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番外編:三河慧梓の誤算
しおりを挟むそれ一本ちょうだい。
どーぞ。
それが三河慧梓と玖珠那々巳の最初の会話だった。
棒状のじゃがいも菓子を指さしていた玖珠の視線を追って、三河は玖珠の瞳を見る。
「その味気になってたんだけど、近所に売ってなくって」という。
「どーぞ」
と反射神経的に答えて、カップを差し出すけれど、玖珠の瞳と顔と、声とをすべてひっくるめて何かの計算が働く感覚があった。
「ありがとう三河くん」と言って、口の中に放り込むとポリポリといい音を立てて、食べきってしまう。
そして、「個人的には歴代3位くらいの味だな」と感想まで言っている。
名前知ってんだ、と思った。けれど、自分もこの子の名前を知ってたわ、と思う。
コーチ不在の緩い自主トレで、妙にやたらと筋トレを頑張ってた女子。ウェストからヒップのラインがキレイで目が離せなかった。
「今度何かお菓子あげるね」
と言ってくるりと向こうを向いて去って行っていく。
揺れるスカートのひだを見ていたら、自分がちょっと変態になった気分になった。焦げ茶色の瞳と、下唇の方が厚いうすピンクの唇、そして腰から下の魅惑のライン……。
三河はその日から玖珠を目で追うようになった。
玖珠は翌日筒状のポテトチップスを持ってきて、三河に差し出す。
「はい、お好きなだけ」と言って。
ゲームや筋トレ、部活の話など、興味のある話題を適当に話す仲になるのに、時間はかからなかった。男友達を変わりなく、てらいなく何でも話す。
唯一困るのは、近距離範囲での恋愛話で、「○○が三河くんのこと気になってるって」「三河って好きな人とか彼女っている?」という話だ。
「いない、玖珠は?」と返すのにとどめる。
「いないなぁ。友達レベルの好きはあるけど」と玖珠に言われれば、ホッとする反面、「オレとは違う」と意識するのだった。
オレ、玖珠のこと好きじゃん、と気づくのはそういうときや、指や肩がふと触れた瞬間の皮膚が焦れるような感覚のときだ。もっと触れたいかも、と感じて、それはヤバいとひっこめるのだ。
中学生の頃のような、手を繋いで一緒に登下校するような付き合いしか経験がない。それ以上のことを知ってはいたし、欲求もあったけれど、具体的な相手がイメージできないでいたところに、玖珠が現れた。
玖珠は健康的で裏がなくて、明るい。
触ってみたいし、そのときどんな反応をするのか知りたいと思う。でも、そういう目で見て、触れていいものか、と少し迷うのも事実だった。
好きだといって、付き合ってと言えば、何か変化があるのは間違いない。付き合えるのか、付き合えないのか、友達として気まずくなるのか、どうか。
とても仲のいい友達。何でも話してもらえるし、こっちも恋心以外は何でも話せる。そのポジションは魅力的で、三河はずっと手放せないでいた。
※※※
玖珠とは興味の幅や学力レベルが一緒のこともあって、高校1年から選択するクラスはずっと一緒だ。呼び名は三河くんから、慧ちゃん、玖珠から那々に変わっていた。
その間に、何人かの女の子と付き合って別れてきた。部活やクラス、別学年の子からアプローチを受けて、半ば流されて付き合うことになるケースが多い。
「好きな子いるんだけど」と言えば、「それでもいいよ」と言われる。
でも実際は「それではよく」ないことを、この頃の三河は学んでいた。
三河と付き合いたいと思うタイプの女子は、付き合えば絶対に自分が一番好きな子になるに決まっている。そう信じているようだったので、数か月付き合って、それなりに経験をしてしまったあとで、「やっぱり好きになれなかった、別れたい」と三河が告げれば、不本意にも、「やり逃げ」「身体目的」のレッテルで処理された。
女子の間で吹聴される話を聞いたらしい玖珠が、「慧ちゃんって、元気だね」と感想を述べるのを、三河は落ち込みながら聞くのだ。
「違うな、したいわけじゃなかったな」と思っても、キスから先の流れになったら、無視して全力疾走する。寸止めしてバイバイと終わってから別れるのは、どっちが傷が浅いんだろう?と三河はいつも思っていた。
どの付き合いも、別れるための付き合いと言ってもいい気がしている。相手がノリにのっていても、相手のバイオリズムとスキンの存在を確認して、緊急避妊薬のもらえる場所を調べておく。
絶対に失敗しない。玖珠といつか付き合える可能性があるうちは。
三河にとって誤算だったのは、友達の鳥府潤が自分たちに関心を向けてしまったことだ。
鳥府はモテる割にすぐにフラれるので、付き合いの長さに固執している。カップルが好きだし、仲のいい二人というシチュエーションが大好物だ。鳥府が仲の良い三河と玖珠にフォーカスし始めてしまった。
付き合っているわけでもない自分たちには、隠し立てするものはなにもないのだけれど、鳥府はグイグイと入り込んで、玖珠との時間を作りたがる。一方で三河には勘の良さを発揮して、「好きでしょ?」と聞いてくるのだから、あなどれない奴だ。
