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第四部
おかえり、愛しい人
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かつての妻との婚姻では、嫉妬心と焦燥感ばかりが記憶にある。
向学心や向上心で外へ飛び出していこうとする彼女を見るにつけ、いつも穏やかならざる感情を抱いていた。
その先の未来に、自分がいない可能性を想像するのはたやすい。彼女の志をバカにして、貶していけば、次第に自分へ笑顔を向けなくなってくる。
シルバーブロンドの髪が寝台に広がれば、彼女はいつも眉根をひそめるのだ。
「テオはこういうのばかり、好きなのね。私といるときはこればかり」と嫌味を言う。違うとも、そうだとも言えない。
屈服させる方法が他に思い浮かばないだけだからだ。とはいえ、いつも負けるものかと、必死でこらえる姿がいじましくて、愛おしさは増す。
――――負けず嫌いな女。
その女から視線を向けられることだけを、たまらなく求めていた。
リウラを天蓋のある寝台へ案内する。そして、
「後継者が宿ったならば、お前を王妃にする」
と言いその身を横たえさせた。緋色のベールと、赤毛が寝台に広がる。エメラルドグリーンの瞳がテオドールを見上げた。
ベールを剥がそうとすれば、
「それは、困ります」
と言ってリウラは身をよじる。
そして、クスクスと笑いだすのだ。
「なぜだ」
テオドールはリウラの反応に戸惑うしかない。
「中々に、難しいものですよ」
「何がだ」
「いくら魔術に長けた王様であっても」
悪戯な色に光る瞳に覚えがあった。その瞳を知っている、とテオドールは思う。しかし、今自分を見上げている娘の容姿は、その瞳の持ち主とは全く異なる。
「野放しの怪力姫を組み敷くのは、中々に難儀では?」
リウラの口元は綺麗な弧を描き、不敵にほほ笑む。紗のドレスの裾がひるがえり、シャラシャラとビーズが音を立てた。
「お前は」
リウラは全ての指にはめられた指輪の一つを、テオドールの手の甲へと押し付けてくる。
宝石が当たった部分から痺れが来て、テオドールは先手を取られたことを知った。打たれたのは、呪か封印か。
いずれにせよ、厄介なものであると認識したとき、やはり頭に浮かぶのはティアトタン国の王族だ。
「天下の魔術師様も女には甘いのですね。王妃探しのために、こちらにはたくさんの方が訪れたことでしょう」
「何しに来た」
「王位をいただきに参りました」
組み敷かれる形になり、娘の赤毛が頬に落ちて来る。エメラルドグリーンの瞳が楽しそうに光った。まるでじゃれ合う子どものようだ。
「王様。ここで、私と組手をしてくださります?」
リウラは、女とは到底思えない力で押さえつけてくる。
「淫らな隠語だな」
と言えばリウラは眉根を寄せて、頭を振る。
「その発想、いっつもそれ!淫らなのはあなたでしょう」と言ってしまってから、リウラは、あ、と声をもらして口をつぐむのだ。
いっつも、それ。生意気で、御しがたい女の口癖だ。
テオドールは口元がほころんでくる。
しかし、ありがたくはない状況だと思う。クロストが野放しで、あまつさえ追放した面倒な女が戻って来てしまったとすれば、最悪の事態だ。
「結局あの男からも追放されたのか」
と嫌味を言えば、
「残念、はずれ。あなたほど強引なやり方をする人は、どこを探しても中々いないみたい」
とまんまと正体を明かしてくる。
魔法を放とうと試みるが、手の甲がしびれてくるので、思うようには力が出てはこない。ただ、申し訳程度には冷気が湧いてきて、目の前の娘は目を丸くする。
「さすがの魔力。完全には封印できないのね」
「かの怪力姫は繊細な魔法を持たないはずだ。王都の者の差し金か」
娘の指輪に魔力が込められているのだろう、とテオドールは思う。
「王都の優秀な研究者と、公国の変わり者、昔なじみの二人ね。器用な友人達のおかげ」
「目的は」
「王位継承権の奪還」
「言うだけならば、子どもでもできる」
