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六 桃栗三年

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ももくりさんねん

「それじゃあ、おサトちゃは、桃、栗だねえ」
 桃栗三年柿八年。
 この普通のことわざを聞く度に、サト(ハマ)は、修行三年目の信州路を思い出した。
 サト、満九歳の晩秋であった。
 想い出深い年なのである。
 いや、それはサトにとってだけではなかったろう。
慶応三年(一八六七年)という年は、江戸時代の最後の年。
「姉さ、それは、どんげな意味か」
 何でも、新しい事は知りたくてしょうがなかった当時のサトは、丸山組のキクに訊き返した。
 信州の旅と言えば、この丸山組と同行することが多かった。
 サトの五つ上のキクは、サトの事を妹のようにかわいがってくれたものである。
 当時、たった十四歳の少女キクが、サトにとっては、何でも知っている大人に想えたものであった。
「そりゃ、おサトちゃ、桃栗三年柿八年いうてね。ことわざ、いうのだよ。どんな樹でも実をつけるまでには、年数がかかるということさね。おサトちゃは三年目でしょう。少しは修行の年数も経って来たけどね、まだまだ、ということでもある」
 キクは、喜久代を省略した呼び名だった。
 サトよりも一歳早く、修行入りしたキクは、もう二年前に名替えの儀式を終え、もはや一人前の瞽女であった。
「てことは、喜久代姉さは、もう柿がふっとつ実ってるってことだね」
「たわわかどうか知らねえども、まあ、そこそこ実ってるかねえ。相変わらず、分かりがはやいね、サトちゃは」
 サトは、唄の覚えがはやい、とよく言われていた。
 後に振り返って、サト自身、三年目が瞽女生活の中で一番多くの唄を覚えた、と想う。
 ただ、唄の意味を良く知り始めるのは、名替えが済んだ後のことで、そう考えても、桃栗三年柿八年、ということわざは良く出来たことわざだ、とサトは想ったものである。
 そのことわざだけでは無い。
 キクは、サトに良い事も悪い事もいろいろと教えてくれた。
 そういう意味でも、キクはサトにとって、本当の姉のような存在だったのである。
 修行三年目の信州の旅は、そのキクとの想い出の中でも忘れる事ができない旅だった。
 その旅も終盤で、小濁こにごり(現・新潟県妙高市小濁)の定宿じょうやどでのことであった。
 親方や、上の姉さたちは、宴会が遅くまで続きそうだった。
「それなら、どれくらいなってる」
「いや、数の話じゃないのさ」
 いや、と来た時は、必ず何か新しい話だ、とサトは直感して、身構えた。
「それじゃあ、何」
「盲だろうが、瞽女だろうが、オンナになってしまう、ということさ」
 キクは、声を低くして言った。それは明らかに他人の聞き耳を考えてのことだが、すでに口の端に上っただけで、瞽女としては罪深い事かもしれなかった。
 オンナになる、という言葉を発するだけで。
 瞽女は、オンナになってはいけない。
 男子禁制。それは、もっとも重い瞽女社会の掟である。
 これを犯せば、修行中の者は年数を削る「年落ねんおとし」の罰を受け、場合によっては組織を追われる。
 それゆえ、そういう事は話題にしても、相当危ない橋であることは、サトにでさえ、分かった。しかし、分かっていても、何でも知りたい年頃であった。
 しかし、サトは聞き返せなかったし、言葉に詰まった。なぜならこれ以上踏み込めば、聞いてはいけない事を聞くことになるのは知れているからであった。
「決まりは決まりで仕方がねえ。だども、体がオンナになってしまう事は止めらんねえ」
 キクは、サトの予想に反して、当たり前の事を言った。
「生まれた時から女だーすけ」
「いや、そんげな事言うてるのでねえさ。そう言うことは、おサトちゃは、まだなんだねえ」
 サトは、またわけが分からなくなって口をつぐんだ。
「お腰を汚したことはねえんだろ」
 お腰とは、下着のこと。
 更に分からなくなってサトは、だまり続けたが、意味が分からなくても、お越しを汚す、ということが、何やらすごく悪い事であるように感じたのであった。
 構わずにキクは続ける。
「体がオンナになる、てことは、子身ごもる事ができる体になる、てことさ。もちろん、瞽女は、そうなってはいけねえ。なったら破門」
 キクは、不意に言葉を切る。そして、手をサトの肩に置いて、サトを引き寄せた。
「だどもさ、無理にそうなる時もある」
 サトは、恐怖で、身震いをした。
 さらに、キクは追い打ちをかけた。
「あと、一年、いや、二年すれば、おサトちゃにも分かるさ」
 二人は、布団の中に戻った。
 サトの恐怖は、布団の中でしばらく続いた。
 いつもは、楽しい話をしてくれるキクは、その夜はとても怖い話をした。
 まもなく、姉さたちが帰ってくる音がした。
 姉さたちが、楽しげにひそひそと、今夜の客の話をしているのを、サトは聞くともなく聞いていた。
 なぜが、いつにも増して、姉さたちがたくましく思えた。
 そう思えて、わけもなく安堵したらしく、そのうちにサトは眠りについた。
 そして、夢を見た。
 春治の夢だった。
 兄ちゃん、兄ちゃんとサトが追いかけても追いかけても、ふいっと春治が行ってしまう夢だった。
 翌朝目覚めたサトは、改めて自分が夫婦めおとになることが出来ない身であることを、なぜか自覚していた。
 それは、キクの話が関係していることは明らかだった。
 恐怖は、なぜか諦めに変わってしまった。
 サトにとって、その夜のキクが、キクの想い出の中で、もっとも古く、強いものであった。

