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回らぬ中華と回る運命

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店の入口にあったのは、まるで横浜中華街にでも来たかのような立派な朱塗りの門。
メニューを開けば、一品だけで既に今日の財布の中身を上回るびっくりプライス。
まごう事なき高級中華の面持ちだが、残念なことが唯一つ。
「私、高級な中華料理屋さんのテーブルはみんな回るやつだと思ってました」
「うん、よくありがちな誤解だね」
ごく普通の4人掛けテーブルに通されて、ちょっとがっかり。
「個室にはそういう席も確かにあるけど、普通は団体専用。接待とかで貸し切るなら話は別だけど。
……あぁほら、高瀬君のご要望の麻婆豆腐が来たよ」
「おぉ!」
運ばれてきた料理にテンションが上がり、憂鬱が一気に吹き飛ぶ。
丸○屋の麻婆とは違う、強い香辛料の匂いと食欲を誘う真っ赤な色。
回る中華への未練も一緒にどこかへ飛んでいった。
回らなくてもいい。むしろ独り占めしたい。
「こらこら、器を抱え込まない。ちょっと貸して」
「あぁ…」
「取らないから、そんな切なそうな声出さないの」
そう言って麻婆豆腐を取り上げた主任。
「あーん」と、口の前に差し出されたレンゲに、ためらわず食いついた。
「美味しい?」
「…からいです」
口の中がピリピリする。美味しいのは美味しいけど、量を食べたら胃がやられそう。
「う~ん、ちょっと高瀬くんには早かったかぁ。甘めな奴他に適当に注文しとくわ」
「好きにしろ」
ためらいなく餌付けされる高瀬に呆れながら、もはやメニューを見る気すら起きないといった様子の部長。
思ったよりも強烈な山椒の刺激にやられ、二口目に勇気が出ない高瀬は、主任の横からメニューを覗き込み、「あ、中国茶もある!なんかわかんないけど一番高いの飲んでみたいです!」と再びテンションを上げた。
「…頼むのは構わないが高級だからという理由でわけのわからないものを頼むのはやめなさい」
「ほら高瀬君、このジャスミンティーとかは?ポットの中で花が咲くってよ」
「おぉ!ナイスな乙女ティック!!」
ころっと騙されてお手頃なジャスミンティーを注文。
前評判通り、確かに乙女ティックな代物ではあったので後悔はない。
いわゆるインスタ映え、というやつだ。やってないけど。
「乙女といえばさぁ、高瀬君」
「はい?」
お湯の中で揺れるジャスミンの花を食い入るように見ていた高瀬。
「君の好みのタイプってどんなの?」
その言葉に、しばし思考を停止させ……こてん、と首をかしげた。
そして一言。
「‥‥‥‥‥‥部長?」
美味しいもの食べさせてくれるし、面倒見がいいし、背も高いし、お金持ちだし。
一般的にはきっと部長のような人がモテるはず。
「はいはい、沈黙も長いし疑問形で言ってる時点でアウトだからそれ」
「………」
「お前もそこで地味にショックを受けるなよ。所詮高瀬君の言うことだぞ」
「主任、自分から聞いといて所詮とか言わないでっ!」
適当に返事をしたのは悪かったけどっ。
「だって好みのタイプとか言われると難しいじゃないですかぁ。
男性みたいに好みの部位があるわけでもないし、そもそもですよ?あの幼馴染二人に張り付かれてそんなもの追求してる余裕があったと思います?」
おかげで勝負下着の出番すらなかったことはここで口にするのはやめておこう。
「ちなみに言えば奴らは人のスリーサイズすら寸分たがわず承知してます」
「………それは随分高いハードルがあったもんだねぇ…」
情緒面が育たなかった、というよりこれは環境のせいかも知れない。
「でも純粋に好みのタイプの顔とか位はあるでしょ?俳優とかでもいいからさ」
「俳優ですかぁ?う~ん。私、俳優そのものよりもその人がやってる役柄とかにハマっちゃうタイプなんで」
菅○将暉は最初の仮面ライダーがマストだと未だに思っているくらいの。
「好きな役柄を演じた俳優さんとかはなんとなく応援しますけど、それ以外は正直顔が…」
「顔が?」
どうしたの?と続きを促され、まぁいいかと真実を告げた。
「顔の違いがわかんないんですよね。なんか私、人間の顔の認識力があんまりないみたいで、名前と顔とが自分の中で一致しないと人の顔を全く覚えられなくて…」
