ、この作品に出演してくださった俳優の方々、撮影に協力いただいた地域の方々……本当に私一人の力では叶いませんでした。深く感謝しています」
ゆっくりと、言葉を噛みしめて言葉を話す。その間もシャッターの音は絶えない。
「本日の受賞を誰に伝えたいですか」
「そう、ですね。まずはこの作品に関わってくださった皆様に……そうして、この作品のモデルとなった方々に厚く御礼申し上げます」
そう言い、ゆっくりと頭を下げた。
はぁ、と一つ息を吐く。連日報道されるニュースに自分が写っているのは変な感覚だ、と男は思う。
「あ、見てみて。この映画良かったよね」
「ね、私も見た。切ないよねぇ」
すれ違う若い女性達が、大型ビジョンに映し出される映画のワンシーンを指さし立ち止まる。
ビルの大型ビジョンに流れるのは、淡いピンクの桜の中、青年が涙を流すシーン。不意に現れた少女。ふわり、とその背を抱きしめる。スローモーションの画像から、ゆっくりと女性の姿が消える。そうして青年は真っ白な廊下を走り出す。
町ゆく人々が足を止め、その映像を見つめる。
「二十二歳の新鋭、次回はどのような作品を見せてくれるのでしょうか」
「いやぁ、楽しみですね。まだまだこれから、ですからね」
「今回の主演はどちらも新人ですし、俳優陣の実力も発揮できた作品ですね」
コメンテーターがにこやかに会話を続け、やがて別のニュースへと切り替わっていった。
はぁ、と男は再度息を吐く。
一つの作品を撮り終えた安堵と、次回作品への期待からの重圧。
二十二歳という若さで、思いのままに撮影した映画が大賞を受賞した。光栄なことだと思うし、評価されたのだと自負している。けれどそれは一人だけの力では無い。支えてくれたスタッフ、出演者のおかげだ。だから先ほどのコメントは間違っていない。
はぁ、ともう一つ息を吐く。
心の奥底に眠っていた思いを吐き出すかのように脚本を書き、映画を撮った。後悔はしていないし、今あるだけの力は出せたと思う。
しかし、同時に襲ってくる虚無感。もう全てをやりきってしまったような感覚。
不意に眼にとまる、一軒の店。"Bar Night"そう小さく記された看板。一杯ひっかけていくのも悪くない、そう思い、男は店に足を踏み入れた。
カランカラン
入口の扉に取り付けられた古めかしいベルが鳴る。狭い店内には、数えられるほどのカウンター席しかない。
「いらっしゃいませ、どうぞ」
声をかけたのは、バーテンダー。白のワイシャツに黒のスラックス、ベスト。黒のサロンを腰に巻いている。
案内されたのはカウンターの丁度真ん中の席。斜め左前に立つバーテンダーは、チョコレートやナッツが乗った小皿を出してくれる。
男は店内を見回す。店内は薄暗く、ランプの灯りのみでカウンターは照らされ、壁に散りばめられたステンドグラスが木の床に色を映し出している。
「あの……メニューありますか」
「申し訳ありません、当店にメニューはございません。お客様のご希望の物を何でもお創りします」
「あ、そうなんですか……」
そう言われても、すぐには出てこない。普段はビールをよく呑むが、今はそんな気分ではない気がする。
「普段呑まれるのはビールですか」
「え、あ、はい。どうして」
バーテンダーは微笑を浮かべると、男に背を向けて後ろの棚の扉をスライドさせる。
「学生の方は居酒屋でビールかサワーのイメージでしたので、つい」
「あぁ、確かにそうですね」
そう言われて男は苦笑する。学部の友人達も、皆呑み会では生ビールにサワーが定番だ。女子は可愛らしいカクテルだが、どうも甘ったるいのは苦手だ。
そう思っていたはずなのに。
「あの、甘いのあんまり好きじゃないんですけど、ちょっと甘い奴ってリクエストじゃアバウトすぎますか」
口から出たのは、変なリクエスト。けれどバーテンダーはゆっくりと振り向き、頷いてくれる。
「かしこまりました」
小さく会釈をすると、開けた棚から三本のビンを取り出し、カウンターに並べていった。
斜め前に立つバーテンダーは、手際よくステンレスメジャーカップにリキュールを注ぎ、カクテルシェーカーに入れて行く。
そういえば。彼女がもしも生きていたら、どんなお酒を呑んだだろうか。おそらく酒には強いだろう。両親がかなりの酒豪だったから、だ。あぁ、最近は両親にも会えていない。映画の撮影や後処理に追われていて……。もうすぐ彼女の七回忌だ、線香を上げに行きたいし、墓参りにも行きたい。
