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7巻
7-1
しおりを挟むプロローグ
日が暮れてから、暫く時間が経つというのに、街の大通りは沢山の人々で賑っていた。
中世ヨーロッパを彷彿させる美しい石造りの街の風景。その沿道には、職人達の手による魔法の外灯が立ち並び、夜の喧噪を淡い光で照らし出している。
昼夜の境なく、人間をはじめとした様々な異種族が行き交う異世界の大都市――、そこはハンス達が暮らす国の王都であった。
その中心地に程近い歓楽街の一角に、一際明るい輝きを放つ店がある。見るからに派手派手しく、どこか艶かしい衣装を身に着けた男性給仕が、酒に酔った女性客達の世話を甲斐甲斐しく焼いていた。我を失ったような嬌声と歯の浮くような台詞。そんな乱痴気騒ぎが繰り広げられる中、一般市民なら一月は暮らせるほどの高級な酒が、あっという間に空になっていく。
異様な盛り上がりを見せるこの店の名前は、「酒池肉林」。愛と欲望の渦巻く異世界ホストクラブだ。
そこで、さっきまで面白おかしく笑っていた客の一人が、高価な酒のボトルを片手に、おもむろに立ち上がった。彼女の連れらしい客が、大きな声を上げて囃し立てる。
「あ、それっ! イツカさんのー! ちょっといいとこ見てみたいっ! は、よいしょっ! イッキ! イッキ! イッキ!」
「ちょっ、体に悪いですから! やめてくださいっ!」
頬を赤く染め、焦点の定まらぬ目で手拍子をしているのは、日本人の魔法使い、ムツキである。
完全に出来上がった様子のイツカ――ダンジョンマスターにして酒豪の日本人――を必死に止めようとしているのは、こちらも同じく日本人の巨乳美少女、ナナナだ。
だが、ボトルを固く握り締めた当の本人は、まったく聞く耳を持っていない。にへらっとした、ご機嫌な笑みを浮かべながら、その中身を一気に口の中へ流し込んでいく。
ゴク、ゴク、ゴク……と、喉を鳴らすこと僅か数秒。
周囲を憚ることなく、イツカは熱い液体を一滴残らず飲み干してしまった。
唖然としてそれを見つめるナナナをそっちのけで、給仕である見目麗しい男性達は、イツカに惜しみない賞賛を送る。
「あっはっはっは! いやぁー! 一回でいいから、ホストクラブで豪遊してみたかったのよぉーん!」
「わかるぅー! 乙女の夢ですよねぇー!」
きゃっきゃ、と騒ぐイツカとムツキ。ナナナはいささかげっそりした顔をしていた。
この店にやって来る前にも、王都の歓楽街をあちらこちらへ引っ張り回されたのだ。年齢的には、まだ酒も飲めないナナナにとって、彼女達の傍若無人な〝王都ぶら散歩&はしご酒〟に、シラフで付き合わされるのは、はっきり言って、苦痛以外の何物でもなかった。
しかも、周囲を見ず知らずの男性達に囲まれているとなると、繊細なナナナはますます緊張してしまい、ゆっくりとくつろぐどころではない。
「森の民でしたっけ⁉ あれって、いわゆるエルフっぽいですよねぇー!」
「ほかの男子もイケメンだけど、やっぱり異種族感があって、プラスアルファだわぁー」
「……っていうか、ドワーフのイケメンってダレ得? って思ったんですけど! 意外といけますねっ! 私、新しい世界の扉が開いちゃいそうですっ‼」
「だよねぇー! なんかこう、全体的に武骨で筋肉質で顔もおっきぃし、妙な説得力って言うか、なんて言うかぁー!」
馬鹿騒ぎをしながら、沢山の異世界のイケメン男性達に傅かれ、すっかりご満悦のイツカとムツキ。
その二人に挟まれ、ナナナは暗い顔をして小さく縮こまり、深い溜め息を吐き出す。
「こんなところで、こんなことしてて、いいんですか? 私達って……」
「だーいじょうぶだいじょうぶ! そのためにたっぷり軍資金も用意してきてるし! これも仕事だからさぁー!」
「そうですよっ! 仕事なんですもんねっ! まあ、いわゆる一つの調査取材、みたいな? そうじゃなかったら、牢獄暮らしの私達が外に出られるわけないじゃないですかぁー!」
――でも、確かそのお金って、王都で〝例の件〟を調べるために、ロックハンマー侯爵さんから支給された活動資金なんじゃ……。
そう言葉を続けようとしたナナナを遮って、イツカとムツキが力強く断言する。
ムツキの言うとおり、ムツキとナナナは本来、未だハンスの街にある「ケンイチ牧場さわやか地下監獄」に投獄中の身であった。
にもかかわらず、何故王都の、こんな高級そうな店で酒を飲んでいるのか?
その理由は、数ヵ月前までさかのぼる。
1 監獄で話す男達
「ケンイチ牧場さわやか地下監獄」――。
より正確には、さらにその下に作られた堅牢な密室。鉄と石でできたその特別な部屋は合計六つ用意されており、そこには現在、隣国の日本人にして超強力な魅了スキルを持つファヌルス・リアブリュックと、彼に従っていた日本人達が一人一人部屋を割り当てられる恰好で収容されていた。
日本で言えば、まさしく刑務所のような雰囲気の場所だ。武骨で殺風景、装飾という概念からは無縁な、味もそっけもない無味乾燥とした施設である。外部からは完全に隔離されているため、中に入るには、ダンジョンマスターであるイツカの「転移トラップ」を使用するしか手段がない。
囚人にとっては最悪の、捕まえる側にすれば非常に理想的な独房と言ってよいだろう。
その中の一室――薄暗くじめついた空気が漂う部屋の中で、回復魔法使いのキョウジとファヌルスが対峙していた。
「空気、水、食料、汚物。転移装置を使い、それらすべてを輸送することで、物理的に外部との接点を遮断。牢自体がゴーレム化されているため、逃げ出すことは不可能」
木製の小さなテーブルを前にして座ったファヌルスは、目の前の椅子に腰を下ろしたキョウジにうっすらと微笑みながらそう分析した。その表情からは、まったく本心が読めない。
自分が時間をかけて作り上げた強力な軍勢と、虎の子であった空中要塞を完膚なきまでに破壊され、さらには他者に対する絶大な魅了能力「ニコポ・ナデポ」を封じ込まれた。その挙句、敵国の収容施設へ投獄されているにもかかわらずだ。
普通、人間の表情や仕草には、もっと喜怒哀楽といった感情が滲み出るものだ。極刑すら科せられてしかるべき、いわば重要な戦争犯罪人とも言える自身の立場が自覚できてさえいるなら、怯えや不安といった負の感情に支配されてもおかしくはない。
それがどうしたことだろう。このファヌルスという男の態度は、その神経を疑うほどひどく落ち着いており、信じられないことに自分が置かれた状況を楽しむかのような笑みを浮かべているのだった。
何かを装っているにしても、その微笑みは、どこまでも自然なものに見える。
にもかかわらず、キョウジには、それが人間らしさの欠如した、たまらなく不気味で得体の知れぬ、空恐ろしいものに思えるのだった。
「布団を被って、寂しい胸のうちを独白したとしても、すべて聞き取られるんだろうね。ほかにもいろいろ仕掛けはあるはずだけど。それ以外は見つけられなかったし、思いつかなかったよ」
確かに、「ケンイチ牧場さわやか地下監獄」には、いろいろと仕掛けがしてある。キョウジやイツカ、あるいはロックハンマー侯爵旗下の兵士達が考えたものなどだ。そうそう簡単に見破れやしないだろう。
しかし、キョウジは今、そのことについて話すためにファヌルスのもとへ来たわけではない。
「で、何から教えてくれますか」
「あははは。挨拶代わりの雑談をするのも嫌かな。相当嫌われたね。当然だけれど」
「一度言いましたが、僕は貴方の能力が死ぬほど嫌いです。貴方自身のことに関しては、まだ話し始めたばかりだからよく分かりません」
「そう言ってたね。なら、これ以上嫌われないように頑張るよ」
キョウジの心中を知ってか知らずか、ファヌルスは悠然とした微笑みを崩さない。それが底意地の悪い、意図的なものであるかどうかすら不明だった。想像の範疇を超えるファヌルスの態度に、キョウジの表情は、いよいよ苦々しく、重たげなものへとなっていく。
愉快そうな笑みを浮かべるファヌルスと、苦悶とも言えるキョウジの顔とを比べると、いったいどちらが囚人か分からない。
「どこから話そうか、もう兵士の尋問に答えたような話は、改めて聞くまでもないだろう?」
異世界の片田舎であるハンスの街の近くで勃発した隣国の空中要塞――浮遊島との壮絶な一戦。その島の実質的な指揮官であり、戦いの首謀者とも言えるファヌルスの目的は何だったのか? 具体的にどんな軍事力を持ち、装備をしてハンス達へ挑んだのか。
そういったことに関して、ファヌルスはすでにロックハンマー侯爵旗下の兵士から聴取を受けていた。だから今、キョウジが聞こうとしているのは、それ以外の部分についてだ。
つまり、ファヌルスが異世界に生まれ変わる以前は何をしていたのか?
さらには、転生後に手に入れた能力のより詳細な内容や、隣国で見つけ出した日本人達をどのように仲間にしていったのか、などである。
ファヌルスと近い立場にいる日本人のキョウジだからこそ、彼の突拍子もない告白も理解できる適任者として抜擢されたわけだ。
ファヌルスは視線を上げ、僅かに考えるようにした後、キョウジをしっかりと見据えて言った。
「まずは、何から話せばいいかな?」
「始めからお願いします。貴方が転生する前か。あるいは、転生したところから」
「長くて面倒な話になると思うよ?」
「幸い、時間はたっぷりありますから」
口振りとは裏腹にキョウジの表情は、ずっと苦いままだ。
ファヌルスは楽しげに笑い声を上げながら、ゆっくりと話し始めた。
「この世界での僕の記憶は、生まれた瞬間から続いている。産声を上げたときの息苦しさを、君は想像できるかい? いったい、どうなってるんだ⁉ と思ったね。僕は地球で、君達もよく知っている日本で、確かに死んだはずなのに……って」
ケンイチやキョウジといった日本人達は、突然、この世界に生きたまま放り出されている。いわゆる「神隠し」や、「転移」と呼ばれる超常現象だ。
彼らに対してファヌルスは、一度、死んでから生まれ変わった。つまり、「転生」ということになるだろう。
「自分の特殊な能力に気づいたのは、まだハイハイができる前だったよ。ステータス画面、ウィンドウ。名前は何でもいいけど、とにかく、その存在にね。自分の能力を発見したときは、それはもう驚いた。だって、とんでもない能力だろ? 最初は凄く嬉しかったよ」
微笑みかけたり、手を触れ合った相手に自分への強烈な好印象を抱かせる能力。
「ニコポ・ナデポ」と名の付いたこの能力は、事前にどんな悪感情があろうとも関係なく、「強烈な好印象」で塗り潰してしまう。
「僕の生まれた村は、この世界にはよくある農村でね。とても貧しかったし、生活も大変だった。だけど、ずっと愛してもらえて、それなりに幸せに育ったよ」
誰かに嫌われたり、憎まれたりすることもなく、狭い世界で、ただ不自然なほど愛される。キョウジは、穏やかに笑うファヌルスの言葉から、そんな状況に自分を置き換えてみて心底嫌な顔をした。
「地獄ですね、それは。僕なら気が狂う」
誰彼構わず無条件で好かれる。どんな場面でも優遇され、何をしても大切にされる。それは極めて理想的で、幸福で、最良の人生を約束してくれる素晴らしい能力だろう。
だが、キョウジは、そうは思わなかった。
そしてファヌルスもキョウジと同じ考えに辿り着いたらしい。
「自分は能力があるから特別扱いされているんじゃないか? それなら、その能力が突然消えたら? 明日もこの能力が続く保証は? もし消えたとき、周りの人間の反応はどうなるのか? 僕なら、不安で不安で、夜も寝られなくなる」
心中の思いを飾らず口にするキョウジに対して、ファヌルスはゆっくりと頷いた。顔に浮かんでいるのは、どこまでも嬉しそうな微笑だ。
「私は頭の作りがよくなくてね。君と同じ結論に達するのに四、五年かかったよ。そこからは、そうだね……。君が言うとおり、不安で眠れない日が続いたよ。この素晴らしい魔法が解けてしまったら、どうやって生きていけばいいんだろう、と。それでもその後、そんな日が訪れることはなかった。僕はこれまでどおり、皆から好かれて、優しくされたからね。突然、とても大きな不安が伸し掛かってくるようなことはなかった」
「真綿で首を絞められるみたいに、徐々に不安に苛まれていった、というところですか」
「かもしれないね。皆が支えてくれるから、少しは恐ろしさも和らいだけど。その優しさの出所を考えると、怖くて怖くて仕方なかったよ」
確かに不安そうな様子を見せれば、誰もが心配してくれただろう。好意を持っている相手が辛そうならば、力になりたい、支えたいと思うのが人情だ。
だが、その思いの出所自体が不安の原因となると、酷く狂気じみたマッチポンプのようにキョウジには思えてならなかった。
「食事が喉を通らなかった日も多かったよ。でもほら。周りの誰もが、親身になって支えてくれてね。僕はどうにも、その手の好意に弱くてさ。不安の原因だと分かっていても、飛びついてしまった。甘えだね」
誰かの優しさにすがりつきたいほど不安定な心理状態のときに、特別に甘やかされでもしたら、自分ならどうするだろうか。誘惑に抗い、それを甘受せずにいられるだろうか。同じ境遇に陥った経験がないにせよ、キョウジにその自信はなかった。
