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13.Kitty
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「好きだよ。ずっと一緒にいよう」
「早く大学卒業したいな。そうしたら毎日一緒にいられるのに」
「絶対嫌いにならないよ。結婚しよう」
普段はクールなのに、二人きりの時だけは甘い言葉をささやいてくれて。
大学生になってようやく出来た初めての彼氏。
あの頃は疑わなかった。この恋に終わりが来るなんてこと。中学・高校と長い片思いをして叶わなかったから…大学こそは、そう思っていたのに。
「會田、明後日の会議の資料出来てるか」
「あ、はいはい」
振り向いたところに立っていたのは、見上げなければいけないほどの背丈の男。立ち上がった私ですら……首を上げてしまう。女性としてはかなり背の高い方ではあるはずなのだけど。この男の前では関係ないらしい。
「何かあったの、小倉」
「いや、上司がプレゼン一個追加したいって言いだして」
「えっ……あー、十分くらいだったら入れられるかな」
机の引き出しから、明後日の会議のスケジュール表を取り出す。
「各プレゼン一分ずつ減らして…休憩の時間ずらせばなんとかなるんじゃないかな」
「サンキュ。資料追加してから渡すから修正頼むわ」
「了解」
資料を手に取り、自分の席に戻った彼はパソコンのキーを叩き始める。
明後日のために、私もパソコンのフォルダを開いて資料の修正を始めた。
「會田さん、小倉先輩と仲良くてうらやましいです」
お昼休憩。同じチームの後輩がこちらを見て言ってくる。
「あぁうん……よく言われるけど。ただの同期だよ」
「えー、でも小倉君があんなに気さくに話しかけるのは奈津だけでしょ」
同期までそんな事言ってくるものだから。私は苦笑いをしてみせる。
「あれだけ仕事出来て同期の出世株でしょ。背も高くて顔もイケメン、大学までバスケ部で関東大会とか出てたって言うじゃん。何が不満なわけ」
ぐいぐい突っ込んでくるのは、同期の美菜。美人なのに気取らない、気さくな、はっきり物事を言う子。
「いやいや、不満とかじゃなくて……ただの同期だし」
「そう思ってるのは奈津だけじゃないの? 少なくとも小倉は奈津の事気に入ってると思うけど」
なかなかの、鋭さ。悟られないように笑いながら、さりげなく話題をすり替える。
同期の小倉は、美菜の言う通り……同期の中では一番の出世頭。格好良くて、バスケをずっとやっていたという百九十cm越えの身長。仕事出来て気が利く、上司からも評判の男。同期や後輩、先輩にもファンはなかなか多い。
そんな、ただの同期を意識し出したのは入社して二年経った頃。仕事でちょっとしたミスを犯して……ひどく落ち込んだ時期があった。周りはそんなに気にしなくてよいと言ってくれたけれど。一人、勝手に落ち込んで。そんな時に憂さ晴らしをさせてくれたのが小倉だった。
それから、ちょこちょこ二人で呑みに行く仲。きっと小倉は……あくまでも、仕事の同期として接してくれている。そう、思っていたけれど。
社会人三年目になった春。いつものように二人で呑んでいて……二人の関係は、少し変わった。
「なぁ、會田ってお姉さんいたよな、確か最近子ども産まれたって」
「うん。今三カ月。すっごい可愛いよ」
二人で営業に行った帰り道。買い物に付き合ってほしいと頼まれて向かったのは……大手デパート。
「いやさ、実は俺の兄貴の所にも子どもが産まれるっていうんでさ。何か出産祝いしたくて」
「小倉ってお兄さんいたんだ、知らなかった」
「うん、二つ上でさ。高校時代からの同級生がお相手なんだけど、その人もいい人でさ」
降り立ったのは、赤ちゃんグッズが売っている階。赤ちゃん用の可愛い洋服やおもちゃが並んでいる。
「すっげ、小さいな」
「そりゃね。小倉から見れば余計小さく見えるでしょ」
二人でたわいもない話をしながら、赤ちゃんグッズを見る。
