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凶兆

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「そこ…止めてください」
「え?」
急に言い出した高瀬に、運転席に座る主任がためらいがちにブレーキを踏んだのはその少し後のこと。
建設中の工事現場の一角に、車は止められた。
「どうしたの、高瀬君?なんか忘れ物でもした?」
それともトイレ?と笑いながら振り返った主任は、しかしそこで真剣な表情の高瀬を見つけ、目を細める。
「……なにかあった?」
高瀬の様子が、尋常ではない。
その言葉には答えず、高瀬は二人に向かって尋ねた。
「あれ……見えますか」
「―――――何?」
「あそこを……」
そうして高瀬が指をさした先、そこにあるのは、なぜかぽっかりと開けられた大きな穴。
「…特に何も見えないけど…?」
首をかしげる主任に、同じくといった様子の部長。
「何が見える…?」
尋ね返す部長に、高瀬が少しためらう。
「…なんて言ったらいいんでしょうか…?妖怪…?」
「「妖怪??」」
なんだそりゃ、と、一気に二人の気の抜けたのがわかったが、あくまで高瀬は真剣だ。
「肉の塊というか…。全体に目みたいなものがついていて……」
その穴の中央に埋まっています、という高瀬。
主任と部長、二人の視線が一点に集まる。
こんなことで高瀬が冗談を言うとは思えないし、そんな様子でもない。
ということは、間違いなく彼女にはその異様な姿が見えているのだろう。
「……見えるか?」
「いや…」
二人の目には映らない化物。なんとなく気味が悪い。
「それがなにか良くない物ってこと?」
「……どうでしょう…?悪意があるとか、そういう問題じゃなくて…」
そもそも生き物なのかどうかもよくわからない。
「部長、手を」
「あぁ…」
「見えます?あれ」
ぎゅっと高瀬に手を握られ、もう一度例の穴を見つめる。
――――すると。
「……気味が悪いな」
「え!?高瀬君、俺も俺も!!」
食い入るように穴を見つめたあと、とても嫌そうな顔になった部長。
何かが見えていると分かり、主任がぱっと自分の手を高瀬に差し出した。
部長の手を一旦離し、今度は主任の手を握る。
「……うわ…。なにあれキモイね…」
「妖怪ウ○ッチにあんな感じのいましたっけ…?」
「いたような気もするけど、さすがにもうちょっと可愛かったと思うよ。これじゃ子供が泣くし」
それもそうだ。
顔もなく胴体もなく、無数の目のついた丸い肉の塊。
そんな気味の悪いもの、どうデフォルメしたって不気味でしかない。
「ゲゲゲの鬼○郎で、確か目が百個あるやつとかいませんでしたっけ?」
「…いたけど……なんか違う気が…」
思いつく限りの妖怪アニメを頭に思い浮かべてみるが、該当する存在も見つからず。
「……もう行きましょうか」
「いいの?」
「ええ…」
気になって止まってみたはいいものの、どうしたらいいのか検討もつかないし、近寄りたくもない。
それに……。
「なんか、嫌な感じがするんですよね…。しばらくこのあたりに近づかないほうがいいかも……」
何かが起こる、そんな予感があった。
「それ、工事関係者に伝えたほうがいいんじゃないか?」
主任はそういうが、一体こんなものどうやって伝えればいいというのか。
「それって、笑われるか頭のおかしな相手だと思われておしまいじゃないですかね。私は嫌ですよ」
「……ごめん」
冷静に考えれば、正しいのは高瀬だ。
何か起こるとわかっていてそれを放置するしかないのが心苦しいのはわかるが、どうすることもできない。
一体これから何が起こるのか。
嫌なものを感じながら、その場を走り去る車。
しばらくの間無言で運転していた主任だったが、先ほどの現場から遠く離れたところで、ふと思い出したようにその口を開く。
「そういえばさ、肉人にくじんって知ってる?」
「…肉人?なんか気持ち悪い名前ですね」
「歴史の雑学かなんかでやってたんだけど…。昔徳川家康が実際に出会ったっていう謎の妖怪の話」
「なんですかそれ」
そんな話、初めて聞く。
「結構有名だよ?テレビでも取り上げられてたし。
ある日の朝、突然庭に謎の化物が現れた。子供のようなサイズで、肉の塊のような姿をし、手らしきものはあっても指はなく、ただひたすら天を指すのみ」
「肉の塊…」
―――いやな符号だ。
「対応に困った家臣達がどうしたらいいか家康に聞くと、『そんな気持ちの悪いものはさっさと捨てて来い』と怒られて、裏の山中に追い出したって話なんだけど…」
「それ、本当に史実なんですか?」
そんな怪しい話、聞いたこともない。
「本当本当。実際の文献にも乗ってる話だよ。…んで、この話には続きがある。
その後、その話を聞かされた薬の専門家にこう言われるんだ。
『それは中国の古書にある「ほう」というもので、食べれば滋養強壮、武勇も増すという伝説の薬の元です。知らなかったとは言え、なんとも勿体無いことをしましたね』って」
江戸時代に書かれた、「一宵話」という随筆に載せられた話だ。
「……人の形をした謎の肉の塊を食べるって、それハードル高すぎじゃありません?」
カップ○ードルの謎肉とはわけが違う。
「うん。実際徳川家康はそれを聞いても「あんな化物を食べるのは絶対嫌だ」って言ったらしいし」
「…よっぽど気持ち悪かったんでしょうね」
人魚の肉を食べて不老不死を得るというのは聞いたことがあるが、謎の肉の塊を食べて滋養強壮にいいと言われてもちょっと微妙だ。
むしろ変な成分でも入っていそうで怖い。
そりゃ徳川家康だって嫌がるだろう。
「今、一部ではその姿が宇宙人にソックリだって話で盛り上がってるらしいけど・・・」
「あぁ、某有名SF雑誌とかの」
名前をム○という。
「その一方で、この肉人ってのには色々な説があってさ。『ぬっへっほう』っていう、まぁこれも顔のない肉の塊みたいな妖怪なんだけど、それだっていう話から、他にも中国の「太歳たいさい」っていう奴じゃないかって話も…」
「太歳……?」
「俺も詳しいことは知らないけど、日本の「肉人」とは違って、発見される事自体が凶兆だって言われてるらしいね」
「凶兆」
不吉の予告を表すそれは、高瀬の感じる嫌な予感にぴったりあう。
「後で詳しく調べてみる?」
「いえ…」
知らぬが花、という言葉もあるが、それ以上に。
「関わらざるを得ないことなら、いずれどこかから耳に入ると思うので…」
人はそれを必然と呼び、運命と呼ぶ。
最近では「フラグ」という言葉で表現される事も多いが、結局意味は似たようなものだ。
遭遇を予測される未来。
「できれば、関わりたくないんですけどね…」
つぶやく高瀬の耳に、微かに甲高い女性の声が聞こえた。

