川底の鍵

滝川 魚影

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 引っ越して暫くは、毎週末、良子が明義の部屋を訪れた。
 良子が部屋にやってくると、必ず何か一つ物が増えた。
 小物や置物の類、小型のインテリア、最後には水槽と熱帯魚まで。
 二人はまさに、生まれて初めての、いわゆる「同棲生活」気分を味わっていた。
 電気炬燵のある六畳一間は、明義と良子にとっては、暖かな冬の隠れ家のようだった。
 そんな風にして、寒い冬が過ぎていった。
 気が付けば雪もほとんど溶け、窓下の川は山々から流れあつまる雪解け水で溢れんばかりだった。
 部屋の模様替えをしようと、いうことになり、朝早くから良子が下宿に来ていた。
 まず、必要な物を買い出しに、二人で近所のスーパーに行った。
 洗剤、布巾などの掃除用品と、さんざん迷ったあげく、特価商品となっていたグリーンのカーテンを購入した。
 明義は、もっぱら力仕事担当だった。
「アキちゃん、もっとこっつ、そう、もう少し」
 完全に良子の召使状態だった。
 だいたいの配置が完了し、明義はカーテンを取り付け、良子は、机の引き出しに、間仕切りを入れ、整理していた。
「アキちゃん」
「うん」
「これ何、この鍵」
「え、鍵」
 明義は、椅子を降りて、良子の方へ近づいた。
「あ、ああ、これね」
 明義は、それを処分するのをすっかり忘れていた。
「それは、あれだ」「あの、前の下宿の鍵」
 適当な嘘が見当たらず、明義は本当のことを言った。
「でも、もう使わねがら、捨てっべが」
 そういうと、明義は、川側の窓の網戸を開け、鍵を思いっきり川面目掛けて投げた。
 鍵は、音も立てずに流れの中央のあたりに飲み込まれていった。
「アキちゃん、何も川さ捨てるごとないべしたあ」
 良子は、そう言うと、しばらく笑っていた。明義の慌てっぷりがよほど可笑しかったのだろう。
 明義の救いは、慌てた理由を良子が一切詮索しなかったことだった。

 雪解け水のものすごい勢いに、すぐに流されると思われた鍵は、意外にも川底に沈んだ。
 それは、梅雨の時期を耐え凌ぎ、台風シーズンまでは、そこに留まっていた。
 そして、台風の大水で、新田のメインストリートに掛る橋付近まで一旦流されて、またそこで止まった。
 秋から冬へ季節は移り、川底の鍵は年を越した。
 そして一年。
 再びの雪解けのシーズンを迎え、鍵はかなり下流まで一気に流され、市の南部の河川に流れ込んだ。
 その河川は、やがて日本三大急流に合流する流れだったが、川幅は狭く、川底には水草が茂っていた。
 鍵は水草の上を滑るように流れて行った。
 細い流れは、最下流付近でさらに川幅を狭めた。
 そこに、一つの大岩があった。
 付近の村人はその岩のことを鯨岩と呼んでいた。
 鍵は、鯨岩の右端の下に潜り込んで岩と川底に挟まってしまった。
 鍵は、そこに何年も留まった。
 留まっているうちに更に錆びて、削られ、ただの錆びた金属片に変わっていった。
 もはや、鍵のフォルムを完全に失っていた。
 しかし、そのおかげで、金属片はやっとのことで鯨岩から開放されることになった。
 金属片は、ゆらゆらと流れ、ほどなく大河にたどり着いた。
 しかし、大河の水流の威力は、錆びた金属片にとって、思いのほか強大だった。
 金属片は、一瞬のうちにばらばら、粉々に砕かれ、唯の錆の粉となって、砂や泥と一緒くたとなり、流れの些細な構成要素の一部なって拡散していった。
 そして、その後には、ただ滔々と流れる大河だけが残った。

 焦げるような真夏の昼下がりだった。
 明義は、良子と連れだって、母の生まれ故郷の吊り橋に来た。
 橋はもうじき撤去される計画だった。
 そこからは、明義の母が幼少に遊んだという白砂の岸が見えた。
 かなり浸食が進んで、すっかり狭くなった岸だが、当時はもう少し広い砂浜のような岸だったのだろうか、と明義は想像した。
「アキちゃん、ほんてん、いいなが」
「うん、いい」
 明義は、右手を目線と同じ高さに上げて、手を離した。
 白い欠片は、真っ逆さまに落ちかけたが、不意の上昇気流で浮き上がった。
 ふわふわ、くるくる。
 それは、明義たちを眺めているようでもあった。
 それはしばらくそのまま、そこに浮遊しているかに思えた。
 しかし、再び気まぐれな風が、川上から駆け抜けてきて、欠片を一気に下流側へ運んでいった。
 次の瞬間、欠片は下方に向きを変え・・・
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