「いいなぁ、子ども……」
不意に小倉が口にする。ちょっと驚いた。二十代の男性って、そんな結婚とか子ども願望あるんだ……
「なんだよその顔」
「いや、ちょっと意外だなって。私たちまだ二十五じゃん」
「そうか? 俺は欲しいって思うけど……會田は彼氏とか子どもとかほしいって思ったことないの」
直球な質問。その、まっすぐな視線が……五年前を思い出させて。
思わず視線をそらして、商品を手に取る。
「……會田さ、俺の事、どう思ってる」
「え」
突然の言葉に。どう返答したら良いかわからなくて……怖くて顔を見られないでいると。丁度、店員が声をかけてきて。その話は終わった。
それ以降、小倉とは変わらない関係が続いている。表面上、は。
仕事を終え、家に向かう道を歩く。
ふぅ、と息を吐く。あまり思い出したくない、七年前の過去。最近、夢に見るようになった。
ふと目に留まる小さなネオンの光る看板。 Bar Night そう記されている。
「いつ出来たんだろ……」
昨日まではなかった気がする。
今日は金曜日だ。明日は予定もないし……たまには一人酒もわるくない。
そう思い、私は扉を押した。
カランカラン
入口の扉に取り付けられた古めかしいベルが鳴る。狭い店内には、数えられるほどのカウンター席しかない。
「いらっしゃいませ、どうぞ」
声をかけて来たのは、多分……このBarのバーテンダー。すらりとした長身に、斜めに流された長めの前髪。肩より少し長めの髪は後ろで一つに結わえられている。白のワイシャツに黒のスラックス、ベスト。黒のサロンを腰に巻いているバーテンダーはにこり、と微笑んだ。
案内されたのはカウンターの丁度真ん中の席。斜め左前に立つバーテンダーは、チョコレートやナッツが乗った小皿を出してくれる。
店内を見回してみる。薄暗く、ランプの灯りのみでカウンターは照らされ、壁に散りばめられたステンドグラスが木の床に色を映し出している。
それからカウンター席に目を落とす。普通、店にはあるはずの物が……ない。
「あの、メニューは」
隣のカウンター席にカバンを置き、尋ねてみる。けれどバーテンダーは小さく首を横に振った。
「申し訳ありません、当店にメニューはございません。お客様のお好みの物をお作りしております」
「え」
お酒は好きだけど、バーは滅多に来ない。ましてや、一人でなんて……
「ワインはお好きですか」
「あ、はい……」
「それでは、良い赤ワインが入りましたので適当におつくりしますね」
「お願いします」
バーテンダーは小さく一礼すると、私の背を向けて後ろの棚に手を伸ばした。
店内をぐるり、ともう一度見回す。薄暗いのに、どこか温かい雰囲気。不思議な感覚。
最近思い返すことが多くなった、七年前のこと。初めて付き合った彼氏で、私は浮かれていたんだと思う。だから、彼から別れを告げられた時も、全く前兆に気づくことが出来なかった。付き合って七ヶ月。唐突にメールで別れを告げられて、そのまま私の恋は終わった。メールも電話も繋がらなくて。何が原因だったのか、いまだによくわからない。ただ、翌年になって、彼に新しい彼女が出来たと人づてに聞いた。
銀の紙を取り外し、チョコレートを口にする。ほろ苦い、ビター味。
そういえば、彼は甘党だった。私がブラックコーヒーに対し、砂糖とミルクを必ず入れる彼。くしゃっと笑う顔が幼くて、可愛くて。
本気で、大学卒業したら結婚するのだと、そう思っていた。
「何かお悩みでも」
スッと差し出されるのは、ワイングラスに入った赤いカクテル。表面に細かい泡が立っている。
「あ、はい……悩みってほどでもないんですけど」
一口、喉に入れてみる。甘い赤ワインと、シュワシュワの……炭酸。
「美味しい」
「それは良かったです。もしよろしければ……奈津さんのお話、聞かせていただけませんか」
大学のバスケ部で出会った彼は、百八十cmを越える背丈の、クールな人だった。外見上、表面上、は。
