ブリュー・デ・ブリュー

蒼月さわ

文字の大きさ
4 / 35

3

しおりを挟む
 周りは長身の選手ばかりなので、背の低さは逆に目立つ。大人の群れに迷いこんだ子犬のような感じだ。極東から連れてこられた子犬が、置いていかれないように一生懸命走っている。
 レインは首をまわして、隣へ顔を向けていた。何かおしゃべりでもしているのだろう。
 私は走ることに集中した。
 およそ一時間後、グラウンドへ戻った。みんなロードレースを完走した市民ランナーのように、地面に座り込んでいる。ありがたいことに、午前中の練習はここで終了した。一時間後に再開である。
 食堂は宿舎と通路で繋がっていて、外からでも出入り可能である。客人を優しく出迎えるような雰囲気の白煉瓦造りの建物へ入ると、胃袋をくすぐるような匂いが充満していた。食事は全て、クラブの栄養士たちが私たちの肉体を考えて用意してくれている。一昔前と違い、摂取する栄養によって、選手生活の寿命が伸びているのだから、食事の内容は重要だ。
 食堂のフロアは広かった。各自それぞれ自由にテーブルに座っている。私もクリーム色の受け皿に柔らかいパンや熱々の鶏肉をとり、トマトやキャベツやニンジンを刻んだサラダを多めにとって、空いているテーブルに落ち着いた。
 すると、隣のテーブルにいたポーティロが、紅茶のはいった白いティーカップを置き、すぐににじり寄ってきた。

「おい、あいつの話、聞いたか」

 小声が振った方向には、レインと日本人が隣同士で座っていた。

「あいつが、スポンサーの後押しで、このクラブに入団したって話は本当か」

 押し殺した声で囁いてきた。私は二人の背中に視線を投げて、ちらりとポーティロにも目をやった。右サイドバックを守るディフェンダーの彼は、二年前にノーザンプールへやって来た。それまでは、小さなクラブを転々とまわってきたのである。

「クラブが日本企業とスポンサー契約を交わしたんだろう? その時に、日本人を一人チームに入れる契約を結んだそうだ。実力は関係なしにな」

 私はテーブルに置いた昼食を見ながら、ゆっくりと考えをめぐらした。昨日の自主練習にポーティロはいなかったはずだ。

「彼は、日本を代表するストライカーだそうだよ」

 バーン監督から教えられたことを、そのまま伝えた。

「実力がないとは言えない。それにとても幸運だったんだ」
「そうだな、宝くじにでも当たったようなものなんだろうな。羨ましいぜ」

 このリーズ育ちのディフェンダーが、赤と白のユニフォームに袖をとおすのにかかった年月は、およそ八年だ。

「あのジャパニーズが入って、ピエールが売られていった。まったく、いい買い物をしたものさ、うちのクラブも」

 ポーティロは投げつけるように言って、私を見た。ロンドンの空模様にも似た灰色の瞳が、抉るように私を見据えてくる。

「その話は誰に聞いたんだい?」
「ギルだ。だけど、みんな噂しあっているぜ」

 まるでウィルスが散らばっているかのように聞こえた。
 私はパンを千切って、口にいれた。窓際にいる二人の若者たちは、仲良さそうだった。互いに顔を向けあい、笑いあっている。特にレインが手振り身振りを交えて、積極的に話しかけている様子だ。

