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翌々日から、再び練習が始まった。
バーン監督は普段どおりだった。一昨日の試合のあとで起こった諍いを耳にしているのかはわからないが、いつもと変らぬ熱心さで我々を指導した。
チームメイトも変りはなかった。簡単に体をほぐし、ランニングをしたあとで、パスやドリブルなど基礎練習に入る。コーチが作成した練習メニューをこなし、午後はミニゲームをした。
変ったことといえば、一つだけあった。アイだ。
紅白に分かれてミニゲームをしている最中、アイがディフェンダーのヨハンソンに激しいタックルをかけられ、転倒した。今までのアイならば、ヨハンソンに猛然と反発したはずだが、差し伸べられた手で起きあがり、握手をして終わった。それ以外の場面でも、アイは落ち着いていた。
「最初の頃に戻ったようだな」
休憩中、ミネラルウォーターが入ったボトルに口をつけながら、ゲイリーが言った。同感だった。このクラブへ入団した当初のアイが戻ってきた。
「本当に良かったよ」
アイはレインだけでなく、お喋りヒューズや同期のペレイラとも仲良く会話していた。他のチームメイトともコミュニケーションを取る努力を始めている。
「ま、難敵はいるけどな」
ギルとポーティロだけは相変わらず距離をおいていた。
「あの二人を黙らせるにはゴールしかないだろう」
「監督が出場させてくれるといいけどな」
私は小さくため息をついた。アイはチームメイトと喧嘩をしての退場という、最も愚かしい行為をしてしまったのだ。例えそれがポーティロの挑発だったとしても、事実は事実だ。クラブも二人への処分を検討していると聞く。せめて罰金だけにして欲しい。
「バーン監督は、選手を信じると言っていたよ」
「まあな。俺だったら、みんなの前でケツを叩いて終わらせるけどな」
十月最初の第八節は、アウェー試合だ。ロンドンのラージックスタジアムのドレッシングルームには、出場停止処分中の選手を除いた全員が集まった。
「アウェーでの試合だが、いい感じだ。みんな気持ちを一つにして、戦おう」
バーン監督の言葉に背を打たれ、私を含む十一人はピッチに立った。相手の「フォークス」は、現在第五位につけているが、リーグ成績第四位のクラブまで出場できる来季のチャンピオンズリーグに狙いを定めているため、激しい試合内容になるのは間違いなかった。紫色のユニフォームと並んで、観客の凄まじいブーイングを浴びながら、私は観客席にいるはずのアイを思った。
試合は、結果的には四対〇の大勝で終えた。まるで今までの鬱憤を晴らすかのような、鮮やかな勝利だった。試合終了のホイッスルと同時に、私たちは抱きあって喜び、ドレッシングルームはお祭り騒ぎになった。
しかしバーン監督が入室し、手を叩くと、私たちの喜びは終わった。監督の表情は厳しかった。同時刻に行われた他の試合で、ハイリーも勝利をおさめ、プレミアの首位を維持した。私たちはまだ二位である。このライバルを蹴落とさなければ、優勝は夢で終わる。
「今日の試合は、理想どおりだった。我々のゲームをした。今日のような試合をしていけば、必ず勝てる」
私たちは監督の言葉を胸に仕舞った。私自身手ごたえを掴んでいた。我々は復活できる。
「お前も調子が戻ったな」
帰りのバスの中でゲイリーが笑った。私も微笑した。久々にフリーキックが決まったので、気持ちが良かった。
次の第九節、第十節ともに、ノーザンプールは勝利した。新聞やサッカー情報誌には、不調を脱出という文字が躍り、チームメイトが殴りあって新たに結束したという無責任なゴシップまで載った。私はチームの司令塔として、勝利に貢献できた。
だが、アイは試合に出場できない日々が続いた。クラブ側の処分はありがたいことに罰金で済んだが、出場停止処分のあけたポーティロが、すぐにピッチに立ったのとは対照的に、ベンチを温める時間が多くなった。
「アイ、頑張るって言っていた。バーン監督の信頼を取り戻すんだってさ」
レインが練習の合間にこっそりと教えてくれた。私は彼の直向さを監督にぜひ知って欲しかった。手のひらにあったみずみずしさが甦ったのだ。
