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そこに愛はあるのか

♨善処とは

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 周りがいくらわあわあ騒いでいても、結局のところ、自分と紫藤の関係っていうのをソラは計りかねている。
 たとえ、紫藤に必要とされなくても紫藤の隣で胸を張っていられるかどうか、答えられる自信がない。紫藤が好きだから傍にいたいと、凄くシンプルにそう思えたら良いけれど……。


(先輩、どうしてるかな)
 母さんから送られてきた本一色を郵便で返し終えて、ソラは学園全体――大学部、高等部両者――の入り口である正門を抜けて、西門を目指していた。
 一年生の教室は西棟にあるので、正門から入るのが一番の近道なのだ。西門を行く途中には、駐車場があり、その先に実技棟が拝める。ソラは左前方に聳える、白い棟を眺めながらしばらく歩いていた。

《ソラ、お前、暫くここに来るな》
 家のいざこざをどうにかして来い、と紫藤は言ったけれど、集中して絵を描くのにソラが傍にいれば気が散る、ということも少なからずあると思う。だとするなら、紫藤の気づかいに預かって、ソラは素直に自分の家のことだけ考えていればいいのだろう。

でも――
(やっぱりチラッと様子だけ見てこよう)
 実技棟に居ないなら居ないでいい。居たなら、少し挨拶だけして帰ってくればいい。
 ソラは実技棟に向かって歩き出した、


 昼時の実技棟は、人でごった返していた。勤勉な音楽科の学生は練習室にこもって、課題曲を仕上げているようだし、軽音楽部らしき、髪の派手な連中は、廊下に屯して話しをしている。高等部にも大学部にも開けた棟だということが一目瞭然だ。
 ソラは三階を目指して階段をあがっていった。
 そして途中、ある大学生に声をかけられた。
 上の階から降りてきたその生徒は、ソラを見ると、軽い会釈をして、やあと声をかけてきた。何だか見覚えがあるひとだな、とソラは思い、会釈し返す。
「クロウさんに会いに来たんですか?」
 そう尋ねられ、初めて、前に紫藤を連行して言ったあの男だということが判った。
「え、と、まあそうなんですけど……」
 ソラが言うと、男は鋭い目つきになって、一言。
「やめたほうがいいですよ」
 ぴしゃりとそう言う。
「どうしてですか……?」
「クロウさんのところへは、さっきちょうど女神が訪いを告げたようなので」
「女神、ですか?」
「はい。作品の幸先を占う女神です。言ってみれば、クロウさんは好調ですよ。きっと今日中にでも完成するでしょう」
「そっか、良かったです……」
 ソラは肩を撫で下ろす。矢継ぎ早に、男は続ける。
「けれど、ショックを受けたくないのなら、今クロウさんのところへは行かない方が賢明ですよ」
「それってどういうことですか?先輩のところへ言っちゃいけないなんて……」
 ソラが言うや否や、男は、それはそれは柔和に一笑すると、不意にソラの耳元へ囁いた。
「な――」
「それでも、クロウさんの傍に居れる自信が君にはありますか?」
「それは……」
「答えられないのなら、クロウさんに近づかない方が良いですよ。君が辛いだけです」
「……」
「本人はこういうとぶーたれますが、クロウさんはやっぱり天才だと俺は思いますから」
 男の言葉で、ソラは気づいた。ずっと気にかかっていたけれど、自発的には問題に出来なかった自分と紫藤との問題に。
 ソラは踵を返す。自分は甘かったと思った。
「それが善処ですよ」
「違います」
 ソラは振り返る。
「どういうことですか?」
「おれには今やらなきゃいけないことがあります。それは先輩にもちゃんと決着して来いって言われたことだから、ちゃんと片づけなきゃいけない。今は、そっちに専念します」
「そうですか」
「――でも。すぐに、ここに戻ってくる」
 ソラはまっすぐに男を見つめる。
「先輩の隣に」
「頼もしいですね」
「そのときには、必ず答えてみせます」

 ソラが言うと、男は笑う。そのままソラは振り返ることなく、真っすぐ教室へ帰った。
 悔しいけれど、今すぐに、あの男の問いに答えることは出来ない。自信がない。怖い。紫藤と自分とを繋ぎとめている一点が、今すぐにでも剥がれ落ちてしまいそうに思えた。
 問いに答えることは、きっと今出来ることじゃない。自分に今出来ることは、家の問題を解決することだ。たとえそれが、紫藤とのことに直結しないとしても、自分できることを一つ一つ確認することは、無駄ではない気がした。
あの、忌まわしき会社の後継者問題を片づけなくてはいけない。


