王太子攻略、全ルート失敗しました

希臘楽園

文字の大きさ
2 / 6

第2話 データの敗北、あるいは神の御心の迷走

 フリーデ・クレールという令嬢を、テオドールは以前から把握していた。

 クレール男爵家。平民の商人から身を起こし、商業的成功によって爵位を得た新興貴族だ。家格としては低いが、実務能力は侮れない。そしてその令嬢は、父親譲りの商才に加え、異様なほど緻密な観察眼を持っているという評判だった。

 黒髪をきっちりとしたボブカットに整え、いつも背筋を伸ばして歩く。感情を顔に出さず、言動は常に計算されている。学業成績は学園でもトップクラスだ。

 なるほど優秀な令嬢だ、とテオドールは思っていた。

 ――接触してくるまでは。


 その日、テオドールは図書室で一人、資料を探していた。クラリッサは今日、妃教育の補講があり東屋には不在だった。

 書棚の間を歩いていると、不意に声がかかった。

 「王太子殿下。ご機嫌うるわしゅう存じます」

 振り返ると、フリーデが一礼していた。完璧な礼の角度だった。三十度、きっかり。

 「これはクレール嬢。奇遇だな」

 「奇遇ではございません」

 フリーデは涼しい顔で言った。

 「殿下が火曜日の午後に図書室をご利用になることは、過去三週間の行動記録から予測しておりました」

 (……堂々と言ってのけたな)

 テオドールは内心で感嘆した。奇遇を装うつもりも、偶然を演出するつもりも、最初からないらしい。この令嬢、正面突破のタイプか。

 「それは念入りなことで。何か用かな」

 「単刀直入に申し上げます」

 フリーデは一歩進み出て、まっすぐにテオドールを見た。黒い瞳に感情はなく、どこか査定するような色があった。

 「私はクレール男爵家の令嬢として、殿下の婚約者候補に名乗りを上げることが可能かどうか、打診に参りました」

 「……婚約者候補」

 「はい。現在の婚約者であるフォンテーヌ公爵令嬢との婚約を解消した場合に備えた、次善の候補として、です。私の家格では本来不釣り合いですが、能力と実績でそれを補えると判断しています」

 (次善の候補として、か)

 テオドールは口元を引き結んで笑いを堪えた。なんという直球だろう。婚約解消を前提にして、しかも次善と自分で言う。ロマンのかけらもない交渉だが、逆にその割り切りが清々しかった。

 「なるほど。ではクレール嬢、一つ聞かせてほしいのだが」

 「はい」

 「なぜ私がクラリッサとの婚約を解消すると思うのかな」

 フリーデはわずかに眉を動かした。

 「……フォンテーヌ公爵令嬢の愛嬌の無さは、宮廷内でも話題になっております。国母としての適性に疑問を呈する声も聞かれます」

 「誰の声かな」

 「……複数の貴族家から」

 「具体的には」

 フリーデが初めて言葉に詰まった。

 テオドールは穏やかに続けた。

 「宮廷内の評判というのは、発信源が重要だ。根拠のない噂と、信頼に足る評価は全く別物だよ。データを扱うのが得意なら、その出所の信憑性まで検証してから持ってきてほしかったな」

 「…………」

 「それと」テオドールは一冊の本を書棚から抜き取りながら言った。「クラリッサは確かに愛嬌がない。だが王妃に必要な素養を彼女が持っていないと言う者がいるなら、その者こそ王妃の仕事を理解していないと私は思う。君はどう思うかな、クレール嬢」

 フリーデは黙っていた。

 その沈黙は、反論できないのではなく、高速で何かを計算しているような沈黙だった。

 「……データの収集範囲が、不十分でした」

 やがてそう言って、フリーデは再び三十度の礼をした。

 「失礼いたしました、殿下。出直して参ります」

 (出直してくる気なのか……)

 その潔さには、テオドールも少し感心した。負けを認めて改善しようとする姿勢は、嫌いではない。ただ方向性が完全に間違っているのだが、それはまた別の問題だ。

 フリーデの足音が図書室から遠ざかる。

 テオドールは手にした本のページをめくりながら、ため息をついた。

 (次に来る時は何を調べてくるのやら)


 問題は、その翌日にも起きた。

 礼拝堂から出てきたテオドールの前に、ふわりと白いローブが現れた。

 「殿下。お待ちしておりました」

 金髪を長く流した令嬢が、恭しく両手を胸の前で組んで立っていた。アメリア。教会が引取り育てた、聖女の力を持つとされる令嬢だ。

 「……私を待っていたのか」

 「はい。神より啓示を受けました。今日、ここで殿下とお会いすべきであると」

 (啓示)

 テオドールは平静を保った。

 「それは……ご熱心なことだな」

 「殿下、単刀直入に申し上げます」

 アメリアは青い瞳でまっすぐにテオドールを見た。透き通るような視線だった。確信に満ちた、一点の曇りもない視線。

 「私は神に選ばれた聖女です。そして同時に、この国の王妃となるために遣わされた者です。殿下のお傍にあって国の繁栄を支えることが、私に与えられた使命なのです」

 テオドールは少し間を置いた。

 (ものすごいことを言われた)

