うらにわのこどもたち

深川夜

文字の大きさ
48 / 69
うらにわのこどもたち3 空中楼閣

THE MAGICIAN(4/4)

しおりを挟む
   4

 ……ばたばたと、廊下を走る音が近付いてくる。その音に気付いた眠兎みんとは読みかけの本をぱたんと閉じた。こんな風に廊下を走るのは〝はこにわ〟で一人しかいない。足音は眠兎みんとの部屋の前で止んだかと思うと、次の瞬間には大きな音を立ててドアが開いた。

「みんとーーー!!」
「うるさい」

 真白ましろの声が鼓膜を震わせる。眠兎みんとはぴしゃりと注意するが、彼女は気にする様子もない。開け放たれたドアはその勢いで壁にぶつかり、真白ましろの後方できいきいと鳴きながら半分閉まりかけている。

「何だよいきなり。何しに来たんだよ」
「そーいちろうてんてき外れるかも!」

 真白ましろはそう言うなり、椅子に座る眠兎みんとに飛び付いてくる。とっさに机に片手をつき、何とかバランスをとって身体を支える。危うく椅子ごと倒れるところだった。空調が効いているとはいえ、真白ましろの長い髪が暑苦しい。ぐしゃぐしゃになった真白ましろの頭をもう片手で抑える。こいつは犬か何かなのか。

「待て待て待て。順を追って説明して」
「もーすぐてんてき外れるかも」
「全然順を追ってない」

 何とか真白ましろを引き剥がす。ふざけた調子でよろめきながら、真白ましろはベッドへと倒れ込んだ。衝撃でベッド周りの本棚から本が数冊転げ落ちる。真白ましろはそれを器用に避けて笑っていた。癖のある長い髪がふわふわと揺れて広がる。

「んー、なんか、おーきせんせーが」
「うん」
「さいきんそーいちろうちょーしいいから」
「うん」
「このままなら夏の間にてんてき外してせーかつできるかもって」
「……へー」

 出がらしのお茶より薄い反応を返す。真白ましろは不満気だ。ベッドの上で泳ぐように手足をばたばたさせている。転げ落ちていた本が一冊、床へと落ちた。

「なんだよー。うれしくないのかよー」
「特に」

 頬を膨らませ、えー! と真白ましろが抗議の声を上げる。落ちている本を拾い上げ、本棚へと戻しながら、眠兎みんとは密かに頭を働かせる。
 蒼一郎そういちろうの点滴が不要になる。それは本人や真白ましろにとっては「喜ばしい事」だろう。しかし、自分にとっては素直に喜べる話ではなかった。蒼一郎そういちろうが「日野尾ひのお大規おおきにとって都合のいい状態」になる事を意味するからだ。十歌とうたが言っていた〝物語の調整〟が完了した状態。そのモデルケースとしての蒼一郎そういちろうは、果たして自分の記憶する蒼一郎そういちろうと同じままなのだろうか。

(……まずいな)

蒼一郎そういちろうの薬って完全に無くなるの?」
「ううん。注射や薬をのんだりに変わるかもっていってたぜ」

 再び、へーと返す。完全に無くなる訳ではないと分かり、少しだけほっとする。とはいえ、不穏なニュースであることに変わりはなかった。よりにもよって同盟成立の当日に。

「みんと、やっぱりしんぱいしてくれてるのか?」
「……別に」

 自分の心配はしているけれどと心の中で付け足すが、こちらを見る真白ましろは嬉しそうに頬を緩ませている。どうやら心配しているものと勝手に受け取ったらしい。

「そーいちろうにもさ、今がカンジンなんだぞって言ったんだ。あいつ、ときどきぼーっとしてるから」
「暑さにやられてんじゃないの」
「うーん。そーなのかも。じゃー、なおさらカンジンだな!」

 真白ましろは飛び起き、そのまま眠兎みんとの部屋を後にする。またいくつかの本が棚から落ち、勢いよく閉まったドアはその反動で僅かに口を開けた。台風のようにやって来ては台風のように去っていく。少しは大人しくする事も覚えて欲しい。無理か。

「……壊れたら、日野尾ひのお先生に言いつけよう」

 ドアをきちんと閉め直し、眠兎みんとは溜息をつく。
 蒼一郎そういちろうの変化には気を付けていた方が良さそうだ。蒼一郎そういちろうの今までとこれから。それを知っておく事は、今後の自分の為にもなる。
 眠兎みんとは椅子に座り、引き出しから一冊のノートを取り出した。普段はメモ代わりに使うそれにボールペンを走らせる。自分の中の蒼一郎そういちろうの記憶。性格や好き嫌い、出会ってから今までに起こった事。蒼一郎そういちろうが失った本棚の記憶。書こうとする度、いかに自分が周囲に関心を抱かなかったかに気付く。他者の記録をする筈が、浮き彫りになるのはむしろ自分自身の事だった。


 *


 十歌とうた蒼一郎そういちろうの口から点滴の件について聞いたのは消灯前の事だ。部屋の両端にあるお互いのベッドに座り、向かい合う。

「そうか……良かったな」
「うん」

 点滴を刺した腕を撫でながら、蒼一郎そういちろうは頷く。

「色々心配かけてごめんね」
「いや、謝るような事じゃない。俺の方こそお前に色々教えて貰いながら生活してるんだから」

 互いに謝り合う形になってしまった。すまない、と言いかけて口元を抑える。反対側のベッドで蒼一郎そういちろうがくすくすと笑った。

「点滴が外れたら、今まで出来なかったことも出来るようになるかな?」
「なるさ。蒼一郎そういちろうには、何かやりたい事があるのか?」
「うーん。そうだなぁ……」

 蒼一郎そういちろうは点滴棒の先を見上げる。交換されたばかりの点滴パックは奇妙な色の液体で満ちている。

「ずっと、この生活が僕にとっての〝普通〟だったから……正直、あんまりピンと来ないんだ」

 十歌とうた蒼一郎そういちろうの顔を見た。蛍光灯の光が点滴パックの色を透かし、蒼一郎そういちろうの顔を薄く染める。不安と困惑。その両方を宿した表情。蒼一郎そういちろう自身もどう受け止めればいいのか分からないようだった。

「点滴が無かったら、あれがしたい、これがしたいって色々思ってたはずなのに、いざ無くなるって思うと、不安な感じもする……」
「……そうか」

 その気持ちは分からなくもなかった。当たり前だったものが生活の中から消える。消えるものがどんなものであっても、無くなると知ると不安になる。良くも悪くもそれらは自分を構成するものの一部だからだ。人は変化に恐れを抱く。その事を十歌とうたは自身の経験から知っていた。
 幼少期、母親からの虐待の末に衰弱死寸前でアパートから保護された後の事だ。自分には言い知れぬ不安と恐怖が常に付き纏っていたのを思い出す。もう自分を虐待した母親はいない。アパートに戻ることもない。そう言い聞かされても「母親のいない世界」に慣れるまで長い時間がかかった。今まで生きてきた場所とは全く違うルールで動く世界は十歌とうたにとって不条理で、上手く適応するのは難しかった。変化した世界はあまりに優しく、それがかえって十歌とうたには恐ろしかったのだ。
 だからこそ、あえて深刻になりすぎないよう、軽い口調で返す。

「まあ、まず真っ先に真白ましろが外に連れ出すだろうな」
「……そうかも」
「それから、点滴の減り具合を気にしなくても良くなる。大規おおき先生が交換を忘れていないか、時間を気にしなくても良くなるぞ」

 ややおどけた口調で言うと、蒼一郎そういちろうの顔にも笑みが戻った。

「あはは。……でも、そうだね。何だか不安が吹き飛びそう」
「その方がいい。あまり不安に気を取られると、点滴も外れないままだ」
「ありがとう、十歌とうたくん」

 自分が来る以前、この〝はこにわ〟で蒼一郎そういちろうがどう生活していたかは想像するしかない。他のこどもと違い、常に点滴と一緒の生活。そこには想像の及ばないような苦労もあっただろう。もどかしいことや、悔しいことも。それでも、十歌とうたの知るこの世界の蒼一郎そういちろうは、いつも静かに穏やかに微笑んでいた。暴れた姿を見たのは初めて会った時だけだ。

「……点滴が外れたら……少しは先生達の役にも立てるようになるかな……」

 呟く声音はどこかぼんやりとしている。

蒼一郎そういちろう?」
「えっ? ……あ、うん。ちょっとぼーっとしてたみたい」

 誤魔化すように笑う様子に、微妙な違和感を感じる。何がどうとは言語化しにくい僅かな差異。意識と身体の反応のずれ。ただぼんやりとしていたとも違う何か。

(……何だ……?)

「……あまり思い詰めるなよ? 少しずつ、な?」

 うん、と頷き、蒼一郎そういちろうはベッドへと入っていく。

「消すぞ」
「うん。おやすみ、十歌とうたくん」
「お休み」

 ドア近くのスイッチを切ると、ぱちん、と電気が消えた。十歌とうたも自分のベッドに入る。
 暗闇の中、脳裏に昼間聞いた眠兎みんとの言葉がよぎった。

 ――蒼一郎そういちろうも、ここに来たばかりの頃は時々暴れていた、と。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

貴方の側にずっと

麻実
恋愛
夫の不倫をきっかけに、妻は自分の気持ちと向き合うことになる。 本当に好きな人に逢えた時・・・

処理中です...