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春まであと少し ②
しおりを挟む四月を楽しみにしていたのだが、二日後に予定外の連絡が入った。
「え? 大丈夫なの?」
『本人はな? でも家が埋まっているらしい』
伸一郎さんからの電話。黒川郷に住む伸一郎さんの親戚の人。
連日の大雪で雪かきが追い付かないらしく、伸一郎さんにヘルプが入ったのだとか。
『もてなすから二日ぐらい泊ってくれって言われてな……。はー。藤行。かなり過酷だが、一緒に来るか? 手伝っ……いや危ないな。この話は忘れてくれ』
通話を終わろうとする気配を感じ取り、慌てて引き止める。
「なんでだよ。一緒に行こう、で良いんだよ。微力だけど、俺も何かしたい」
電話の向こうでため息が聞こえる。
『いい嫁だなぁ……』
「しみじみすんな。で、いつ出発するの?」
『ああ。早い方が良いって言ってたな』
伸一郎さんと話し合い、日程をメモする。
「じゃあ、その日に行けるようにしておくね?」
『お前が一緒に来てくれるってだけで一気に楽しみになったわ。当日、迎えに行くから』
それだけ言うと通話が切れた。
「……ばか」
スマホを仕舞い、メモを握りしめた。
「え? 俺も行こうか?」
青空には伝えておかなくては。親父にはメモ残しておけばいいだろ。
優しい弟は手伝いを申し出てくれたが、
「いいよ。光先輩と予定あるんだろ?」
青空が両肩を掴んできた。
「兄ちゃん。無理しないでよ? 頑張り過ぎないでね? 怪我しないで、伸一郎さんと離れないようにな?」
心配通り越して、弟が保護者みたいになっとる。
「うん。二人に心配かけたばっかりだし。絶対無理しないから」
「あの兄ちゃんが『無理しない』って言ってる……。一応」
すっと額に手を添えてくる。無いよ。熱は。
「二日帰らないけど、三日分のおかずは冷蔵庫に。タッパーに山積みになってるから」
「三日?」
「雪で、帰りが遅くなる可能性があるかもしれないだろ?」
「頑張って準備してたもんなー。ははーん? 兄ちゃんも楽しみなんだね?」
「……そんなんじゃないよ」
「そんな顔で言われてもな」
今のうちに青空にハグしておく。二日三日も会えないなんて、大丈夫だろうか。俺が。
不安になっていると、察した弟が「夜にメールしてあげるから」と、背中を優しく叩いてくれた。
泣いた。
🐻
風が強い早朝。
「よお。藤行。お。青空は見送りにきてくれたのか?」
家の前に黒の4WDが停まる。
彼が歩いて来るのを家の中で待っていたら、家の前に車が停まったのでまさかと思い出てみれば。
降りてきたのは熊男だった。
ファー付きのジャケットを身につけ、ズボンもダウンパンツとこの男にしては珍しい冬の装いだ。雪で家が埋まっている地帯に行くので当然と言えば当然だが。見てる方が寒いから普段から着てればいいのに。
車より、着込んだ彼をまじまじと見てしまう。
「お、おはよう……。伸一郎さん? 車持ってたの?」
「おはよ。持ってない。ジジイの。雪道だしこれ使えって。車置いてジジイは歩いて山に帰った」
もう滅茶苦茶だ、この一族。
「免許は?」
「取った。去年」
車内を覗くと、シャベルに水ペットボトルに軽食。その他諸々が積んである。もし雪で車が動かなくなった時対策なのだろう。雪を舐めてない堅実なところに、心がギュンとなる。
「伸一郎さん。おはよー。寒いよね」
「おう、おはよ」
「カイロとか持ってる? 俺のあげようか?」
「足に貼るタイプのやつまで持ってきたから。大丈夫」
かっこいいからか、青空は車の方をちらちら見ている。
「余裕をもって出発したいからもう行くけど、藤行。青空とハグしておかなくていいのか?」
「さっき散々したから……」
ちょっとくたびれた顔で、青空が遠い目をしている。散々したらしいのに藤行は蝉のようにしがみつく。
「くうぅ……。ちゃんと飯食べるんだぞ? 青空」
「はいはい。伸一郎さん。兄ちゃんから目を離さないでね? 兄ちゃんをお願いします」
「任せろ」
ぺこぺこと、青空と伸一郎が頭を下げあっている。
「ホラ行くぞ」
襟首掴んで藤行を助手席に放り込む。
「あああああああ! 青空~っ‼」
「いってらっしゃーい」
手を振って見送る高校生男子。
喧しい恋人を乗せて、車は発進した。
「あ、あおぞらが……。青空が見えなくなった……」
助手席の窓ガラスにへばりつくが、愛しい弟の姿はなく、あまり通らない道を走る。
「はあ……。ご飯あれで足りるかな? 夜ちゃんと寝るだろうか」
「帰るか?」
すごく残念なものを見る目をされる。うるさい前見ろ。
「お前。朝飯食ってきたか?」
「え? あー……何食べたっけ」
「腑抜けになってやがる」
ハニワ顔で座ってるだけとなったが、しばらくすると彼と車内で二人きりだということに気づく。嗅ぎ慣れない人の車のにおい。
「てっきりバスと電車で行くと思ってた」
「俺もだけど、車があるから車で良いかなーと、な」
「……」
なんだろうなぁ。ハンドル握ってるだけなのに、二割増しでかっこよく見えるのは。
「伸一郎さんのおじいさん。軽トラ以外も持ってたんだね」
「あの辺、車がないと生活できないからな」
高速に入る直前の、サービスエリアで車を停める。
「トイレ?」
「いや。チェーン付けてないと高速に入れないから……とか言ってた。これ冬用タイヤだけど、一応付けとくわ」
ドアを開けて後部座席からチェーンを取り出している。ああ、テレビとかで見たことあるな。雪道走るから、鎖をタイヤにつけてる人。
「手伝うよ」
俺もドアを開けて降りああああああさっぶ‼
「風キッツ‼」
木が大きくしなり、停まっている他の車がうっすら上下に揺れている。車を回り込み、飛んで行かないように熊のジャケットを握った。
ひいいいいいっ。さぶい。
「寒いだろ。入ってろ」
「俺もう元気になったから!」
伸一郎さんにばっかやらせるわけにはいかない。俺も何かしないと。
「……。サービスエリアでホット買ってきてくれないか? これ付け終えたら車内で飲みたい」
「お。いいよ。行ってくるね!」
財布の入った鞄を持ち、ダッシュで建物内に走る。
建物内は暖かく、肩に入った力が抜ける。真夏に、彼の履物を借りたことをふと思い出す。
「……」
思い出に浸りそうになり、頭を振る。
(飲み物飲み物)
缶ジュースを二本買い込む。
「あっつ」
熱い。そうだ。ポケットに入れておこう。
建物から出ると、雪がパラつき始めていた。空を見上げる。遠くにあった黒い雲が、空の半分を覆っていた。
「……すげー降りそう」
雪は好きだがこれから車で高速を走ると思うと、到着まで降らないでほしかったなーと勝手なことを思う。
(俺が長時間風を浴びないように、買いに行かせたんだろうな……)
頼りにされない虚しさと彼の優しさが、胸中で溶け混ざり合う。しかし自分にチェーンを取り付ける知識はない。素直に彼の気持ちを受け取っておくべきだろう。
(てゆーかこんなに大事にされて……っ)
気恥ずかしさと嬉しさが同時に込み上げる。さっきから感情が忙しい。でも決して嫌なものではなかった。
少し迷いつつ、彼の元に戻ると四つのタイヤにチェーンが取り付けてあった。どんだけ手際が良いんだよ。
彼は車の横で立ち、俺を探しているようだった。こ、こんな。些細なことで嬉しくなってしまう。
「おまたせ。もう終わったのぼふっ」
伸一郎さんはジャケットの前を開けると、俺をその中に閉じ込めるように抱きしめた。
「おかえり。こういうのは得意なんだよなー」
「……」
ぬっけぇ。
上を見ると、彼の口角が上がっている。車、好きなのかな? 俺は青空とアロエちゃんが好きです。
「ちょっと。こんなことされると離れられなくなるだろ!」
彼の背中に腕を回す。冷えた指先がじんわりあたたかくなる。外で作業してたのに、なんでこんなに体温高いんだこの男。
「……じゃあ、離れろよ」
「うるさい。もうちょっと」
ぬっくぬっく。あー……気持ちいい……。
俺は、駐車場だという事をすっかり忘れていた。
足音と、クスクスと笑い声が聞こえる。
「見て。可愛いカップル」
「俺たちも後でやろうか、ハニー」
仲良さげなパツキンカップルが遠ざかっていく。女性の方はミニスカートにだった。寒くないのだろうか。どこで修行したんだといつも思う。
彼の胸板に、頬を押し付ける。
「……俺たち、カップルに見えてるんだね」
「お? お前のことだから悶絶して奇声あげると思ったのに。正気か?」
「ぶっ飛ばすぞ。恥ずかしいけど、嬉しいなー、ってなった」
「そりゃこんだけ密着してりゃあな。これで付き合ってなかったら何なんだよ」
大きな手が頭を撫でてくる。幸せ……
「…………むぐ」
あ、駄目だ。時間差で羞恥の波がドッ‼ と押し寄せてきた。
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