ナナシの神様

えむら若奈

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揺れる水面にうつるもの

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「あ、おかえり、壱弥」

 帰宅すると、居間には姉の夏芽がいた。
 夏芽は福岡市内でひとり暮らしをしているが、車を運転するのが好きなので、ドライブがてらよく実家に帰ってくる。そして、お盆にかけては毎年十連休を取っていた。

「おお、姉のナツメか。これは美形じゃのう」

 壱弥の背後で、ナナシが声をあげた。
 姉は誰もが認めるほどの美人なのだが、いかんせん気が強く、子どものころは弟の颯太とともによく叱られた。
 この姉を見てきているからか、壱弥は女性に対して幻想を抱いたことはない。

「姉ちゃんに頼まれていたやつ、買ってきとるよ」
「あ、ほんと? ありがとう」

 夏芽が指定する、東京にしか売っていない菓子を買って帰るのは、毎度のことだった。かなり大量で買い回るのが大変なのだが、逆らってもいいことはないので言う通りにしている。

「いくらやった?」
「分からん。計算して」

 財布の中に無造作に入れてしわくちゃになったレシートを取り出し、夏芽に渡す。いつも雑なんだから、とぼやきながら、夏芽はスマートフォンの電卓アプリで計算しはじめた。

「千円札なかったけん、お金あとでいい?」
「いつでもよかよ」
「壱弥、暑かったやろ。飲まんね」

 団扇で顔を扇いでいると、祖母が冷たい緑茶を淹れてくれた。

 緑茶は、淹れ方ひとつで味がまるで変わる。祖母が淹れる緑茶は世界で一番の味だと、壱弥は本気で思っていた。ひと口飲むだけで、絶妙な甘みとコクが口の中に広がり、体へ染み込んでいく。

 この幸せな気分を世界中の人に味わってほしいと、子どものころからずっと思っていた。

「壱弥。帰ってきたとこ悪かけど、みりん買ってきてくれんね」

 ホッとしているところに、母が台所から顔を出して言った。

「うちにあるのば、取ってこっかね?」
「いいよ、ばあちゃんはゆっくりしとき。どうせ買わないかんのやろ。俺、行ってくるけん」
「ありがとうね、壱弥。みりんだけでよかよ。本みりんやけんね、間違えんごと」
「はいよ」

 緑茶を一気に飲み干してから玄関に向かうと、夏芽がついてきた。ついでに、ナナシもいる。

「壱弥、歩いて行くと?」
「うん」
「じゃあ、私も一緒に行く」

 どういう風の吹き回しかと思ったが、壱弥はなにも言わずに頷いた。

「ヒグラシ、鳴いとるね」

 夏芽が、大きく伸びをしながら言った。福岡市中心部だと、ヒグラシの声はあまり聞こえないのかもしれない。

「颯太って、いつ帰ってくると?」
「十日の昼かな」
「静かなのは明後日までかぁ。あんたと颯太、足して二で割ればちょうどいいっちゃけど」

 物静かな壱弥とは正反対で、颯太は声が大きく賑やかな性格をしている。いまは高校のラグビー部の夏合宿中だった。
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