霧に消えた約束

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第4章:海辺の約束

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雨が止んだ霧崎町は、濃い霧に覆われていた。2005年11月の夕暮れ、佐藤悠真は漁港の防波堤に立っていた。波が岩を叩く音が、まるで心臓の鼓動のように響く。手に握る美咲の日記、耳に残る怜奈の震える声、地下室で見た血痕と彩花の写真――全てが霧崎邸の秘密を指していた。そして、昨日の影の言葉。「お前も、霧崎の罪人だ。」  

悠真のポケットには、3通目の脅迫の手紙。「お前も、霧崎の罪を背負う。」赤いインクが滲んだ文字は、まるで血の警告だった。影――村上晋、彩花の兄。彼の憎しみに満ちた目は、悠真を追い詰める。だが、怜奈の絵に描かれた「赤い影」と、彼女の曖昧な記憶が、悠真を霧崎邸へ引き戻す。姉・美咲の失踪、彩花の死、漁協の金――全てが繋がっている。  

悠真はガラケーを取り出し、怜奈の番号を押した。呼び出し音が続くが、応答はない。昨夜、彼女の家で見た絵――地下室の階段、赤い影、彩花の叫び声――が脳裏に焼きついている。怜奈は何か知っている。彼女を巻き込むべきか、ためらいながらも、悠真は彼女の家へ向かった。  

~怜奈の記憶

霧崎町の漁港近く、怜奈の平屋は海風に晒され、ひっそりと佇む。庭の雑草が霧に濡れ、玄関の木戸は軋む。チャイムを押すと、かすかな足音。怜奈が顔を出した。黒いスカーフを巻き、絵の具の匂いが漂う。灰色の瞳は、疲れと不安に曇っている。  

「佐藤さん……また来たの?」彼女の声は小さく、霧のように揺らいだ。  
「昨日、地下室で見たもの、話したい。あの絵、彩花の叫び声って言ったな。もっと詳しく聞かせてくれ。」  
怜奈は一瞬目を伏せ、ドアを開けた。「入って。寒いから。」  

居間はキャンバスと絵の具で埋め尽くされていた。壁には海、霧、岩場の絵が並ぶ。どれも暗い色調で、町の孤独を映すようだ。悠真の目が、昨日と同じ未完成の絵に留まった。地下室の階段、赤い影、彩花のぼんやりした顔。だが、昨夜より影が鮮明で、まるで血の色のように赤い。  

「この絵、いつ描いた?」悠真はキャンバスを指した。  
「昨夜、佐藤さんが帰った後。寝れなくて……夢で見たの。彩花さんが、階段の奥で叫んでた。赤い影が、彼女を追ってた。」怜奈の声が震えた。「子どもの頃、地下室で何か見た気がする。でも、怖くて、記憶がぼやけてる。」  
「霧島隆一、君の父親だろ? 彼が彩花とどう関わってた?」  
怜奈の指がスカーフを握りしめた。「父は……漁協の金を管理してた。彩花さんは、大学の研究で町に来て、父とよく話してた。でも、ある日、急にいなくなった。父も母も、その後事故で死んだ。あの夏、全部が壊れた。」  

悠真は美咲の日記を取り出し、ページを開いた。「姉貴が書いたんだ。読んでくれ。」  
怜奈は日記を受け取り、ゆっくり読み始めた。「彩花さんが怖がってた。霧崎邸の地下室に、漁協の秘密があるって。誰かに見られてる気がする。」彼女の目が揺れた。「美咲さん……覚えてる。明るい人で、私の絵を褒めてくれた。でも、彼女もいなくなった。」  
「姉貴と彩花、地下室で何を見たんだ?」悠真の声が低くなった。  

怜奈はキャンバスを見つめた。「わからない。でも、昨日の地下室、血の痕を見たとき、胸が締め付けられた。父が……何か隠してたのかもしれない。」  
彼女の瞳に涙が滲む。悠真は思わず手を伸ばし、怜奈の肩に触れた。「一緒に調べよう。君の記憶が、真相に繋がる。」  
怜奈は小さく頷き、初めて彼の手を握り返した。冷たい指が、悠真の心に小さな波を立てた。「でも、佐藤さん。影の男、怖い。あの目、子どもの頃に見たことがある。」  
「彩花の兄、村上晋だ。昨日、地下室でそう言ったな。」  
「うん……彩花さんが『お兄ちゃん』って呼んでた人。父とケンカしてたのを、覚えてる。」  

~霧崎邸の再調査

昼過ぎ、悠真と怜奈は霧崎邸へ向かった。霧が濃くなり、岬の坂道は視界を閉ざす。怜奈のスカーフが風に揺れ、まるで霧の一部。門前で、悠真は3通目の手紙を思い出した。「お前も、霧崎の罪を背負う。」晋の復讐が、二人を追い詰めている。  

