ヴァルキュリア・サーガ～The End of All Stories~

紅い月のもとで

第十七話 昔の想い出

　宿屋で深い眠りに落ちていく、するとふと昔のことが夢に出てきた。幼い頃の夢、大人になるよりずいぶん昔。異世界に行くなんておとぎ話だと信じていた頃だ。

　僕は小学校でクラスメートになぐられて泣きながら家に帰った。二、三回なぐられただけだけど、理由もなくなぐられてその理不尽さに、自分が可哀想で泣いていた。

　家に上がると母親が僕の異変に気づき、そのあざはどうしたのかと聞いてくる、僕はなぐられたと答えた。どうして、と母が聞くと僕は泣きじゃくりながらわからないと言う。

　そこに昼間から酒を飲んでいた父親が現れて僕の顔をぶった。

「痛いよ！　何するんだ、お父さん！」

　なぐられる理由がわからない、そして何て僕は可哀想なんだと涙をこぼす。それに対し父は憤慨ふんがいしたのだ。

「いいか、よく聞け。なぐられるのに理由なんかいらないんだ。例えば今は俺がむしゃくしゃしているからなぐった。ただそれだけだ。それを泣いても誰も助けてくれないんだ、よく覚えておけ」

　ひどい父親だと当時は思った。仕事もろくにせず飲んでばかりいて、僕に優しくしてくれない。他人の家庭の話を聞いていつもうらやむばかりであった、だから、僕はわずかな抵抗として父をにらんだ。

「そうだ、俺をにらめ、俺を憎め。当然だ、俺はクズだからな。世の中には三種類の人間しかいない。良い奴と、ただのクズ。それに付け加えて良い奴を助けようとするクズ。良い奴になろうとしても無駄だ。所詮しょせんクズはクズ。どう逆立ちしようと良い奴になれはしない。

　ならせめて良い奴を守れるだけの力をつけろ、それ以外のクズの使い道はない。俺の子のお前もクズだ。クズからはクズしか生まれない。真っ当な生き方なんて出来やしない。なら、人を守れるだけの男になれ。お前の生きている価値はそれだけだ」

　それは父自身に言っている言葉だったのか、僕に不器用に何かを伝えようとしてくれたのか今になってはよくわからない。

　ただ、父はヤクザまがいの仕事をしてきて危ない橋を何度も渡ったらしい。母と出会った時に足を洗ったみたいだが、社会復帰しようとしてもろくな仕事にありつけやしない。

　貧しい家庭に生まれた僕は一家の期待の星だった。でも僕はそれを裏切った。クズの子はクズ。そうかもしれない、僕も真っ当な生き方、死に方ができなかった。

　しかし、それでも父はなんとか家庭を崩壊させないようにと、下げたくない頭を下げ仕事をしてはクビにされて、なんとか仕事にありつきを何度も繰り返して家計を支えてくれた。僕を守ってくれただけ自分よりもましな人間なのかもしれない。

　僕は普通というものに憧れた、でもそれは幻想だったのかもしれない。この世の中に普通なんてあるものか、そう悟った今なら父の気持ちが理解できる。

　そして、不器用ながらも生きていた父の背中を思い出し言葉を反芻はんすうする。

『世の中には三種類の人間しかいない。良い奴と、クズ。それに良い奴を助けようとするクズ。クズならせめて良い奴を守れるだけの力をつけろ』

　今更になって心に突き刺さった。メリッサを守れるだけの力を僕は持っているだろうか、所詮僕は落伍者だ、だが誰かを守ることは誰かを犠牲にすることでもある。誰かを幸せにすればその一方で誰かを不幸にすることになる、だとすれば、できるだけ大切な人々を守るには強大な力が必要だ。

　本当に誰かを守りたいと本当に願うなら、強くあらねば。強くならねばならぬ、そう、僕は強くなりたい。

　突如とつじょ、薄暗い中僕は目を覚ます、なんだ昨日木窓を閉めたまま寝てしまったのか。寝ぼけまなこで窓を開け日差しを呼び込む。ベッドをみると静かに寝息を立てる銀髪の姫君がいらした、なんと、眩まぶしいばかりだ。朝の陽光が窓から差し込み白銀に輝いていた。

　このような美しい娘には幸せになってもらいたい、それはエゴだろうか？　でも僕は彼女を幸せにする資格があるのだろうか、力があるのだろうか。答えのない問いに少し躊躇ちゅうちょする。

　ひと時彼女をぼんやりと見つめているとメリッサは重そうなまつげを上にあげて、碧色の瞳をこちらに向けた。

「おはよう、メリッサ」
「早いな、私はまだ眠い」

　そういうとメリッサは布団を体に巻き僕と反対側に体を向けた。小さい女の子の体の線を描くベッドが大きく感じた、それが何か悩まし気で掻かき立てるものがあった。

「もう一眠りするのかい？」
「もうすぐ起きるよ、目を覚ましているだけだ」

　しばらく、ベッドの上でごろごろもがいていたメリッサは、急に上半身を起こし、また、小さなあくびをする。

「おはよう、佑月。髪の毛が飛んでいるぞ。あとで直せ」
「しょうがないだろ、日本人の髪の質は固いんだ。君みたいに絹の糸のようなしなやかさはない」

「触りたいか？　触っても良いぞ。その代り一発なぐらせろ。何やらにやついたその顔に腹が立つ」

　どうやらレディーに対して失礼な顔つきであったらしい。自分の顔の筋肉をほぐしナイトの心持ちで姫に接する、しかし信じられないが、この娘とキスしたんだったんだな。

　重ねて信じられないことに、この僕のことを好いてくれているみたいだ。彼女に釣り合うように、なるべくりっぱな男であらねば。そう意気込んで心を新たにした、そして、メリッサはてきぱきと支度を済ませこちらに話しかける。

「さて下の階に食事をしに行くか。佑月準備しろ」

　髪型が気に入らなかったのか、小さな鏡を出しバッグから櫛くしを出して髪の毛をとく。あの食事か中世の食事は僕の口に合わないんだな。僕がちょっと不満げな顔していたのか、メリッサはこっちに視線を向けた後そっとささやいた。

「この世界の食事まずいよな。私も口に合わない。何か考えておく」

　え？　僕はその言葉に期待を膨らませた。本当かい？　メリッサがもし毎日料理してくれるとなると僕は死んでもいい、いや、もう死んだのだが、むしろ一回死んだ価値があるというものだ。

「その言葉に僕は夢をもって良いんだろ？」
「乙女に二言はない」

　そう言って柔らかにメリッサは嫋たおやかに笑った。僕は拳を握りしめてナイトらしく小さく喜ぶ、そうやって緩やかに僕たちは静かな朝を迎えた。