吸血鬼、恋を知る。

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 閑静な住宅街に佇む、大きなマンション。

 音楽プロデューサーとしてある程度成功を収めている雪人はこの防音設備がしっかりしているマンションを気に入っており、そこで作曲をする事がほぼである。
 それ以外はただ寝るためだけの部屋と化しているが、それでも安寧の地だ。とエントランスを抜けエレベーターへと乗り込み、ようやく雪人は自身の家へと帰った。
 鍵を開けば当たり前だが室内は暗く、歩くのに合わせ点々と電気を付けながら直ぐ様キッチンの冷蔵庫へと向かった雪人は、血液センターからありがたく受け取った血液パックを保存するため、冷蔵庫を開けた。


 大きな冷蔵庫の中には、吸血鬼だとて味覚はあると証明するよう、意外にも様々な食材が入っている。
 勿論血液以外からは栄養が取れぬ純潔の吸血鬼であるため腹の足しにはならないが、人生には娯楽が必要だ。なんて常々考えている雪人は存外に料理をするのも好きであるし、ただただ味を楽しむためだけの食事を好んでいる。
 それなのでそんな食材で溢れている冷蔵庫の中に先ほど多めに買った血液パックをぎゅうぎゅうに詰め込んだ雪人は、それからようやくジャケットを脱ぎ、キッチンカウンターの椅子の背へと掛けた。

 当たり前だが、雪人以外の存在がない室内はしんと静まり返っていて。
 広々とした家はモダンでシックな家具が揃えられており、雪人は寛ごうとソファに座ったが、しかし腕時計を見ては少しだけ顔をしかめた。

 時計は、午後の七時過ぎを指している。

 それにガリガリと髪の毛を掻きながら、そろそろ来るだろうか。だなんて雪人は青白い顔を更に覇気なくさせながらも、一週間前に突然同じ純血の吸血鬼であり、従兄弟でもある優和ゆうわから連絡を受けた内容を思い出していた。



『あ、雪人さん、元気ですか?』
『ああ。お前は?』
『俺も元気です!』
『ああそう……。で、なに』
『ちょっと雪人さん。なんでそんな嫌そうな声出すんですか』
『お前が連絡してくる時は大概がろくでもないお願い事を頼もうとしてるからに決まってるだろ』
『えぇ、酷い 』
『酷い? どの口が言ってんだ。俺は未だに五十年前、お前がふらっと旅行に行って拾ってきた物の中から不発弾が出てきたとか言って俺に処理させた事覚えてるからな。失敗して俺が弾け飛んでたら、お前を殺してたぞ』
『雪人さんも死なないし俺も死なないじゃん』
『そういう問題じゃないだろうが』
『まぁまぁ。なら今回はそれよりずっと物凄く簡単なお願いだから、大丈夫ですよね?』
『お前ほんとどういう神経してんだ』
『あのね、』
『おい待て、まだ聞いてやるなんて一言も、』
『俺の友人がちょっと困ってて。それを助けて欲しいんです』
『……ハァ。……なに、友人?』
『ふふっ。はい。雪人さんが今住んでるところって、東京の有名な芸術大学の近くですよね?』
『は? あぁ……、まぁそうだけど』
『俺の友達、今そこの大学に通ってるんですよ』
『……で?』
『で、その子大学の近くのアパートで一人暮らししてたんですけど、上の階の人がお風呂の水を出しっぱなしにして旅行に出掛けてたみたいで。そのせいでその子の部屋の配管とか配線? とかそういうのも一緒に駄目になっちゃったらしいんですよね。部屋の中はなんとも無かったらしいんですけど、洗面所とか風呂場の電気も何も付かないしトイレの水も流せないしで住めなくなっちゃったみたいで。だからちょっと、その配管とか配線とかの工事の間のニ、三ヶ月だけなんでその子を雪人さんの家に居候させてあげて欲しいんです』
『うん、絶対嫌』
『あははっ、でももうその子に雪人さんの住所教えて話は通してあるって言っちゃってるんですけど』
『はぁ!?  お前ほんとっ、まじでっ、』
『わはっ! 怒らないでくださいよ! まぁ、だから来週の金曜日の夜七時半にその子が雪人さんの家に来ると思うんで、少しの間面倒見てあげてくださいね、雪人さん!』
『ちょっと待て、ていうかお前の家に泊めれば良いだろ?』
『無理です。俺今からパリに行こうと思ってるんで』
『はぁ!?』
『それに俺の家より雪人さんの家の方が大学に近いし、雪人さん優しいからその子にとって俺と住むよりずっと快適だろうなと思ったんですもん』
『俺の意思は無視かよ』
『パリから帰ってきたらちゃんとお礼のお土産渡しますから』
『ふざけんな』
『頼みましたよ? じゃあまたね、雪人さん!』
『は? おい、まだ分かったなんて一言も、ちょっ、』