 帰宅すると、ソラは母さんに一報を入れ、実家に戻る手はずを整えた。れみの家のダイニングテーブルの上に、二人への書置きをして、ソラはれみの家を出た。余計な荷物は必要ない。
 今日中に戻ってくるつもりだからだ。
あの頑固な母さんと、あの……語るもおぞましい父さんを説きふせるのは至難の業だ。でもそれが出来なければ……
『――それでも、クロウさんの傍に居れる自信が君はありますか?』
(それに答えられないから……)
 それにソラが戻らなくたって、母さんはいずれ、誰かをこちらに寄こして、無理にでもソラを帰還させるだろう。
だったら、こっちから挑んで覚悟の程を見せつけたやればいい。ソラはそういう意気込みで、タクシーを拾うと、家への道のりを運転手に告げた。



 母さんの苦手なところは列挙しても片手程だけれど、父さんの苦手なところは、列挙したら日が暮れる。普段滅多に会うことがなかったから、たまに会う日のイメージが拡張されていないとも言い切れないけれど、それを加味したって、父さんは苦手だ、とソラは思っている。
 苦手にも色々種類があって、紫藤と出会ったときに感じた苦手みたいに、自分の日常が揺らいでしまうことを恐れるあまりの苦手意識みたいなものと、他に、その態度に辟易してしまうものから来るものがある、とソラは思う。父さんは間違えなく、後者だ。


 所謂高級住宅地、と呼ばれる区画のある家の前に、ソラはタクシーを止めてもらう。西日を浴び、ますます重みを増した黒松の重厚な表門にソラは臨む。
 はあ、と溜息が洩れ出でてくる。
 前回の失敗を生かして今回は、緊縛されることだけはなんとしても避けようと、誓いを立てる。
 けれど、無駄に豪奢な表門に、そこから続くソラは未だに不慣れな、枯山水の石庭、だだっ広い母屋。どれもソラの気を重くするものばかりだ。ここは父さんが去年、母さんとソラに買い与えてくれた新しい家だ。
 母さんは手放しに喜んで、父さんに恭しすぎるお礼を述べていたけれど、ソラはというと、その分不相応さに、当時も今も罪悪感すら覚える。どうせ、あの仕事で稼いだ金なのだから。



 インターホンを鳴らすと、待ちかねたように母さんが出た。
 さっさと入ってきなさいとぴしゃりと言うと、お手伝いさんをよびに出したらしく、門が開いた。おかえりなさい坊ちゃん、と歯がゆくなるような迎えの言葉をかけて、お手伝いさん――確か手塚さんといった――はソラを迎え入れてくれた。手塚さんは、前回、連行という形で連れて行かれた応接間に、ソラを案内した。
「ここに奥様がいらっしゃいます。旦那様は後ほどお見になるそうです」
「うん、わかった。ありがとう」
 そう言いながら、紫藤の家のイメージならこういうやり取りも似合いそうなもんだけど……と内心思っていた。
 ソラの家の事情からすると、こうしたお手伝いさんがいること自体滑稽にすら思えてくる。

 ソラは軽く深呼吸すると、襖戸を開いて、中に入っていった。予想に堅く母さんは定規を背中に入れているかのような見事な姿勢のままそこに座していた。ソラが入っていくと、座りなさい、と一言言い、ソラはそれにしたがって、母さんの下座の座布団に座る。見ると、母さんの横には席が用意してある。ソラは吐きそうになる溜息を何とかこらえた。
 嫌だな、淀みなくそう思う。
「ソラ、それでどうだったのかしら。アナタの大切なひとはアナタを迎え入れてくれた?」
「それはまだ、答えられないんだ。父さんの仕事のことにかたをつけるまで、答えられるかどうか判らない」
 ソラは静かに言った。母さんに付け入る隙を与えないようにしようと、タクシーの中で既に対策は練ってあった。 
 動揺したら負けだ。
 母さんはにっこりとガビガビとした化粧の顔で笑った。
「それなら良いわ。きっとソラ、アナタはこちらに天秤を傾けるに違いないのだから――あら――」

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