キョウジの脳裏をよぎったのは、他者の愛情に身を委ねつつ、その不安の根本的な原因を払拭するために奔走する自分の姿だった。
「私はね、無条件で好かれることで不安になるなら、いっそのこと、好かれることに理由をつけようと思ったんだ。私が何かをして感謝されたら、それは好かれることを肯定する理由足りえると、私には思えたんだよ」
キョウジは、おそらく自分もまた、ファヌルスと同じ道を辿るのではないかと思った。
単に特別な能力によって得られている立ち位置を、何かもっと別の形――たとえば、自分と近しい距離にいる人間の願いを叶えてあげることで感謝されるといった関係に変えていけさえすればどうだろう。能力とは別の、好かれるに足る理由があれば。
それこそが、ひいては自分の内面に巣食う底知れぬ不安を拭い去ってくれるに違いない。
「だけど。さっきも言ったように、僕は頭の作りがいま一つでね。最初のうちは、必死にお手伝いなんかをして、お礼を言われることに夢中になっていたんだけれど」
ここまでの言動と考え方から、キョウジはあることを感じ始めていた。
どうもファヌルスという人物は、自分に似たところがあるらしい。同情できるか、賛同できるかといったことはともかく、ファヌルスの話は、キョウジには理解できた。
「何しろ、会う人すべてに好かれてしまうから。僕なんかが多少お手伝いしたところで、どうしようもない相手が出てきたんだ」
役人や大商人、あるいは貴族や王族といった国家権力と密接に結びついた階層の人々までがファヌルスに好意を抱き、恋人に向けるような親しみを持って甘やかす。幼かったファヌルスにしても、この状況を無条件に受け入れるという選択肢はなかった。
何故なら、そんな状態が長く続けば、自我は不安で蝕まれ、確実に精神のバランスを歪めてしまうと、ファヌルスは本能的に悟っていたからである。
ファヌルスの言葉を信じるとすると、その「お手伝い」を始めたのは僅か四、五歳からというから、できることなど高が知れていた。
自分に向けられる好意を能力のみによってではなく、理由のあるものとして自らが肯定するためには、相手が捧げてくれた好意に見合うだけの代償が必要だ。こうファヌルスが考えたとすれば、次にファヌルスが取る行動はキョウジにも予想できた。
自分が幼く、他人の好意に報いるだけの物質的な力がないなら、自分のために向けられる好意そのものを利用したらいい。
彼らに対して、「私よりも困っている人が居るから、そちらを助けてあげてくれないか。私のために」とでも囁けば、きっと、心を込めて助けてくれるだろう。
困っていた人達は、助けてくれた人と、ファヌルスに感謝するに違いない。
そこから生まれた感謝は、当然ファヌルスだけの能力で得られたものではないため、自身が困っていた人達から好意を受ける正当な理由となる。
「どうしよう。どうすれば、彼らに感謝されるだろう。僕は考えて、あることを思いついたんだ。私には力はないけれど、力のある人との人脈だけは豊富にある。問題を抱えている人に、解決できる人を紹介する。それだけで十二分に感謝されるんじゃないか、と」
やはり、とキョウジは思った。
この人物、ファヌルスという男は自分に似ている。
「実際、上手くいったよ。私は、他者の好意を甘んじて受け入れられるようになり、同時に、私が納得できるだけの感謝が得られた。この方法を覚えてからは、随分と気が安らいだよ。だけどね――」
「人脈は、使えば使うだけ広がっていくものですからね。知り合いが知り合いを紹介し、知り合いに知り合いを紹介される」
「あははは! 君は凄いなぁ。本当に。そう、そうだよ。そうなった。知り合いに知り合いを紹介されて、知り合いが増えた。彼らもやっぱり漏れなく、僕に対して、とても好感を抱いてくれたんだ」
心底嬉しそうに、ファヌルスは笑った。
キョウジを讃えるように手を叩く姿には、まったく嫌味がなく純粋さが窺える。それがまた、キョウジの目には信じがたく、不気味なものとして映った。
ネガティブ思考が骨の髄まで沁みついたと言うと、やや言い過ぎかもしれないが、どんなときでも物事をマイナス方向へ考える癖のあるキョウジにとって、ファヌルスの楽観的な態度は簡単に受け入れられるものではなかった。
