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黒騎士は聖女に背脂醤油ラーメンを無理矢理作らせたい
しおりを挟む暗い石造りの部屋で、黒衣の騎士が、白い聖女を恍惚と見つめている。
聖女が白い聖衣をたすき掛けにして、腕をまくり、一心不乱に料理をするその姿を。
「あぁ……聖女リュール……調理するその姿、美しくも勇ましい……」
(こんな姿を見て何が楽しいのかしらね)
リュールと呼ばれた聖女はそう心のなかで毒づきながらも、料理の手を止めない。慣れた手つきで平ざるに載せた背脂を濾し、ラーメンに散らす。まるで雪のような白い背脂が器に降り注ぐ。
「良い…良いですね……ゾクゾクします……清らかで美しい貴女が、ぶ…豚の脂を…汚らしく撒き散らすなんて……」
騎士ノワールはその端正な顔を上気させ、その情欲を抑えるように、両の手で自らを抱きしめる。
「貴方の趣味は理解できないないわね……とにかく約束は守ってもらうわよ」
「当然です。騎士に二言はありません。なによりもこれは私と貴女だけの秘事なのですから……」
ノワールの誓いを聞いて、リュールはラーメンを彼の前に置く。
「はい。背脂醤油ラーメンお待ち!」
「おぉ……これは正に貴女があの夜、食べていた料理……」
「そうね。あちらの世界では背脂チャッチャ系ラーメンと呼ばれているわ」
「あぁ……これがセアーブラ……」
聖女が騎士に背脂チャッチャ系ラーメンを秘密裏に振る舞う。
この背徳の夜の秘事は、あの査問会が発端だった。
★☆
静謐な法廷に多くの人が集まっている。裁判官と査問官と。その中央には、白い聖女と黒い騎士が対峙している。聖女リュールと騎士ノワール。黒い軽甲冑を身に着けた騎士ノワールは、低く鋭い声で白い聖女に厳かに告げる。
「聖女リュール=ブラン。貴方には魔女の疑いがかけられている」
ノワールの視線の先には、純白の聖衣をまとった聖女リュールがいる。銀髪の聖女リュール=ブラン。教会にも認められ、誰からも敬愛されている女性だ。その柔らかな顔立ちがこわばっている。
「言いがかりです……」
懸命に反論する聖女リュール。
しかし、両手を握りしめ、うつむく姿はどこか罪を認めているようにも見える。
「既に述べたように、貴女が下層民の食堂に出入りしていることは既に幾人もの証人がいる」
「私は、民に分け隔てなく施しを行うために…」
「そうでしょう。それが貴女の聖女としての務めですからな」
「その通りです!何もやましいことはありません!」
聖女リュールは声を荒げる。
「しかし、その食堂に動物の死体が大量の搬入され、夜を通して作業が行われているという証言があるとなると話は変わってきますね……」
「……っ!?」
聖女リュールは虚を突かれた表情を浮かべる。
黒い騎士の意外な指摘と聖女の反応に法廷がざわつく。
「動物の死体を媒介にした……魔女の儀式か……」「まさか聖女リュールが……」
魔女とは忌み嫌われる外法で私利私欲を満たし、社会を混乱させる聖女の対局の存在。聖女が魔女であったとなれば大事だ。聖女の地位剝奪は免れ得まい。
そもそも一介の騎士が聖女を糾弾することなど、普通のことではない。騎士は聖女を守るもの。この重大な疑惑と、歴戦の騎士ノワールへの信頼があってこそ、この審理は実現した。なればこそ、その証拠や証言も十分にあるのだろうと審理院も考えている。
「それは……事実です……しかし……」
「しかし?」
「……」
聖女リュールは沈黙した。申し開きをするなら、今の時をおいて無い。
その沈黙の時間に法廷は更にざわつく「反論が無いのでは、黒と言っているようなもの……」「これは聖女剥奪は避けられないのでは……」