翌週の日曜日、私たちはセント・ルイーズ・スタジアムに集合した。第十一節はホーム試合である。キックオフは午後三時だが、その二時間前には怪我や病気で欠場するチームメイトを覗いた全員が顔を揃え、ミーティングやストレッチなどに時間を費やした。相手は、現在第三位のアリーナである。私たちがもたついている間に、不気味に勝ち点をあげてきた。けして侮ってはいけないチームである。ミーティングでのランドンコーチの話も、その点を強調していた。
「アリーナは、前期失点をし続けた反省を踏まえて、脆弱だったディフェンダー陣を強固にした。フランスやオランダの代表選手を獲得し、過度の失点を抑えている。元々攻撃中心のチームなので、弱点をカヴァーした結果、第三位という成績は偶然ではないだろう。ハイリー同様に、目が離せないチームだ」
アリーナがどういうチームかは、週のはじめに配られたレポートで各自予習していた。ディフェンダーには、私のよく知るローランの名前があった。フランス代表チームのセンターバックで、レポートにはゴール前での強いプレッシングと破壊的な強さで相手のフォワードの動きを削るとある。そのとおりだ。ローランは手強い。
「たとえどれほど強力なディフェンスラインを築いても、必ず穴はできる。我々はサイド攻撃ができて、中央突破もできる力がある。相手はおそらく三トップで攻撃をしかけてくると思うが、そのぶん中盤の脆さが目立っている。我々も相手のペースを撹乱し、ゴールを奪うんだ。この試合は、早い時間に先制点を奪った方が勝利するだろう。ハイリーが敗れた以上、我々にとっては絶対に落とせない一戦だ」
前日にも行われた試合で、なんとハイリーは一対〇で敗戦していた。しかも負けた相手は最下位のランバートンである。ハイリーに何があったのかは興味もないが、重要なのは我々がこの一戦に勝利すれば勝ち点三をあげ、順位が入れ替わるということだ。ノーザンプールは再び首位に返り咲く。
バーン監督は先発メンバーを発表した。
「ゲイリー、レイン、ヴィクトール、バートン、ギル、ケリー、スターン、ハッセルベイク、エヴァレット、ポーティロ、ヴァレッティ。以上」
やはりアイは呼ばれなかった。残念な気持ちがこぼれた水のように広がったが、隅に立つアイに気落ちした様子は見られなかった。
やがてスタッフが開始間近を告げた。監督がにっこりと笑った。
「さあ、サッカーを楽しもうじゃないか」
「イエス、サー。今日はエキサイトさせますよ。ダイエットしなくてもいいくらいにね」
ゲイリーのジョークには、チームメイトはもとより、監督も苦笑した。
私は気持ちをすっきりさせるため、入場前に顔を洗いに行った。手でクリーム色のドアを押し開けると、先客がいた。背番号二十一番。アイだ。手を洗っている。
私は咳払いをした。それでアイが頭をあげて、背後を振り返った。
「精神を集中させているのかい?」
間抜けなことを聞いたと思ったが、他にかける言葉が頭に浮かばなかった。
「はい」
アイは――驚いたことに、素直に応じてくれた。
「いつ監督に呼ばれてもいいように」
「それは大切なことだ。監督は君を信頼しているから、大事な局面でピッチに投入されるかもしれないね」
アイは無言で手を洗い続けた。私も引き寄せられるようにその隣に立って、水道の蛇口をひねった。
「この前は、私を庇ってくれてありがとう」
ぜひ言っておきたかった。
「別に……庇ったわけじゃないです」
アイは相変わらずだった。手を濡らしながら、苦笑を洩らした。
「いや、私が本当に悪いんだよ……すまないことをしたね」
アイは蛇口を閉めて、両手を振った。小さな水滴が落ちる。
「初めてなんだ、チームメイトにキスをしたのは」
アイが両手を止めて、驚いたように私を振り返った。私はその美しい瞳へ微笑んだ。
「君が今するべきことは、自分を信じることだ。必ずピッチに立てる。信じるんだ」
私も蛇口を閉めて水滴を振り払うと、後は振り返らず、その場を出た。その足でピッチの入場口に向かった。肝心の目的を忘れていたが、試合に集中しなくてはいけない。心臓が底なし沼で溺れているが、頭と心からアイの存在を消した。
バーン監督は普段どおりだった。一昨日の試合のあとで起こった諍いを耳にしているのかはわからないが、いつもと変らぬ熱心さで我々を指導した。
チームメイトも変りはなかった。簡単に体をほぐし、ランニングをしたあとで、パスやドリブルなど基礎練習に入る。コーチが作成した練習メニューをこなし、午後はミニゲームをした。
変ったことといえば、一つだけあった。アイだ。
紅白に分かれてミニゲームをしている最中、アイがディフェンダーのヨハンソンに激しいタックルをかけられ、転倒した。今までのアイならば、ヨハンソンに猛然と反発したはずだが、差し伸べられた手で起きあがり、握手をして終わった。それ以外の場面でも、アイは落ち着いていた。
「最初の頃に戻ったようだな」
休憩中、ミネラルウォーターが入ったボトルに口をつけながら、ゲイリーが言った。同感だった。このクラブへ入団した当初のアイが戻ってきた。
「本当に良かったよ」
アイはレインだけでなく、お喋りヒューズや同期のペレイラとも仲良く会話していた。他のチームメイトともコミュニケーションを取る努力を始めている。
「ま、難敵はいるけどな」
ギルとポーティロだけは相変わらず距離をおいていた。
「あの二人を黙らせるにはゴールしかないだろう」
「監督が出場させてくれるといいけどな」
私は小さくため息をついた。アイはチームメイトと喧嘩をしての退場という、最も愚かしい行為をしてしまったのだ。例えそれがポーティロの挑発だったとしても、事実は事実だ。クラブも二人への処分を検討していると聞く。せめて罰金だけにして欲しい。
「バーン監督は、選手を信じると言っていたよ」
「まあな。俺だったら、みんなの前でケツを叩いて終わらせるけどな」
十月最初の第八節は、アウェー試合だ。ロンドンのラージックスタジアムのドレッシングルームには、出場停止処分中の選手を除いた全員が集まった。
「アウェーでの試合だが、いい感じだ。みんな気持ちを一つにして、戦おう」
バーン監督の言葉に背を打たれ、私を含む十一人はピッチに立った。相手の「フォークス」は、現在第五位につけているが、リーグ成績第四位のクラブまで出場できる来季のチャンピオンズリーグに狙いを定めているため、激しい試合内容になるのは間違いなかった。紫色のユニフォームと並んで、観客の凄まじいブーイングを浴びながら、私は観客席にいるはずのアイを思った。
試合は、結果的には四対〇の大勝で終えた。まるで今までの鬱憤を晴らすかのような、鮮やかな勝利だった。試合終了のホイッスルと同時に、私たちは抱きあって喜び、ドレッシングルームはお祭り騒ぎになった。
しかしバーン監督が入室し、手を叩くと、私たちの喜びは終わった。監督の表情は厳しかった。同時刻に行われた他の試合で、ハイリーも勝利をおさめ、プレミアの首位を維持した。私たちはまだ二位である。このライバルを蹴落とさなければ、優勝は夢で終わる。
「今日の試合は、理想どおりだった。我々のゲームをした。今日のような試合をしていけば、必ず勝てる」
私たちは監督の言葉を胸に仕舞った。私自身手ごたえを掴んでいた。我々は復活できる。
「お前も調子が戻ったな」
帰りのバスの中でゲイリーが笑った。私も微笑した。久々にフリーキックが決まったので、気持ちが良かった。
次の第九節、第十節ともに、ノーザンプールは勝利した。新聞やサッカー情報誌には、不調を脱出という文字が躍り、チームメイトが殴りあって新たに結束したという無責任なゴシップまで載った。私はチームの司令塔として、勝利に貢献できた。
だが、アイは試合に出場できない日々が続いた。クラブ側の処分はありがたいことに罰金で済んだが、出場停止処分のあけたポーティロが、すぐにピッチに立ったのとは対照的に、ベンチを温める時間が多くなった。
「アイ、頑張るって言っていた。バーン監督の信頼を取り戻すんだってさ」
レインが練習の合間にこっそりと教えてくれた。私は彼の直向さを監督にぜひ知って欲しかった。手のひらにあったみずみずしさが甦ったのだ。