 その後雪人の耳に響いてきたのは優和の低く、だが柔らかな声ではなくブツリと切れた電話のツーツーという音だけで。
 それに携帯を握り締め叩き割りたくなりながらも、あの馬鹿に何を言っても無駄だ。と雪人は若干自暴自棄になりつつ、結局なんだかんだいつものように受け入れてやり、今現在そろそろやって来るだろう優和の友人とやらを待つ羽目になっているのである。
 しかも勝手に時間指定までされてしまったせいで、この一週間どうにかこの時間に都合を合わせるため仕事を大幅に調整したりした雪人はやはり青白い顔を更に青白くさせながらも、ちょうどタイミング良く、優和にこの部屋の番号を聞いていたのかエントランスから訪問者を知らせるブザーが鳴ったのを聞いた。

「──はい」
『あっ、あの、こんばんは! 僕、優和の友人で、』
「ああ、挨拶は後でで。今オートロック開けます。そのままこの部屋に来てください」
『っ、はい!』

 短く、そして機械越しの音声でも張りがあり、美しいと分かる男の声。
 それに雪人は音楽プロデューサーとしてピクリと片眉を小さく上げながらも、とりあえず立ち話感覚で挨拶するべきじゃない。とその男を迎え入れるべく玄関へと向かった。

 それから程なくし、ピンポン。と玄関の呼び鈴が鳴る音を聞いた雪人が特に確認するでもなく扉を開いた、その瞬間──。



「……悪い。ちょっと待ってて」

 と思わず敬語をなくし呟いた雪人は扉の向こうで自分を見ていた男になんとか言葉を掛け、思い切り強く、バタンッッ!! と扉を閉めてしまった。

 突然の奇行と無礼さをされど、知るか。とぶん投げた雪人が、慌ててポケットの中へと手を突っ込み携帯電話を取り出す。
 ……しかし鳴り響くのは虚しいダイヤル音だけで。
 それにぐしゃりと前髪を掻き毟った雪人は、ベキッと嫌な音を立てた携帯電話をそれでも鬼のような顔で睨み付け、出なかった優和を心のなかで何度も何度も絞め殺した。

 友達が人間だなんて、一言も聞いてない!!

 そう心のなかで叫んだ雪人は今一度優和を今度こそ殺すと心に誓いながら、しかし口元を手で覆った。

 人間って、それに、なんだあの男、あんな、あんな──……、

 だなんてぼんやりと内心で言い掛けた雪人はそれでもハッとし、慌てて心を落ち着かせようとブンブンと首を振りながらも、千年近く生きてきながらも生まれて初めて感じた心臓の高鳴りに翻弄されたまま、しかしいつまでも待たせてはいられないだろう。と一度深く深く深呼吸をしては扉を開いた。


「あっ、えっと、あの……」
「っ」

 雪人が扉を開いた瞬間、困惑した表情をしていた男がパッと雪人を見て言葉を紡ごうとする。

 その眼差しは、圧倒されるほど美しくて。
 それにまたしても鈍器で殴られたような衝撃を受けながらも、何よりも雪人は、目の前の男の血の匂いが駄目だ。とくらくらと眩暈がしてしまいそうになるのを耐えた。

 甘く熟れた果実のように豊潤で、濃い匂い。

 それに堪らず涎が口のなかに溜まり、生まれてこのかた特定の人間の血を飲みたいなどと思ったことが無かった雪人は、……嘘だろ……。とまるでボディブローを食らったかのようよろけながらも、とりあえずこんな寒い廊下に立たせて置くわけにはいかないと、なけなしの理性や良心を手繰り寄せ、男を部屋の中へと招き入れたのだった。




 
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