告白されて付き合いだしたのは五月の事。付き合いだして……知った。クールなのに、二人きりになるとすごく甘えたがりで。いつもくっついてきて、口癖のように言っていた。何度も、同じ台詞を。
「好きだよ。ずっと一緒にいよう」
「早く大学卒業したいな。そうしたら毎日一緒にいられるのに」
「絶対嫌いにならないよ。結婚しよう」
まるで呪文のように繰り返されて。恋に恋していたのだ、と今はわかる。
それを本気にしていた。このまま付き合い続けて、いずれは結婚するんだ、って。
「大学の部活って結構キツイんですよ。サークルと違って週5回くらい練習あるし、土日も大会や練習試合で潰れるし。バイトとか全然出来なくて……遊ぶ暇もほとんど無いっていうか」
「なかなか……大変ですね」
私の言葉にバーテンダーの人が相槌をうってくれる。
元々、根はそんなに真面目な人では無かった、んだと思う。
秋のリーグが始まる頃、彼から連絡がきた。 部活をやめようと思う と。
練習ばかりで、友人と遊ぶ時間が持てない事。バイトが楽しい事。部活の同期とあまり仲良くなれていない事。
理由はいくつかあったけれど……まぁ、それは仕方ない。引き留めようとして、やめた。一度決めたらきっと覆さない、頑固な人だってわかっていたから。
学科が違うから、部活で会わなければ約束しないと会うこともない。
そうして、会う頻度は減っていき……だんだんと、メールも減っていった。
「ほら、付き合って半年ってマンネリって言うじゃないですか。ま、そんな時期なのかなって思ってたんですけど」
少し待てばいい。あの頃はそう思っていた。
それでも、一週間も連絡が無いのはさすがに不安で。メールを送ると、三日後あたりに短いメールが返ってくる。
私が返信をしても、その返信はない。そんなことが四週間、つまり一カ月が経過して。
さすがに……ちょっと腹が立ったのと、悲しいのとで。おもいきってメールで聞いてみた。
"お疲れさま。最近会ってないけど……元気?なんか、会わなさすぎて付き合ってる感じしないかも(>_<)都合つく日ある?久しぶりにデートしよ♪"
その返信は、やっぱり三日後辺りに来た。
"バイトとか他の予定まだ決まってないからわかんない"
そんな、短い返信。そうして、プツン、と何かが切れた。
"あんまり会いたくないってこと?"
そのメールには、驚くほど早い返信が来た。
"別に会わなくても支障はないかな。別れようか"
唐突、だった。
驚いて慌てて電話したけれど……彼は出なかった。
それから、メールの返信は一切無かった。電話にも出てくれることはなかった。
人づてに、彼に新しい彼女が出来たと聞いたのは、年の変わった三月の頃、だった気がする。
「それは、なかなか……」
「確かに私もしつこく連絡したり、多少ワガママは言ってたんで……今思い返すと、子どもだったって思うんですけど……いやでも、やっぱりあの時の彼は酷かったなぁって今でも思っちゃうんですよ」
心にしこりを残したまま社会人となって、三年目。
恋愛をするのは、まだ怖い。
「……今、気になる方がいらっしゃるのですね」
ふっと脳裏に浮かぶ、同期の小倉。意識し出したあの日から、私の中で特別な存在になった。
それでも怖いものは怖い。
七年前の自分とは違うし、彼だって七年前と違う。
氷の入った赤いワイングラス。水滴がグラスの外を流れていく。
「友達のままなら……喧嘩しても仲直りすればいいけど……付き合って別れたら……もう元には戻れないじゃないですか」
全てを拒否された七年前。未だにひきずっているほど、あの時の恐怖は忘れられない。
「それでも……一歩前に進んでみたいとは思いませんか」
「え」
バーテンダーは斜め前に立ち、ワイングラスを真っ白な布で拭いている。
「過去を嫌なものと思うよりも……あの頃の自分が……彼がいたから今の自分がいると思えませんか」
その手が、止まる。こちらを見る目はとても優しい。
不意にポケットの携帯が鳴る。メールの相手は……小倉。
"お疲れ。明日呑み行こかない?"
「過去の彼に感謝するほど……強い心を持ってみてはいかがですか? むしろ、別れてくれてありがとう、と。おかげで今の素敵な人に出会えたと」
「……そう、ですね……」
手元の携帯を操作し、返信する。
"お疲れさま!いいね~。早く仕事終わらせる!"
返信を終えると、残った冷たいお酒を飲み干す。
「ごちそうさまでした。いくらですか」
「五百円です」
「え、安い……ですね」
財布から五百円玉を取り出し、カウンターに置く。
「ありがとうございます、おかげで吹っ切れました」
「いいえ。奈津さんに……良い縁がありますように」
残業をすることなく定時で仕事を終える。小倉が連れてきてくれたのは……今、超人気のフレンチのお店。
「おっ小倉、此処っ……予約が三カ月先まで埋まってるって!」
「兄貴の高校の同級生の店なんだ。ちょっとコネで予約してもらった」
笑う小倉の後ろについて店に入る。
口コミで話題通りの、それ以上の美味しさに……食事もお酒もペロリと平らげてしまった。
デザートと食後の珈琲を口にしていると……お店のシェフが出てきた。すごく優しそうな、格好良い人。
「孝也君、今日はご来店ありがとうございます。可愛らしい彼女さん連れで」
彼女、という言葉にドキリとする。そんな……違う、のに。まだ……
「ありがとうございます、でもまだ彼女じゃないんです」
さらりと話す小倉。
「まだ、ってことはこれからなんだね」
「はい、これから、です」
「お熱いことで……じゃぁ、将来の彼女さん。ゆっくりしていってくださいね」
にっこりと笑ってキッチンに戻っていくシェフの人。
「お、小倉っ……」
「會田、顔真っ赤だけど」
帰り道。小倉の手が、私の手を掴む。
「……會田の事、好きだから……付き合ってもらえると嬉しいんだけど」
「っ……」
「断らないってことは、いい方向に捉えていいんだよね」
薄暗い店内。椅子に座るバーテンダーは、カウンターに置かれた一冊の古びた本を開く。
「過去があるから、今の自分がいる、か」
言葉にしてバーテンダーは微笑む。
Kitty そう本に記し、静かに本を閉じた。
「早く大学卒業したいな。そうしたら毎日一緒にいられるのに」
「絶対嫌いにならないよ。結婚しよう」
普段はクールなのに、二人きりの時だけは甘い言葉をささやいてくれて。
大学生になってようやく出来た初めての彼氏。
あの頃は疑わなかった。この恋に終わりが来るなんてこと。中学・高校と長い片思いをして叶わなかったから…大学こそは、そう思っていたのに。
「會田、明後日の会議の資料出来てるか」
「あ、はいはい」
振り向いたところに立っていたのは、見上げなければいけないほどの背丈の男。立ち上がった私ですら……首を上げてしまう。女性としてはかなり背の高い方ではあるはずなのだけど。この男の前では関係ないらしい。
「何かあったの、小倉」
「いや、上司がプレゼン一個追加したいって言いだして」
「えっ……あー、十分くらいだったら入れられるかな」
机の引き出しから、明後日の会議のスケジュール表を取り出す。
「各プレゼン一分ずつ減らして…休憩の時間ずらせばなんとかなるんじゃないかな」
「サンキュ。資料追加してから渡すから修正頼むわ」
「了解」
資料を手に取り、自分の席に戻った彼はパソコンのキーを叩き始める。
明後日のために、私もパソコンのフォルダを開いて資料の修正を始めた。
「會田さん、小倉先輩と仲良くてうらやましいです」
お昼休憩。同じチームの後輩がこちらを見て言ってくる。
「あぁうん……よく言われるけど。ただの同期だよ」
「えー、でも小倉君があんなに気さくに話しかけるのは奈津だけでしょ」
同期までそんな事言ってくるものだから。私は苦笑いをしてみせる。
「あれだけ仕事出来て同期の出世株でしょ。背も高くて顔もイケメン、大学までバスケ部で関東大会とか出てたって言うじゃん。何が不満なわけ」
ぐいぐい突っ込んでくるのは、同期の美菜。美人なのに気取らない、気さくな、はっきり物事を言う子。