ざわつきに押され、聖女リュールは僅かに口を開けるが、ついぞ言葉にならなかった。
「残念ながら、聖女リュールからは、申し開きが無いようです。」
騎士ノワールは勝ち誇ったように宣言する。
「裁判長。既に真偽は明白と思います」
裁判長も頷かざるをえない。
「しかし、このノワール。誇り高き騎士として誤った判決は万が一にも避けたいとも思います」
ノワールの意表を突いた発言に、法廷は更にざわつく。
「私の見るところ、聖女様は言えない何か秘密がおありのようです。それを明かしていただくため、取り調べの機会をいただけないでしょうか?」
法廷のざわつきはひとしきり多くなった「流石公平を重んじるノワール様……」「聖女様もなにか言いたいことがあるようにも見えるしな……」
「よかろう。騎士ノワールの提案を採用する。今夜、一晩の猶予を与える。聖女リュールは騎士ノワールの指示に従うように」
こうして裁判長の裁決は下った。
★☆
リュールの尋問は街の離れの塔で行われることと決まった。
見張りと貯蔵庫を兼ねた石造りのその塔の一室で、聖女リュールは椅子に座っていた。眼の前にいるのは冷徹な瞳の騎士ノワール。法廷での軽甲冑ではなく、黒いシンプルなシャツを着ている。短い黒髪と同じく、濃く深い黒だ。
周囲には様々な荷物があるが、白い大きな布がかけられており、何が置かれているのかはわからない。
(あの騎士ノワールが、まさか拷問などしないだろうけど……)
とはいえ、リュールは不安を抱かずにはいられない。ここでは二人きりなのだから。叫んでも誰にも聞こえないし、誰も助けには来ないだろう。
黒い騎士と白い聖女の目線が合う。
「ノワール。わざわざ二人きりの弁明の機会を与えてくれてありがとう」
リュールは勇気を振り絞って、黒い騎士に声をかけるが、ノワールは答えない。
「貴方が言う通り、私には人に言えない秘密があって……公の場で言うことはできなかった……」
ノワールは黙ったまま。リュールはその沈黙を嫌うように続ける。
「二人きりなら……説明できると思うけど……それでも信じてもらえるか……」
ノワールは沈黙のまま、背を向け、白いシーツのかかった荷物に近づく。
まるでリュールの決死の弁明に興味がないように。
「あの……私は…」
リュールが言いかけると、ノワールは白いシーツを剥ぎ取った。そこから出てきたのはおびただしい食材だった。この塔は食料貯蔵庫としても使われているので、食料がある事自体は不思議ではない。ただ、貯蔵する食材にしては似つかわしくないほど新鮮で、貯蔵する必要のないものだった。
そう、シーツの下から現れたのは解体された豚、鶏、数々の野菜、大きな鍋……
「!!」
リュールは驚愕した。その食材が、彼女が王都の食堂で使っていたものと全く同じであることに。
「聖女リュール……貴女はこの世界の人間ではない……のでしょう?」
「!!!!!」
聖女リュールは誰も知らないはずの自らの秘密がノワールの口から出てきたことに心底驚愕した。
「一体どこから?」「何故?何を知っているの?」と疑念と困惑がリュールの頭の中で渦巻く。
「このノワール、人づての証言で人を測ることなどしません」
そう言うと、ノワールはリュールの方に一歩づつ、近づいていく。
「さる筋から、貴女に魔女の嫌疑がかけられたのは本当です。しかし、私は貴女が魔女だなど信じていなかった。嫌疑を出してきたのは嫉妬深いことで有名な令嬢でしたからね。私は嫌疑を晴らすために、貴女を尾行し、街の食堂にも潜入しました……」
ノワールはなおもリュールに近づく。
「そこで……見てしまったのですよ…」
ノワールはその険しく美しい顔を、リュールの近くまで寄せる。
「貴女が自ら料理をし、美味しそうに食べる姿を!!!」
