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しおりを挟む「こんにちは雪人さん。お元気ですか?」
そう無駄に明るい声で訪ねられ、血液センターの受け付けで聞くには些か不謹慎な言葉だなと雪人はいつも思うのだが、それでも小さく微笑み頷いた。
「ああ。お前は?」
「僕も元気です」
雪人に問いかけられた青年、東雲譲の底抜けに明るい笑顔と笑い声が温室調整が徹底されている大きな建物の中で、やけに浮わついて響く。
そんな、やはりこの場にどこかそぐわぬ朗らかな笑い声をそれでも雪人は気に入っており、しかし、要件を済ませたい。と譲を見た。
「はいはい。ちょっと待っててくださいね。雪人さんのは……」
ひんやりとした、施設内。
受け付けの椅子から離れ、後ろにある巨大な保存用冷蔵庫を開けながら雪人に提供されるモノを譲が探し始めている。
それをじっと待つ雪人の頬は驚くほど生白く、蛍光灯の明かりがさらにその人間的でない青白さを浮かび上がらせているようだった。
「あった、はい。これが今週の分ですね」
ゴソゴソと整理された冷蔵庫の中からお目当ての雪人のモノを取り出した譲が笑う。
それはもう日常と化していて、しかしそれを雪人は変わらぬありがたい気持ちで受け取った。
“綾瀬雪人一週間分“
という雑な走り書きの付箋が貼られた、パック達。
それは蛍光灯の明かりの下でも赤黒く光り、きちんとパックされたそれらが受け付けカウンターの上に置かれた瞬間パックの中で波打つのを見た雪人は、小さく唾を飲み込みながらも持ってきていた保冷バッグへと素早く押し込んだ。
「ありがとう」
低い声で、しかしお礼を律儀に呟いた雪人が代金を差し出せば、譲はにっこりと微笑んだあと、しかし視線をパックへと移した。
「でも今週は多くないですか?」
「……まぁちょっと」
「何事も摂りすぎは体に毒ですよ」
「分かってる」
まるで吸血鬼のような口振りで話す人間の譲に小さく笑いながらも、また一週間後。と手を振られた雪人は小さく頷き、それから蛍光灯の明かりが眩しい大きな血液センターからするりと抜け出した。
外に出れば街はもう薄暗さを纏い始め、夜に沈もうとしていて、その中を歩く雪人は不意に目についた電柱のチラシを見つめた。
『吸血鬼、入居お断り』
『吸血鬼、入居大歓迎』
だなんて綴られた、そこらの電柱に貼られている賃貸物件の見出し。
それを眺め、この数百年余りで本当に随分となんだか変わった世界になったものだな。と雪人は少しばかり思いつつ、保冷バッグを慎重に抱え直した。
──綾瀬雪人。もうお気付きだろうが彼はこのご時世あまり珍しくない吸血鬼であり、齢はもう二百を過ぎた辺りから数えるのを止めたので何歳かは本人ですら把握していないが、何百年は生きている歴とした純血の吸血鬼である。
純血というからには勿論永遠に死なぬ体であり、そして吸血鬼の血を守るため純血に拘る厳格な両親の間に産まれたのだが、しかし雪人は由緒正しき品性を要求される事に嫌気が差したため、約三百年前に両親の元を離れ現在はもう一人で暮らしていた。
ほんの少し前までは時の流れに逆らわぬよう、名を変え土地を変え転々としながら暮らす事を余儀なくされていたのだが、ここ数百年で吸血鬼に対する人間の理解が広まり、吸血鬼という存在が公になった事による恩恵ですら受けられるようになった、昨今。
純血は何をしても何をしなくても死ぬことはないながらも、しかし腹が空かないなんて事は無いわけで。だからこそ実際にこうして血液センターに多額なお金を支払う事で違法ではなく合法的に安定した血液を入手する事が出来ている事を雪人は感謝しており、吸血鬼を隠すことなく住居を借りられる事にも、そして幸いな事にその類いまれなる才能を活かし今では吸血鬼と知られつつも音楽プロデューサーという肩書きですら手にしている事にも、感謝している。
そうして様々な国の様々な土地で生きてきた雪人は今、古くの生まれ故郷でもあるここ大都会東京が気に入っており、もう百年ほどこの場所で暮らしていて、吸血鬼の存在が認められ寛容になったこのご時世を今日もまた惰性に生きながらも、それでも長い長い、終わりのない人生をそれなりに雪人は楽しんでいた。
夜になりかける街を歩く雪人の足取りは弛く怠惰的であり、真っ黒な服装と真っ黒な髪とは対照的な陽に焼けていない真っ白な肌が、彼を吸血鬼だと証明するには十分で。
そんな雪人の少しだけ浮世離れした姿をポツポツと等間隔に並ぶ橙の街灯が照らしている。
しかし週末の金曜日だからか街は普段よりも人や車で溢れており、雪人はすれ違う多種多様な人々の血の匂いが鼻につきながらも、保冷バッグをしっかりと握った。
雪人は元来から人に直接噛み付いて血を吸うという行為が好きではない。だからこそ味の良し悪しを抜きにすればこの血液パックで事足りている今が自身のなかで最善であり、そして純血ながらも吸血鬼としての本能が低いのか、自制を無くし誰かに噛み付いた事もなく。
それなので雪人は、どうかこのまま吸血鬼に寛容な世の中であり続けてくれ。といずれまた変わると分かりきっている世の中を憂いながらも願わずにはいられず、そんな事をぼんやりと考えていればいつの間にか自身が住んでいるマンションへと辿り着いていた。
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