本当にいい人間なんて一握りであり、人間の根底は悪だと信じて疑わない。それでいて、そんな風に何でも疑ってかかる自分のことが、キョウジは心底嫌いだった。もっと物事をプラスに、よい方に考えたいと常々、思っている。だが、この性分は未だに直っていない。
そんな自分と比べてファヌルスの姿はどうだろうか。
外見は絵に描いたような美丈夫。敗軍の将でありながら、焦りや恐れを感じている様子は微塵もない。沈着冷静に状況を見据え、敵国の日本人であるキョウジを讃えるほどの余裕を見せている。物事を悲観するという感情が欠如しているかのようだ。
キョウジは、自分には今のファヌルスみたいな振る舞いはできない、と思った。もし、逆の立場なら、大罪人である自分を待ち受ける絶望的な運命を想像し、不安と恐ろしさで正気を保つことすら難しかっただろう。あれだけ大きな被害を相手の国に与えたのだ。まかり間違えば、一国を滅亡に追いやるほどの戦いの実行犯として捕らえられた人間が、何のお咎めもなく無罪放免となるはずがない。
耐えがたい拷問を受けた末に処刑されるか、隣国との政治交渉の際の便利な道具として使われるか。何にしても、キョウジは、目の前の男のように楽しげな笑みを浮かべていられる自信も神経も持ち合わせてはいなかった。
むしろ自らの運命を呪うだろう。長い時間をかけて準備した空中要塞を破壊され、手塩にかけて教育した最強の日本人軍団を奪われたのだ。戦争を仕掛けた側とすれば逆恨みもいいところだが、もっと醜く恨みつらみを吐き出していたに違いない。
もちろん、世の中にはどんな状況に陥っても、超然とした態度を崩さずに、平常心を保っていることができる人間もいるだろう。
凄腕の元騎士団長ハンスをはじめ、以前は隣国の特殊部隊を率いていたセルジュ、大貴族でありながら百戦錬磨の武将としても知られるロックハンマー侯爵など、腹の据わった剛の者達なら、それも理解できる。
だが果たして、このファヌルスという優男を、彼らのような武勇の誉れ高い人物達と同列に考えてよいものか、キョウジは甚だ疑問だった。
というより、この男は、今まで収集した情報と、実際に会って話した印象からして、本質的には卑怯で卑屈でどうしようもない自分自身――スドウ・キョウジと似ているのではないか、という確信めいた思いを持った。
どういうわけか分からない。あくまでもキョウジの勘のようなものであり、匂いのようなもの、としか言い表せなかった。だからこそと言うべきか。キョウジは、直接会って話したいと思ったのである。
「知り合いが増えて、その知り合いに好かれて。その好意を肯定するために、人脈を使って。また、知り合いが増える。こういうの、なんて言うんだっけ。ペイ・フォワード、だったかな? ちょっと意味が違うかな?」
ファヌルスは楽しげに頬を緩めて首を傾げる。その何気ない仕草の一つ一つが絵になるほど美しく、人目を惹く。たとえ特殊な能力がなかったとしても、大半の人間が好意を抱くだろう。彼の能力は見目麗しいこの外見そのものだとも言えるかもしれない。
とはいえ、キョウジはイケメンが好きではないので、嫌悪感を示すだけだが。
「まあ、ともかく。あとは雪だるま式だよ。人が人を、好意が好意を。そうしているうち、僕の立場の話が持ち上がってきた。僕の元の両親は農家でね。言ってしまえば、貧乏だった。そこで僕に、公爵家への養子の話が舞い込んできたんだ。幸い僕は末っ子で、兄と姉が七人もいたものだからすぐに話は決まった。八人兄弟って、凄いと思わない?」
農家で家督の相続権のない次男以下の息子というのは、部屋住みと呼ばれる身分になることが多い。
土地を持てれば結婚して独立もできる。だが、なかなかそれは難しく、実家に身を寄せながら労働力として暮らす場合がほとんどだ。おそらくファヌルスも、そうなる予定だったのだろう。
そこに飛び込んできたのが、公爵家への養子縁組だった、というわけである。
「降って湧いたような幸運に恵まれた僕を、家族も祝福してくれたよ。僕はきっと幸せになれるだろう、って。支度金の話が出たとき、家族は驚いた顔をしてね。息子によい暮らしをさせてもらえるのに、お金なんて受け取れないって」
「そうして、貴方はリアブリュック公爵家へ入ったわけですか」
「閣下には妻も子もいなかったからね。スムーズにことは運んだよ。この世界では、強力な魔法を持つ子供を貴族が養子に迎えることは珍しくないからね」
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