胸元のシルバーネックレスのモチーフにそっと触れる。何かあると、こうして触れてしまうのは癖になってしまった。あの時から肌身離さず付けている。
「……アンティークネックレスですか」
「え、あ、あぁはい。貰った物なんですけど」
十字架と剣が重なり合ったモチーフの、シルバーネックレス。十字架の中央には透明の石が埋め込まれており、それを回すとロケットように半分に別れる。
「大切な物なんですね」
「はい」
そう返事をしたところで、すっと目の前に差し出されるのはピンクと赤のマーブルのカクテル。
「これ、結構甘いですか」
「いいえ、そうでもないと思いますよ」
微笑を浮かべたバーテンダーは一礼すると、始めに立っていた斜め前の位置に立ち、グラスを白い布で拭き出した。
随分甘そうだが。とりあえず、一口、口に含む。
ピリリとした酸味。オレンジ、だろうか。普段飲むようなオレンジジュースとはちょっと違う感覚。そこから再度グラスを傾けると、ほのかに香る……不思議な甘い、花のような感覚。これは……なんだろう。
「あの、このピンクって何ですか」
「桜のリキュールです」
目線は合わせず、バーテンダーは答える。
あぁ、そうか。桜の香りか。
脳内によぎるのは、あの映画の最後のシーン。
そうして鮮やかに蘇る、あの日の出来事。
「何か気になることでもお有りですか、良樹さん」
「え」
不意に声をかけられ、男は顔を上げる。
「あぁ、羽賀監督と呼んだ方がよろしいでしょうか」
微笑を浮かべ、男の顔をまっすぐに見つめるバーテンダー。男……羽賀は ふぅ と息を吐き、グラスをカウンターに置いた。
「気付き……ましたか」
「えぇ。作品も見せていただきました。とても繊細で……思いがこめられていた」
どうやらこのバーテンダーはミーハーなファン、ではないらしい。少し安心し、カクテルを再度口に含む。
「あの作品に語られなかった部分があるのでは、と何となく思っていたのですが」
「ははっ……鋭いですね」
その通り、だった。あの日起こった不思議な出来事は、いくら考えても現実ではありえない、そう感じられる。
「あの、変な奴だと思わないで聞いてくれますか」
「えぇ、もちろんです」
手にしていたカクテルグラスをカウンターに置き、羽賀は口を開いた。
「あの映画は……僕の実体験なんです。ノンフィクションとフィクションを交えたというか……」
ゆっくりと羽賀は眼を閉じる。七年前の、忘れもしないあの日のことを思い返す。
「僕には梓という二週間だけ付き合った彼女がいたんです。小中が一緒だったんですけど、中三の秋に入院して……冬に退院してきたんです。それで、告白したら、卒業までの限定だって言われて。冗談だと思っていたんで、とにかく付き合ってもらえるって聞いて嬉しくて。それから二週間して……無事に一緒に卒業できました。このネックレスは、その日に梓がくれたんです。大好きだったよ、ありがとうって。泣いて、ごめんって言って……それっきり。次の日、梓は亡くなりました。多分知ってたんです……自分の死期を」
一日も忘れたことは無い。毎年、命日には墓参りに行っている。
そんな彼女との思い出を映画にしようと思ったのは、ゼミがきっかけだった。鮮明に覚えているあの日までの二ヶ月を文にして書いてみたところ、ゼミの教授に脚本にしてみないかとアドバイスを受け、それがプロデューサーの目にとまった。
「実は、映画の中には記さなかった……これまで誰にも話してこなかった事があるんですけど」
「梓の葬式で……不思議な人に出会ったんです。顔も格好も覚えてないんですけど、雰囲気とか声とか……すごく鮮明で。泣いている僕に声をかけてきて、このネックレスの石を回したんです。そうしたら辺りに光が現れて、梓の声が聞こえてきて」
そうして、光が消えたときには男の人も消えていた。辺りは何も変わらず、泣いている人々がいるだけ、だった。
「夢なのかなとも思ったんですけど……このネックレスがある以上、きっと現実だと思うんです」
再びネックレスに触れる。
「梓はもしかして、その人から自分の死期を聞いていたのかなって。その人は死神だったのかな……」
「死神、ですか」
「えぇ」
そう答えてからバーテンダーの顔を見る。色白の肌に綺麗な顔立ち。そういえば、あの時の男性も……綺麗な顔立ちをしていた気がする。