(まさかよりによって騎士ノワール自身に見られていたとは……)
リュールは焦りを隠せない。
「何故、私がこの世界の人間ではないと?」
「貴方が作っていた料理は全く見たこと無いものでしたし…この調理器具を見た時に確信しました。このような細い鋼線で網を作る技術など、この世界には存在しない」
ノワールが台から取り上げたのはラーメン屋で使う平ざるだった。ノワールは平ざるを聖女リュールに突きつける。私が現世から持ち込めた唯一のアイテム。ステンレス製の簡素なものだが、確かに現代の技術がなければ作れないだろう。
「くっ……」
誰にも見つからないように食堂に隠していたのだが、家探しをしたなら見つかるだろう。
この事態までは想定していなかった。
ノワールが言う通り、聖女リュールは異世界からの転移者だった。聖女でもなんでもない。
(私は元々ラーメン屋のバイト。ラーメン屋で働いていた時に倒れ、転移してこの世界に来た。転移先は下層民の集落で、その後、現世の知識を使って人を助けるうちに聖女として持ち上げられただけ……)
リュールはこの世界に馴染んではきたものの、料理だけは質素で味も悪く、耐え難いものだった。そこで転移した際に世話になっていた食堂でたまに自分で料理をして、栄養不足と欲求不満を解消していたのだ。そこに魔女の嫌疑をかけられた。
「貴方は私が魔女ではないと最初から分かっていたはず。何故私を告発したの?」
リュールは初めてノワールを睨みつける。
「告発なんて、どうでもいいことです。聖女リュール、私が取り調べの結果『魔女の嫌疑は晴れた』と一言言えばいいだけの話ですよ。この尋問がそのためのものです」
「では一体……見返りが必要ですか……」
リュールは身構える。この場ではノワールに何一つ対抗できない。
「見返り…と言えば……そうですね…」
ノワールは微笑みながら、リュールに近づき、耳元まで顔を近づけてそっと囁いた。
「あの時、貴女が食べていたあの料理を……私にも作っていただきたい……」
「えっ?」
「あの時、貴女があの不思議な料理を食べる姿が、あまりにも喜びに満ち溢れ、美しく、気高く、あぁ、私の心を深く射抜いてしまったのです。私も同じ物を食べてみたい。そう!できることなら貴女と……」
ノワールは感極まって天を仰ぐ。恍惚とした表情。その頬は紅潮している。
「あの料理はなんというのです?美しくも汚らしいその姿、崇高でかつ悪魔的な香り…私は今まで聞いたことも見たこともありません」
「あれは…ラーメン………私が一番得意な料理だから……」
「ラ・メーン……なるほど…初めて聞く名前です。やはり貴女はこの世界の人ではないのですね」
リュールは元々料理は苦手だが、バイト経験のお陰で、ラーメンだけは仕込みから完璧にできる。
「私は貴女が調理する姿を一部始終、見ていました。麺をスープに盛り付けた後、貴女は何か白いものを雪のようにふりかけていましたね……あの光景が私の心に焼き付いて離れない!せっかく作り上げた美しい料理を白く汚すあの手際……私はゾクゾクして…」
(よりによって背脂をかけるとこをまで見られていたなんて…)
リュールが働いていたラーメン屋はいわゆる背脂チャッチャ系ラーメン、背脂を平ざるで濾しながらかけるのが一番の特徴だ。あまり女性に人気のあるタイプのラーメンではなく、この世界ですら、どちらかと言えば下品な料理と見なされるだろう。
「さぁ!貴女の料理をここで見せてください!私はこのために全てを準備してきました」
ノワールは手を広げ、食材を指さした。
(査問会もこのために…そこまでやる?って感じだけど……)
リュールは恐怖すら感じた。
「わかりました……ただし……条件があります」
「どんな条件でしょう?」
