貴方の側にずっと

麻実

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偶然

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雨がしとしと降っている。

「そのワンピース素敵だね。黒い髪がよく映えるよ」
レストランでワインを傾けながら土方くん、いや孝介に
優しい笑顔でそう言われ、絹子は嬉しくて堪らない。
男性に誉められるのは何年ぶりだろうか。

お互いの十五の春を知っている、気のおけなさで話が弾む。
それでも、孝介の離婚の事と、絹子の近況だけはものの見事に話題にしない。
そんな心遣いをお互い感じとりながら食事を終える。

「一緒に旅行に行かないか?」
「え?」
孝介の言葉に息を呑む。

「行くわ!」
いつの間にか笑顔で返事している絹子だった。

優しくてでダンディな孝介さんとなら…
絹子になんの迷いもなかった。





今年は空梅雨なのだろうか。

晴れて気持ちの良い土曜日に、絹子は孝介の車で伊豆に向かう。男性とドライブしたことのない絹子は、初めての助手席ナビさえ楽しくて。
景色とお喋りを楽しんでいるうちに宿の駐車場に到着した。
スーツケースを引いて宿の入り口をくぐると
フロントに見たような後ろ姿がある。

「ええっ‼」

ずんぐりむっくりした背格好は夫に違いない。隣には夫にしなだれ掛かる女がいた。

絹子が誰と何処に行こうと興味がないことに気が付いてから、絹子は夫同様、何も言わなくなった。
今日も夫は絹子より先に、大きな鞄を背負って出ていった。

まさか同じ宿で出会うとは。

「ひょっとして、あそこの人達って?」
小声で孝介が囁いた。
絹子の様子で判ったらしい。
微かに頷く絹子の肩を優しく抱きしめてから、二人の後ろに並ぶ孝介。
肩幅が廣く背が高い彼に隠れて、絹子の姿は夫からは見えなさそうだ。
「このままやり過ごすことが出来るかしら?」

すると孝介が、傍らの使い込まれたスーツケースを眺めながら、いつもの穏やかな口調で女に話掛けた。

「ご夫婦で旅行ですか?旅慣れていらっしゃるようですね」
「毎年、旅行に行くようになってもう四年目だわ。ねえ、てっちゃん」

嬉しそうな女に同意を求められて、夫の哲也が生返事をしている。
どうも夫は、自分の住所が思い出せないようだ。
新しい女に夢中になると古女房のいる住所さえ忘れるのだろうか・・。
妻の欄は『トシ子』と書かれているが住所欄が空白のまま。

思わず絹子は進み出て、言ってしまった。

「中央5-6-12ですよ」
「な、なんでお前・・・!?」

夫は顔を歪めたまま固まっている。
女が絹子と夫の様子を見比べて、自ずと答えが出たらしい。ひきつった顔で荷物を引いて宿から出ていった。
「おいっ!  おいっ!」
呆けたように見ていた夫が慌てて女の後を追った。


孝介が笑いを堪えて囁いた。
「絹子さん、ナイスショット」

孝介さん、何も言わないのになんて察しがいいのかしら。出きる男は違うわね。
と口には出さないけど感激する。

「僕との会話は録音したから証拠になるよ。必要な時はいつでも言って」

ああ! あの女の人、夫と旅行に行くのが四年目と言ってたわ。四年前から不倫していると自分で言っているのよね。
孝介さんこそ Good job だわ!

「ありがとう!」
絹子は孝介に抱きついた。



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