「でも、不思議と怖い感じはしなかったんですよ。こんな夢みたいな話、信じますか」
「えぇ」
返事は即答、だった。バーテンダーは黙々とグラスを白い布で拭いている。
「こんな……魔法みたいな話なのに」
ぴたり、とその手が止まる。
「世の中には、私たちの知らない世界が沢山あると思います。その一つなのではないか、と」
微笑を浮かべたその横顔は、何処かで見たことがあるような気がする。
「あの、一つ聞いてもいいですか」
「何でしょう」
「何処かでお会いしたことありますか」
バーテンダーは ふっ と笑った。
「それは秘密です」
「秘密、ですか」
きっと教えてはくれないだろう。残りのカクテルを口に含む。
「今度、舞台挨拶があるんです。受賞と、ヒットのお礼も兼ねて。その男性のこと、話しても良いと思いますか」
「彼が貴方に教えてくれた事には意味があったのでしょう」
尋ねた質問にはそぐわない返事が戻ってきた。
けれど、すとん、と心の中の靄が晴れた、そんな気がした。
あの映画に込めた、自分の強い思い。それは純愛だけじゃない。
「彼は僕に教えてくれたんです。人に、言葉を伝える大切さを。だから今回あの作品を書いたんです。言葉は言霊です。心の中で思うだけじゃ無くて、言葉にすることで伝わる……それが大事なんです。僕は梓に伝えられなかったから……だから」
そう、伝えられなくて後悔したのだ。
「貴方は進んでいますか」
「あ」
あの日の事を忘れないように生きてきた。けれど、同時にあの時間にすがりついたままだった、そう思えた。
自分の心は、あの時から未だ止まったままだった。
「僕は未だ、捕らわれたままだったんですね」
そうか。作品を撮り終えたのに、未だ残っていた靄。それはきっと、自分の心があの時のまま、だったからだ。
カクテルグラスの中身を喉に流し込む。
次の作品の意欲が沸いてきた。まだまだ、伝えたい思いは山ほどある。
「ごちそうさまでした。いくらですか」
「五百円です」
え、と声を上げる。バーと言えばチャージ料含めて千円以上はすると思っていたのに。
「チャージ料はいただきません。ドリンク代のみで結構です」
「そうですか……じゃぁ」
財布から取り出した五百円玉をカウンターに置き、店を後にした。
カメラのシャッター音が鳴り響く中、舞台に現れる一人の男性。
『羽賀監督、おめでとうございます! 今期最大のヒット映画と言われていますが、お気持ちは』
『ありがとうございます、心から嬉しく思います。支えてくれたスタッフ、出演者の皆様、モデルになった方々、それから……七年前に出会った方へ感謝を申し上げます。この作品を見て、皆さんが大切な人に言葉を紡ぐ事が出来れば幸いに思います』
『七年前に出会った方、というのは』
『はい、この作品は僕の体験を元に執筆させていただいたのですが、彼女の葬式の日に、真っ黒な衣装を着た人と出会ったんです。彼女からもらったこのネックレスに彼が触れた途端、彼女の声が聞こえてきたんです。夢のような話ですが、とてもリアルで。その時気付いたんです。もっと沢山の言葉を……些細なことです。ありがとうやごめんねでもいいから、もっと沢山会話をして、相手に伝えたかった、って。後悔しました。どうか皆さんには同じ思いをしてほしくない、そう思います』
ふっきれたような、晴れ晴れとした笑顔。キャスターが小さく頷いている。
やがて画面はスタジオへと切り替わる。
『この春に大学を卒業する予定の羽賀監督、未だ二十二歳、これからが楽しみですね。なお、映画の裏話や秘話を今夜二十時放送の番組でたっぷりと語っていきますので、どうぞお楽しみに。さて、次のニュースです』
薄暗い店内。カウンターに置かれた、一冊の古びた本。椅子に座るバーテンダーは胸ポケットから万年筆を取り出し、レシピを記す。
「……余計な事したかな」
先ほどのニュースを思い出し、バーテンダーは一人、苦笑する。
「世の中には……私たちの知らない世界が沢山ある、か」
自分が告げた言葉を口にし、笑う。
それから、止めていた手を動き出す。 Full Blossom そう記すと、静かに本を閉じた。
「おめでとうございます、今のお気持ちを一言!」
「次回作のご予定は?」
矢継ぎ早に報道陣からかけられる声。まばゆいシャッターに照らされ、はにかみ笑いを浮かべる一人の男性。
「二十二歳という若さでこの受賞、いかがでしょうか」
