15 / 15
15(完)
しおりを挟む
引っ越して暫くは、毎週末、良子が明義の部屋を訪れた。
良子が部屋にやってくると、必ず何か一つ物が増えた。
小物や置物の類、小型のインテリア、最後には水槽と熱帯魚まで。
二人はまさに、生まれて初めての、いわゆる「同棲生活」気分を味わっていた。
電気炬燵のある六畳一間は、明義と良子にとっては、暖かな冬の隠れ家のようだった。
そんな風にして、寒い冬が過ぎていった。
気が付けば雪もほとんど溶け、窓下の川は山々から流れあつまる雪解け水で溢れんばかりだった。
部屋の模様替えをしようと、いうことになり、朝早くから良子が下宿に来ていた。
まず、必要な物を買い出しに、二人で近所のスーパーに行った。
洗剤、布巾などの掃除用品と、さんざん迷ったあげく、特価商品となっていたグリーンのカーテンを購入した。
明義は、もっぱら力仕事担当だった。
「アキちゃん、もっとこっつ、そう、もう少し」
完全に良子の召使状態だった。
だいたいの配置が完了し、明義はカーテンを取り付け、良子は、机の引き出しに、間仕切りを入れ、整理していた。
「アキちゃん」
「うん」
「これ何、この鍵」
「え、鍵」
明義は、椅子を降りて、良子の方へ近づいた。
「あ、ああ、これね」
明義は、それを処分するのをすっかり忘れていた。
「それは、あれだ」「あの、前の下宿の鍵」
適当な嘘が見当たらず、明義は本当のことを言った。
「でも、もう使わねがら、捨てっべが」
そういうと、明義は、川側の窓の網戸を開け、鍵を思いっきり川面目掛けて投げた。
鍵は、音も立てずに流れの中央のあたりに飲み込まれていった。
「アキちゃん、何も川さ捨てるごとないべしたあ」
良子は、そう言うと、しばらく笑っていた。明義の慌てっぷりがよほど可笑しかったのだろう。
明義の救いは、慌てた理由を良子が一切詮索しなかったことだった。
雪解け水のものすごい勢いに、すぐに流されると思われた鍵は、意外にも川底に沈んだ。
それは、梅雨の時期を耐え凌ぎ、台風シーズンまでは、そこに留まっていた。
そして、台風の大水で、新田のメインストリートに掛る橋付近まで一旦流されて、またそこで止まった。
秋から冬へ季節は移り、川底の鍵は年を越した。
そして一年。
再びの雪解けのシーズンを迎え、鍵はかなり下流まで一気に流され、市の南部の河川に流れ込んだ。
その河川は、やがて日本三大急流に合流する流れだったが、川幅は狭く、川底には水草が茂っていた。
鍵は水草の上を滑るように流れて行った。
細い流れは、最下流付近でさらに川幅を狭めた。
そこに、一つの大岩があった。
付近の村人はその岩のことを鯨岩と呼んでいた。
鍵は、鯨岩の右端の下に潜り込んで岩と川底に挟まってしまった。
鍵は、そこに何年も留まった。
留まっているうちに更に錆びて、削られ、ただの錆びた金属片に変わっていった。
もはや、鍵のフォルムを完全に失っていた。
しかし、そのおかげで、金属片はやっとのことで鯨岩から開放されることになった。
金属片は、ゆらゆらと流れ、ほどなく大河にたどり着いた。
しかし、大河の水流の威力は、錆びた金属片にとって、思いのほか強大だった。
金属片は、一瞬のうちにばらばら、粉々に砕かれ、唯の錆の粉となって、砂や泥と一緒くたとなり、流れの些細な構成要素の一部なって拡散していった。
そして、その後には、ただ滔々と流れる大河だけが残った。
焦げるような真夏の昼下がりだった。
明義は、良子と連れだって、母の生まれ故郷の吊り橋に来た。
橋はもうじき撤去される計画だった。
そこからは、明義の母が幼少に遊んだという白砂の岸が見えた。
かなり浸食が進んで、すっかり狭くなった岸だが、当時はもう少し広い砂浜のような岸だったのだろうか、と明義は想像した。
「アキちゃん、ほんてん、いいなが」
「うん、いい」
明義は、右手を目線と同じ高さに上げて、手を離した。
白い欠片は、真っ逆さまに落ちかけたが、不意の上昇気流で浮き上がった。
ふわふわ、くるくる。
それは、明義たちを眺めているようでもあった。
それはしばらくそのまま、そこに浮遊しているかに思えた。
しかし、再び気まぐれな風が、川上から駆け抜けてきて、欠片を一気に下流側へ運んでいった。
次の瞬間、欠片は下方に向きを変え・・・
