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第二部
怪物アイン
しおりを挟む翌朝フィアの元にやって来たゼクスは、「一日と経たずに評判が立っているな」とフィアの振る舞いへの感想を述べる。
寄宿舎に来るまでの間に、フィアがエアハルトに牙をむいた、と散々聞かされたと言うのだった。
「エアハルトには失礼なことをしてしまったわ、自然に身体が動いてしまって」
とフィアが言えば、「なるほど、身体の記憶か」と呟いてから、「ぜひ今度、お手合わせ願いたいところだ」と言うのだった。
「手合わせなんて。あなたみたいな、本物の騎士相手では無理でしょ」と言えば、「それはどうだろうな」とゼクスは気のない返事をする。
そして、ついてきて欲しい、と言うのだ。行き先を聞けば、
「まずは、怪物の様子を見に行く」
と言う。
「怪物?」
フィアの問いには答えずに、「この頃は研究所へ王の関心が向いている。あいつを預けておくことが出来ないんだ」と言うのだ。
怪物、あいつ、と言われる者は一体誰?とフィアは思う。
寄宿舎から西方面に進んでいくと、まずは緑豊かな庭園と噴水が見えてくる。そして庭園の向こうにその屋敷はあった。
「ここは?」
「シュレーベン家の屋敷だ」
「そう言えば。エアハルトは、あなたのことをシュレーベンと言っていたけれど。ここはあなたの家?」
フィアが言えば、ゼクスはため息をついた。
「そうだ。家督や権限は手放しても一向に構わないのだが。中々上手くいかない」
と不服そうに言うのだ。
庭園に差しかかったところで、頭上に影が出来た。不意にフィアが見上げれば、頭上に何者かがいるのが見え、咄嗟によける。
「お父様、遊ぼう!」
と声をあげて、小さな子どもが剣を振りながら降りてくるのが見えた。
ゼクスが子どもの攻撃を剣で受けるが、その瞬間に烈風が吹きすさぶ。フィアは足を踏みしめて、堪えるけれど、木々が根元から吹っ飛んでいくのが見えた。
凄まじい力だ。物理的な力だけではない、魔法が込められている、とフィアは思う。
「アイン、やめろ」
とゼクスが低く言うが、子どもは戯れをやめようとしない。
剣を振り回すたびに、木々が幹ごと切れてしまう。
「魔法を持っている子どもが、王都にもいるのね」
とフィアが感心していると、
「あいつを、止めてくれ」
とゼクスが言う。
子どもは間隙を与えずに斬りかかって来るのだ。止めてくれと言われても、とフィアは思うがこのままでは庭園があっという間に荒れ地になってしまう。
「お父様~!遊んでよ!ここには、遊び道具がなくてつまらないんだ!」
と子どもは言いながら、剣を振り回す。
ノインと同い年くらいだろうか、と思った。ノインの剣は冷静で合理的な動きをする。一方で目の前の子どもは自由気ままな剣だ。
フィア自身の感覚と呼応する部分があり、太刀筋が読みやすく感じた。
フィアはゼクスの手から、剣を取り、子どもの剣を受ける。
多少魔法を込めて衝撃波を当ててみた。抑制剤が身体に残っているため、それほど大きなパワーは出ない。しかし予想外だったのは、衝撃波が剣に当たらずに子どもの腹部に当たってしまったことだ。
しまった、と思ったときには、子どもは噴水の中に飛んでいってしまう。
「ごめんなさい、大丈夫!?」
慌てて駆け寄るけれど、その瞬間にざぱん、と水を飛ばしながら子どもが飛び出てきた。
「すごいパワーですね!どちら様ですか?お父様のいい人ですか?」
ぶるぶるっと犬のように身体を振るって、水を払うのだ。
「え?」
「僕をはねのけられる力のある人が現れたら、それがお父様のいい人だと、お母様が」
と言いながらその子は近づいてくるのだった。
「お父様?ゼクス、あなたの子どもなの?」
追って来たゼクスに尋ねれば、
「その通りだ、が」
ここで区切り、フィアの顔を見て言葉に詰まる。
続く言葉を待っているうちに、屋敷の中から、女性と男性が出てくるのだった。ブロンドの髪の女性と、栗毛の男性だ。
「お母様、クリストフ。お客様だよ!」
と子どもはやって来た男女に声をかける。女性の方がフィアの顔を見て、驚きの声をあげた。
「フィア様」
とフィアのことを呼ぶ。フィアは誰だか分からずに、その優し気な表情が特徴的な女性の顔を見つめってしまう。
「以前の記憶がないようだ」
とゼクスが簡潔に告げれば、その女性はハッと息を詰まらせた。
「初めまして、フィアと申します。あなたはゼクスの奥様ですか?」
「……」
フィアが悪気なく告げた言葉により、その場の空気が冷えしまっていく。
女性も、ゼクスも、そしてその場にいた男性も言葉を発しない。
「あの?」
「正確に言うならば、離婚調停中の妻だな。そして、その事実上の夫がそちらのクリストフ・ヒュフナー殿だ」
「アリーセと申します。フィア様お久しぶりです」
と女性はにこやかに挨拶をしてくれるのだが、どこか気まずい気配が漂っている。