「気をつけろ。晋が近くにいるかもしれない。」悠真は懐中電灯を握り、怜奈の手を引いた。  
「佐藤さん、私、怖いけど……美咲さんのためなら、行く。」怜奈の声は震えたが、決意に満ちていた。  

洋館の中は、カビと湿気の匂い。1階のホールで、怜奈が立ち止まった。「ここ、父と歩いた場所。シャンデリアが光ってた頃、楽しかったのに。」彼女の声には、懐かしさと悲しみが混じる。悠真は2階への階段を照らし、厨房へ向かった。「地下室の入り口、昨日と同じだな。」  

厨房の奥、錆びた南京錠の壊れた扉。地下へ続く階段は、湿った空気が重い。怜奈が悠真の腕を掴んだ。「何か……変な感じがする。子どもの頃、父が『絶対入るな』って。」  
「大丈夫だ。一緒にいる。」悠真は彼女の手を握り、階段を下りた。  

地下室は広かった。コンクリートの壁にひび、床に水たまり。悠真は血痕のあった壁を照らし、さらに奥へ進んだ。古い木箱の向こうに、隠された鉄の扉を見つけた。「これ、昨日は気づかなかった。」  
扉は重く、錆びた蝶番が軋む。中は狭い部屋――書類、写真、漁協の帳簿が散乱していた。悠真は帳簿を手に取り、ページをめくった。1985年の記録。「霧島隆一、漁協資金移動、彩花調査。」  
「彩花が漁協の金を追ってたのか?」悠真は眉を寄せた。  

怜奈が写真を手に取った。彩花と霧島隆一、若い高木刑事も写っている。「高木さん……この頃、父の知り合いだった。」彼女の声が震えた。  
その時、床に落ちた小さなネックレス。銀の鎖に星のペンダント――美咲のものだ。「姉貴の……!」悠真は拾い上げ、胸が締め付けられた。  

突然、ガタッと音。階段の上に、黒いフードの男――村上晋。「霧崎の娘、よくも生きてたな。」彼の声は憎しみに震え、ナイフが光る。「彩花を殺した罪、お前が背負え。」  
「待て! 怜奈は子どもだった! 何も知らない!」悠真は怜奈を庇い、晋に叫んだ。  
「知らなくても、霧崎の血だ。漁協の金を隠し、妹を消した。あの男の娘なら、同じ罪だ!」晋が一歩踏み出す。  
怜奈が叫んだ。「やめて! 私、覚えてる! 彩花さんが叫んでた夜、父が地下室にいた! でも、全部じゃない!」  
晋の目が揺れた。「なら、話せ。霧島隆一が何をした?」  

~怜奈の記憶

怜奈の瞳が遠くを見た。霧崎邸の地下室、1985年の夏。5歳の怜奈は、父の後を追い、階段を下りた。暗い部屋で、彩花の叫び声。「隆一さん、約束が違う!」赤い影――血に濡れた服を着た男が、彩花を押さえつける。父の声。「黙れ、漁協の金は守る!」  
怜奈は恐怖で逃げ出し、記憶を封じた。あの夜、両親は事故で死に、怜奈は叔母に引き取られた。  

「父が……彩花さんを?」怜奈は涙を流し、崩れ落ちた。  
悠真は彼女を抱きしめた。「君のせいじゃない。晋、真相を俺が暴く。怜奈を巻き込むな。」  
晋はナイフを握りしめ、吐き捨てた。「なら、霧崎の罪を全て暴け。でなきゃ、お前も消す。」彼は階段を駆け上がり、霧に消えた。  

~高木との対峙

夕方、悠真は高木刑事と喫茶店「海鳴り」で会った。煙草の匂いが漂う高木は、疲れた目で悠真を見た。「地下室の帳簿、見たんだろ? 深入りしすぎだ。」  
「彩花が漁協の金を追ってた。高木、あんたも隠蔽に加担したな?」悠真は帳簿を突きつけた。  
高木は煙草を灰皿に押し付け、ため息をついた。「当時、俺は若造だった。漁協の圧力、霧島の力――逆らえなかった。家族が人質だったんだ。」  
「家族? だから彩花を見殺しにした?」  
「証拠がなきゃ、ただの噂だ。佐藤、気をつけろ。晋は危険だ。」  

~海辺の約束

夜、悠真は怜奈を海辺に連れ出した。霧が薄れ、星が見える。波の音が、二人を包む。「佐藤さん、私、父の罪を背負ってる?」怜奈の声は震えた。  
「違う。君は被害者だ。姉貴も、彩花も、真相を暴くために俺がいる。」悠真は彼女の手を握った。  
怜奈は微笑み、星のペンダントを手に取った。「美咲さんの、これ。持ってて。」  
二人は海を見つめ、沈黙した。霧の向こうで、影が動いた気がした。  
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