マルテナ徒然抄 ~ 100cats 姉妹物語 ~

滝川 魚影

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(十五)工房アンテナショップ、来る

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 ベッドから下り、時計を見れば、四時過ぎ。いつもどおりだな。僕は 台所に行き、冷蔵庫からソーダを出し、グラスに一杯飲み干す。二杯目を注いでデスク進み、ノートPCを開く。トイレ。着替え。朝のルーティーンですよ、これが。
 pCは自動的に立ち上がっており、デスクトップのショートカット「本ばこ」を開け、さらに「嵐が丘」フォルダを開き、「嵐が丘」PDFファイルをダブルクリック。
 読書の時間だ。何年も前から、僕は本をPCかタブレットで読んでいる。
 それから、約一時間。しかし、今日はもうちょっとやることがあるんだよ。練習プログラムを作成しておかないと。その前に、先日ハルヤマ先生は、部活はグラウンドでやっている、ということだったが、雨の日はどうしてるんだろうか。休みか。室内か。それを確認しないとな。後でメールしておこう。「先生に確認する事項」ドキュメントを作成し、メモ。ついでに、市の競技場の利用状況についても確認する、とメモ。
 さらに、筋力トレーニングの実施状況を確認する。あ、その前に、過去三年くらいの成績。それから、そもそも、生徒の部活に対する期待度の確認。いや、まず、入塾した生徒たちに確認すべきだな。ドキュメントの大見出しを、「ハルヤマ先生に確認すること」「受講者に確認すること」と、大別して、と。
 おそらく、たぶんだが、入塾する生徒への指導をしているうちに、結果として、部全体へ、共有されることとなるんだろうな、きっと。そこは、ハルヤマ先生に、そもそも確認しておかないといけないよね。
 うーん、なかなか、やることが多いな。
 そうこうしているうちに、六時。今日の仕入れはどうしようか。とりあえず、昨日の分が、全て売り切れたかどうか、によるので、今朝は仕入れを止めておこう。我が菜園への水やりだな。
 今日もカラ梅雨続行ってかんじですね。水やりをひととおり終えて、僕は、生育状況がちょっと変、と思った。何か、天候が良すぎるのに、はっきり言って、生育が遅いような気がしたのだ。暑すぎるせいか。キュウリだって、ミニトマトだって、こんだけ天気が良いんだから、もうできてきても良いはずだよな。
 まだ、七時前か。中学校のグラウンドを見に行こう、散歩がてら。
 国道255の交通量は疎ら。十分もしないで、グラウンドの北東隅に差し掛かる。やっぱりか。歩きながら考えていたが、おそらく、陸上競技に不向きなグラウンドなんだろうな、と。その予想が的中する。早い話が、トラックが無いのである。これは、サッカー向きのグラウンドかな。以前からこうだったのか、あるいは平成あたりから、こうなったのか。いずれにしても、日本で「サッカーブーム」が始まった頃に、こういう感じになったのだろう。野球向きですら無い。
 まあ、これでは、陸上競技のレベルは上がらない。予想だが、神奈川県西部の中学校のグラウンドは、おそらく似たりよったりの形になっているのだろう。良くて、野球への強弱に差がある程度ではないのだろうか。まあ、全部把握する必要もないが、そのうちにハルヤマ先生に訊いてみるか。
 よーく分かりました、という気分で、おばさんの家に着くと、ミエコおばさんは、ラジオ体操をしていた。
「おはよう、おばさん。三日坊主じゃないじゃん」
「そう、今のところはね」
「今日は何が食べたい」
「うーん、麺類」
「じゃあ・・・、スープ・ひやむぎでも作るか」
「何だそりゃ」
「今、瞬間的に思いついた新しい料理」
 まず、バスルームに急行し、手洗い、うがい。続いて台所に行き、鍋に水を張り、火にかける。
 噂によれば、また、コヴィッドの患者が少し増え始めているらしい。日本人は大昔から言われているが「喉元過ぎれば熱さ忘れる」人種と言われている。もう、コヴィッドの脅威は過ぎ去った、と世の中はそういう雰囲気である。東北自動車道のSAでそれを実感したことで、それでか、と合点がいったところであった。僕も、これから中学生と相対したり、コマキネ塾に出入りするのだから、細心の注意が必要だと思う。うちには、年寄りが居るのでなおさらだ。
「ミエコおばさん、大将の話では、また、コヴィッド感染者が増えてるらしいから、気をつけた方が良いね」
「あら、そうなの。マスク、手洗いね」
「うん。それから、時間ある時に、寄ってだって」
「はいよ。お客商売はね、コヴィッドがまた加熱したら、大変だもんね」
 塩蔵わかめを洗い、水に付ける。塩味にしてみようか。中華スープ缶を冷蔵庫から出す。ソース・パンに適量の水を入れ、火にかける。塩少々。その後、酒少々で沸騰を待つ。大きいソース・パンの水が沸騰したので、ひやむぎを百五十グラムほど投入。確認タイマーを4分でセットしておく。その瞬間、水で締めるかどうかを判断し、締めることにする。じゃあ、固めであげて、洗った麺をスープで多少煮込むべき。それとネギ、いやネギだけで良いか。あ、レタスが残っていたはず。それも入れよう。野菜類をカット。そうこうしているうちに、タイマーが鳴る。
 ミエコおばさんの、神棚に準備が済んだようだ。
「おばさん、ちょっと、麺だけ洗わせて」
ちょっと、食べて見る。ばっちり。お湯ごとザルにあけ、流水で洗う。そして、水を切る。
「おまたせ」
 二礼二拍手一礼。次に、仏壇。線香を二本。
 スープの味見。塩を追加。お酢少々を加える。後で、味変するなら、ラー油だ。
 スープが決まったところで、麺を投入。一分のタイマー。
 ミエコおばさんがラジオを点ける。参議院選挙について、話しているようだ。もうすぐ公示に向けての各党の動きだ。混乱しそうだな、と直感する。トランプ関税対応と同時並行的に進めていかないと行けないからだ。与党内部も分裂必至だし。相変わらず、稚拙な国政である。野党は、最早政権奪取の機を逸した感が、僕的には意識定着してしまった。一方で、与党は、相変わらず、旧来勢力が巻き返しを狙っている。不祥事を表に出さないためだ。困ったものだ。世界は、損得で戦争を止めず、悪の権力者をはびこさせている。
「はい、おばさん、できましたよ。スープ・ひやむぎ」
 それでも毎日こうしてご飯を食べ、中学生は勉強、部活に勤しむ。
「おっ、なんかタンメンみたいじゃん」
「タンメンよりもあっさりだよ」
 
