霧に消えた約束

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第2章:海の記憶

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翌日、霧崎町は雨に濡れていた。灰色の空の下、漁港の匂いが一層強く漂う。悠真は傘をさし、町の中心にある喫茶店「海鳴り」へ向かった。昨夜の脅迫の手紙が頭から離れない。誰かが自分の動きを監視している――その確信が、胸に重くのしかかる。  

喫茶店は、昭和の香りを残す古びた店だった。木のカウンターにはVHSテープのラベルが貼られたメニュー、壁には色褪せた漁船の写真。店主の老女は無言でコーヒーを出し、悠真の質問には「さあね」とそっけない。だが、カウンターの隅に置かれた地元紙の切り抜きに、悠真の目が留まった。  
「霧崎邸、20年前の謎」――1985年の事件を特集した記事だ。藤田彩花、21歳。大学で民俗学を学び、霧崎町の伝説を研究しに来た。彼女は霧崎邸で最後に目撃され、以来、行方不明。記事には、霧崎家の当主・霧島隆一のコメント。「娘の友人だった。突然いなくなって、残念だ。」  
悠真の脳裏に、怜奈の顔が浮かんだ。霧島隆一の娘――彼女があの写真の女の子なら、事件当時5歳。彩花を知っていたはずだ。  

「その記事、興味あるの?」  
声に振り返ると、怜奈が立っていた。黒いスカーフを巻き、キャンバスは持っていない。彼女の瞳は、雨に濡れた海のようだった。  
「昨日は失礼した。霧崎邸のことを、急に聞かれて驚いたの。」  
悠真はコーヒーを一口飲み、慎重に言葉を選んだ。「君、霧崎邸の関係者だろ? 藤田彩花のことを知ってるんじゃないか?」  
怜奈の指が、スカーフの端を握りしめた。「彩花さん……名前は聞いたことあるけど、よく覚えてない。20年前、私まだ小さかったから。」  
彼女の声は震えていた。嘘ではないが、全部を話していない――悠真の記者としての勘がそう告げた。  

「話したいことがあれば、いつでも聞いてやる。」悠真は名刺を差し出した。怜奈はそれを手に取り、じっと見つめた。  
「ありがとう。でも、佐藤さん。この町の過去は、霧みたいに曖昧なの。追いかけても、掴めないよ。」  
彼女はそう言うと、喫茶店を出て行った。ガラス窓越しに、怜奈の後ろ姿が雨に滲む。悠真は名刺の裏に、彼女が走り書きした電話番号を見つけた。  

その午後、悠真は漁港近くの公民館で町の古老に話を聞いた。70歳を過ぎる漁師の男は、煙草をくゆらせながら言った。  
「霧崎邸? あそこは昔、漁協の金を動かしてた霧島家の屋敷だ。隆一さんが死んでから、誰も住まねえ。呪われてるって噂だよ。」  
「藤田彩花の失踪は?」  
男は目を細めた。「よそ者が勝手に消えただけさ。海に落ちたか、夜逃げしたか。詮索するな、若造。」  
その口調に、隠された敵意を感じた。町民は皆、事件を避ける。まるで、町全体が秘密を守っているようだ。  

公民館を出ると、雨が強くなっていた。悠真は港の防波堤に立ち、海を見つめた。波が岩を叩く音が、まるで誰かの叫び声のようだった。ふと、視線を感じた。振り返ると、遠くの桟橋に黒いフードの男が立っている。距離は遠いが、その目は悠真を射抜くようだった。  
「影」――昨夜の足跡と手紙を思い出し、悠真は背筋が冷えた。男は一瞬で霧に消えた。  


夜、悠真は宿で美咲の日記を読み返した。ページをめくるたび、姉の声が聞こえる気がした。  
「霧崎町、なんか変。彩花さんが言ってた。霧崎邸の地下室に、なんかあるって。」  
地下室。悠真はガラケーを手に、怜奈の番号を押した。長い呼び出し音の後、彼女の声が聞こえた。  
「佐藤さん? こんな時間に、なに?」  
「霧崎邸の地下室のこと、知ってるか?」  
電話の向こうで、怜奈の息が止まった気がした。長い沈黙の後、彼女は囁いた。  
「行かないで。あそこは、危ないよ。」  
「どうして? 何か見たんだろ?」  
「……わからない。覚えてないの。でも、赤い影が……」  
彼女の声は途切れ、電話が切れた。悠真は受話器を握りしめた。赤い影――怜奈が見たものは、事件の鍵なのか?  

窓の外で、雨が叩く音が響く。ふと、窓ガラスに映る影が動いた。悠真は飛び起き、窓を開けた。誰もいない。だが、窓枠に新たな紙が挟まっていた。  
「次はお前だ。」  
文字は、雨に滲んでいた。  
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