「やってられないぜ」

 ポーティロはそう吐き捨てると、私から離れた。椅子に座りなおし、心を静めようとするかのようにティーカップに口をつける。
 ポーティロの苛立ちは、私にも手にとるようにわかった。だが今私にできるのは、目の前の食事を食べ終えることだけだ。
 一時間はあっというまに終了し、午後からはピッチ上でミニゲームをすることになった。
 バーン監督の指示に従って、我々は二つのチームに分かれた。赤いユニフォームのチームと白いユニフォームのチームである。私は白になった。
 主審はランドンコーチである。試合開始の笛が高々と吹かれた。
 私は前方からパスされたボールを足でとめた。ピッチ上の芝生はいい状態である。
 ボールを蹴って走った。敵味方に分かれたチームメイトたちの動きにも、気を配る。ボールを蹴るのは久しぶりだったが、ありがたいことに私の両足は感覚を忘れていなかったようだ。
 左サイドを走るケリーにボールを流した。アイルランド人のケリーは、「スピード」とのあだ名に相応しい素早さで敵陣地に切り込んでいき、ゴール前付近で高くボールを蹴りあげる。その先にはゲイリーがいて、良いタイミングでヘディングシュートをしたが、ノーザンプールの番人であるキーパーのヴァレッティに防がれてしまった。
 イタリア人では珍しく海を渡ったヴァレッティは、両手でボールを抱え込むと、ディフェンダーに指示を出し、スターンの足元へボールを送った。アフリカ系イングランド人であるスターンは、豹が獲物を追いかけるようにドリブルをする。中盤にはミッドフィルダーのヒューズがいて、スターンからパスを受けると、同じポジションのバートンともども我々のゴールを狙ってきた。
 私も黙ってはいられない。相手チームのフォワード二人は、ゴール前でうろついている。一人はレインだ。ヒューズはボールを蹴ったが、キャプテンのエヴァレットが見事にボールを奪い、右サイドハーフにいた選手へ繋げた。新しくチームに加入した選手だ。ブラジル出身のミッドフィルダーである。タンバリンでも叩くかのように弾んだ足さばきで、キレのあるドリブルをした。彼は私の動きにも注意を払ってくれていて、中盤で走っている位置を確認すると、ボールを回してくれた。
 私はそのボールをゴール前まで運んでいった。ゲイリーたちにはしっかりとガードがついている。格闘家のように構えるヴァレッティも見えた。ボールを取ろうとしたディフェダーのハッセルベイクを抜き去り、コーナー前からミドルシュートを打った。だが、ゴールポストに当たってしまった。

「惜しいな! ヴィク!」

 私は額に手をやって、思わず空を仰いだ。
 やはり両チームとも、バカンス帰りなので動きは鈍い。それでも監督は白いライン際に立って、両腕を組んでいる。背広を着てネクタイを締めれば、本物の学校長のようだ。
 ボールは相手チームのものになり、バートンが司令塔となって、指示を出している。ケリーが自慢の速さでボールを取りにいくが、他のチームメイトとパスを繰り返し、ディフェンダー陣の隙を突いて、レインが走りこんだ。だが、ボールはゴールラインの外へと飛び出た。私が邪魔したからだ。
 私と共に中盤にいるドュートルは、フランス人である。だがブルターニュ生まれのせいか、非常に頑固で融通が利かない。まるでアレクサンドル・デュマが書いた三銃士に出てくるダルタニヤンのようだ。私たちの攻撃になり、ブラジル人からボールをパスされても、周囲にはまわさず、ドリブルで切り込んでゆく。ディフェンダーのベルナルドが壁のように立ちはだかっても、それは変わらない。ピエールと一緒に、あの頭の硬いダルタニヤンとからかった記憶は楽しい想い出の一つだが、やはりボールを奪われてしまった。
 奪ったのはハッセルベイクだが、そのボールをヒューズに回そうとした隙をついて、私が足を出し、ボールを横へ押し出した。そこにはゲイリーが走りこんできている。ゲイリーは力強くシュートした。
 しかし、ヴァレッティが激しく反応し、ボールを胸にあてた。ボールは跳ね返り、ラースが素早く足を繰り出す。だが、ヴァレッティがカミカゼを起こし、ボールの上に覆いかぶさった。ラースはむなしく、ヴァレッティの肩を蹴っただけで終わった。
 その後同じような展開がゲームを支配し、どちらも一点を取れないまま前半は終わった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

処理中です...