 キクは、それから五年後に亡くなった。
 親方になる前にだ。
 杉本家のシズ姉さが、サトに教えてくれたが、死因は、中条丸ちゅうじょうがん(江戸時代の避妊薬で、水銀が混ぜられていた)の中毒だ、と言う噂だった。
「あんなに良い声で、お吉清三きちせいざが、ほんとに上手くてね。丸山のおタカさが言うたったども、患うた後も、腰痛い痛いって言いながら、ほんとに最後まで、お客さんにせがまれて、お吉清三良う唄うたったってっさあ」
 キクの死後、サトが望まなくとも、キクの噂が耳に届くことがあった。
 相手は、父親ほども離れた、どこそこ村の富農の主だとか、庄屋の若旦那だとか。
 サトはその度に聞こえないふりをしてやり過ごしたのだったが、そんな噂も、二年経ち、三年経てば、もう聞かなくなった。
 「お吉清三」口説というのは、京の都で起こった、商家の奉公人と主家の娘の悲恋を唄った唄である。
 その唄の意味を、サトが分かるようになったのは、キクの言ったとおり修行八年目のことだ。
 キクの心が分かったような気がした。
 いや、心ではない、念であろう。
 情念。
(確かに私、あの修行三年目の旅で、おキク姉さの「お吉清三」を初めて聴いた)
 サトは、ふと回想した。
(あん時は、何も解ってなかったけど・・・)
 キクは、「お吉」に自らを投影していたのかもしれなかった。
 オンナに成り、男を知り、それでもその事をひたすら隠し通したのだろう。
 それが元で命を落としたが、キクは最後まで瞽女であり続けたのであった。
 サトはその事を識ってから、「お吉清三」を自分の持ち唄として極めようと決めたのであった。
 それが、サトなりの、おキク姉さへの追善供養であった。

 ・・・(前略)
 お吉想うて 病となりて
 思う念力 岩さえ通す
 天に通じて お吉が寝間へ
 枕夢にと 立ちたる姿
 お吉目覚まし あたりを見れば
 いとし可愛いの 清三が見えぬ
 ひと目知らずに ただ泣くばかり
 舟で行こうか 陸路くがじを行こか
 もしやせんちょ船中に 怪我あるときは
 清三様にも 会わずに果てる
 難儀ながらも 陸路を行こと
 運びなれない 初旅なれば
 疲れはてたる この身の上と
 しばし歩めば 大阪町よ
 清三やかたは どこじゃと問えば
 本町二丁目 菊屋というて
 あれ清三の 館と聞いて
 笠を手に持ち 背をこごめては
 ごめんなされと 腰打ち掛けて
 物の哀れや 清三の母が
 涙片手に 数珠つまぐりて
 若い女中が ようこそお出で
 お前どちじゃと いずくを問えば
 お吉こたえて あら恥ずかしや
 わしが京都の 糸屋の娘
 清三様とは わけある仲よ
 どうぞ一度 会わせて給え
 言えば清三の 母親さんは
 お前たずぬる 清三が果てた
 今日は七日なぬかの お寺に参る
 あれにかけたる もんぱえ(門牌)見やれ
 お吉それ見て ただ泣くばかり
 そこで母親 力を付けて
 若い者でも 死なねばならぬ
 清三想わば お寺へ参り
 さとうたむかい(手向け) 香焚き付けて
 数珠をつまぐり 下向げこうのせつに
 寺の大門 小杉の下で
 あれは清三の 墓所はかしょと聞いて
 お吉よれより 塔婆とうばにすがる
 さぞや懐かし 清三様へ
 妻が来たぞや のう清三さ
 もとの姿で 会わせてたまえ
 ・・・(後略)
   (瞽女口説『お吉清三』より)

 唄う度に、それはおキク姉さの唄だ、とサトは想うのであった。
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