うらにわのこどもたち

深川夜

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うらにわのこどもたち2 それから季節がひとつ、すぎる間のこと

case2.カイ(1/2)

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 遠くで、雨の降る音がして目が覚めた。
 感覚がはっきりしてくるにつれ、雨の音は次第に近くなってくる。ベッドから起き上がり、カーテンを少しだけめくって外を見る。灰色の空と、ガラスに当たる雨粒。今日も外は雨。せっかく友達になったあの子とも、会えない。
 起床時間にはまだ早くて、僕はもう一度、ベッドにもぐりこむ。シーツの香りに、わずかに混じった雨の日の匂い。頭まですっぽり布団をかぶって丸くなっていると、なんだかとても落ち着く。
 暖かい布団の中で、また、眠りの中に落ちていく。

 *

 ドアを開ける音で、再び目が覚めた。それから、ご飯のいい匂いと、カーテンを開ける音がする。布団の上から、優しく僕をゆする感触。

「カイ、朝だよ」

 日野尾ひのお先生だ。もぞもぞと布団から顔を出す。

「おはよう、先生」
「おはよ。よく眠れた?」

 僕がうなずくと、先生がよしよし、と僕の頭を撫でる。先生が嬉しそうだと、僕も嬉しい。

 食事はいつも、日野尾ひのお先生と二人で食べる。僕がご飯を食べている向かいに座って、先生はよくお茶を飲んでいる。その日によってお茶の香りは違って、今日はローズティーだよ、とか、今日はダージリンだよ、とか、先生はお茶の名前を教えてくれる。ふわっと漂うお茶の香りと、先生と過ごすのんびりとした時間が僕は好きだ。たまに、大規おおき先生も一緒の時があるけれど、日野尾ひのお先生はあまり嬉しそうじゃないみたい。

「雨だねぇ」

 窓の外を見て、日野尾ひのお先生が言う。

「昨日も雨だった」

 僕も窓の外を見て答える。最近は、ずっと雨が降っている気がする。

「カイは雨の日は好きじゃないのかな?」
「あんまり……雨の日は外で本が読めないし、頭が痛くなることも多いし、それに……」

 外じゃないと、あの子に会えない。

「それに?」
「ううん。なんでもない……」

 そう言った僕がよっぽどしょんぼりして見えたのか、先生は困ったように笑って、励ましてくれた。

「まあ、カイの体調が悪くなるのは、私も嫌だなぁ。でもね、雨の日って、晴れの日と違って、なんだか落ち着いて色んなことを考えられるじゃない?だから、何か考えごとをするための日だと思えば、雨も悪くないかもよ?」
「うーん……先生はどんなことを考えるの?」
「そうだねぇ……色々あるけど、今日はお花のことでも考えようかな」
「お花?」
「そう。雨続きだから、たまには部屋に花でも飾ろうかなって。飾るとしたら、どんな花がいいかなーって、考える」
「そっかぁ。じゃあ、に買いに行くの?」

 ほんの一瞬、先生の手がぴくりと震えた気がした。言ってから、僕は、を使ったことに気がついた。

 商店街。

 どこで覚えたんだろう。本の中だろうか。商店街、というのはなんだろう。そこには、お花があるのだろうか。買いに行く?商店街というところには、お花が売っているのだろうか。自分の口から出た言葉なのに、それがなんなのか、今ひとつつかめない。
 僕には時折、こういうことがある。僕自身も知らない単語が口から飛び出す時。先生の話によると、それは僕の頭痛と関係があるらしかった。知らない単語を使うと、日野尾ひのお先生はなんだかとても悲しそうに見えるから、僕は早く、そういうことがなくなればいいと思っている。

「……ぼ、ぼく、」
「庭の薔薇か、ああ、ラベンダーやカモミールなら、可愛いし香りも楽しめていいかもしれないねぇ。摘んできたら、カイの部屋にもおすそ分けしに来るよ」

 先生は何事もなかったかのようににこにこしている。

「どうしたの?」
「…………ううん」

 気のせい、だったのかな。
 いつも飲んでいる錠剤を受け取って、水で飲み干す。空になった食器をトレーに重ねて、先生は立ち上がる。

「今は頭は痛くない?」
「平気」
「なら良かった。何かあったら呼ぶんだよ」
「ねえ先生」

 部屋を出ようとする先生に声をかける。

「何?」
「姉さん達は元気?」
「元気だよ」

 僕の目を見ずに、先生は答えた。

 *

 雨の音を聴きながら、読みかけの詩集の続きを目で追っていたけれど、だんだん中身が頭に入ってこなくなって、しおりを挟んで本を閉じる。僕が「こども」として名前を贈られた時、一緒に渡された詩集に挟んであったしおり。ちいさな青い押し花の、その花の名前は知らないけれど、こんな雨の日にぴったりの、少しくすんだ淡い青を僕は気に入っている。
 今頃、あの子はどうしているだろう。初めてできた、僕の友達。
 僕とは違う、くせっ毛の真っ黒な長い髪。すごく元気な女の子。はじめは自分のことを「おれ」って言うから、もしかしたら男の子なのかもしれないってびっくりした。だって、日野尾ひのお先生は、自分のことを「私」って言うし、姉さん達も、そうだったはず。……はず?
 でも、「おれ」でなかったのは、確かだ。

「えっと、真白ましろ、ちゃん……? で、いい、ですか……?」
「ましろでいーぜ! あと、けーごじゃなくていいよ。ともだちなんだし」
「あ、……うん。じゃなくて。その……真白ましろ……、は、女の子、だよね?」
「…………? おれはおれだぜ?」
 真白ましろはとっても不思議そうにこっちを見るから、僕の方が戸惑とまどってしまう。
「え、えっと……。ほら、性別ってあるよね、男とか、女とか……」
「ん?んー、せーべつ、せーべつ……」

 真白ましろは自分の身体をぺたぺたと触って、更にひとしきりうーんとうなってから、

「ひのおせんせーやしらゆきと同じだから、たぶん女であってる。おーきせんせーも、ましろちゃん、って呼ぶし」

 と答えた。「しらゆき」っていうのが誰なのか分からなかったけれど、きっとそういう名前の誰かがいるんだろう。

「もしかして、自分が男か、女か、考えたことなかったの……?」
「んー、あんまり。だって、おれはおれだなーってこととか、これはとくいだなーとか、これはすきだなーってことのほうが、だいじだし」

 カイに言われなかったら考えなかったかもなー、と、真白ましろはなんてことのないように言うけれど、僕にとっては衝撃だった。すごく新しくて、素敵な考え方だと思った。

「つーかさ、なんでせーべつってあるんだろうな?べつに分けなくてもいいのにな?」
「……たしかに」

 真白ましろって、不思議だ。
 真白ましろと話していると、今まで当たり前だと思っていたことが、そうじゃないんじゃないかって思えてくる。
 きらきらした、お日様の光のような、女の子。
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