「返して。あなたの強引なやり方によって、地下国でも争いが起こっているわ。争いの余波で、地上の土地が枯れていた。その上、ご自身は後継者を追放して、自由気ままな寝屋遊び。心底、同調できない」
どこか私怨のこもる物言いだ。
「この国に不要なものは排除したまで。不要な追放姫に何ができる」
そう告げればリウラは唇を噛み締めた。
「散々もてあそんでおいて。不要になれば新しい者を受け入れればいいのね。あなたにとっては、私も、ノインもその程度。7年も夫婦でいたのに」
すっかり落胆したような彼女の表情にテオドールは少しだけ、心が揺れた。しかし、リウラはすぐに、負けん気の強い表情に変わっていく。
だとすれば、と続けた。
「離婚して。追放ではなく、しっかりと離縁しましょう。それから後妻を受け入れて」
予想外の言葉だった。追放の時点で婚姻は終わったつもりだったからだ。まだ、婚姻が続いている、と仄めかされているのだと思う。
しかし、
「王都では離婚の手続きがあるそうよ。だから、私達も離婚しましょう!」
と続けたことで、彼女は別の婚姻の可能性を暗に伝えてしまっていた。
本人もそうとは気づかずに。
「イヤだと言ったら?」
テオドールが言えば、リウラは目を丸くする。
「不要な妻とは離婚すべきよ」
「後継者を産めば、大手を振るって離婚してやるよ」
と言ってみれば、目の前の娘は頬を膨らませて見せた。
「本当にあなたは!女と見れば、何でもいいのね」
「そうだな」
お前以外は、何でもいい、と心で付け足す。
そう告げれば、娘は深々とため息をつく。
「分かった、それならばいいわ」
娘の手が緩んだので、隙が生まれた。その手首を掴んで動きを封じようと思ったが、娘が想像外の行動に出たので思わず目を見張る。
娘は――――
首元に噛みついてきたのだ。
「王様、私は床遊びが得意ではないのです。ご期待には応えられないかと思いますよ」
と驚くテオドールが面白おかしくてたまらないといった風に、くすくすと笑うながら娘は言うのだ。
身体から力が抜け出て行く感覚があった。
「何をした」
自身の力が出て行くのを感じるのと同時に、目の前の娘は肌の色が変わり、髪の色が変わっていく。リウラ・フェルミエールは、本来の正体を現してきた。
ここにもまた、シルバーブロンドの髪、エメラルドグリーンの瞳という、テオドールにとっての災難の象徴が戻って来たのだ。
「さすが、ティアトタン最強。すごいエナジーね」
艶やかなシルバーブロンドの髪と、白磁の肌は発光するようだった。美しい、と思う。ただ、素直に美しいとは告げない。
「男の腹上でエナジーを補充するのが、常套手段か?淫靡なお忍び姫もいたものだな」
彼女の嫌がる言葉を放り込む形で、賛辞を表現する。相手に本音が届くわけはないが、それでもいいと思っていた。
「っもう!好きに言えばいいわ」
眉根を寄せて睨みつけてくる顔は、愛らしい。この表情を見るための言葉選びをするのは、悪趣味かもしれなかった。
ただ、今は自分の視界に違和感があった。
目の前の娘や天蓋が急に大きく見えてくる。気のせいかと思うが、明らかに目に見える大きさが、変わって来ていた。
「私からすれば、王であれ夫であれ。あなたは友人であり、我儘なテオのままなのよ」
頬に手の平を触れてくる。
「お母様のことは、残念だったわ。前戦争がなければ、護れているかと思ったけれど」
慈しみの瞳でこちらを見る娘には、打算がない。相手に何かを与えることに何のためらいもないのだ。
ああ、こうして自分の元に心を惹きつけさせる。
永久に片思いさせるつもりなのか、この女は。と思う。
娘の背後に、同じくティアトタン国の象徴たる姿を見つけた。影から影へと渡る、こそこそとした王子だ。
例によって例のごとく、王子が杭を放ってくるのが分かった。
前王を倒した杭だ。娘の元に何本もの杭が飛んで来た。
この兄は妹にも平気で武器を放ってくるのか、と思う。他の兄もまた同様だった。この争いに溢れた国へ帰って来た愚かな姫に、テオドールは苛立ちを覚えた。
安寧に沈んでいればいいものの。
なぜ帰って来た?
咄嗟に娘の手を引き、逃がそうとする。
自分の胸元にその杭が迫るのが見えた。
――――なるほど、それも悪くない。
「それは、ダメ」
と娘は言って、テオドールを自分の方へと引き寄せた。
目の前の杭が燃えて、そして溶け落ちるのを見る。その次の瞬間、圧倒的な光が部屋の中を満たし、影が生まれる間もない。
姿を現した青年の元へ、娘は向かっていく。
緋色のドレスが翻るのと、床に振動がやって来たのは同時だ。
娘が拳をふるえば、衝撃波で床が揺れる。黒い影が横切るのをテオドールは見た。
「もう、速い!」
と娘は短く声をあげる。
「わお、怪力だなぁ、さすが我が妹」
青年は、感嘆の声をあげた。
しかし彼女は速さでクロストに敵わないようだ。クロストは黒い影となって逃げよう動くが、そのとき、突風が吹いた。ズトンと轟音がして、壁に穴が開く。
クロストが壁掛けのようにして壁にはめ込まれている。黒いフードの者が、クロストの元へ飛んでいく。
黒いフードを目深にかぶった者達は、リウラ・フェルミエールのお付きとしてやって来ていた者のはずだ。
「ガブガブ~!」
と言ってその者が喉元に噛みついていけば、クロストから莫大な魔法エネルギーが流れ出てくる。
「すごい魔法!もったいないけれど、もういらない」と娘は呟く。
「じゃあ、僕が
」と言い、もう一人のフードの者が、クロストの首元に手を触れた。その者は、こちらをちらりと一瞬伺う。灰褐色の瞳はフードの下から見えた。
ああ、またここにも、厄介者いる、とテオドールは思う。
「とりあえず、これだね」
と言って黒いフードの一人が、クロストの手足に枷をはめていく。
「任務完了ね」
と娘が言った。
そして娘はテオドールの元へ戻って来て、手を取って来る。
「無事でよかったわ」
なぜだろう、背の高さに違和感があった。彼女と近い目線にいることに、テオドールは違和感を禁じ得ない。
「魔法を使ったのか?」
と問えば娘は、首を振るのだ。
「ごめんなさい、少し吸い過ぎたみたい。大分幼くなってしまったわね」と申し訳なさそうにする。
「テオ、ただいま」
と娘、もとい、フィアは言った。
「王位を返してもらうわよ」
向学心や向上心で外へ飛び出していこうとする彼女を見るにつけ、いつも穏やかならざる感情を抱いていた。
その先の未来に、自分がいない可能性を想像するのはたやすい。彼女の志をバカにして、貶していけば、次第に自分へ笑顔を向けなくなってくる。
シルバーブロンドの髪が寝台に広がれば、彼女はいつも眉根をひそめるのだ。
「テオはこういうのばかり、好きなのね。私といるときはこればかり」と嫌味を言う。違うとも、そうだとも言えない。
屈服させる方法が他に思い浮かばないだけだからだ。とはいえ、いつも負けるものかと、必死でこらえる姿がいじましくて、愛おしさは増す。
――――負けず嫌いな女。
その女から視線を向けられることだけを、たまらなく求めていた。
リウラを天蓋のある寝台へ案内する。そして、
「後継者が宿ったならば、お前を王妃にする」
と言いその身を横たえさせた。緋色のベールと、赤毛が寝台に広がる。エメラルドグリーンの瞳がテオドールを見上げた。
ベールを剥がそうとすれば、
「それは、困ります」
と言ってリウラは身をよじる。
そして、クスクスと笑いだすのだ。
「なぜだ」
テオドールはリウラの反応に戸惑うしかない。
「中々に、難しいものですよ」
「何がだ」
「いくら魔術に長けた王様であっても」
悪戯な色に光る瞳に覚えがあった。その瞳を知っている、とテオドールは思う。しかし、今自分を見上げている娘の容姿は、その瞳の持ち主とは全く異なる。
「野放しの怪力姫を組み敷くのは、中々に難儀では?」
リウラの口元は綺麗な弧を描き、不敵にほほ笑む。紗のドレスの裾がひるがえり、シャラシャラとビーズが音を立てた。
「お前は」
リウラは全ての指にはめられた指輪の一つを、テオドールの手の甲へと押し付けてくる。
宝石が当たった部分から痺れが来て、テオドールは先手を取られたことを知った。打たれたのは、呪か封印か。