それに、離婚も事実上の夫も、フィアからすれば聞きなれない単語のオンパレードだ。
「離婚なさるんですか?」
「はい。着々と準備は進んでおります」
「なぜ?」
という何も知らないフィアの問いには、三人とも無言で視線を逸らしあう。空気がひんやりとしたのを、フィアは感じた。
「何か、ご事情がおありなんですね」
とフィアが口にすれば、その言葉を待っていましたとばかりに、堰を切るようにしてアリーセは言う。
「総督様は、クリストフ様を西方進出に帯同させて、強引に功績を立てさせ昇格させました。クリストフ様は総督府に役職を得て、お父様から一目置かれはじめております。後は私たちの不仲を証明し、クリストフ様の方がふさわしい証拠を提出出来れば、そして私たちは晴れて離婚です。さすが総督様ならではの素晴らしい筋書きが出来ています」
たっぷりの皮肉が込められていることは、フィアでも分かった。
「アリーセ、そんな角を立てるような言いぶりはよくないよ」
とクリストフは言うのだが、
「クリストフ様は戦向きではないのに、無理やり出陣されるなんて。強引です」
とアリーセはぼやく。
「周囲の理解を得ながら円満に離縁する。それ以上の方法はないだろう。あとは不仲の証明、クリストフ殿の方がふさわしい証明が出来ればいい。もう一押しだ」
とゼクスは言うのだ。
離婚って出来るものなの?といったレベルのフィアからすれば、自分が聞いていていいものか、と思う話だ。やり取りを見つめていたら、子どもに手を引かれた。
「僕はアイン。フィア、友達になってくれる?」
と言うのだ。
「もちろんよ」
とフィアが答えるのを見て、ゼクスとアリーセが同時に深くため息をつく。面倒なことになっているのはたしかだった。
記憶を失っているフィアに、アインと親子関係だとは、説明しがたい。
ただ、フィアの登場により、政略結婚の渦に巻き込まれてすっかり懲りていたアリーセには、天啓ともいえるアイデアが浮かんだ。
「総督様、いい方法を思いつきました。総督様側は、フィア様の方がふさわしい証明をなされば、より強固な後押しになるかと思います。アインの存在も合わせて、ご一考してみては」
と言うのだった。それは、かなり難しいだろうな、とゼクスは答える。
フィア自身はといえば二人のやり取りは耳に入らずに、アインを国に置いてきた息子と重ねていた。
ノインの力もまた、暴走すれば面倒なことになる、とフィアは思う。
テオドールがノインを育てるイメージ出来ないのが一番の懸念点だった。テオドールはノインを避けている節がある。
それに、ノインの能力はフィアしか知らないのだ。
どうにかして、国に戻る方法を考えなければと思うのだった。
アイン達に別れを告げて去る際には、
「早めにアインの預け先をご用意くださいね、私の手にはおえませんから」
とアリーセがゼクスに念を押しているのが印象的だった。
不思議に思ったフィアが、
「アインはあなたとアリーセ様の子なのよね?」
と聞けば、
「違う」
とゼクスは即答する。
「では、誰の?」
「噂によれば、愛妾との子だそうだ」
他人事のように言うのがおかしかった。
「愛妾がいるの?そんな風には見えない」
「そんな風、とは?」
「気が多いようには見えない。そもそも女性にほだされるようにも、見えないけれど」と言えば、ひどい偏見だなと言われてしまう。
「アインの母親は、人生で初めて感情が揺さぶられて、完敗した相手だよ」
「完敗?」
ゼクスが自分のカフスに触れて、妙に物言いたげな視線を送りながら、
「身も蓋もなく、愛し合った相手だ」
と言うので、フィアは思わず赤面してしまった。
「い、意外に、情熱的なのね。驚いた」
冷静沈着に見えるゼクスが、そんな情熱的なことを言うとは思わなかったのだ。
「そして、怪物だったな」と言う。
「そんな風に、愛し合う相手がいたのは、幸せね」とフィアが言えば、少し考えたようにしてから、
「フィアにはあちらの王がいただろう?」
と聞いてきた。
「テオにとって私は権力を掴むための女、よくて抱き枕ってところ。毎晩気まぐれに楽しめればいい」
「毎晩、は気まぐれではないな」と鋭く指摘されて、フィアは言葉に詰まる。ゼクスの静かな瞳が探るような色を帯びた。
「フィアにとってテオドールは?」
「友人」
と答えたら、ゼクスはああ、と低く呻いた。
何?と聞けば、「友人にも色々あるが、随分と酷なことを言うんだな」と言う。
「酷なこと?」
「テオドールは夫であり友人か?」
「ええ、そうだけど?」と言えば、
「毎晩、気まぐれに楽しんだとして?」と先ほどの会話を蒸し返されるのでフィアは困ってしまう。
「そ、そうよ」
「だとすれば、テオドールはフィアに一生敵わないな。友人という言葉には気を付けた方がいい」と言われてしまった。
そして、フィアはゼクスに案内されるまま、王立研究所に行くこととなる。
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