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非凡なる彼の日常

7話

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「エ、エーメさん、申し訳ないんですけど、私は今日子供達に聖書を教える約束をしているんです」

 教区の大人に頼まれた、定例の勉強会だ。
 今日は一時からの約束であり、そのためにクッキーも焼いた。

 「・・・・・・・ほう?・・・・お前が?」

 「・・・・私が、です」

 薄い不審な笑みを浮かべるエメラルドに、冷や汗だらだらのまま、ヴァーニスが答える。

 「ふぅん。なら、さっさと用意をしなくてはいけないな?子供達が待ってるんだろう?一時まで、後少しだからな」
 
「み、見逃してくれるんですかっつ!?」

め、珍しいいい!!!

てっきり何かをされると思っていただけに、少々拍子抜けしながらも語尾がつりあがある。

しかし、その幸福は長いことは続かなかった。

 「お前への話は、その後でだな。ちなみに、その聖書の勉強会、とやらは一般参加も許可しているのか?」

・・・・・・非常に嫌な予感がするが、答えないわけにもいかない。

 「・・・・一応、どなたにも参加いただけます」

 「そうか。では、私もお前の勉強会とやらに付き合ってやろう?」

 「はぁぁぁあああああああああぁ!?」

あまりの事に、あごが外れるかと思った。
 
「私もこれでも聖職者だ。迷える子羊達へのお前の聖書談義、謹んで静聴しようじゃないか」
 
(―い―や―だ―!!!!!!)

やっぱりそう来るか!そうくるのか!ヴァーニスは内心で絶叫した。

 何が楽しくて、吸血鬼が本業の吸血鬼ハンターの前で神の威光についてなんぞかたらにゃらないんだっつ!!!

もとより、吸血鬼が牧師であることすら異常であるが、そんなことを勝手に棚において、ヴァーニスは頭を抱えた。

 (…うわ―。どうしよう。このまま逃げようかな……)

その場しのぎでしかない解決案を本気で採用しようとそろりとエメラルドを見たヴァーニスに、エメラルドは、

 「逃げたら、どこまでも追っていくぞ。これこそまさに愛の逃避行だな」

にこり。

笑うその顔は最早脅迫と変わらない。
そして、最後に付け足した一言がまた凶悪だった。

 「今度、逃げようなんて思ったら、教区のやつら全員に、お前の正体をばらしてやる。
そうしたらこの小さな街はどれほどの大騒ぎになるだろうな?」

 (―ひーと―で―な―しぃいいいいい―!!!!!)

そう言われたら逃亡なんて絶対無理に決まってるじゃないか、と思わず長い金の髪を取り乱し、地面に膝を抱えて座り込んでしまう。

 「おかしなやつだな。 地面に金貨でも見つけたか?ほら、勉強会はどうしたんだ」
 
(―ええ、やりますよ。やりゃあいいんでしょうやればっつ!!!!)

がばっと身をおこし、ヴァーニスは決意した。
この時のヴァーニスの心境を、人は総じて「ヤケ」と呼ぶ――――――。


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