クズとグラブジャムン

水無月

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兄は甘い卵焼き苦手だが同じものを食べたい

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🐻



 父親が仕事に出かけ、母親代わりの藤行が朝食をテーブルに並べていると慌ただしく弟が起きてきた。
 まだあどけなさの残る顔立ちに、努力の甲斐なくぴんと跳ねている寝ぐせ。少しダボついて成長の余地を残した制服姿が青臭い高校生。弟の青空(あおぞら)。

「おはよう。兄ちゃん」
「おはよう。お前なー……もう二度と鞄取りに行かないからな? 今度は鞄を電車に置きっぱなしにするんじゃないぞ?」

 黒のエプロンを取っ払い、弟と一緒に席につく。その時、尻にびりっと痛みが走る。

「うぐっ」
「兄ちゃん?」

 ぷるぷると震えて痛みに耐える。不注意でチンピラに襲われ、謎の男に助けられ。
 そこまでは良かった。まさか汚部屋に連れ込まれ救出料を(現金と身体で)払わされることになるとは。

 あの後。ふらふらになりながら帰宅し、もらった薬を塗り込んで寝たが、一晩では治らなかった模様。
 夢だと思いたかったがこの痛みが現実だと突きつけてくる。蹴られた背中の傷よりなにより、あのデカ男に無茶を強いられたケツが一番痛む。これを、助けられたと言っていいのだろうか。

(金取られた挙句、強姦されただけ、だよな……?)

 いやでも。あの男のおかげか、チンピラからの連絡はない。学生証も取り返せた。これで良しとすべきか。
 弟が怪訝な顔をする。

「兄ちゃん? まさか、痔?」
「なんでもない、何でもないぞ。さ、飯にしよう」
「うん……」

 手を合わせてから箸を取る。朝食は弟の好きな甘い卵焼きに安かったウインナー。胡麻を入れて炊いた白米にホウレン草を浮かべた味噌汁。野菜嫌いの弟は顔をしかめるが食べ盛り。嫌そうな顔をしながらももくもくと食べていく。昨日の残りはすべて弟の弁当箱に詰めこんだ。

「なあ、兄ちゃん。味噌汁に野菜入れないでって言ったじゃん」
「うん」
「……うん、じゃなくて。……はあ」

 味噌汁を流し込み、お椀を持って炊飯器に向かう。

「そういえばさ。昨日帰ってくるの遅かったけど、なんかあったの?」
「……」

 帰るなりベッドに直行したので弟には何も報せてない。帰ってこない兄貴を不安に思い、待っててくれたというのに。申し訳ない。
 朝一でシャワーを浴び、シーツも洗濯機に放り込んだのでバレてないとは思うが。

「……。道を間違えちゃってな。時間かかったんだ。心配かけて悪かったな」
「兄ちゃん。普段そうでもないのに、たまに道間違えるよな」
「たまにな。誰にでも間違いはある」

 けっして方向音痴とかそういうのではない。

「そうだ。夏休みは部活の皆と合宿することになったから」
「中止にならなくてよかったな。合宿、楽しみにしていたもんな」
「うん! ……マネージャーの光先輩も参加するんだ。いい雰囲気になれると良いなー」

 夏の海の合宿場に思いを馳せるにっこにこのバスケ部に苦笑する。

 色ボケてんなぁ。

 だが、悪いことではない。この年頃はこんなものだ。
 俺にもいつか彼女が出来た時に、いちゃいちゃ甘々の日々を送れるよう家事の腕を磨いているしな。あー。いちゃいちゃしたい。家事が苦手で仕事大好きな彼女とかほしい。支えたい~。

「強化合宿だろ? 部活に集中しないとエースの座を奪われるぞ」
「ちょっとくらい大丈夫だって。俺、強いから」
「……」

 若いっていいなあ。二十歳越えはしみじみと卵焼きを咀嚼する。
 白米三杯かき込んだところで、青空は学校指定の鞄を肩にかけた。

「やべ、遅刻する。兄ちゃん。行ってきます!」
「行ってらっしゃい。車だけじゃなく、自転車にも気をつけろよ? 夏休みを病院で過ごす羽目になるぞ」
「わーってるって!」

 眩しい夏の陽射しの下を駆けていく弟の背に手を振る。エースなだけありもう見えなくなった。

「……さて」

 洗濯物を干すか。



🐻



「昼間だと何も思わないな……」

 怨霊が住んでいそうなアパートを見上げる。不確かな記憶を頼りに歩いてきたので、到着できてホッとした。それと同時に夢ではなかったと強く感じる。
 しばし眺めているが、人の気配がしない。
 錆が目立つ階段を上がり、角部屋へ赴く。

「うう、キンチョーしてきた……」

 かすかに震える指先で呼び鈴を押す。

「?」

 もう一度押す。
 無音。

「おおい! 呼び鈴壊れてんじゃねえか」

 ガスガスガスとボタン連打するがうんともすんとも鳴らない。
 腰に手を当ててストレッチのように首を回す。

「っかー。しかもなんだか留守っぽいなー」

 すりガラスの向こう。電気がついていないのか暗い。寝ているのか、出掛けているか。
 扉を叩いて大声を出してもいいが、ブチ切れたあいつが出てきたら怖いしな。

「……帰るか」

 そのうち会えるだろ。今日のところは出直して――


 カンッカンッカンッ!

 なんだか、階段を二段飛ばしで上ってくるような音がする。
 そちらに首を向けるのと、大声が聞こえたのはほぼ同時だった。

「藤行!」
「うわっ」

 肩を掴まれ、向き合う形にされる。
 愛用の鞄を落としそうになった。
 百九十以上はありそうな背丈。雄々しい身体を包むよれたシャツに休日のお父さんのようなスウェット。短い黒髪に垂れた目。
 圧倒的ヒモ臭を放つ男。

「びっくりした……。伸一郎、さん?」

 酷く焦った様子だがどうしたのだろうか。会えて良かったが思わずじろじろと顔を見てしまう。
 見開かれていた瞳だが、徐々に眠たそうな垂れ目に戻っていく。

 掴んでいた手が離れる。
 気まずそうに首の後ろを掻く伸一郎。

「いや……。幽霊が立っているのかと思ってな」
「やっぱこのアパートそういうことあるんだな」

 ずれた鞄を肩にかけなおす。
 伸一郎はがらっと扉を開けた。

「入ってけよ」
「え。いいの? お邪魔しまーす」

 他人を招くことにも慣れているな。……よくこの汚部屋に人を入れようと思えるな。
 昨日と何も変わっていないごっちゃごちゃ具合。免疫力の低い人だと一日で何かしらの病気にかかりそう。俺も長居したくない。靴も脱ぎたくない。
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