秘書としては致命的な弱点であることは拭えない。
だから最初、秘書課と聞いて抵抗があったのだ。
「覚えられない?」
「はぁ…」
「じゃあ、俺達のことは?」
「もちろん覚えてますよ。部長と主任ですから」
その言葉に、なぜか顔を見合わせた二人。
「名前ですらなくそれ肩書き…」
「いいじゃないですか別に。そういうもんだと覚えちゃったんですもん。
さすがに今はもうちゃんと個体認識できてますよ?人ごみでも間違えませんよ?」
部長は部長、主任は主任。
「つまり、相当なインパクトがないと君の記憶には残れないってわけか。
要するに、その他大勢?」
「ぶっちゃけそうですね」
間違ってはいない。
「そういう意味では矢部先輩は結構強烈でした」
流石に直ぐに名前を覚えられたといえば、とてつもなくがっかりした様子の主任。
なんだか呆れられている気配がありありだったので、一応ここで弁解しておく。
「だって、自分の中で唯一無二と思える位の相手じゃなきゃ、覚えても意味ないじゃないですか」
そもそも派遣として働いていたため、複数の職場を渡り歩いてきたわけで。
その一人一人の顔までいちいち覚えていたら、キャパオーバーを起こす。
大切なものいつまでも覚えている為に、不必要な情報は消去していく。
溜まった携帯のメールと一緒だ。
「唯一無二……」
言葉の意味がわからないわけでもなかろうに、まるで噛み締めるようにそれを口にする部長。
「喜んでいいやら悲しんでいいやら…難しいところだなぁ…」
その他大勢とは隔絶されて個体認識されていることはわかるが、それが恋愛以前であることは間違いない。
なんともコメントしづらい話になってしまい、ちょっとした沈黙が流れたところで、それは起きた。
「……?なんだか向こうが騒がしいな」
店の奥のほうから、にわかに複数の人の声が聞こえてきた。
どうやら、奥の個室から人が出てくるようだ。
しかも、大声でなにか喋りながら。
「………って下さい!!お願いですっ!!」
「あなたに今見捨てられたら我が社は今後どうしていけば……!!」
年配の男性が二人、何事か必死になってわめいている姿が微かに見える。
「あれ……もしかして、さっきの工事を施工してた業者じゃないか?」
「え?」
「ほら、あの作業服。肩口に会社名が入ってるだろ?あの場に置いてあった重機類にも同じ名前があったよ」
「あの暗い中でよく見てましたね…」
「記憶力には自信があるんだ」
瞬間的に周囲にあるものをぱっと映像化して記憶することができるという。
なんて羨ましい能力だ。
いいなぁと、そっちに気が向いていたところで、次に聞こえてきた声に一気に血の気が引いた。
「生憎だが、俺にはどうすることもできない。あれは天災と同じ性質のもの」
「そんな…!!」
冷酷に聞こえるほど淡々とした、若くハリのある男性の声。
「お前たちは人の手で夜空の星を自由に動かせると思うか?あれをどうこうしろというのは、それと同じことだ」
「ですが……!!」
なんとしても食い下がろうとする年配男性。
恐らく人数は3人、若い男の姿も、だんだんとはっきり見えてきた。
「……って、高瀬君?君なにやってんの」
「ほっといてください…」
隠れてます。
今、思いっきり部長の影に。
主任が訝しげな顔でこちらを覗き込んでいるが、やめてくれ。
むしろ素知らぬ顔でやり過ごして欲しい。
「知り合いか」
頭上の部長に尋ねられ、返答に困る。
「とにかく面倒な事態に陥りたくなかったら黙って匿ってもらえると助かります」
「……わかった」
物分りのいい部長は、テーブルの下、自分の足元にしゃがみこんで隠れる部下を見て見ぬふりすることに決めたらしい。
主任にも目配せし、あえて何事もなかったかのように食事を開始する。
自分もこっそりテーブルから蒸しパンを一つ頂戴し、テーブルの下でちぎって食べる高瀬。
哀れに思ったのか、部長がバレないようにエビチリをその上にそっと載せてくれた。
うまい。だけど危なかった……。
部長の足元なら、角度的に奥の部屋から出てくる相手からは姿が見えないはず。
長いテーブルクロスのおかげで助かった。
あの声は、間違いない。

四乃森龍一、本人だ。
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