14 / 69
うらにわのこどもたち
もしもこの世が私の見ている夢ならば
しおりを挟む
大学の最初の講義で出た課題は、「次の講義までに見た夢を記録し、レポートとして提出する」だった。確か、適当な作り話を、夢だとでっち上げて提出した覚えがある。
目が覚めると、部屋の中に夕闇が広がっていた。こどもたちの資料を読み返しているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。それなりに休息はとっているつもりだったが、最近少し、無理を押していたところもあった。自分で思う以上に、疲れているのかもしれない。
寝起きの重い身体を起こし、のろのろと椅子から立ち上がって伸びをする。身体のあちこちが軋んで、ばきばきと音を立てる。肩が痛い。日頃、デスクワークが多いせいか、全体的に血流が滞っている感じがする。
机に広がったままの資料に目を落とす。気分は、酷く重かった。張り詰めた神経が、肌に触れた空気にすら傷付いて、痛みを覚える。心臓がタールまみれになったような、どろどろとした黒。黒。黒。痛みを感じる自分は確かに存在するのに、この世界のどこにも自分が存在しないような孤独と虚無感。それに、押しつぶされそうになる。
時々、こういうことがある。無性に憂鬱で鬱屈とした時間。今、自分はどんな顔をしているだろう。こんな自分、誰にも見せたくない。見られたくない。こどもたちにも、大規くんにも、誰にも。
深呼吸にもならない、浅いため息をつく。
夢。こどもたちの見る夢。私が創るこどもたちは、どういう訳か共通の夢を見る。夢の中で、彼等は緩やかに、確実に、成長して大人になっていく。どの〝こども〟も同じだ。膨大なカウンセリング記録。そのどれもが示す、もうひとつの世界の存在。
何度聞いただろう。ああまたか、と、何度思っただろう。その度に、私は私を否定されたような気持ちになる。大切なものを失ってしまうような、焦りと恐怖。育てた夢が、私の手をすり抜けて、二度と帰ってこないような不安。私の中で、誰かが言う。「お前の創ったこどもたちさえ、お前を選ぶことは無いのだ」と。その声に抗うように、私は実験を繰り返す。
何故、彼等は共通の夢を見るのだろう。私は考える。例えば、私個人の願望の投影。私が無意識に、彼等の成長を望んでいるのだろうか?成長。変化。現状からの脱却。もしそうなら、私はどうして、こんなにも不安なのだろう。嫌だ。嫌だ。せっかく手に入れた私の世界。私が作った実験体。失いたくない場所。喪失を望むなんて、有り得ない。
……昔から、人の感情の機微に敏感な子供だった。
周囲の大人は、みんな嘘が下手だった。周囲の子供は、みんな嘘が下手だった。目の前で繰り広げられる下手くそな演劇を、ずっと見ている気分だった。私も嘘が下手だった。だから、私はずっと、社会にとっての異物だった。
「君の瞳が怖い」と、いつか誰かに言われた気がする。「君のその大きな瞳で、自分の全てを見透かされている気分になる」と。
あれは誰だっただろう。
成長すればするほど、常識にも、良識にも、懐疑的になった。綺麗な言葉で飾り立てた、醜い欲望の言い訳。触れるのもおぞましい、人間の本性。彼等の紡ぐ物語に興味はあれど、生物としての人間が好きかと言われれば、お世辞にも好ましいとは思わない。
大人になった今でも思う。どうしてみんな、こうも盲目に、常識や良識とやらを信仰して、生きていけるのか。偽りだらけの世界で、窒息せずに呼吸ができるのか。
だけど、あんなものに成り果てる事で社会適応が叶うなら、私は社会に適応できなくていい。
人は誰しも、睡眠中に夢を見るそうだ。深い眠りと浅い眠りを繰り返し、目覚める直前、浅い眠りの時に見た夢だけを覚えているらしい。しかし、人は何故夢を見るのか、その理由は今日に至るまで解明されていない。私にはそれが、とても不思議なことのように思えてならない。
人間の英知は長い歴史の中で様々なことを解き明かしてきたのに、肝心の自分自身のこととなると、途端にわからないことだらけになってしまう。一番身近な問題を、人は紀元前からああでもない、こうでもないと悩み続けている。
いや、そもそも、歴史なんてあるのだろうか。世界が五分前に出来た可能性。記憶も、記録も、全てがその時に始まったのに、私達が確かなものだと錯覚しているだけの、可能性。認識する世界の曖昧さ。
不確かな世界。それは、夢とどう違うのだろう。
そこまで考えて、私は無理やり、口元に笑みを浮かべてみせる。馬鹿馬鹿しい。やっぱり、少し疲れているんだ。考えても仕方の無いことを延々と考えたところで、自分にとって毒にしかならない。
もしこの世界の何もかもが偽物で出来ていたとしても、例え五分前に生まれた世界が、この五分後には消滅してしまう運命にあったとしても。私がやることは変わらない。
だって世界は、人が主観の外に出られない以上、全てが個人的なものなのだ。ならばなおのこと、私は私の世界を最優先する。私から何一つ、奪われてなるものか。
資料を片付けるために手を動かす。全てを纏めてファイルに閉じ、机の端に置く。
こどもたちの夢でもう一点、気になることがあるとすれば、「悲しそうな、淋しそうな目の大人」の存在だろう。
性別も姿も曖昧で、夢から覚める時には覚えていないのに、ただその瞳だけが、強く記憶に残るのだという。
そういえば、そんな都市伝説を聞いたことがある気がする。世界中の人々の夢に現れるという、謎の男。一度何かでその男のモンタージュを見た事があるが、非常に不気味な顔だったことしか覚えていない。
――もし、淋しそうな瞳の大人が、自分だったら。
よぎった考えを振り払う。考えたくもない。そんな私が誰かの中に存在するなんて、自分のプライドが許さない。
夢。こどもたちの胡蝶の夢。人々が夜毎に渡るという、こことは別の世界線。
――私は夢を、見た事がない。
目が覚めると、部屋の中に夕闇が広がっていた。こどもたちの資料を読み返しているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。それなりに休息はとっているつもりだったが、最近少し、無理を押していたところもあった。自分で思う以上に、疲れているのかもしれない。
寝起きの重い身体を起こし、のろのろと椅子から立ち上がって伸びをする。身体のあちこちが軋んで、ばきばきと音を立てる。肩が痛い。日頃、デスクワークが多いせいか、全体的に血流が滞っている感じがする。
机に広がったままの資料に目を落とす。気分は、酷く重かった。張り詰めた神経が、肌に触れた空気にすら傷付いて、痛みを覚える。心臓がタールまみれになったような、どろどろとした黒。黒。黒。痛みを感じる自分は確かに存在するのに、この世界のどこにも自分が存在しないような孤独と虚無感。それに、押しつぶされそうになる。
時々、こういうことがある。無性に憂鬱で鬱屈とした時間。今、自分はどんな顔をしているだろう。こんな自分、誰にも見せたくない。見られたくない。こどもたちにも、大規くんにも、誰にも。
深呼吸にもならない、浅いため息をつく。
夢。こどもたちの見る夢。私が創るこどもたちは、どういう訳か共通の夢を見る。夢の中で、彼等は緩やかに、確実に、成長して大人になっていく。どの〝こども〟も同じだ。膨大なカウンセリング記録。そのどれもが示す、もうひとつの世界の存在。
何度聞いただろう。ああまたか、と、何度思っただろう。その度に、私は私を否定されたような気持ちになる。大切なものを失ってしまうような、焦りと恐怖。育てた夢が、私の手をすり抜けて、二度と帰ってこないような不安。私の中で、誰かが言う。「お前の創ったこどもたちさえ、お前を選ぶことは無いのだ」と。その声に抗うように、私は実験を繰り返す。
何故、彼等は共通の夢を見るのだろう。私は考える。例えば、私個人の願望の投影。私が無意識に、彼等の成長を望んでいるのだろうか?成長。変化。現状からの脱却。もしそうなら、私はどうして、こんなにも不安なのだろう。嫌だ。嫌だ。せっかく手に入れた私の世界。私が作った実験体。失いたくない場所。喪失を望むなんて、有り得ない。
……昔から、人の感情の機微に敏感な子供だった。
周囲の大人は、みんな嘘が下手だった。周囲の子供は、みんな嘘が下手だった。目の前で繰り広げられる下手くそな演劇を、ずっと見ている気分だった。私も嘘が下手だった。だから、私はずっと、社会にとっての異物だった。
「君の瞳が怖い」と、いつか誰かに言われた気がする。「君のその大きな瞳で、自分の全てを見透かされている気分になる」と。
あれは誰だっただろう。
成長すればするほど、常識にも、良識にも、懐疑的になった。綺麗な言葉で飾り立てた、醜い欲望の言い訳。触れるのもおぞましい、人間の本性。彼等の紡ぐ物語に興味はあれど、生物としての人間が好きかと言われれば、お世辞にも好ましいとは思わない。
大人になった今でも思う。どうしてみんな、こうも盲目に、常識や良識とやらを信仰して、生きていけるのか。偽りだらけの世界で、窒息せずに呼吸ができるのか。
だけど、あんなものに成り果てる事で社会適応が叶うなら、私は社会に適応できなくていい。
人は誰しも、睡眠中に夢を見るそうだ。深い眠りと浅い眠りを繰り返し、目覚める直前、浅い眠りの時に見た夢だけを覚えているらしい。しかし、人は何故夢を見るのか、その理由は今日に至るまで解明されていない。私にはそれが、とても不思議なことのように思えてならない。
人間の英知は長い歴史の中で様々なことを解き明かしてきたのに、肝心の自分自身のこととなると、途端にわからないことだらけになってしまう。一番身近な問題を、人は紀元前からああでもない、こうでもないと悩み続けている。
いや、そもそも、歴史なんてあるのだろうか。世界が五分前に出来た可能性。記憶も、記録も、全てがその時に始まったのに、私達が確かなものだと錯覚しているだけの、可能性。認識する世界の曖昧さ。
不確かな世界。それは、夢とどう違うのだろう。
そこまで考えて、私は無理やり、口元に笑みを浮かべてみせる。馬鹿馬鹿しい。やっぱり、少し疲れているんだ。考えても仕方の無いことを延々と考えたところで、自分にとって毒にしかならない。
もしこの世界の何もかもが偽物で出来ていたとしても、例え五分前に生まれた世界が、この五分後には消滅してしまう運命にあったとしても。私がやることは変わらない。
だって世界は、人が主観の外に出られない以上、全てが個人的なものなのだ。ならばなおのこと、私は私の世界を最優先する。私から何一つ、奪われてなるものか。
資料を片付けるために手を動かす。全てを纏めてファイルに閉じ、机の端に置く。
こどもたちの夢でもう一点、気になることがあるとすれば、「悲しそうな、淋しそうな目の大人」の存在だろう。
性別も姿も曖昧で、夢から覚める時には覚えていないのに、ただその瞳だけが、強く記憶に残るのだという。
そういえば、そんな都市伝説を聞いたことがある気がする。世界中の人々の夢に現れるという、謎の男。一度何かでその男のモンタージュを見た事があるが、非常に不気味な顔だったことしか覚えていない。
――もし、淋しそうな瞳の大人が、自分だったら。
よぎった考えを振り払う。考えたくもない。そんな私が誰かの中に存在するなんて、自分のプライドが許さない。
夢。こどもたちの胡蝶の夢。人々が夜毎に渡るという、こことは別の世界線。
――私は夢を、見た事がない。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる