血染めうさぎ

水無月

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4 シェルさん

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 ピッ。

 人差し指の指紋を認証すると、ドアがスライドして開く。

 真っ白な壁の簡素な部屋。

 折り畳み式のベッドに僕を置く。今度は沈まなかった。

「お、お兄さん。さっきの人は?」
「え? あー。コードネーム『輪切り』。切断の能力持ちで大剣使いでよ、バグスフェラトゥをトーフのように斬っちまうんだ。すごいぜ」

 子どものような声音だ。友達を自慢するような。

「お兄さんより、すごいの?」
「どっちが、とかねーよ。ここにいる連中は、戦えない民間人のために頑張ってんだ。討伐数が一位ってだけだよ。俺は」

 タオルと着替えの準備をすると、荷物と僕を抱えて部屋を出る。

「あ、歩けます!」
「え? ああそう」

 下ろしてくれたが自分で勿体ない事をしたかも、と思ってしまった。せっかくお兄さんが抱っこしてくれたのに。
 お兄さんのズボンを掴んで歩く。

「エラーって、何人くらいいるんですか?」
「正確な数は把握してないけど、日本で千人以上はいるぜ? ほぼサポートで、戦闘要員は十人もいないけどな。全然足りてねぇ……」

 乾いた笑いを浮かべるお兄さんを見上げる。

「ボスさんが。お兄さんが一番強いって言ってました」
「ははっ! そりゃ俺が強いからな」

 大口開けて笑っている。ギザ歯がサメのようでかわいい。

 浴場は銭湯のような場所だった。昔一度だけ、両親ときたことがある。
 胸が、ちくりと痛む。

「アル?」
「! なんでも、ないでしゅ……」

 なんでもないって言ったのに、動けない。

 立ちすくむ僕の首根っこ掴むとぷらーんと持ち上げ、脱衣所に入っていく。

「あ、あれ?」

 僕をカゴの前に置くと、お兄さんは不思議な腕輪を外す。ロッカーの中に押し込むと、銀の腕輪はごとりと重そうな音を奏でた。

 濡れた服を脱いでいくお兄さんの肌は傷だらけ。特に背中には大きな斜めの傷跡が痛々しい。でも僕はそれよりも、お兄さんの裸体に夢中になってしまった。

 自分がこんなにスケベさんだったなんて。駄目だってわかっているのに、目を逸らせられない。

 フードを脱ぐと、お兄さんの腰まである長い髪が背中に落ちる。雪みたいで、きれい……。

「何してんだ。脱げ。風呂入るぞ」
「は、はい!」

 僕は見ていたことを誤魔化すようにビシッと敬礼した。

 豊富な髪を大きなお団子にしたお兄さんが、すっぽんぽんの僕を小脇に抱えて風呂場へ。お兄さんの中で僕は「抱えないといけないもの」になってしまったのか。特に文句はないです。

「……。一人で洗えるか?」

 僕の肌を見て、お兄さんが顔をこれでもかとしかめている。
 あざだらけで、汚い肌。僕はそれを隠すように腕を抱く。

「ごめんなさい……」
「気にすんな。俺が洗ってやるよ」

 汚い肌を見せたことを謝ったのだが、お兄さんは洗えないことを謝ったと思ったようだ。

 僕をひのき椅子にぽすっと乗せると、お湯をかけて髪を洗ってくれる。
 手つきが雑で、僕の頭はぐわんぐわんと回された。

「あうあうあううう!」
「うへー。子どもの髪ってほっそいなぁ」
「ああああああ」

 つま先まで泡まみれにされ、お湯をぶっかけられる。泡と一緒に流れていきそうだった。

「きゅう……」

 目を回しているうちにお兄さんは洗い終えかける。僕はハッとして身体用のスポンジを握った。

「お背中、流します!」
「……」

 お湯を張った桶を持ったまま、お兄さんがぽかんとしている。何かいけないことを言ってしまっただろうか。僕は眉を下げたまま、どうしたらいいのか分からずにひたすら見つめた。

 お兄さんは苦笑した。どこか、寂しそうな笑み。

「いいよ。俺の身体傷だらけで見たくないだろ? お前は先にお湯に浸かってろ」

 ――そんな。そんな! 僕の肌を見ても何も言わなかったくせに。

「僕がやります!」

 ボトルの中身をスポンジに大量に出し、ぐしゃぐしゃと揉んで泡立てる。

 お兄さんの身体はきれいです!

 ムキになって背中を洗う。

(それ……。シャンプーなんだけどな)

 ボトルにはでかでかと、親切にカタカナで「ボディソープ」や「シャンプー」、「リンス」と書かれていたのに、僕には意味が分からなかったのだ。お風呂に入らせえ貰えること自体、稀だったから。

 お兄さんはそれを叱ることもせず、黙って洗われてくれた。








 久しぶりにぴかぴかになった僕は広い湯船に浸かる。

「いいんでしょうか? 僕、お金持ってないです」

 今になって思い出した。お風呂に入るのにもお金がいるのだ。子ども料金でいくらくらいだろうか。
 横で「ああ~」とおっさんみたいな声を出していた宇佐美さんが、首を向けてくる。