 パンデミック明け以降、飲食店のテナント候補の話がいくつも舞い込んだんだけど、ミエコおばさんと僕は、ことごとく、ハジいたんだよね。うちのテナントさんたちは、マルテナに入っているから繁盛しているわけじゃないんだよね。どういう噂を聞きつけてやってきているのか知らんけど。それぞれの経営者さんたちに一家言あって、常に工夫を止めない。そういう姿なんだよ。テナントを説得して、契約を諦めさせるやり方は、先代のユウおじさんからの方針で、変わらず続けていることなんだよね。そうしないと、お互いに不幸なのでね。
 そんな中、今日は、変わったというか、面白いテナント候補さんが、やってきた。木工クラフト・マンなんだよね。東賢介さん。如何にも、職人って名前だよね。まだ三十代だって。
「親方は、それは、壮大な夢を持っている人で、僕はまだまだ修行中の身なんですけど、俺が抱え込んでいるだけでは、お前の将来は危うい。なんか考えろっていうので。マーケティングを兼ねたアンテナショップを提案したんですよ。大衆がどんな木工とか、家具とかを求めていて、あるいは、求めていなくて、そういう動向を知った上で、木工が何を提供できるか。提案できるか、それを探りながら、小さいものから提供していくようなショップ・アンド・ミニ工房みたいな感じです」
 求めていないのかもしれない、という可能性を覚悟している、慎重さを買いたい、と僕は率直に思ったんだよね。まずは。
「確かに、良質の家具は、正直、庶民は手が出ないし、かと言って、今の時代だからこそ、そういうものを求めている人が多くなっているようにも想像できますよね。ナチュラル志向というか」
「そうなんです。あと、僕らが懸念しているのは、このあたりの里山は、放置され、管理がストップした林が多すぎますよね。森林資源が生かされていない状況。これをどうしていくか、なんです。ちゃんと、管理して、間引いて、うまく利用していく。手を付けないことがイコール保護ではないから、人間がちゃんと関与して護っていく森林資源、というか。どうしたって、人手が無く、予算も無く、自治体も持て余している林が多すぎますよね。こういう現状は自治体に寄って格差がある」
「放置竹林、なんて、この神奈川県西部でも問題ですよね。なのに、一向に改善していないのが現状ですよね」
「そうですね。自治体って、問題が深刻になってからでないと動かないから」
 話しているうちに、すごく、根底のところで、意気投合してしまったのよね。
 あと、僕が契約を決める際に、重要視していることが一点あるんだよ。それは、困った時に、僕が関与できるか。一緒に切り抜けられるか、ということなんだよね。そういう意味でも、東さんは合格ですよね、これは。
 面接の数日後、各テナントに、新規入居者の事前お知らせをした時のこと。
「バイアンさん、今度僕、中学校の陸上部のコーチをやることになったんですが、部員たちにスポーツ・マッサージを教えようと思っていて、何かとお世話になると思いますので、よろしくお願いします」
「へえ、そうなの。いろんなことやるね。何、オトヤさんって、足早かったんだ、学生時代」
「いや、それほどでも。中学の時は、一応、全国レベルだっただけですぅ」
「へええ、すごいね。それで、お声がかかったわけか」
「まあ、そんなわけで、先生んところにも、お客様を呼べるかもしれないんで、頼みます」
「はいよ」
「それから、バイアンさん、今度、木工工房が新しく入居してくるんで。よろしくお願いします」
「工房・・・」
「まあ、本店は、箱根の近くにあるんですが、その、まあ、アンテナ・ショップですね。家具が本職なんですが、ここには、小物を出すらしく。マーケティング拠点も兼ねるってことなんです」
「なるほどね。それは面白いね」
「そうなんです」
「ていうか、それならさ、一階の方が本当は、良いよね」
「まあ、そこは、こだわってないみたいで」
「いや、一階が良いよね。何なら、おれんとこ、二階に移っても良いよ。聞いてみてよ」
 そんな申し出があり、古木さん(櫻木木工の支店長)に案内したところ、急遽、交渉成立。席替えならぬ、テナント交換が実現したのでした。
 後日、櫻木木工さんから、お礼として、待合室用の椅子三脚と、「Byan」の新しい看板がプレゼントされることになったので、バイアン先生こと、田村仙太郎さんは、大喜び。
 昔は「とんかつ屋 関」が入っていて、長らく空きテナントだった、二〇二号に、「鍼灸・マッサージ Byan」が移って、一〇二号に、「木工クラフト 櫻木」が入居することと、相成りました。 
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