翌週の日曜日、私たちはセント・ルイーズ・スタジアムに集合した。第十一節はホーム試合である。キックオフは午後三時だが、その二時間前には怪我や病気で欠場するチームメイトを覗いた全員が顔を揃え、ミーティングやストレッチなどに時間を費やした。相手は、現在第三位のアリーナである。私たちがもたついている間に、不気味に勝ち点をあげてきた。けして侮ってはいけないチームである。ミーティングでのランドンコーチの話も、その点を強調していた。
「アリーナは、前期失点をし続けた反省を踏まえて、脆弱だったディフェンダー陣を強固にした。フランスやオランダの代表選手を獲得し、過度の失点を抑えている。元々攻撃中心のチームなので、弱点をカヴァーした結果、第三位という成績は偶然ではないだろう。ハイリー同様に、目が離せないチームだ」
アリーナがどういうチームかは、週のはじめに配られたレポートで各自予習していた。ディフェンダーには、私のよく知るローランの名前があった。フランス代表チームのセンターバックで、レポートにはゴール前での強いプレッシングと破壊的な強さで相手のフォワードの動きを削るとある。そのとおりだ。ローランは手強い。
「たとえどれほど強力なディフェンスラインを築いても、必ず穴はできる。我々はサイド攻撃ができて、中央突破もできる力がある。相手はおそらく三トップで攻撃をしかけてくると思うが、そのぶん中盤の脆さが目立っている。我々も相手のペースを撹乱し、ゴールを奪うんだ。この試合は、早い時間に先制点を奪った方が勝利するだろう。ハイリーが敗れた以上、我々にとっては絶対に落とせない一戦だ」
前日にも行われた試合で、なんとハイリーは一対〇で敗戦していた。しかも負けた相手は最下位のランバートンである。ハイリーに何があったのかは興味もないが、重要なのは我々がこの一戦に勝利すれば勝ち点三をあげ、順位が入れ替わるということだ。ノーザンプールは再び首位に返り咲く。
バーン監督は先発メンバーを発表した。
「ゲイリー、レイン、ヴィクトール、バートン、ギル、ケリー、スターン、ハッセルベイク、エヴァレット、ポーティロ、ヴァレッティ。以上」
やはりアイは呼ばれなかった。残念な気持ちがこぼれた水のように広がったが、隅に立つアイに気落ちした様子は見られなかった。
やがてスタッフが開始間近を告げた。監督がにっこりと笑った。
「さあ、サッカーを楽しもうじゃないか」
「イエス、サー。今日はエキサイトさせますよ。ダイエットしなくてもいいくらいにね」
ゲイリーのジョークには、チームメイトはもとより、監督も苦笑した。
私は気持ちをすっきりさせるため、入場前に顔を洗いに行った。手でクリーム色のドアを押し開けると、先客がいた。背番号二十一番。アイだ。手を洗っている。
私は咳払いをした。それでアイが頭をあげて、背後を振り返った。
「精神を集中させているのかい?」
間抜けなことを聞いたと思ったが、他にかける言葉が頭に浮かばなかった。
「はい」
アイは――驚いたことに、素直に応じてくれた。
「いつ監督に呼ばれてもいいように」
「それは大切なことだ。監督は君を信頼しているから、大事な局面でピッチに投入されるかもしれないね」
アイは無言で手を洗い続けた。私も引き寄せられるようにその隣に立って、水道の蛇口をひねった。
「この前は、私を庇ってくれてありがとう」
ぜひ言っておきたかった。
「別に……庇ったわけじゃないです」
アイは相変わらずだった。手を濡らしながら、苦笑を洩らした。
「いや、私が本当に悪いんだよ……すまないことをしたね」
アイは蛇口を閉めて、両手を振った。小さな水滴が落ちる。
「初めてなんだ、チームメイトにキスをしたのは」
アイが両手を止めて、驚いたように私を振り返った。私はその美しい瞳へ微笑んだ。
「君が今するべきことは、自分を信じることだ。必ずピッチに立てる。信じるんだ」
私も蛇口を閉めて水滴を振り払うと、後は振り返らず、その場を出た。その足でピッチの入場口に向かった。肝心の目的を忘れていたが、試合に集中しなくてはいけない。心臓が底なし沼で溺れているが、頭と心からアイの存在を消した。
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