「何言ってんだ?」
「お風呂って、お金必要なんですよね?」
「ウチは風呂も飯もタダだぞ? その代わりに化け物と戦わんといけんがな」

 そうなんだ、と心の中で感心した。

 足を伸ばしているお兄さんにぴったりとくっついてみる。ドキドキ……

「あん?」
「あ、ごめんなさい! 気安かった、ですね……」

 お兄さんは怒らなかった。薄くニヤッと笑う。

「難しい言葉知ってんな。九歳、いや八歳ぐらいだろ?」
「十二です」
「……」

 お兄さんが凍り付いた。

「へ、へー。そっかぁ」

 額を押さえるとなにやらブツブツ「十二……? 小六?」と言い出す。

 ろくに飯も食べられなかった僕は小さい。でも、えーっと……。十二引く八だから……四歳も下に見えるんだなぁ。

「学校とか行ってるんだろ?」
「三年までは、通ってました……」

 小学三年生になると、どんな能力を持っているか一斉検査を受ける。大体の人間が小二~小三で目覚めるからだ。何かしらの能力に。

 僕の幸せの糸は、そこで断ち切れた。

「……」

 考え込んでいると、どんどん気持ちが落ち込んでいく。
 お湯にまで沈んでいく僕を抱き上げると、膝に乗せた。

「え?」
「そういやさっきは雑に洗っちまったが、染みなかったか? お前、擦り傷多いし」

 お、お兄さんの膝の上……。ごつくて、傷跡はざらついてて。

「……」

 多分僕の頬は、のぼせたのとは違う意味で色づいていたと思う。

「おーい。アルちゃん? 悪かったって。俺、怪我に慣れちまって。怪我してても普通に洗うようになっちまったから、つい……。気遣えなくて、すまん」

 お兄さんが謝ることなんてない!


「痛くないです‼」


 叫んでしまった。浴場なのに。僕の声が反響しまくる。

 目を点にするお兄さん。あああ、ごめんなさ……


「ふはっ。すげー声。思っていたより元気っぽいね」


 笑いながら、一人の男性がこちらへやってくる。

 短い茶髪に優しそうな顔。

 ボスさんと同じだ。嫌な気配がまったくしない。

「雑用もらえたんだってね。血染め。良かったじゃん」

 宇佐美さんはぬいぐるみを買ってもらえた子どものように自慢した。

「まーな。いいだろ。これで今日からは部屋汚し放題だって」
「やめとけお前」

 茶髪さんは頭痛そうに眉間を揉んでいる。
 僕と目が合うとにこっと笑ってくれた。

「初めまして。僕のコードネームはシェル。よろしくね。おちびさん」
「え、えと。僕は。僕はアル、です。ご、ごめんなさい」

 謝り癖がついていた僕はつい謝ってしまった。気づいて顔を上げた時には、宇佐美さんとシェルさんは「?」を頭上に浮かべている。

「ご、ごめんなさい!」

 うまく名乗ることもできなくて。

 何か勘違いしたのか、宇佐美さんがシェルさんの肩に手を置く。

「そんなビビるか? こいつ怖くないぜ? 救護部隊で撤退時に守ってくれるし」
「バリアの能力を使えるからね。怪我したら僕のところにおいでよ」
「……」

 拳が飛んでこないことが、僕にとっては異常すぎて。頭がついていかない。

「は、はい……」
「シェル。こいつ怪我しまくってんだ。あとで診てやってくれ。……だっ!」

 シェルさんがお兄さんにデコピンした。

「真っ先に僕のところに連れてきなさいよ。お前もだよ、血染め。怪我に慣れるんじゃない。帰ったら僕のところに来る! ってもう百回は言ったよな?」

 宇佐美さんがわかりやすく顔を背けている。

 シェルさんはため息をつくと、僕に目線を合わせてくれた。

「アル君。この馬鹿うさぎが帰ってきた時。怪我しているのに放置しようとしたら、僕のところまで引っ張ってきてくれないかな?」
「お、おい! シェル! 余計なこと言うな!」
「……」

 僕に普通に頼みごとをしてくれる。まるでもう仲間だと言わんばかりに。

 当時の僕は、どうして彼らはもうすでに僕の事を知っているのか、疑問にすら抱かなかった。ボスさんがデバイスで、僕の情報をエラー内で共有してくれていたのだと。

 でも知らなかった僕は、聞かれてもいないことを告げてしまう。

「僕は、無能力者です……」

 嫌われるのなら、早い方が良い。やさしくされてしまうと、それを失った悲しみはあまりにも大きく、苦しい。

 両親の顔を思い出しながら、僕は湯に移る自分の顔を見つめた。

 シェルさんは爪が刺さらないように頬をつついてくる。

「知ってるよ。宇佐美の世話は大変だと思うけど、何かあったら僕やボスに相談しなよ。待ってるから」

 そう言うと、ざばぁとお湯から出て行く。

「……」

 心底意味の分からない僕はポケッとした顔をしてしまう。

「あの、宇佐美さ」

 振り返ると、彼の顔が間近にででんとあった。膝に乗っているから目線が同じ高さになっているのだ。

 僕はスローで首を元の位置に戻す。

「ん。な、なん、なん……」
「どうしたよ。アルー?」

 彼が覗き込んでこようとしてくる。僕は赤くなった顔を見られたくなくて、離れようとした。膝上だったことを忘れた僕は、背中からお湯に沈む。

「ごぼごぼがぼ……」
「なーにやってんだ」

 拾い上げてくれた宇佐美さんが僕をしっかりと抱きしめた。もう落ちないようにと気を遣ってくれたのだろうけど、逆効果です。

 胸板に、僕と同じ石鹸の香り。

 ぼんっと、頭が爆発した。

「あばっあばばばばばば」
「え? なんで感電したみたいになってんだ! しっかりしろ!」
「……」
「のぼせたんか⁉ どうしよ……シェル! シェルーッ! 戻って来てくれ」

 中途半端に服を着たシェルさんが急いで駆け込んできてくれた。

「何事⁉」






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