「私が異なる世界から来たことと私が作る料理のことは秘密にして」
(秘密を知るのは彼だけ。ならばこれを秘密にさえしてもらえれば……)
リュールにとってはこの秘密は生命線だ。
「ククッ…ハハハ……ハーハッハ!!!」
ノワールが笑い出す。さもおかしいと言った風情で。
冷徹一貫で知られるノワールが笑っているところをリュールは初めて見る。
「何がおかしいのよ!?」
「ハハハ……いや失礼。全く条件になってなかったもので……もとより私は秘密にするつもりでしたから」
ノワールは真剣な表情に戻ると、リュールに歩み寄り、膝を折って、優しく手を取り上げて口づけをした。微かな体温がリュールの手に伝わる。
「この事は、世界で私と貴女しか知り得ない秘密です。騎士ノワールの名にかけて。いえ、私の魂にかけて秘密を守り抜きます。二人が地獄の業火で焼かれようとも……」
ノワールの視線には抗えない熱情が籠もっていた。
「私は貴女がはしたなく脂を撒き散らす姿がみたい……」
それが黒騎士ノワールの心に秘められた願いだった。
(もう逃げられない)
リュールは覚悟する。
「この夜のことは全て私と貴女の秘め事です」
ノワールはリュールの覚悟を確認するように通告した。
★☆
「わかった。じゃあ作るけど……結構かかるわよ」
「望むところです。夜は始まったばかりです。その間、貴女と共に居られることを嬉しく思ってます」
ノワールは熱っぽく答え、どっかりと椅子に座る。眼はあくまでも真剣で、敵軍を睥睨する時のよう。
「じゃあ、スープからね」
リュールは長い布でドレスをたすき掛けにして、髪も後ろでまとめる。まとめた銀髪がふわりとたなびき、白いが女性にしてはたくましい腕が露出する。リュールは聖女と持ち上げられても、それなりに体を動かしてきている。
(元ラーメン屋のバイトをなめるんじゃないってのよ)
ここからは戦闘モードだ。
「おぉ……勇ましい姿……あの日、あの時見た、貴女の秘められた姿……」
リュールのうっとりした呟きを無視して、鍋を取り出す。
兵舎の厨房の鍋は、現世の寸胴鍋にも負けないほど大きい。ここに豚ガラと鶏ガラをぶち込む。
「この武器を借りるわね」
「どうぞ」
リュールは壁にかかっているロングソードを持ち出し、豚ガラを解体しだした。現世では豚ガラの解体は大変だったが、これだけ巨大な鈍器があれば楽なものだ。
(これ日本だったら銃刀法違反になるのかしら)
リュールはどうでも良いことを考えながら、豚ガラにロングソードをガンガンぶつける。
「あぁ……私の聖女が豚の死骸を砕いている…あぁ…こんな冒涜的な……」
ノワールはリュールの心のうちは知らず、熱っぽく見つめる。
(『私の』聖女って言うな)
リュールは心の中で毒づきながらも、黙々と豚を解体して鍋に放り込む。ここで脂身を取っておく。この背脂が最後の味の決め手になる。鍋に野菜も入れて、火をかける。この世界には魔導竈があり、燃料なしに熱することができる。ガスコンロ以上の簡単さだ。街の食堂でこっそりラーメンを作れたのもこのマジックアイテムによるところが大きい。
「さて、スープはこれでしばらく火にかけておけばOK」
(本当は一晩は煮込みたいところだけど、ノワールと一晩過ごすのは身の危険を感じるから短めにしておこう)
リュールは麺作りに取り掛かる。幸いにもこの世界では小麦は潤沢だ。製粉された小麦に水と塩を加え捏ねる。白い粉が、かすかに舞い、固まりとなっていく。
(そう言えば流石にかん水も重曹も無いわね。その分、強くこねて歯ごたえを出したほうがいいかな)
中華麺の歯ごたえはアルカリ性のかん水や重曹により生まれるが、どこにでもある食材ではないので、この世界ではまだ見たことがない。ここで、リュールにはちょっとしたいたずら心が芽生えた。