「いやいや、不満とかじゃなくて……ただの同期だし」
「そう思ってるのは奈津だけじゃないの? 少なくとも小倉は奈津の事気に入ってると思うけど」
なかなかの、鋭さ。悟られないように笑いながら、さりげなく話題をすり替える。
同期の小倉は、美菜の言う通り……同期の中では一番の出世頭。格好良くて、バスケをずっとやっていたという百九十cm越えの身長。仕事出来て気が利く、上司からも評判の男。同期や後輩、先輩にもファンはなかなか多い。
そんな、ただの同期を意識し出したのは入社して二年経った頃。仕事でちょっとしたミスを犯して……ひどく落ち込んだ時期があった。周りはそんなに気にしなくてよいと言ってくれたけれど。一人、勝手に落ち込んで。そんな時に憂さ晴らしをさせてくれたのが小倉だった。
それから、ちょこちょこ二人で呑みに行く仲。きっと小倉は……あくまでも、仕事の同期として接してくれている。そう、思っていたけれど。
社会人三年目になった春。いつものように二人で呑んでいて……二人の関係は、少し変わった。
「なぁ、會田ってお姉さんいたよな、確か最近子ども産まれたって」
「うん。今三カ月。すっごい可愛いよ」
二人で営業に行った帰り道。買い物に付き合ってほしいと頼まれて向かったのは……大手デパート。
「いやさ、実は俺の兄貴の所にも子どもが産まれるっていうんでさ。何か出産祝いしたくて」
「小倉ってお兄さんいたんだ、知らなかった」
「うん、二つ上でさ。高校時代からの同級生がお相手なんだけど、その人もいい人でさ」
降り立ったのは、赤ちゃんグッズが売っている階。赤ちゃん用の可愛い洋服やおもちゃが並んでいる。
「すっげ、小さいな」
「そりゃね。小倉から見れば余計小さく見えるでしょ」
二人でたわいもない話をしながら、赤ちゃんグッズを見る。
「いいなぁ、子ども……」
不意に小倉が口にする。ちょっと驚いた。二十代の男性って、そんな結婚とか子ども願望あるんだ……
「なんだよその顔」
「いや、ちょっと意外だなって。私たちまだ二十五じゃん」
「そうか? 俺は欲しいって思うけど……會田は彼氏とか子どもとかほしいって思ったことないの」
直球な質問。その、まっすぐな視線が……五年前を思い出させて。
思わず視線をそらして、商品を手に取る。
「……會田さ、俺の事、どう思ってる」
「え」
突然の言葉に。どう返答したら良いかわからなくて……怖くて顔を見られないでいると。丁度、店員が声をかけてきて。その話は終わった。
それ以降、小倉とは変わらない関係が続いている。表面上、は。
仕事を終え、家に向かう道を歩く。
ふぅ、と息を吐く。あまり思い出したくない、七年前の過去。最近、夢に見るようになった。
ふと目に留まる小さなネオンの光る看板。 Bar Night そう記されている。
「いつ出来たんだろ……」
昨日まではなかった気がする。
今日は金曜日だ。明日は予定もないし……たまには一人酒もわるくない。
そう思い、私は扉を押した。
カランカラン
入口の扉に取り付けられた古めかしいベルが鳴る。狭い店内には、数えられるほどのカウンター席しかない。
「いらっしゃいませ、どうぞ」
声をかけて来たのは、多分……このBarのバーテンダー。すらりとした長身に、斜めに流された長めの前髪。肩より少し長めの髪は後ろで一つに結わえられている。白のワイシャツに黒のスラックス、ベスト。黒のサロンを腰に巻いているバーテンダーはにこり、と微笑んだ。
案内されたのはカウンターの丁度真ん中の席。斜め左前に立つバーテンダーは、チョコレートやナッツが乗った小皿を出してくれる。
店内を見回してみる。薄暗く、ランプの灯りのみでカウンターは照らされ、壁に散りばめられたステンドグラスが木の床に色を映し出している。
それからカウンター席に目を落とす。普通、店にはあるはずの物が……ない。
「あの、メニューは」
隣のカウンター席にカバンを置き、尋ねてみる。けれどバーテンダーは小さく首を横に振った。
「申し訳ありません、当店にメニューはございません。お客様のお好みの物をお作りしております」