「これからどのような作品を撮って行きたいですか」
所定の位置に付くと、男性は一つ、咳払いをしマイクを手にする。
「この度は、このような素晴らしい賞を受賞させていただき誠にありがとうございます。私のような若造が賞をいただけたのは、支えてくれたスタッフ、この作品に出演してくださった俳優の方々、撮影に協力いただいた地域の方々……本当に私一人の力では叶いませんでした。深く感謝しています」
ゆっくりと、言葉を噛みしめて言葉を話す。その間もシャッターの音は絶えない。
「本日の受賞を誰に伝えたいですか」
「そう、ですね。まずはこの作品に関わってくださった皆様に……そうして、この作品のモデルとなった方々に厚く御礼申し上げます」
そう言い、ゆっくりと頭を下げた。
はぁ、と一つ息を吐く。連日報道されるニュースに自分が写っているのは変な感覚だ、と男は思う。
「あ、見てみて。この映画良かったよね」
「ね、私も見た。切ないよねぇ」
すれ違う若い女性達が、大型ビジョンに映し出される映画のワンシーンを指さし立ち止まる。
ビルの大型ビジョンに流れるのは、淡いピンクの桜の中、青年が涙を流すシーン。不意に現れた少女。ふわり、とその背を抱きしめる。スローモーションの画像から、ゆっくりと女性の姿が消える。そうして青年は真っ白な廊下を走り出す。
町ゆく人々が足を止め、その映像を見つめる。
「二十二歳の新鋭、次回はどのような作品を見せてくれるのでしょうか」
「いやぁ、楽しみですね。まだまだこれから、ですからね」
「今回の主演はどちらも新人ですし、俳優陣の実力も発揮できた作品ですね」
コメンテーターがにこやかに会話を続け、やがて別のニュースへと切り替わっていった。
はぁ、と男は再度息を吐く。
一つの作品を撮り終えた安堵と、次回作品への期待からの重圧。
二十二歳という若さで、思いのままに撮影した映画が大賞を受賞した。光栄なことだと思うし、評価されたのだと自負している。けれどそれは一人だけの力では無い。支えてくれたスタッフ、出演者のおかげだ。だから先ほどのコメントは間違っていない。
はぁ、ともう一つ息を吐く。
心の奥底に眠っていた思いを吐き出すかのように脚本を書き、映画を撮った。後悔はしていないし、今あるだけの力は出せたと思う。
しかし、同時に襲ってくる虚無感。もう全てをやりきってしまったような感覚。
不意に眼にとまる、一軒の店。"Bar Night"そう小さく記された看板。一杯ひっかけていくのも悪くない、そう思い、男は店に足を踏み入れた。
カランカラン
入口の扉に取り付けられた古めかしいベルが鳴る。狭い店内には、数えられるほどのカウンター席しかない。
「いらっしゃいませ、どうぞ」
声をかけたのは、バーテンダー。白のワイシャツに黒のスラックス、ベスト。黒のサロンを腰に巻いている。
案内されたのはカウンターの丁度真ん中の席。斜め左前に立つバーテンダーは、チョコレートやナッツが乗った小皿を出してくれる。
男は店内を見回す。店内は薄暗く、ランプの灯りのみでカウンターは照らされ、壁に散りばめられたステンドグラスが木の床に色を映し出している。
「あの……メニューありますか」
「申し訳ありません、当店にメニューはございません。お客様のご希望の物を何でもお創りします」
「あ、そうなんですか……」
そう言われても、すぐには出てこない。普段はビールをよく呑むが、今はそんな気分ではない気がする。
「普段呑まれるのはビールですか」
「え、あ、はい。どうして」
バーテンダーは微笑を浮かべると、男に背を向けて後ろの棚の扉をスライドさせる。
「学生の方は居酒屋でビールかサワーのイメージでしたので、つい」
「あぁ、確かにそうですね」
そう言われて男は苦笑する。学部の友人達も、皆呑み会では生ビールにサワーが定番だ。女子は可愛らしいカクテルだが、どうも甘ったるいのは苦手だ。
そう思っていたはずなのに。
「あの、甘いのあんまり好きじゃないんですけど、ちょっと甘い奴ってリクエストじゃアバウトすぎますか」
口から出たのは、変なリクエスト。けれどバーテンダーはゆっくりと振り向き、頷いてくれる。
「かしこまりました」
小さく会釈をすると、開けた棚から三本のビンを取り出し、カウンターに並べていった。
斜め前に立つバーテンダーは、手際よくステンレスメジャーカップにリキュールを注ぎ、カクテルシェーカーに入れて行く。
そういえば。彼女がもしも生きていたら、どんなお酒を呑んだだろうか。おそらく酒には強いだろう。両親がかなりの酒豪だったから、だ。あぁ、最近は両親にも会えていない。映画の撮影や後処理に追われていて……。もうすぐ彼女の七回忌だ、線香を上げに行きたいし、墓参りにも行きたい。
胸元のシルバーネックレスのモチーフにそっと触れる。何かあると、こうして触れてしまうのは癖になってしまった。あの時から肌身離さず付けている。
「……アンティークネックレスですか」
「え、あ、あぁはい。貰った物なんですけど」
十字架と剣が重なり合ったモチーフの、シルバーネックレス。十字架の中央には透明の石が埋め込まれており、それを回すとロケットように半分に別れる。
「大切な物なんですね」
「はい」
そう返事をしたところで、すっと目の前に差し出されるのはピンクと赤のマーブルのカクテル。
「これ、結構甘いですか」
「いいえ、そうでもないと思いますよ」
微笑を浮かべたバーテンダーは一礼すると、始めに立っていた斜め前の位置に立ち、グラスを白い布で拭き出した。
随分甘そうだが。とりあえず、一口、口に含む。
ピリリとした酸味。オレンジ、だろうか。普段飲むようなオレンジジュースとはちょっと違う感覚。そこから再度グラスを傾けると、ほのかに香る……不思議な甘い、花のような感覚。これは……なんだろう。
「あの、このピンクって何ですか」
「桜のリキュールです」
目線は合わせず、バーテンダーは答える。
あぁ、そうか。桜の香りか。
脳内によぎるのは、あの映画の最後のシーン。
そうして鮮やかに蘇る、あの日の出来事。
「何か気になることでもお有りですか、良樹さん」
「え」
不意に声をかけられ、男は顔を上げる。
「あぁ、羽賀監督と呼んだ方がよろしいでしょうか」
微笑を浮かべ、男の顔をまっすぐに見つめるバーテンダー。男……羽賀は ふぅ と息を吐き、グラスをカウンターに置いた。
「気付き……ましたか」
「えぇ。作品も見せていただきました。とても繊細で……思いがこめられていた」
どうやらこのバーテンダーはミーハーなファン、ではないらしい。少し安心し、カクテルを再度口に含む。
「あの作品に語られなかった部分があるのでは、と何となく思っていたのですが」
「ははっ……鋭いですね」
その通り、だった。あの日起こった不思議な出来事は、いくら考えても現実ではありえない、そう感じられる。
「あの、変な奴だと思わないで聞いてくれますか」
「えぇ、もちろんです」
手にしていたカクテルグラスをカウンターに置き、羽賀は口を開いた。
「あの映画は……僕の実体験なんです。ノンフィクションとフィクションを交えたというか……」
ゆっくりと羽賀は眼を閉じる。七年前の、忘れもしないあの日のことを思い返す。
「僕には梓という二週間だけ付き合った彼女がいたんです。小中が一緒だったんですけど、中三の秋に入院して……冬に退院してきたんです。それで、告白したら、卒業までの限定だって言われて。冗談だと思っていたんで、とにかく付き合ってもらえるって聞いて嬉しくて。それから二週間して……無事に一緒に卒業できました。このネックレスは、その日に梓がくれたんです。大好きだったよ、ありがとうって。泣いて、ごめんって言って……それっきり。次の日、梓は亡くなりました。多分知ってたんです……自分の死期を」
一日も忘れたことは無い。毎年、命日には墓参りに行っている。
そんな彼女との思い出を映画にしようと思ったのは、ゼミがきっかけだった。鮮明に覚えているあの日までの二ヶ月を文にして書いてみたところ、ゼミの教授に脚本にしてみないかとアドバイスを受け、それがプロデューサーの目にとまった。
「実は、映画の中には記さなかった……これまで誰にも話してこなかった事があるんですけど」
「梓の葬式で……不思議な人に出会ったんです。顔も格好も覚えてないんですけど、雰囲気とか声とか……すごく鮮明で。泣いている僕に声をかけてきて、このネックレスの石を回したんです。そうしたら辺りに光が現れて、梓の声が聞こえてきて」
そうして、光が消えたときには男の人も消えていた。辺りは何も変わらず、泣いている人々がいるだけ、だった。
「夢なのかなとも思ったんですけど……このネックレスがある以上、きっと現実だと思うんです」
再びネックレスに触れる。