もし、玖珠が鳥府を好きになったなら、ふたりが付き合うのは仕方ないと思った。玖珠自身が鳥府を好きなら、三河が阻む資格はない、と思ったのだ。
そして、三河自身が付き合ったあとにどんな流れになるのか、別れようとするとどんな流れになるのか大体わかって来た中で、玖珠に恋愛感情を向けることに、少し自信をなくしていたのもたしかだ。
どんなに好きでも付き合ってしまえば、ガッカリさせる可能性、ガッカリする可能性。両面がある。
玖珠は鳥府に舞い上がることもなく、コミュニケーションを楽しんでいるようだったけれど、ある日キスとされた、と相談を受ける。そのときの衝撃ったらない。
自分のできないことを、やすやすとやってのける鳥府に驚愕した。
鳥府のことが「好きかも」という玖珠の言葉を聞いて、三河は協力という名の無心をつらぬこととにする。
大きな誤算だった。
※※※
なぜか三河は二人を取り持つ仲人のような立場になってしまったのだ。
玖珠がいうには、鳥府とは曖昧な都合のいい関係、だという。鳥府がいうには玖珠とは片思いの関係だという。
鳥府くんは同時進行で付き合ってるし、私のことは重視していない、という玖珠と、玖珠が自分に心がないという鳥府。
玖珠も鳥府もお互いにどこか気を使いながら、少しずつ距離を縮めていっているように思えた。
「で、付き合ってんの?」と言えば、ふたりとも首を横に振る。三河は、鳥府が玖珠にロックオンしてから、他の女の子とは一定の距離を保つようにしているのを知っていたし、玖珠が鳥府の好みを探ろうとしていたのを知っていた。
もっとも、鳥府の距離の取り方は他の人からすれば、ゼロ距離にも見えたし、玖珠のリサーチは見当違いのような気もしていたけれど。
玖珠と鳥府の曖昧期間が続いたまま、三人は同じ大学に進学した。三人の関係性が大きく変わることはなかったけれど、三河は不名誉な経験ばかりが増えていく。
好きなだけで、付き合っていない相手について説明するのは難しい。好きな人がいる、という断り方は、ハイハイと流されてしまう。
いたっていいじゃん、別に一途に思い続けるノリじゃないでしょ。三河はそんな風に見られるようだ。
「じゃあノリで」「一回きりで」「自然消滅で」と思い込まれた仕返しのように、遍歴を繰り返しながら疲弊してくのだった。
玖珠と鳥府の関係が進んでから、半ばやけになっていた。玖珠は鳥府の浮気を気にして楽しそうじゃない上に、鳥府からは玖珠が笑顔になる方法はないのか?と聞かれる。
そんなの知るか、と言いたくなるけれど、協力するといった手前、軽いレシーブくらいはしてあげるのだ。
「潤は案外一途かもしれねーよ」と言ってみたり、
「那々は、あんまり小難しい状況が苦手っぽいよ。シンプルに好きって伝えれば」と言ってみたりする。
二人のそれが響いているかどうかは不明。そして三河は、すり減って疲れていくだけだ。
ずっとドロドロの澱みが続くかと思いきや、ここでも誤算が生まれた。
鳥府が妙な思い付きで結婚すると言い出したのだ。
青天の霹靂。
玖珠は鳥府との連絡を絶って、鳥府は結婚した。
※※※
その後玖珠は鳥府を引きずって、短い期間の付き合いを繰りかえしていく。鳥府に似た容姿の人を見つけては付き合って、すぐに別れていったのを目撃してきた。
友達のポジションは便利で、誰と付き合おうが分かれようが、別枠として本人に理解されることだ。 三河は別枠の「友達」だったのでいつでも常にそばにいられた。
三河はその間にまんまと告白して、じわじわと距離を詰めてようやく付き合うことに成功する。
三河にとって誤算だったのは、玖珠那々巳といると不安になる気持ちが分かったことだ。
玖珠はあまり愛情表現をしないし、ラフな付き合いをする。浮気だけはイヤだというものの、三河の行動を監視しようとはしない。
キスやセックスも付き合いの流れとして受け入れてくれたけれど、いいのか悪いのか、特にそういう場面ではあまり自己表現をしない。
べたべたするのがキライなのかもしれない、と理解するけれど、自分から迫って付き合ってもらった手前、玖珠の思いを確認するのは難しかった。
「友達だし、嫌いじゃないし付き合ってもいい」
そんな風に付き合ってくれたとすれば、もっと好きな人が出てきたときに、あっさり去っていく予感もある。
くどいくらいに、「好きだよ」と言ってみても、玖珠の答えは「ありがとう」とだけ。
「那々は?オレのことをどう思う?」と聞けずにいる。
仕事のウェアに包んだ玖珠の身体を「キレイだな」と思う反面、他の人が見ている以上の特別なものを自分が見ているとも思えないのだ。
裸の姿を見たこともあるし、触れたこともあるのに。
玖珠の特別になった自信はない。
擦り上がったポスターがスタッフルームに広げられたとき、心臓を掴まれるくらいにドキッとした。玖珠の健康的で明るい姿が写っていて、オレが知っているもの以上のものが写っている。
そんな風に感じた。
その日から、三河は大学時代や高校時代の友人に連絡を取りはじめる。
玖珠那々巳が自分のことを好きかどうかの証拠を集めるために。
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