「ノワール。ちょっと手伝っていただけません?」
「貴女のためならなんなりと」
「良かった。力仕事が必要なの」
「力仕事なら任せてください」
ノワールは立ち上がり、リュールに近寄る。そのまま息がかかるほどの近さに近寄ってくる。
「ちょっと!そんなに近寄らなくていいから!この小麦粉を板に挟むから、上に乗って足踏みしてちょうだい」
「貴女が手で捏ねた物を私が足で?」
「そうよ」
「ふ…ふふふ…」
「何がおかしいの?」
「いえ、私も分からないのですが、聖女の貴女が手で捏ねたものを私が踏みつけると思うと…昏い喜びが……」
「いいから早く踏んで」
ノワールの興奮に少し不気味なものを感じ、苛立って声を荒げてしまう。
「あぁ、聖女リュール。これでいいでしょうか……」
ノワールはその丸太のような足で、おずおずと板の上に乗り小麦粉を踏みつけた。
その一歩一歩はとても力強い。
「あぁ……貴女のものをこんなに踏んでしまって……私は……もう……」
ノワールは興奮を隠さず、小麦粉を踏み続ける。
(頼まないほうが良かったかもしれない)
リュールはそう後悔したものの、麺生地の出来上がりは見事なものだった。
そして製麺。作業としては麺生地を麺棒で伸ばして切るだけだが、この世界には麺切り包丁がない。以前、作ったときもボソボソの太い麺にせざるを得なかった。しばらく考えて、またちょっとしたいたずら心が芽生えてしまう。リュールは言うべきかどうか少し迷ったが、気づいたときにはもう言葉にしてしまっていた。
「ノワール。もう一つお願いがあるのですが」
「何でしょう?私にできることでしたら」
「貴方の剣を貸してくださらない?麺を切るのに必要なの」
(言ってしまった)
リュールはハッとした。今夜は混乱続きで、判断が鈍っていた。流石に言い過ぎだ。騎士の魂たる剣を料理に使わせろとは、侮蔑と捉えられても仕方がない。
「この…我が家、伝来の黒剣を……料理に……??」
ノワールの表情がこわばる。
「すいません。無礼なお願いをしました。許して下さい!」
そう謝るリュールの声をノワールがさえぎる。
「貴女はなんと悪魔的なことを思いつくのか……」
そう呟くと、跪いて、自らの黒剣を差し出した。
ノワールの表情は喜びとも恥辱とも取れる複雑な表情だった。
「我が黒剣、お使いください。リュール。私もこの黒剣が貴女に使われるところを見てみたい」
ノワールの眼が潤み、口が震えている。
「そ、そう?じゃあ使わせてもらうわね」
かえって逃げ場の無くなったリュールは、黒剣を手に取る。両手でようやく持てるような重さだ。テーブルの上において、慎重に剣を鞘から取り出す。
黒く光る真っ直ぐな刀。この世界で見る中でも最上級の刃物だった。重たいけれど、振りかざすわけではないのでなんとかなりそうだ。
「じゃあ……使わせてもらうわね…」
「いかようにも」
「では、いきます」
リュールは伸ばされた麺生地に、黒刀の刃を当てる。
ノワールは黒剣が生地に当てられる瞬間を見逃すまいと眼を見開く。
「あぁ…我が黒剣が…聖女の手に…あぁ…刃が小麦の生地に……」
純白の小麦の生地に、黒剣の刃がそっと入り込む。
「あぁっ!入った…入ってしまった…聖女の手で…私の剣が…白い柔肌に……」
興奮するノワールを無視して、リュールは麺を切り出していく。黒剣の重みが生地を切断し、コツコツとリズミカルな音を立てる。鋭く研がれた黒剣で切り出された麺は、以前、刃毀れした包丁で切り出したものとは比べ物にならないほどきれいな断面になっている。
(これならいけそうね)
麺の出来を見るリュールの冷静さとは裏腹に、ノワールの興奮は止まらない。
「あっ…あっ…」