「え」
お酒は好きだけど、バーは滅多に来ない。ましてや、一人でなんて……
「ワインはお好きですか」
「あ、はい……」
「それでは、良い赤ワインが入りましたので適当におつくりしますね」
「お願いします」
バーテンダーは小さく一礼すると、私の背を向けて後ろの棚に手を伸ばした。
店内をぐるり、ともう一度見回す。薄暗いのに、どこか温かい雰囲気。不思議な感覚。
最近思い返すことが多くなった、七年前のこと。初めて付き合った彼氏で、私は浮かれていたんだと思う。だから、彼から別れを告げられた時も、全く前兆に気づくことが出来なかった。付き合って七ヶ月。唐突にメールで別れを告げられて、そのまま私の恋は終わった。メールも電話も繋がらなくて。何が原因だったのか、いまだによくわからない。ただ、翌年になって、彼に新しい彼女が出来たと人づてに聞いた。
銀の紙を取り外し、チョコレートを口にする。ほろ苦い、ビター味。
そういえば、彼は甘党だった。私がブラックコーヒーに対し、砂糖とミルクを必ず入れる彼。くしゃっと笑う顔が幼くて、可愛くて。
本気で、大学卒業したら結婚するのだと、そう思っていた。
「何かお悩みでも」
スッと差し出されるのは、ワイングラスに入った赤いカクテル。表面に細かい泡が立っている。
「あ、はい……悩みってほどでもないんですけど」
一口、喉に入れてみる。甘い赤ワインと、シュワシュワの……炭酸。
「美味しい」
「それは良かったです。もしよろしければ……奈津さんのお話、聞かせていただけませんか」
大学のバスケ部で出会った彼は、百八十cmを越える背丈の、クールな人だった。外見上、表面上、は。
告白されて付き合いだしたのは五月の事。付き合いだして……知った。クールなのに、二人きりになるとすごく甘えたがりで。いつもくっついてきて、口癖のように言っていた。何度も、同じ台詞を。
「好きだよ。ずっと一緒にいよう」
「早く大学卒業したいな。そうしたら毎日一緒にいられるのに」
「絶対嫌いにならないよ。結婚しよう」
まるで呪文のように繰り返されて。恋に恋していたのだ、と今はわかる。
それを本気にしていた。このまま付き合い続けて、いずれは結婚するんだ、って。
「大学の部活って結構キツイんですよ。サークルと違って週5回くらい練習あるし、土日も大会や練習試合で潰れるし。バイトとか全然出来なくて……遊ぶ暇もほとんど無いっていうか」
「なかなか……大変ですね」
私の言葉にバーテンダーの人が相槌をうってくれる。
元々、根はそんなに真面目な人では無かった、んだと思う。
秋のリーグが始まる頃、彼から連絡がきた。 部活をやめようと思う と。
練習ばかりで、友人と遊ぶ時間が持てない事。バイトが楽しい事。部活の同期とあまり仲良くなれていない事。
理由はいくつかあったけれど……まぁ、それは仕方ない。引き留めようとして、やめた。一度決めたらきっと覆さない、頑固な人だってわかっていたから。
学科が違うから、部活で会わなければ約束しないと会うこともない。
そうして、会う頻度は減っていき……だんだんと、メールも減っていった。
「ほら、付き合って半年ってマンネリって言うじゃないですか。ま、そんな時期なのかなって思ってたんですけど」
少し待てばいい。あの頃はそう思っていた。
それでも、一週間も連絡が無いのはさすがに不安で。メールを送ると、三日後あたりに短いメールが返ってくる。
私が返信をしても、その返信はない。そんなことが四週間、つまり一カ月が経過して。
さすがに……ちょっと腹が立ったのと、悲しいのとで。おもいきってメールで聞いてみた。
"お疲れさま。最近会ってないけど……元気?なんか、会わなさすぎて付き合ってる感じしないかも(>_<)都合つく日ある?久しぶりにデートしよ♪"
その返信は、やっぱり三日後辺りに来た。
"バイトとか他の予定まだ決まってないからわかんない"
そんな、短い返信。そうして、プツン、と何かが切れた。
"あんまり会いたくないってこと?"
