きいろいマフラーと、迷子の手紙

N.PROJECT

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第2話:黄色いマフラーのパン屋さん

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 パン屋の名は「こもれびベーカリー」。
 朝9時を回ると、焼きたてのパンの匂いが、通りの角までふんわりと漂ってくる。けれど、この店のいちばんの看板は、パンでもレシピでもなく——店主の笑顔だった。

 黄色いマフラーがよく似合う女性。名前は結城 柚葉(ゆうき・ゆずは)。
 まだ二十代後半、町に越してきて三年。大きな宣伝もせず、こぢんまりとしたこの店は、近所の人たちにだけ密かに愛されている。

 「いらっしゃいませ!」
 ドアにつけられた鈴がチリンと鳴ると、柚葉は明るく声をあげた。

 「……あれ? 森村さん?」

 「やあ、寒い朝だね。……焼きたてのクロワッサン、まだ残ってるかい?」

 「もちろんです! 今朝のはバターをいつもより多めに練り込んだので、きっと森村さん好みですよ」

 柚葉はカウンターの奥からパンを取り出し、紙袋に丁寧に詰めながら、ふと森村さんの手元に目をやる。

 「その封筒……ちょっと古そうですね。配達のお仕事で?」

 森村さんは一瞬だけ、言葉を探すように口をつぐみ、それから静かに答えた。

 「……実はね、十年前の迷子の手紙なんだ。差出人は、たぶん、まだこの町にいる誰かのはずなんだよ」

 「迷子の……手紙?」

 「そう。差出人の名前はなかったけれど、たったひとこと、こんなことが書いてあってね」

 森村さんは、封筒の中から折りたたまれた便箋を取り出し、柚葉に見せた。

 柚葉は、その文字をじっと見つめた。

「サンタさんへ。うちのおかあさんを、えがおにしてください。」

 読み終えた瞬間、柚葉の手が、小さく震えた。
 彼女はゆっくりと視線を上げ、そして、言葉を飲み込んだ。

 「……それ、もしかして……わたしが……書いたのかもしれません」

 森村さんは驚いて目を見開いた。

 「本当かい?」

 「確信はないんです。でも……私、小さい頃、クリスマスに“赤い屋根のおうち”って呼んでた家に住んでました。母が……よく泣いてたんです。父が突然いなくなって。夜になると、母が隣の部屋でひとりで泣いてたの、覚えてます」

 森村さんは静かにうなずいた。

 「きっと、君が書いたんだよ。十年越しで、ようやくこの手紙が君のもとに届いたんだ」

 柚葉はしばらく黙っていた。
 そしてふっと、小さく笑った。

 「……叶ったのかな、このお願い」

 「叶ったように見えるよ。今の君は、お母さんの笑顔を思い出すだけじゃなく、たくさんの人を笑顔にしてる」

 森村さんはそう言って、クロワッサンの紙袋を胸に抱えた。

 「お母さん、去年の冬に亡くなったんです。でも、最期に笑ってました。“ゆずのパン、ほんとに美味しいわね”って。……それで、私は、このパン屋を続けてるのかもしれません」

 「……それなら、あの手紙は、もうちゃんと配達されたんだな」

 二人のあいだに、しんしんと雪が降っていた。
 その白い静けさのなかで、迷子の手紙はようやく、十年越しの約束を果たした。


 森村さんが自転車にまたがると、柚葉が慌てて声をかけた。

 「あの! このマフラー、誰かの忘れ物かもしれないんですけど……」

 そう言って、店先のフックから黄色いマフラーを差し出した。

 「ある日、店の前のベンチにぽつんと置かれてたんです。落とし物届けに出しても、名乗り出る人がいなくて。……でも、なんだかあったかい匂いがするんです、このマフラー」

 森村さんは、手紙を見つめたまま、ふと微笑んだ。

 「きっと、それも、君に届けられるはずだった贈り物かもしれないね」
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