「梓はもしかして、その人から自分の死期を聞いていたのかなって。その人は死神だったのかな……」
「死神、ですか」
「えぇ」
そう答えてからバーテンダーの顔を見る。色白の肌に綺麗な顔立ち。そういえば、あの時の男性も……綺麗な顔立ちをしていた気がする。
「でも、不思議と怖い感じはしなかったんですよ。こんな夢みたいな話、信じますか」
「えぇ」
返事は即答、だった。バーテンダーは黙々とグラスを白い布で拭いている。
「こんな……魔法みたいな話なのに」
ぴたり、とその手が止まる。
「世の中には、私たちの知らない世界が沢山あると思います。その一つなのではないか、と」
微笑を浮かべたその横顔は、何処かで見たことがあるような気がする。
「あの、一つ聞いてもいいですか」
「何でしょう」
「何処かでお会いしたことありますか」
バーテンダーは ふっ と笑った。
「それは秘密です」
「秘密、ですか」
きっと教えてはくれないだろう。残りのカクテルを口に含む。
「今度、舞台挨拶があるんです。受賞と、ヒットのお礼も兼ねて。その男性のこと、話しても良いと思いますか」
「彼が貴方に教えてくれた事には意味があったのでしょう」
尋ねた質問にはそぐわない返事が戻ってきた。
けれど、すとん、と心の中の靄が晴れた、そんな気がした。
あの映画に込めた、自分の強い思い。それは純愛だけじゃない。
「彼は僕に教えてくれたんです。人に、言葉を伝える大切さを。だから今回あの作品を書いたんです。言葉は言霊です。心の中で思うだけじゃ無くて、言葉にすることで伝わる……それが大事なんです。僕は梓に伝えられなかったから……だから」
そう、伝えられなくて後悔したのだ。
「貴方は進んでいますか」
「あ」
あの日の事を忘れないように生きてきた。けれど、同時にあの時間にすがりついたままだった、そう思えた。
自分の心は、あの時から未だ止まったままだった。
「僕は未だ、捕らわれたままだったんですね」
そうか。作品を撮り終えたのに、未だ残っていた靄。それはきっと、自分の心があの時のまま、だったからだ。
カクテルグラスの中身を喉に流し込む。
次の作品の意欲が沸いてきた。まだまだ、伝えたい思いは山ほどある。
「ごちそうさまでした。いくらですか」
「五百円です」
え、と声を上げる。バーと言えばチャージ料含めて千円以上はすると思っていたのに。
「チャージ料はいただきません。ドリンク代のみで結構です」
「そうですか……じゃぁ」
財布から取り出した五百円玉をカウンターに置き、店を後にした。
カメラのシャッター音が鳴り響く中、舞台に現れる一人の男性。
『羽賀監督、おめでとうございます! 今期最大のヒット映画と言われていますが、お気持ちは』
『ありがとうございます、心から嬉しく思います。支えてくれたスタッフ、出演者の皆様、モデルになった方々、それから……七年前に出会った方へ感謝を申し上げます。この作品を見て、皆さんが大切な人に言葉を紡ぐ事が出来れば幸いに思います』
『七年前に出会った方、というのは』
『はい、この作品は僕の体験を元に執筆させていただいたのですが、彼女の葬式の日に、真っ黒な衣装を着た人と出会ったんです。彼女からもらったこのネックレスに彼が触れた途端、彼女の声が聞こえてきたんです。夢のような話ですが、とてもリアルで。その時気付いたんです。もっと沢山の言葉を……些細なことです。ありがとうやごめんねでもいいから、もっと沢山会話をして、相手に伝えたかった、って。後悔しました。どうか皆さんには同じ思いをしてほしくない、そう思います』
ふっきれたような、晴れ晴れとした笑顔。キャスターが小さく頷いている。
やがて画面はスタジオへと切り替わる。
『この春に大学を卒業する予定の羽賀監督、未だ二十二歳、これからが楽しみですね。なお、映画の裏話や秘話を今夜二十時放送の番組でたっぷりと語っていきますので、どうぞお楽しみに。さて、次のニュースです』
薄暗い店内。カウンターに置かれた、一冊の古びた本。椅子に座るバーテンダーは胸ポケットから万年筆を取り出し、レシピを記す。
「……余計な事したかな」
先ほどのニュースを思い出し、バーテンダーは一人、苦笑する。
「世の中には……私たちの知らない世界が沢山ある、か」
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