いずれにせよ、厄介なものであると認識したとき、やはり頭に浮かぶのはティアトタン国の王族だ。
「天下の魔術師様も女には甘いのですね。王妃探しのために、こちらにはたくさんの方が訪れたことでしょう」
「何しに来た」
「王位をいただきに参りました」
組み敷かれる形になり、娘の赤毛が頬に落ちて来る。エメラルドグリーンの瞳が楽しそうに光った。まるでじゃれ合う子どものようだ。
「王様。ここで、私と組手をしてくださります?」
リウラは、女とは到底思えない力で押さえつけてくる。
「淫らな隠語だな」
と言えばリウラは眉根を寄せて、頭を振る。
「その発想、いっつもそれ!淫らなのはあなたでしょう」と言ってしまってから、リウラは、あ、と声をもらして口をつぐむのだ。
いっつも、それ。生意気で、御しがたい女の口癖だ。
テオドールは口元がほころんでくる。
しかし、ありがたくはない状況だと思う。クロストが野放しで、あまつさえ追放した面倒な女が戻って来てしまったとすれば、最悪の事態だ。
「結局あの男からも追放されたのか」
と嫌味を言えば、
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とまんまと正体を明かしてくる。
魔法を放とうと試みるが、手の甲がしびれてくるので、思うようには力が出てはこない。ただ、申し訳程度には冷気が湧いてきて、目の前の娘は目を丸くする。
「さすがの魔力。完全には封印できないのね」
「かの怪力姫は繊細な魔法を持たないはずだ。王都の者の差し金か」
娘の指輪に魔力が込められているのだろう、とテオドールは思う。
「王都の優秀な研究者と、公国の変わり者、昔なじみの二人ね。器用な友人達のおかげ」
「目的は」
「王位継承権の奪還」
「言うだけならば、子どもでもできる」
「返して。あなたの強引なやり方によって、地下国でも争いが起こっているわ。争いの余波で、地上の土地が枯れていた。その上、ご自身は後継者を追放して、自由気ままな寝屋遊び。心底、同調できない」
どこか私怨のこもる物言いだ。
「この国に不要なものは排除したまで。不要な追放姫に何ができる」
そう告げればリウラは唇を噛み締めた。
「散々もてあそんでおいて。不要になれば新しい者を受け入れればいいのね。あなたにとっては、私も、ノインもその程度。7年も夫婦でいたのに」
すっかり落胆したような彼女の表情にテオドールは少しだけ、心が揺れた。しかし、リウラはすぐに、負けん気の強い表情に変わっていく。
だとすれば、と続けた。
「離婚して。追放ではなく、しっかりと離縁しましょう。それから後妻を受け入れて」
予想外の言葉だった。追放の時点で婚姻は終わったつもりだったからだ。まだ、婚姻が続いている、と仄めかされているのだと思う。
しかし、
「王都では離婚の手続きがあるそうよ。だから、私達も離婚しましょう!」
と続けたことで、彼女は別の婚姻の可能性を暗に伝えてしまっていた。
本人もそうとは気づかずに。
「イヤだと言ったら?」
テオドールが言えば、リウラは目を丸くする。
「不要な妻とは離婚すべきよ」
「後継者を産めば、大手を振るって離婚してやるよ」
と言ってみれば、目の前の娘は頬を膨らませて見せた。
「本当にあなたは!女と見れば、何でもいいのね」
「そうだな」
お前以外は、何でもいい、と心で付け足す。
そう告げれば、娘は深々とため息をつく。
「分かった、それならばいいわ」
娘の手が緩んだので、隙が生まれた。その手首を掴んで動きを封じようと思ったが、娘が想像外の行動に出たので思わず目を見張る。
娘は――――
首元に噛みついてきたのだ。
「王様、私は床遊びが得意ではないのです。ご期待には応えられないかと思いますよ」
と驚くテオドールが面白おかしくてたまらないといった風に、くすくすと笑うながら娘は言うのだ。
身体から力が抜け出て行く感覚があった。
「何をした」
自身の力が出て行くのを感じるのと同時に、目の前の娘は肌の色が変わり、髪の色が変わっていく。リウラ・フェルミエールは、本来の正体を現してきた。
ここにもまた、シルバーブロンドの髪、エメラルドグリーンの瞳という、テオドールにとっての災難の象徴が戻って来たのだ。
「さすが、ティアトタン最強。すごいエナジーね」
艶やかなシルバーブロンドの髪と、白磁の肌は発光するようだった。美しい、と思う。ただ、素直に美しいとは告げない。
「男の腹上でエナジーを補充するのが、常套手段か?淫靡なお忍び姫もいたものだな」
彼女の嫌がる言葉を放り込む形で、賛辞を表現する。相手に本音が届くわけはないが、それでもいいと思っていた。
「っもう!好きに言えばいいわ」
眉根を寄せて睨みつけてくる顔は、愛らしい。この表情を見るための言葉選びをするのは、悪趣味かもしれなかった。
ただ、今は自分の視界に違和感があった。
目の前の娘や天蓋が急に大きく見えてくる。気のせいかと思うが、明らかに目に見える大きさが、変わって来ていた。
「私からすれば、王であれ夫であれ。あなたは友人であり、我儘なテオのままなのよ」
頬に手の平を触れてくる。
「お母様のことは、残念だったわ。前戦争がなければ、護れているかと思ったけれど」
慈しみの瞳でこちらを見る娘には、打算がない。相手に何かを与えることに何のためらいもないのだ。
ああ、こうして自分の元に心を惹きつけさせる。
永久に片思いさせるつもりなのか、この女は。と思う。
娘の背後に、同じくティアトタン国の象徴たる姿を見つけた。影から影へと渡る、こそこそとした王子だ。
例によって例のごとく、王子が杭を放ってくるのが分かった。
前王を倒した杭だ。娘の元に何本もの杭が飛んで来た。
この兄は妹にも平気で武器を放ってくるのか、と思う。他の兄もまた同様だった。この争いに溢れた国へ帰って来た愚かな姫に、テオドールは苛立ちを覚えた。
安寧に沈んでいればいいものの。
なぜ帰って来た?
咄嗟に娘の手を引き、逃がそうとする。
自分の胸元にその杭が迫るのが見えた。
――――なるほど、それも悪くない。
「それは、ダメ」
と娘は言って、テオドールを自分の方へと引き寄せた。
目の前の杭が燃えて、そして溶け落ちるのを見る。その次の瞬間、圧倒的な光が部屋の中を満たし、影が生まれる間もない。
姿を現した青年の元へ、娘は向かっていく。
緋色のドレスが翻るのと、床に振動がやって来たのは同時だ。
娘が拳をふるえば、衝撃波で床が揺れる。黒い影が横切るのをテオドールは見た。
「もう、速い!」
と娘は短く声をあげる。
「わお、怪力だなぁ、さすが我が妹」
青年は、感嘆の声をあげた。
しかし彼女は速さでクロストに敵わないようだ。クロストは黒い影となって逃げよう動くが、そのとき、突風が吹いた。ズトンと轟音がして、壁に穴が開く。
クロストが壁掛けのようにして壁にはめ込まれている。黒いフードの者が、クロストの元へ飛んでいく。
黒いフードを目深にかぶった者達は、リウラ・フェルミエールのお付きとしてやって来ていた者のはずだ。
「ガブガブ~!」
と言ってその者が喉元に噛みついていけば、クロストから莫大な魔法エネルギーが流れ出てくる。
「すごい魔法!もったいないけれど、もういらない」と娘は呟く。
「じゃあ、僕が
」と言い、もう一人のフードの者が、クロストの首元に手を触れた。その者は、こちらをちらりと一瞬伺う。灰褐色の瞳はフードの下から見えた。
ああ、またここにも、厄介者いる、とテオドールは思う。
「とりあえず、これだね」
と言って黒いフードの一人が、クロストの手足に枷をはめていく。
「任務完了ね」
と娘が言った。
そして娘はテオドールの元へ戻って来て、手を取って来る。
「無事でよかったわ」
なぜだろう、背の高さに違和感があった。彼女と近い目線にいることに、テオドールは違和感を禁じ得ない。
「魔法を使ったのか?」
と問えば娘は、首を振るのだ。
「ごめんなさい、少し吸い過ぎたみたい。大分幼くなってしまったわね」と申し訳なさそうにする。
「テオ、ただいま」
と娘、もとい、フィアは言った。
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