そのメールには、驚くほど早い返信が来た。
"別に会わなくても支障はないかな。別れようか"
唐突、だった。
驚いて慌てて電話したけれど……彼は出なかった。
それから、メールの返信は一切無かった。電話にも出てくれることはなかった。
人づてに、彼に新しい彼女が出来たと聞いたのは、年の変わった三月の頃、だった気がする。
「それは、なかなか……」
「確かに私もしつこく連絡したり、多少ワガママは言ってたんで……今思い返すと、子どもだったって思うんですけど……いやでも、やっぱりあの時の彼は酷かったなぁって今でも思っちゃうんですよ」
心にしこりを残したまま社会人となって、三年目。
恋愛をするのは、まだ怖い。
「……今、気になる方がいらっしゃるのですね」
ふっと脳裏に浮かぶ、同期の小倉。意識し出したあの日から、私の中で特別な存在になった。
それでも怖いものは怖い。
七年前の自分とは違うし、彼だって七年前と違う。
氷の入った赤いワイングラス。水滴がグラスの外を流れていく。
「友達のままなら……喧嘩しても仲直りすればいいけど……付き合って別れたら……もう元には戻れないじゃないですか」
全てを拒否された七年前。未だにひきずっているほど、あの時の恐怖は忘れられない。
「それでも……一歩前に進んでみたいとは思いませんか」
「え」
バーテンダーは斜め前に立ち、ワイングラスを真っ白な布で拭いている。
「過去を嫌なものと思うよりも……あの頃の自分が……彼がいたから今の自分がいると思えませんか」
その手が、止まる。こちらを見る目はとても優しい。
不意にポケットの携帯が鳴る。メールの相手は……小倉。
"お疲れ。明日呑み行こかない?"
「過去の彼に感謝するほど……強い心を持ってみてはいかがですか? むしろ、別れてくれてありがとう、と。おかげで今の素敵な人に出会えたと」
「……そう、ですね……」
手元の携帯を操作し、返信する。
"お疲れさま!いいね~。早く仕事終わらせる!"
返信を終えると、残った冷たいお酒を飲み干す。
「ごちそうさまでした。いくらですか」
「五百円です」
「え、安い……ですね」
財布から五百円玉を取り出し、カウンターに置く。
「ありがとうございます、おかげで吹っ切れました」
「いいえ。奈津さんに……良い縁がありますように」
残業をすることなく定時で仕事を終える。小倉が連れてきてくれたのは……今、超人気のフレンチのお店。
「おっ小倉、此処っ……予約が三カ月先まで埋まってるって!」
「兄貴の高校の同級生の店なんだ。ちょっとコネで予約してもらった」
笑う小倉の後ろについて店に入る。
口コミで話題通りの、それ以上の美味しさに……食事もお酒もペロリと平らげてしまった。
デザートと食後の珈琲を口にしていると……お店のシェフが出てきた。すごく優しそうな、格好良い人。
「孝也君、今日はご来店ありがとうございます。可愛らしい彼女さん連れで」
彼女、という言葉にドキリとする。そんな……違う、のに。まだ……
「ありがとうございます、でもまだ彼女じゃないんです」
さらりと話す小倉。
「まだ、ってことはこれからなんだね」
「はい、これから、です」
「お熱いことで……じゃぁ、将来の彼女さん。ゆっくりしていってくださいね」
にっこりと笑ってキッチンに戻っていくシェフの人。
「お、小倉っ……」
「會田、顔真っ赤だけど」
帰り道。小倉の手が、私の手を掴む。
「……會田の事、好きだから……付き合ってもらえると嬉しいんだけど」
「っ……」
「断らないってことは、いい方向に捉えていいんだよね」
薄暗い店内。椅子に座るバーテンダーは、カウンターに置かれた一冊の古びた本を開く。
「過去があるから、今の自分がいる、か」
言葉にしてバーテンダーは微笑む。
Kitty そう本に記し、静かに本を閉じた。
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