彼女は仮面を被って生きている。

EriKa

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私は佐伯茜。

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朱色に近い赤色の口紅をつけ、ダメージ加工の入った細いジーンズに黒い高級素材のコートを羽織り、今にも折れそうな細く高いピンヒールで大きな音をならしながら歩く彼女の元に、1人の女性が駆け寄ってきた。大理石の上をヒールでコツコツとならしながら歩くのは、イライラしている時の彼女の癖だ。
「社長!!すみません......どうも運転手が到着していないらしく......」
「そんなことは知っているわ。ついさっきArumuDaumuのデザイン部門の子がなぜか私のところに来て教えてくれたの。私の秘書であるはずのあなたよりも先にね」
彼女は、そんな少し嫌味混じりの言葉を放った。そして、彼女の秘書であるらしいその女は体を少しだけ強張らせ、引きつった表情をした。
「そっ、それは......」
「まあいいわよ、それは」
彼女はその女の言葉を少しも聞かずにバッサリと切り捨て、続けて言った。
「それよりも理由を尋ねたいわ。どうして、迎えの車がきていないの?私を遅刻させる気?」
彼女の声は、ひどく冷たく、張り詰めた周りの空気でさえ支配しているかのような圧力があった。まるで、春になったばかりのこの気温さえも、一気に氷点下まで下げてしまいそうだ。
「どうやら、手違いで上手く運転手が手配できていなかったようで.........。本当に申し訳ございません」
女の声は弱々しく、徐々に小さくなっていく。そんなことに気づいてもいないかのように、彼女は言った。
「今からうちの服を使ってくれるっていう雑誌の編集部と打ち合わせだってのに。今日はそのあとにseasonsの新デザインの発表会の打ち合わせだってあるの」
「心得ております。それについては本当に申し訳ないと」
眉を下げ、今にも泣きそうな目をしたその女は、ヒールを履いているとは思えないほどの速さで歩き続ける彼女に小走りで着いて行く。小さなカバン一つで歩いている彼女とは違い、大量の荷物を持ったその女は、今にもバランスを崩しそうだ。
広く大きなビルの中。やっと出入り口まで歩き着くと、彼女は歩くのを止め、ロビーのソファに座り、その女に向かって言った。
「......萌黄。今からオフィスビル街突っ切る運転できる人5分で探してちょうだい。5分経っても誰も来なかったらヘリコプター呼ぶから」
そう言って、彼女は自分の荷物からタバコを取り出し、吸い始めた。
萌黄と呼ばれたその女は、彼女の言葉を聞いた途端、ホッとしたように少しだけ表情を明るくさせ、大きな声で返事をした。
「......はい!わかりました!すぐに手配します」
萌黄は高級スーツのポケットから自分のスマホを取り出し、電話をかけながら、1番近くにあったエレベーターに乗った。

ここは、都心に建つ高層ビル。とあるアパレル企業の本社である。
今ここで、秘書である萌黄が手配する運転手を待っている彼女こそが、この世界規模で人気の日本を代表するファッションブランド会社社長の佐伯茜である。彼女の経営する『CHIP's_』(チップズ)社は、メインブランドのCHIP's_をはじめとする、多くの系列店と姉妹ブランドを持ち、世の女性を魅了する服を作り続けている。seasonsやArumuDaumuも茜が持つブランドの一つである。彼女は23歳の時、無名のまま、たった一人で起業し、経験を重ね、8年経った今では世界でも名の通用する女社長になったわけである。数年間で、たくさんの事業に成功し、瞬く間に自社を大きなものへ成長させ、多くの富と名声を得た。
そんな茜が社交界へ出ることはほとんどなく、他のアパレル会社との競争もしない。自分の手元にある自らの会社だけを愛し、さらに大きく成長させていく。そんな彼女の生き方に憧れるものは少なくない。
他人を寄せ付けないほどの厳しさを持つ茜だが、彼女のもつそのセンスに取り込まれ、このチップズ社への入社を希望する者が多くいることはもちろん、彼女のもつブランドのイメージモデルになることを夢見る女性も、後を絶たない。どんなに酷評されようとも、何度もオーディションに臨むモデルがいるのも事実だ。
それほど、彼女のもつ感性は世界の人々を虜にしているのだ。

プルルルル......
茜のスマホが小さな振動とともに音を鳴らす。その音に気付いた彼女は、吸っていた自分のタバコを灰皿に押し付け火を消した。茜はスマホを手に持ち、画面をちらりと見た後、すぐに“応答”をタップし、電話に出た。そして
「なあに?」
と、短くそう言った。
「社長。車と運転手の手配ができました。すぐに玄関前に到着する予定です」
電話の相手は萌黄だ。彼女がそう伝えたすぐ後に、二重の自動ドアの向こう側に一台の車が止まった。
「ああ、今来たわ。案外早かったわね。ご苦労様」
茜はそれだけ言うと、電話を切った。ほんの十数秒間の通話だった。そのスマホを仕舞い、座っていたソファから立ち上がった。そして、今度はピンヒールをコツコツとならしたりせずに、二重になった自動ドアの向こう側へ歩いて行った。そして、彼女の秘書、萌黄が手配したその車に乗り込んだ。
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