良子が部屋にやってくると、必ず何か一つ物が増えた。
小物や置物の類、小型のインテリア、最後には水槽と熱帯魚まで。
二人はまさに、生まれて初めての、いわゆる「同棲生活」気分を味わっていた。
電気炬燵のある六畳一間は、明義と良子にとっては、暖かな冬の隠れ家のようだった。
そんな風にして、寒い冬が過ぎていった。
気が付けば雪もほとんど溶け、窓下の川は山々から流れあつまる雪解け水で溢れんばかりだった。
部屋の模様替えをしようと、いうことになり、朝早くから良子が下宿に来ていた。
まず、必要な物を買い出しに、二人で近所のスーパーに行った。
洗剤、布巾などの掃除用品と、さんざん迷ったあげく、特価商品となっていたグリーンのカーテンを購入した。
明義は、もっぱら力仕事担当だった。
「アキちゃん、もっとこっつ、そう、もう少し」
完全に良子の召使状態だった。
だいたいの配置が完了し、明義はカーテンを取り付け、良子は、机の引き出しに、間仕切りを入れ、整理していた。
「アキちゃん」
「うん」
「これ何、この鍵」
「え、鍵」
明義は、椅子を降りて、良子の方へ近づいた。
「あ、ああ、これね」
明義は、それを処分するのをすっかり忘れていた。
「それは、あれだ」「あの、前の下宿の鍵」
適当な嘘が見当たらず、明義は本当のことを言った。
「でも、もう使わねがら、捨てっべが」
そういうと、明義は、川側の窓の網戸を開け、鍵を思いっきり川面目掛けて投げた。
鍵は、音も立てずに流れの中央のあたりに飲み込まれていった。
「アキちゃん、何も川さ捨てるごとないべしたあ」
良子は、そう言うと、しばらく笑っていた。明義の慌てっぷりがよほど可笑しかったのだろう。
明義の救いは、慌てた理由を良子が一切詮索しなかったことだった。
雪解け水のものすごい勢いに、すぐに流されると思われた鍵は、意外にも川底に沈んだ。
それは、梅雨の時期を耐え凌ぎ、台風シーズンまでは、そこに留まっていた。
そして、台風の大水で、新田のメインストリートに掛る橋付近まで一旦流されて、またそこで止まった。
秋から冬へ季節は移り、川底の鍵は年を越した。
そして一年。
再びの雪解けのシーズンを迎え、鍵はかなり下流まで一気に流され、市の南部の河川に流れ込んだ。
その河川は、やがて日本三大急流に合流する流れだったが、川幅は狭く、川底には水草が茂っていた。
鍵は水草の上を滑るように流れて行った。
細い流れは、最下流付近でさらに川幅を狭めた。
そこに、一つの大岩があった。
付近の村人はその岩のことを鯨岩と呼んでいた。
鍵は、鯨岩の右端の下に潜り込んで岩と川底に挟まってしまった。
鍵は、そこに何年も留まった。
留まっているうちに更に錆びて、削られ、ただの錆びた金属片に変わっていった。
もはや、鍵のフォルムを完全に失っていた。
しかし、そのおかげで、金属片はやっとのことで鯨岩から開放されることになった。
金属片は、ゆらゆらと流れ、ほどなく大河にたどり着いた。
しかし、大河の水流の威力は、錆びた金属片にとって、思いのほか強大だった。
金属片は、一瞬のうちにばらばら、粉々に砕かれ、唯の錆の粉となって、砂や泥と一緒くたとなり、流れの些細な構成要素の一部なって拡散していった。
そして、その後には、ただ滔々と流れる大河だけが残った。
焦げるような真夏の昼下がりだった。
明義は、良子と連れだって、母の生まれ故郷の吊り橋に来た。
橋はもうじき撤去される計画だった。
そこからは、明義の母が幼少に遊んだという白砂の岸が見えた。
かなり浸食が進んで、すっかり狭くなった岸だが、当時はもう少し広い砂浜のような岸だったのだろうか、と明義は想像した。
「アキちゃん、ほんてん、いいなが」
「うん、いい」
明義は、右手を目線と同じ高さに上げて、手を離した。
白い欠片は、真っ逆さまに落ちかけたが、不意の上昇気流で浮き上がった。
ふわふわ、くるくる。
それは、明義たちを眺めているようでもあった。
それはしばらくそのまま、そこに浮遊しているかに思えた。
しかし、再び気まぐれな風が、川上から駆け抜けてきて、欠片を一気に下流側へ運んでいった。
次の瞬間、欠片は下方に向きを変え・・・
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる