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一
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その南北に長い国の北東部の沿岸は、長い年月を経て、隆起と浸食を重ね、変化に富んだ海岸線を形成してきた。
その沿岸近くには、いくつかの村落もあり、狩猟により生きる糧を得ていた時代に、今よりも温暖な時代があったという。
その中の一つの小村に、かつてない方法で鯨を捕らえようと試みた男があった。
男はオペと呼ばれていた。
オペとは、「秀でた狩人」という意味だ。
誰が言い出したわけでもなく、いつの間にかそう呼ばれていたのだ。
その時代には、人は名前を持たなかった。
名は、並外れた力を有する者のみに、与えれるものだったのだ。
斧で木を切るような、あるいはそれよりも高い音が響いた。
現在でいうところの魚板だろうか。
丸木舟を造った際の端材から偶然できたものだった。
音は、森で作業をしているオペの耳にも届いた。
深い森の中はひんやりとしていたが、そこを出てしまえば灼熱の午後。
南風は弱く、波はほとんど立っていなかった。
空はどこまでも青く、限りないほどに海が見渡せた。
イソンは、板を叩くのを止め、物見の木(ホオノキの大木)を蔦を伝って下りてくると、湾まで一気に走り降りた。
岩壁に寄せてあった丸木舟を岸まで押して海に浮かべ、銛と縄を舟に乗せ、オペを待った。
オペたちの漁の拠点とする湾は、幅六十間(一間は約一・八メートル)に満たない小湾だった。
湾内の海面はゆったりと静かで、海水は一見黒く重い油のようだった。
出現したフンペ(鯨)は、ヤキ(マッコウクジラ)であろうと、イソンは判じた。
物見の木の上から、フンペの噴気をかろうじて見分けることができたからだ。
噴気はフンペの進行方向に向かって斜め前方に吹き上がっているようだった。
それは頭の大きなヤキ特有の噴気だった。
イソンは、崖の上に目をやった。
オペに合図が聞こえなかったはずはなかった。
ヤキフンペは、一度潜ると長いこと浮上しないか、最悪、二度現れない。
もう一度合図を送らないといけないかと思い始めたところで、やっとオペが下りてきた。
おそらく、崖の上から、フンペの位置などを確かめていたのだろう。
オペは何事もなかったかのように、落ち着き払っていた。
全て分かり切っている、とでもいうかのように、いつにもまして冷静な物腰だった。
オペは、舟を見降ろし、道具が揃っていることを確認すると、櫂を手にとって、舟に乗り込んだ。
イソンも後に続いた。
間も無く、滑るように丸木舟が海に出て行った。
息を合わせて、全速力で漕ぐ。
すぐにフンペが出た辺りの洋上にたどり着いたが、すでにフンペの姿は無かった。
潜ってしまったようだった。
しばらく待ったが、フンペは再び姿を見せることはなかった。
森は、小湾に迫って在った。
その森は、内陸部の山脈まで続いていた。
その時代の温暖化によって、温帯林が増えたこともあり、森は鬱蒼と深かった。
オペは、その時代では珍しく長生きだった。
彼は、もとは、湾にほど近い集落で長をつとめていた。
オペの父も村長を務めた人物だが、村長は世襲ではない。
長になるからには、特別な能力が必要とされた。
オペは、唯一、海の神と通じている、とされていた。
幼い時から、彼が海に近づけば、事が起こる、と信じられていたからだ。
村には川が流れていた。
川には鮭が遡上する。
村の貴重な蛋白源だ。
川は森から流れ出ている。
森川の動植物が村を育んできたのだ。
その村にあって、海の素潜り漁に最初に挑んだ男がオペの父親だった。
その息子であるオペは、物心がつくと間もなく、海に潜り、多くの魚を銛一本で獲ってきた。
父親譲りと、誰もが言うようになった。
オペは、素潜りの達人というだけではなかった。
霊力がある、とも言われていたのだ。