『………で』

「え?」

思わず聞き返す高瀬。
「部長、今何か聞こえませんでした…?」
「いや。……聞こえたのか?」
「多分…」

『     まで  』

「……まで?」

まだ、微かに聞こえるその声に耳を澄ませていれば。

「うわぁ!」
急ブレーキを踏んだ主任に、体が一瞬前に倒れた。
「ちょ…!!危ないですよ主任っつ!!」
「ご、ごめんごめんっ!!でも今、妙な鳥が…」
「鳥!?」
こんな時間に??
「コウモリの見間違いじゃありません?」
「違う。あれは鳥だった」
「部長まで…」
だが、二人が間違いなく見たというのなら、そこに鳥はいたのだろう。
車を止めたまま、少し周りの様子を伺っていた主任。
ちょうど後続に誰もいなくて助かった。
再び動き出す車に合わせたように、その声がまた、高瀬の耳に響く。

『    つ   ま  で  』

「また声が…」

だんだんとはっきりしてくるその声。
女性の声だと思っていたが、それも少し違う。
どこか機械的な音声。
窓を開け周囲を伺う高瀬の視線の先に、一瞬だけひらりと、鳥の羽が舞うのが見えた。
その耳に、今度ははっきりと聞こえた言葉。

『い つ ま で』

「いつまで……?」
呟いて前を見れば、やはり部長たちにその声は聞こえていないらしい。
先ほどの謎の塊といい、気味の悪いことばかり起こる。
今日の食事は中止したほうがいいのではないか。
そんな気がして、もう一度車を止めようとしたその時。
「お、ここだここ」
主任の声に合わせ、とある店の駐車場に、車が止まった。
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