喪女が魔女になりました。

隆駆

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最後の魔女と聖域の守護者

果たされた約束

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「白き獣と紫の瞳を持つ美しい女性を連れた若者は、これまで誰にも討伐することのできなかった魔物をあっという間に駆逐し、一つの王国を築き上げた。それこそがこの国の起こり」
「我が国の創世神話でございますな…」
前に進み出たジョサイは、一度絵画に向けて深く礼をとると、雛子に向き直る。
「我が一族は、その折に英雄と共に行動をしていたと言われております。
英雄と魔女王とを姉兄のように慕っておりましたそうで、名を―――――」


『「ジェイス」』


「…そう、ジェイス、と」

雛子の口から聞いた己の祖先の名に、ジョサイの目から涙が落ちる。
「我が祖先は、貴女様が眠りに疲れた後に自ら王に進言し、貴女様を祀る司祭としての役割を賜りました。
…いつか、貴女様がお目覚めになられた時、知らぬ顔ばかりでは寂しかろう、と。
私のようなじじいではもはや面影もへったくれもございませんでしょうがなぁ…」
クシャっと顔を歪め、涙を掌で隠す。

そのジョサイに向けて、雛子は手を差し伸べる。

『「泣くな、ジェイス」』


「…そうですか。このような年寄りとなっても、面影はまだ…ございましたか…」

ようやく報われた長い思いに、ジョサイは雛子の手を押し抱く。

「魔女王よ…。初代より、貴女様がお目覚めの際に伝えよと伝言を賜っております」

「ジョサイ…?」
訝しげな声をあげるレオナルド。
何も聞かされてはいなかったのだろう。
何を言うつもりかと目を細めるが、その行動を咎めることはない。


「我が祖先よりの言葉です『私も共にいきたかったのに、あのものばかりずるい。だから少し、意地悪をしてしまいました。いつかあなたが目覚める時は、どうか笑っていてください』と。
…あのもの、というのは恐らく英雄を指しているのではないかと思われますが…。意地悪とはなんのことなのかは未だに謎のままです。ですがその謎も、貴女様がお目覚めの今、いつか解かれることでしょう。
そしてもう一つ、これが最後の言葉です」


「『おかえりなさい、姉さん』」


―――懐かしい、声が聞こえたような気がした。


                    ※

「…子様…雛子様…?」
ふっと肩を揺すられて我に返る。
目の前では雛子の手を取った老人が、万感の思いを込めて雛子を見つめ、最後にぐっと、その手を握り締めた。
「ジョサイよ…」
「わかっております、陛下」
「あ…」
後は任せる、とばかりに下がったジョサイを、なぜか引き止めたければならないように感じ、声を上げるが、今の雛子には彼に何と言ったらいいのかがわからない。
既に言葉はなくしてしまった。
代わりに正面に立ったレオナルドが、雛子の手をとる。
「記憶は徐々に戻りましょう。それまでは私があなたをお守りいたします。…さぁ、あまり長居は体に毒です。完全なる目覚めまではしばしお休みを…」
促され、再び部屋を出る直前に、なぜかもう一度、雛子の体は壁画のもとへ向かっていた。
そして、描かれた獣の姿を己の手でなぞる。
「スヴァンスフィード…」
白き、聖獣。
この獣を、いつかの夢に見たような気がした。
とても幸せな夢の中で。
まっすぐこちらを見つめるその瞳を、雛子はよく見知っているような気がした。
姿かたちはまるで違っていても、同じ瞳を―――。
「そうだ、薫さん…」
彼を、心配させたままだ。
今、現実ではどうなっているのだろう。
また、昏睡状態に陥っていたとしたら薫がとんでもなく心配をしているのではないか。
慶一だっているというのに。
「帰らなきゃ…」
今すぐに、彼のもとへ帰らなければ。
「帰る…?何をおっしゃっておられるのです雛子様…!」
「そう、私は雛子。だから、帰る場所はここじゃない」
「雛子様…!」
くるりと踵を返し、驚く周囲を振り切って雛子は走り出す。
どこへ向かっているのか、自分でもよくわからない。
ただ、ゆかねばならないと思った。
その先へ。
「お待ちください、魔女王…!!!」
走り続けて、そして―――――。


やがて、視界が真っ白に染まった。
きっとこれで帰れる、そう思った瞬間。

「行かせません」


ぎゅっと、背中から強く抱きしめる腕。

「もう、貴女を誰にも奪わせはしない…!!」

レオナルドが、その紫の瞳を昏く染めて、こちらを見つめていた。
その顔に浮かぶのは、ぎらついた執着。

「夢の中へなど、もう二度と戻させはしない。貴女は再び、私の妻となる…!」


体を返され、今度は正面から抱きすくめられ、声が出ない。


「もう既に、貴女の魂はこちらの世界に完全に定着した。もう一度眠ったところで、夢へと戻ることはできないでしょう」

それは残酷な最後通知だった。


「夢は、もう終わったのです。これからは、どうか、ともに歩く未来を見てください」

「…未来…」

この世界が、これからの雛子の現実だというのか。
まだ、何一つ諦めがつかない。
全てが中途半端で、投げ出していいものではなかった。
これから仕事を探して―――。
薫とのことにも、決着をつけて。

そことまで考えて、あぁ、と思う。
なんだ、3ヶ月待て、なんて勿体ぶった事をいいながら、結局答えは決まっていたんじゃないか。
あの人の手を取りたいと、そう思ってたんじゃないか。





「オリビア」
「はい、陛下…」
戸惑う雛子をオリビアに託したレオナルド。
「あちらに参りましょう。お茶をお淹れ致します。話はその後ででも…」
いつの間にやら用意されていた外套を雛子の背に掛け、背中をさするようにして、移動を促すオリビア。
「納得がゆくまで、いくらでもお話をお聞き致します。ですからどうか、どうか。陛下のお話を、聞いて差し上げてください」
小さな声で囁かれる言葉。
「あの方は、ずっと貴女様の目覚めを待ち続けていたのです。幼い頃から、あの、寝台に眠ったままのあなた様を…」
そう言われ、思い出したのは、最初に彼に会った時の事。
待ち疲れて眠っていたかのような、あの時の姿。
ずっと。
ずっと、ああして雛子の目覚めを待っていたというのだろうか。
「…魔女は、あの最初の場所にずっと眠っていたの…?」
この体は、ずっとあそこにあったというのか。

「貴女様が眠りに疲れてから、200年、ずっと…。その御髪に一つ、朽ちぬままに」

そして、この国の王族は、ただずっとその目覚めを待ち続けた。

「…あの、ガラスのようなもの…」
最初に、雛子が眠っていた台座を囲っていた、透明なガラスケース。

「結界のことでございましょうか…。貴女様が眠りにつかれたその時、自然に発生したものと言われておりますが…」

結界…。
 
「物心ついてからずっと、触れることすらできぬ愛しい人を、目前にして待ち続けることしかできなかった陛下の思いを、どうか…」

どうか、受け入れてあげて欲しいと。
口にすることはせずとも伝わる想いに、雛子はただ、俯くことしかできない。

受け入れることは、この現実をも認めることだと、そう知って。


――――今はまだ、到底受け入れることなど、できそうにはない。
そう、静かに首をふった。
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