なぜなら、オペは、二度も海の災いから集落を救ったからだ。
オペが少年だったある春の日、いつものように森に流れる沢で魚を獲っていた。
石の下に手を入れて、その下にいる魚を手づかみに獲るのである。
日の出とともに、漁を始め、そろそろ太陽が天辺に近づく頃、急に台地が大きく揺れた。
村人の記憶にないくらいの大きな揺れだった。
しかもその揺れは長く続いた。
一瞬身構えたオペは、次の瞬間には走りだしていた。
本能からか、あるいは何かを感じたのか、本人も分からずに気がつけば走っていたのだ。
オペが走りついた先は、あの小湾だった。
崖の上から、湾を見下ろすオペの目の前で、海が割れた。
湾内の海水が見る見るうちに沖に流れ出て行ったからだ。
飛び上がるように走りだすと、オペは村に急いだ。
当時二十人ほどの村民は、村長であるオペの父に導かれて、森の奥の大岩を目指した。
全員が大岩の上にたどり着くと、オペが海の彼方を指差した。
「ほう、ほおう」
巨大な海嘯(かいしょう=地震による津波)が白い水煙を上げて一直線に陸に近づいてきていた。
それはやがて、海岸を飲みこみ、それをものともせずに森に押し寄せてきた。
村長は、すぐに、さらに森の奥地へ村民を促そうとした。
その時、オペが父を制した。
オペは、そこを離れないほうが安全だ、と直感的に判断したのだ。
長は悩んだが、海は彼の決断を待たなかった。
そうしているうちに、水はどんどんと押し寄せ、あっという間に、大岩に到達した。
なぎ倒され運ばれてきた大木が大岩にぶつかり、地響きが起きる。
森は既に森ではなく、海の一部と化していた。
そのまっただ中にあって、大岩は、小島のように不動だった。
村人たちは大岩に生えた木々にしがみついて、身を寄せ合った。
再度沈黙を破ったのも、オペだった。
彼は、海面を指差して、ほう、とまた声を上げた。
海流が、逆流しはじめていた。
海はやがて、再び森を剥ぎ取りながら、帰っていった。
海嘯は、集落と森に甚大は爪痕を残していったが、幸い人的な被害はなかった。
オペの導きがなければ、そうは行かなかったことは明らかだった。
それからというもの、村人はオペを特別視するようになった。
オペのやることに注目し、彼の言葉に注意を払うようになったのだ。
そして何年かのちに、あの出来事が起きた。
オペは立派な青年となっていた。
その年の夏は寒く長雨が続いたせいで、森の恵みが少なかった。
それに輪をかけて、鮭がどういうわけかほとんど遡上してこなかったのである。
冬を越せるか、と誰もが案じていた。
その年の根雪となろう雪が降る明け方だった。
巨大なフンペが湾に漂着したのである。
偶然にも、その第一発見者はオペだった。
まさに、そのフンペは、村の飢餓を救った。
フンペの干し肉は何年にも渡って、集落の人々の蛋白源となった。
間もなく、オペの父親が突然亡くなり、オペが村長に納まった。
誰も異を唱えなかった。
しかし、オペが村長であった時期は短かった。
再び、台地が大きく揺れ、また海が割れた。
しかし、予期せず、気が付けば、海嘯が村のすぐ近くまで迫っていた。
その波は、前の規模を上回っていた。
それでも、オペは直ちに村人を寸でのところで避難させた。
しかし今度は、全ての村民を救うことはできなかった。
失われた村民の中には、オペの妻もいた。イソンの母だった。
オペは集落を去った。
自身の霊力に限界を感じたからだった。
乳飲み子のイソンは、オペが後継として指名したチラと、その妻に託された。
オペは一人、小湾の近くに住んだ。
オペが作った竪穴式住居の背後にせまる森に入ってすぐのところに、洞窟はあった。
そのことも、そこに住むことにした理由だった。
移り住んですぐに、オペは森に入り、理想的なクスノキを探しだし、石斧でもって何日もかけて切り出した。
オペの頭には明確な形ができていた。
かつて「河の熊」と呼ばれた男が漁に使っていたもの、それが着想であった。