リュールが一本一本麺を切り出していくにしたがって、ノワールの熱も一段一段向上していく。
「た…たまらない…また一太刀、あぁ…刃が白い粉で汚れて…生地を切り出して…」
麺を切り出すリズミカルな音に、ノワールの身体も震える。
(なんだか変なことになっちゃったわね)
麺を切り終えたとき、ノワールは肩で息をするほど興奮していた。
リュールは黒剣の鋭い刃を柔らかな布で丁寧に拭う。
「ありがとうございます。素晴らしい切れ味でした。」
「あぁ…私の黒剣も喜んでいると思う……」
拭った黒剣を受け取ったノワールは、陶然とした笑みを浮かべていた。
(貴方が一番喜んでいるみたいだけど)
リュールはそう思いながらも、まるで現世で作ったかのような麺の出来栄えに満足していた。
☆★
ラーメンを作る行程は長い。夜もだいぶ更けてきた。
ノワールは作業中、リュールを見つめ、称賛の声をかけつづけ、興奮しっぱなしだった。リュールとしては、あまりの興奮ぶりに戸惑ったし、こそばかったが、今夜のことはあくまで二人の秘密。
(これでこの世界の自分の生活が保証されるなら、やりきる他ない……)
そう腹をくくっている。
「準備は整いました。お待たせしました。騎士ノワール」
リュールは気を引き締めるために、できるだけ冷静な口調を保つ。
「もう待ちきれません……是非お願いします。聖女リュール」
「ここからはすぐですよ」
「あぁ……」
ノワールはゴクリと喉を鳴らす。
リュールはなみなみと湧くお湯で麺を茹で、食器にスープを張る。平ザルで茹で上がった麺を湯切りし、スープに沈める。現世で、何百回、何千回とやった作業だ。平ざるがあれば、完璧にこなせる。
湯気の中、惑いなく動くリュールのその姿はノワールの心を改めて揺らす。
「美しい……まるで月の女神の舞踊を見ているようだ……」
ノワールの瞳には聖なるものを崇拝する高揚が煌めく。
リュールは仕上げに入る。煮込まれ調味された豚の背脂。これが背脂チャッチャ系の由来。白い背脂を平ザルで漉し、ラーメンの上にチャッチャと振りかける。白い背脂がリズミカルな音とともに細かい切片となって、ラーメンに降り注ぐ。
「あぁ……リュール……その姿…豚の脂を汚らしく撒き散らす姿……美しい……」
(さっきから何がそんなに嬉しいのかしらね……)
リュールはそう心のなかで毒づきつつも、調理の手を止めない。降りかかる白い背脂は白銀の雪のよう。すでに背脂は器の上に層になる程にも降りかかっており、現世で言うところのギタギタの量まで達している。白い脂はテーブルにも降り注ぐ。汚らしいが、これが背脂チャッチャ系のやり方だ。
「良い…良いですね……ゾクゾクします……清らかで美しい貴女が、勇ましい姿で、ぶ…豚の脂を…こんなに撒き散らして……」
屈強な騎士ノワールはその端正な顔を上気させて、その情欲を抑えるように、両の手で自らを抱きしめる。ノワールは興奮の頂きに上り詰めつつある。
「あぁ……テーブルまでが豚の脂まみれに……なんて汚らわしくも美しい……」
ノワールの恍惚としたつぶやきを遮るように器を差し出す。
「はい。背脂醤油ラーメンお待ち。」
「おぉ……これは正に貴女があの夜、食べていた料理……」
「そうね。これがラーメン。特にこれは『背脂チャッチャ系ラーメン』と呼ばれているわ」
「あぁ……これがセアーブラ…ラーメン……」
ノワールの前に、異世界の熱い麺料理、背脂チャッチャ系ラーメンがそっと置かれた。
★☆
ノワールはおずおずとスプーンで煌めくスープをすくう。背脂で妖しくきらめく琥珀色のスープ。
「あぁ……これがセアブーラ…ラーメン…」
スープをおずおずと啜る。天使から下賜された聖なる水を嚥下するように。
その豊潤で濃厚なスープが口内を満たす。清らかで豊かな旨味。脂の旨味と甘味の暴力。
「……言葉もない…この世のすべての料理はこの匙一杯スープに打ち負かされる…」
ノワールは放心した表情を浮かべる。
「このひと匙のなかに、天使の神聖さと、悪魔の暴力が同居している。聖なるものと悪しきものと…そう貴女という存在を凝縮したかのようだ……」
ノワールは続いて、フォークで麺を掴む。 真っ直ぐな、しかし力強い麺。それは聖女リュールが捏ね、ノワール自身が踏みつけ、自身の黒剣で切り落とされた麺だ。ノワールはそれを慎重にすくいあげ、ゆっくりと口に運び噛みしめる。 力強く跳ね返ってくるような歯応え。
「……うっ!」
その強烈な食感に、ノワールは思わず息をのむ。
「……あぁ…あの興奮が…私たちの愛の営みが…この料理には閉じ込められている…」
ノワールは熱に浮かされたように呟き、勢いよく麺をすすった。
「これはまるで貴女の情熱と私の情欲が織り込まれた糸……」
ノワールは勢いをつけ麺をすすり上げる。
(愛の営みとか情欲とかあんまり言わないでほしい)
リュールは恥ずかしくなってきたが、ノワールの熱っぽい独り言を止めることもできない。
そして、ノワールはすべてを平らげた。
「あぁ…聖女リュール……私の魂はこの料理にすべて吸い取られてしまった…」
「満足いただけたなら何よりです」
「素晴らしい……」
ノワールは放心し、宙を見つめている。
☆★
「騎士ノワール。これで私の嫌疑は晴れたということでよろしいですよね?」
リュールはやるべきことはやったと言わんばかりに聞いた。
「もちろん嫌疑は晴れました……ただ、もう一つお願いがあります」
「もう一つ?」
「最初に言った通り、私はできることなら貴方と一緒に、この料理を食べたい」
「……はい?」
「私は貴方が食べる姿が忘れられないのです。もし、貴女とこのセアブーララーメンを食べることができれば……私はこの秘密を胸に一生生きていけます。人生を貴女に捧げてもいい」
すがるような声色での懇願。先程までのような高圧的な言い方ではなかった。
「どうか……お願いします……」
「分かったわ。麺もスープも残ってるし……私もお腹すいたもの」
「おお!では!」
「それより貴方は二杯目も大丈夫なの?結構量あると思うけど」
「何杯でも大丈夫です!」
(まぁそうでしょうね)
そして、二巡目の調理。再び、麺を茹で、湯切りし、背脂を撒き散らす。今度は2人分。そして着丼。
「どうぞ」
「あぁ……ついに貴女とセアブーララーメンを……私はもういつ死んでも良い」
「大げさね……さて、私もいただくわ」
リュールはテーブルの対面に座る。ノワールと目が合う。ノワールの黒い瞳が熱っぽくリュールを見つめている。
「ありがとう……さぁ、一緒に食べましょう、リュール」
ノワールはそう優しく声を掛けると、フォークで麺を持ち上げて、すする。
リュールも食べ始めようとするが、ノワールの目線が気になって仕方がない。
「あの……見られてると食べづらいんだけど……」
「ですが…見つめずにはいられません…」
ノワールの視線は、リュールの一挙手一投足を追う。唇の動き、喉の震え、一つでも見逃せばすべてが終わるかのように。
リュールは下がった前髪を払うと、麺を軽く持ち上げて、スプーンで受け、おずおずとすする。太めの麺が唇にスルッと吸い込まれる。その瞬間、ノワールの瞳が一層輝いた。
「悪くないわね」
「あぁ…とんでもない……私は今、とても満たされています……」
ノワールはこれ以上無いほどの笑顔を浮かべている。
(この人こんな顔もできるんだ)
リュールは少し誇らしく、そして嬉しくもあった。ノワールの熱い視線が、リュールの心に甘い熱を灯す。
続けて、リュールはスプーンを取り、スープをたっぷりの背脂とともに掬って、口に運ぶ。滑らかで熱い液体が唇に吸い込まれる。脂の暴力で口の中が満たされる。味蕾が刺激され、頭の中にふわっとした温かい感覚が走る。リュールは目を閉じて、その味の深みを探る。
(あぁ…やっぱり良い…このガツンくる脂の甘味……)
この味は、リュールにとって、もはや欠かせない麻薬のようなものだった。久しぶりの旨味に、頭が少しボーッとしてくる。理性のタガが外れ、本能がむき出しになっていくよう。
ノワールもスープを飲みつつも、リュールの僅かな動きも見落とすまいと、その一挙手一投足に熱い視線を注いでいる。まるで、リュールの一口ごとに、自らの魂が躍動し、共鳴しているかのようだった。
「そう見つめないでよ……」
リュールは、恥じらいと、しかしどこか期待のこもった声で呟く。
「でも、私は目が離せません…貴女の、その…あぁ、リュール…貴女は、私にとっての…」
ノワールの熱っぽい視線に浮かされて、リュールも流石にドキドキしてきた。この閉ざされた二人きりの空間で、もっと大胆になっても良いのかもしれない。そう思うと、リュールはガッツリと麺をつかんで、勢いよくすする。潤った唇と麺から発する、ズルルと下品な音が、石造りの部屋に響き渡る。その音は、もはや下品などではなく、快楽へと誘う甘美な誘惑の響きだった。
「あぁ、リュール……なんてはしたない」
「音を立ててすするのが一番美味しいのよ。貴方もこうしてご覧なさい」
「えぇ……では遠慮なく」
ノワールも負けじと麺を掴み、大きな音を立ててすする。
「あぁ…貴女の言う通り、この音がまた私を熱くする……」
そして二人が黙々と麺をすする音が鳴り響いた。それは一風変わった白と黒の輪舞曲のようだった。情熱的で、官能的で、そしてどこか退廃的な音色。そして、互いの麺もつき、残るのは、濃密なスープのみとなった。二人の間には、言葉はなく、ただ、熱く、そして満ち足りた空気が流れていた。
「リュール……最後のお願いがあります……」
「今度は何?」
リュールはけだるげに答える
「スープを……貴女に飲ませて欲しい……」
リュールは首を傾げた。ノワールは真剣な瞳で、リュールの手元にあるスープをじっと見つめている。
「どうして?」
「このスープを貴女から飲ませてもらうことで……私達は一つになれる……」
ノワールの顔は、懇願する子供のように純粋で、切ないほどだった。
その表情に、リュールは強く惹きつけられるものを感じた。
リュールは諦めて、ノワールの願いを聞き入れることにした。
「わかったわ。少しだけよ」
そう言って、自分のスプーンでスープをすくった。背脂がたっぷりと浮いたスープは、ゆらゆらと琥珀色に輝いている。リュールはゆっくりとスプーンをノワールの口元へと運んだ。
ノワールは、まるで聖杯を受け取るように、そのスプーンを恭しく受け入れた。琥珀色の液体が彼の唇に触れ、ゆっくりと口の中へと流れ込んでいく。
ノワールは瞳を大きく見開き、全身に電流が走ったかのように身震いした。
「あぁ……リュール……」
彼は恍惚とした表情で、リュールの手をそっと掴んだ。その手は熱く、微かに震えている。
「これこそが、私が求めていたものです……私は貴女と今一つに……」
ノワールは、蕩けるような甘い声で囁いた。
リュールを射抜く、その視線には、情熱と狂気が入り混じった光を宿していた。
リュールは、その熱い視線に気圧され、思わず顔を赤らめた。
(もう、この人には一生逆らえない気がする……)
「さぁ、今夜、二人でセアーブラとともに溶け込みましょう…」
背脂が白と黒を彩る夜は、これから熱く燃え盛る。
(終)
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