「河の熊」はオペの父親と親交があった隣村の村長だった。
隣村と言っても、山二つ越えた、「北の大川」のほとりにある村だった。
「河の熊」は、オペの父を「海の熊」と呼んだ。
二人の親交の始まりはこうだ。
だいぶ前に、北の山が大雨によって崩れ、その谷に流れる川に大量の土砂が流れ込み、何年にも渡って川の漁ができないことがあった。
河の熊は、海の熊に救いを求めた。
海の熊は快く食物を提供した。
それが縁で、二つの集落の交流が始まったのだ。
また、両方の熊が生きていた時代、お互いの漁に加勢し合ったものだった。
お互いに学ぶべきものが多くあった。
海の熊の息子オペは、河の熊の舟による漁法に興味を持った。
オペは、一人でも河の熊の集落を訪ねて行き、小舟の漁に同行し、そのやり方を習得していった。
河の熊は、その小舟に立って乗り、銛を放ったり、網を打ったりした。
今、オペの脳裏あるのは、河の熊の小舟よりも、遥かに大きなものだった。
舟の長さに切られたクスノキの木材は全部で三体。
石鏃(せきぞく=石を材料として作られた矢尻)を使ってきれいに皮が剥がされ、洞窟に運ばれた。
そして、何年も乾かされた。
その何年間、オペは倒木を使い、舟の試作を行った。
準備はようやく整った。
そして、ついに墨入れの時。
オペは、木炭で線を描き入れていき、消しては入れを繰り返した。
やがて、線が定まったところで、今度は石鏃で線を刻んでいった。
あとは木を削っていくだけだった。
洞窟が、舟造りの作業場になっていた。
洞窟はまた、冬の間のオペの住処である。
来る日も来る日も、オペは石鏃で木を削り、ひと冬かけて丸木舟を完成させた。
大人四人が余裕で乗り込めるものだった。
もとより、舟に興味をもっていたオペだったが、それでも、何事もなければ、舟を造ることはなっただろう。
命の犠牲があり、湾近くでの漁の不調が続き、何よりも彼が自分自身の霊力の衰えを感じていたのだ。
しかし、舟の完成は、オペの神がかった力が、いまだ健在であることを村人に知らしめることになった。
事実、それは新たな伝説の始まりとなったのである。
その沿岸近くには、いくつかの村落もあり、狩猟により生きる糧を得ていた時代に、今よりも温暖な時代があったという。
その中の一つの小村に、かつてない方法で鯨を捕らえようと試みた男があった。
男はオペと呼ばれていた。
オペとは、「秀でた狩人」という意味だ。
誰が言い出したわけでもなく、いつの間にかそう呼ばれていたのだ。
その時代には、人は名前を持たなかった。
名は、並外れた力を有する者のみに、与えれるものだったのだ。
斧で木を切るような、あるいはそれよりも高い音が響いた。
現在でいうところの魚板だろうか。
丸木舟を造った際の端材から偶然できたものだった。
音は、森で作業をしているオペの耳にも届いた。
深い森の中はひんやりとしていたが、そこを出てしまえば灼熱の午後。
南風は弱く、波はほとんど立っていなかった。
空はどこまでも青く、限りないほどに海が見渡せた。
イソンは、板を叩くのを止め、物見の木(ホオノキの大木)を蔦を伝って下りてくると、湾まで一気に走り降りた。
岩壁に寄せてあった丸木舟を岸まで押して海に浮かべ、銛と縄を舟に乗せ、オペを待った。
オペたちの漁の拠点とする湾は、幅六十間(一間は約一・八メートル)に満たない小湾だった。
湾内の海面はゆったりと静かで、海水は一見黒く重い油のようだった。
出現したフンペ(鯨)は、ヤキ(マッコウクジラ)であろうと、イソンは判じた。
物見の木の上から、フンペの噴気をかろうじて見分けることができたからだ。
噴気はフンペの進行方向に向かって斜め前方に吹き上がっているようだった。
それは頭の大きなヤキ特有の噴気だった。
イソンは、崖の上に目をやった。
オペに合図が聞こえなかったはずはなかった。
ヤキフンペは、一度潜ると長いこと浮上しないか、最悪、二度現れない。
もう一度合図を送らないといけないかと思い始めたところで、やっとオペが下りてきた。
おそらく、崖の上から、フンペの位置などを確かめていたのだろう。
オペは何事もなかったかのように、落ち着き払っていた。
全て分かり切っている、とでもいうかのように、いつにもまして冷静な物腰だった。
オペは、舟を見降ろし、道具が揃っていることを確認すると、櫂を手にとって、舟に乗り込んだ。
イソンも後に続いた。
間も無く、滑るように丸木舟が海に出て行った。
息を合わせて、全速力で漕ぐ。
すぐにフンペが出た辺りの洋上にたどり着いたが、すでにフンペの姿は無かった。
潜ってしまったようだった。
しばらく待ったが、フンペは再び姿を見せることはなかった。
森は、小湾に迫って在った。
その森は、内陸部の山脈まで続いていた。
その時代の温暖化によって、温帯林が増えたこともあり、森は鬱蒼と深かった。
オペは、その時代では珍しく長生きだった。
彼は、もとは、湾にほど近い集落で長をつとめていた。
オペの父も村長を務めた人物だが、村長は世襲ではない。
長になるからには、特別な能力が必要とされた。
オペは、唯一、海の神と通じている、とされていた。
幼い時から、彼が海に近づけば、事が起こる、と信じられていたからだ。
村には川が流れていた。
川には鮭が遡上する。
村の貴重な蛋白源だ。
川は森から流れ出ている。
森川の動植物が村を育んできたのだ。
その村にあって、海の素潜り漁に最初に挑んだ男がオペの父親だった。
その息子であるオペは、物心がつくと間もなく、海に潜り、多くの魚を銛一本で獲ってきた。
父親譲りと、誰もが言うようになった。
オペは、素潜りの達人というだけではなかった。
霊力がある、とも言われていたのだ。
なぜなら、オペは、二度も海の災いから集落を救ったからだ。
オペが少年だったある春の日、いつものように森に流れる沢で魚を獲っていた。
石の下に手を入れて、その下にいる魚を手づかみに獲るのである。
日の出とともに、漁を始め、そろそろ太陽が天辺に近づく頃、急に台地が大きく揺れた。
村人の記憶にないくらいの大きな揺れだった。
しかもその揺れは長く続いた。
一瞬身構えたオペは、次の瞬間には走りだしていた。
本能からか、あるいは何かを感じたのか、本人も分からずに気がつけば走っていたのだ。
オペが走りついた先は、あの小湾だった。
崖の上から、湾を見下ろすオペの目の前で、海が割れた。
湾内の海水が見る見るうちに沖に流れ出て行ったからだ。
飛び上がるように走りだすと、オペは村に急いだ。
当時二十人ほどの村民は、村長であるオペの父に導かれて、森の奥の大岩を目指した。
全員が大岩の上にたどり着くと、オペが海の彼方を指差した。
「ほう、ほおう」
巨大な海嘯(かいしょう=地震による津波)が白い水煙を上げて一直線に陸に近づいてきていた。
それはやがて、海岸を飲みこみ、それをものともせずに森に押し寄せてきた。
村長は、すぐに、さらに森の奥地へ村民を促そうとした。
その時、オペが父を制した。
オペは、そこを離れないほうが安全だ、と直感的に判断したのだ。
長は悩んだが、海は彼の決断を待たなかった。
そうしているうちに、水はどんどんと押し寄せ、あっという間に、大岩に到達した。
なぎ倒され運ばれてきた大木が大岩にぶつかり、地響きが起きる。
森は既に森ではなく、海の一部と化していた。
そのまっただ中にあって、大岩は、小島のように不動だった。
村人たちは大岩に生えた木々にしがみついて、身を寄せ合った。
再度沈黙を破ったのも、オペだった。
彼は、海面を指差して、ほう、とまた声を上げた。
海流が、逆流しはじめていた。
海はやがて、再び森を剥ぎ取りながら、帰っていった。
海嘯は、集落と森に甚大は爪痕を残していったが、幸い人的な被害はなかった。
オペの導きがなければ、そうは行かなかったことは明らかだった。
それからというもの、村人はオペを特別視するようになった。
オペのやることに注目し、彼の言葉に注意を払うようになったのだ。
そして何年かのちに、あの出来事が起きた。
オペは立派な青年となっていた。
その年の夏は寒く長雨が続いたせいで、森の恵みが少なかった。
それに輪をかけて、鮭がどういうわけかほとんど遡上してこなかったのである。
冬を越せるか、と誰もが案じていた。
その年の根雪となろう雪が降る明け方だった。
巨大なフンペが湾に漂着したのである。
偶然にも、その第一発見者はオペだった。
まさに、そのフンペは、村の飢餓を救った。
フンペの干し肉は何年にも渡って、集落の人々の蛋白源となった。
間もなく、オペの父親が突然亡くなり、オペが村長に納まった。
誰も異を唱えなかった。
しかし、オペが村長であった時期は短かった。
再び、台地が大きく揺れ、また海が割れた。
しかし、予期せず、気が付けば、海嘯が村のすぐ近くまで迫っていた。
その波は、前の規模を上回っていた。
それでも、オペは直ちに村人を寸でのところで避難させた。
しかし今度は、全ての村民を救うことはできなかった。
失われた村民の中には、オペの妻もいた。イソンの母だった。
オペは集落を去った。
自身の霊力に限界を感じたからだった。
乳飲み子のイソンは、オペが後継として指名したチラと、その妻に託された。
オペは一人、小湾の近くに住んだ。
オペが作った竪穴式住居の背後にせまる森に入ってすぐのところに、洞窟はあった。
そのことも、そこに住むことにした理由だった。
移り住んですぐに、オペは森に入り、理想的なクスノキを探しだし、石斧でもって何日もかけて切り出した。
オペの頭には明確な形ができていた。
かつて「河の熊」と呼ばれた男が漁に使っていたもの、それが着想であった。
「河の熊」はオペの父親と親交があった隣村の村長だった。
隣村と言っても、山二つ越えた、「北の大川」のほとりにある村だった。
「河の熊」は、オペの父を「海の熊」と呼んだ。
二人の親交の始まりはこうだ。
だいぶ前に、北の山が大雨によって崩れ、その谷に流れる川に大量の土砂が流れ込み、何年にも渡って川の漁ができないことがあった。
河の熊は、海の熊に救いを求めた。
海の熊は快く食物を提供した。
それが縁で、二つの集落の交流が始まったのだ。
また、両方の熊が生きていた時代、お互いの漁に加勢し合ったものだった。
お互いに学ぶべきものが多くあった。
海の熊の息子オペは、河の熊の舟による漁法に興味を持った。
オペは、一人でも河の熊の集落を訪ねて行き、小舟の漁に同行し、そのやり方を習得していった。
河の熊は、その小舟に立って乗り、銛を放ったり、網を打ったりした。
今、オペの脳裏あるのは、河の熊の小舟よりも、遥かに大きなものだった。
舟の長さに切られたクスノキの木材は全部で三体。
石鏃(せきぞく=石を材料として作られた矢尻)を使ってきれいに皮が剥がされ、洞窟に運ばれた。
そして、何年も乾かされた。
その何年間、オペは倒木を使い、舟の試作を行った。
準備はようやく整った。
そして、ついに墨入れの時。
オペは、木炭で線を描き入れていき、消しては入れを繰り返した。
やがて、線が定まったところで、今度は石鏃で線を刻んでいった。
あとは木を削っていくだけだった。
洞窟が、舟造りの作業場になっていた。
洞窟はまた、冬の間のオペの住処である。
来る日も来る日も、オペは石鏃で木を削り、ひと冬かけて丸木舟を完成させた。
大人四人が余裕で乗り込めるものだった。
もとより、舟に興味をもっていたオペだったが、それでも、何事もなければ、舟を造ることはなっただろう。
命の犠牲があり、湾近くでの漁の不調が続き、何よりも彼が自分自身の霊力の衰えを感じていたのだ。
しかし、舟の完成は、オペの神がかった力が、いまだ健在であることを村人に知らしめることになった。
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