 婚約解消の打診でも、困りごとの相談でもない。神の使命として王妃になりに来た、という宣言だ。クレール嬢の直球も大概だったが、こちらは次元が違った。

 「アメリア嬢」

 「はい」

 「君が聖女としての力を持っていることは、私も聞き及んでいる。それは国にとって貴重なことだ」

 「ありがとうございます。では――」

 「ただ」テオドールは穏やかに遮った。「神が君に何を啓示したかは、私には確認する術がない。そして国の王妃を決めるのは、神ではなく私だ」

 アメリアが初めて瞬きをした。

 「それは……神の御心に反します」

 「神の御心が何であれ、私には婚約者がいる。クラリッサ・フォンテーヌという、優秀で誠実な令嬢が。彼女との婚約を覆す理由が私にはない」

 「しかし、あのお方では国の加護が――」

 「アメリア嬢」

 テオドールの声音が、わずかだが変わった。穏やかさの中に、はっきりとした線が引かれた。

 「私の婚約者を貶める言葉は、誰であれ聞き流すわけにはいかない。神の名を借りていても、それは同じだよ」

 礼拝堂の前に、沈黙が落ちた。

 アメリアは両手を胸の前で組んだまま、しばらくじっとしていた。やがてゆっくりと目を閉じ、何事かを唇の中で呟いた。祈りだろうか。

 そして目を開け、静かに微笑んだ。

 「……これも試練なのですね。神は私に忍耐を学ばせようとしておられる」

 (全く動じていない……!)

 テオドールは内心で本日二度目の感嘆を覚えた。打たれ強さという点では、この三人の中で間違いなく最強だ。

 「では、またお話を聞いていただけますか、殿下」

 「……気が向いたらな」

 これは社交辞令のつもりだったが、アメリアは深々と一礼して去っていった。その背中は清々しいほど迷いがなかった。

 (気が向いたらという言葉が、またの機会と受け取られた気がする)

 テオドールは天を仰いだ。


 その夜。

 テオドールは執務室の椅子に深く腰を下ろし、今日一日を振り返った。

 リリアーヌは今週まだ来ていない。来週あたりまた何か仕掛けてくるだろう。フリーデは「出直してくる」と言った。アメリアは試練と解釈して帰っていった。

 三者三様、しかし揃って引く気配がない。

 (なぜ私がこんな目に)

 ため息をついてから、ふとクラリッサの顔を思い浮かべた。今日の補講はどうだったか。相変わらずボサボサのソバージュのまま淡々と帰っていったが、実はこの状況に気づいているのだろうか。

 気づいていて放置しているのか。

 それとも本当に気づいていないのか。

 (あれで気づいていないはずはないが……)

 どちらにせよ、明日の東屋でまた無愛想に本を読んでいるのだろう。

 テオドールは書類を引き寄せながら、なぜかそれが少しだけ、楽しみだと思っていた。
感想 0

あなたにおすすめの小説

私とクロエと中庭で1

希臘楽園
ファンタジー
落ちぶれた貴族の娘クロエは、ランズベリー公爵家に迎えられ義姉クラリスと貴族学校へ通う。王太子の的外れな熱意と取り巻きの暗躍を、義姉妹の静かな連携で鮮やかに退ける、ほろ苦くも清々しい社交界コメディ。AIに書かせてみよう第8弾もシリーズもの。

父上こそ、お出になって下さい

希臘楽園
ファンタジー
領地運営に尽力してきた伯爵令嬢クローデット。ある日、父親から突然の追放宣告を受ける。しかし彼女は素直に従わなかった。長年密かに積み上げてきた証拠と、領民たちの信頼を武器に、静かに反撃の狼煙を上げる。AIに書かせてみた第11弾はアンチテーゼから生まれた問題作。

ゲームの外側

希臘楽園
ファンタジー
乙女ゲームに転生した義妹、公爵家に乗り込んで王太子を狙う完璧な計画。でもゲームの知識で見落としていたのは、モブのはずの使用人と奉公娘たちが、ちゃんと生きて生活していることだった。AIに書かせてみた第6弾。今回はゲームの盲点を突いた意欲作。

ヴァレリーの大化の改新 -「父上こそ、お出になって下さい」スピンオフー

希臘楽園
ファンタジー
カニンガム伯爵家に奉公に出た子爵家の娘ヴァレリー。放蕩な伯爵に苦しむ領地を救うため、有能な令嬢クローデットに寄り添いながら、ともに未来を切り拓いていく。縁の下から支えた侍女の、小さくも熱い物語。AIに書かせてみた第12弾は、前作第11弾を別視点で描いたスピンオフ!

道化たちの末路

希臘楽園
ファンタジー
母亡き後、継承権もない父と愛人母娘が公爵家を狙い始めた。でも私には王太子という切り札がいる。半年間、道化たちが踊るのを、私たちは静かに楽しんで見ていた。AIに書かせてみた第3弾。今回も3000文字程度のお気楽な作品です。

「魔法を使わない魔術師を切り捨てた国は、取り返しのつかない後悔をする

藤原遊
ファンタジー
魔法を使わない魔術師は、役に立たない。 そう判断した王国は、彼女を「不要」と切り捨てた。 派手な魔法も、奇跡も起こさない。 彼女がしていたのは、魔力の流れを整え、結界を維持し、 魔法事故が起きないよう“何も起こらない状態”を保つことだけだった。 代わりはいくらでもいる。 そう思われていた仕事は、彼女がいなくなった途端に破綻する。 魔法は暴走し、結界は歪み、 国は自分たちが何に守られていたのかを知る。 これは、 魔法を使わなかった魔術師が、 最後まで何もせずに証明した話。 ※主人公は一切振り返りません。

今、私は幸せなの。ほっといて

青葉めいこ
ファンタジー
王族特有の色彩を持たない無能な王子をサポートするために婚約した公爵令嬢の私。初対面から王子に悪態を吐かれていたので、いつか必ず婚約を破談にすると決意していた。 卒業式のパーティーで、ある告白(告発?)をし、望み通り婚約は破談となり修道女になった。 そんな私の元に、元婚約者やら弟やらが訪ねてくる。 「今、私は幸せなの。ほっといて」 小説家になろうにも投稿しています。

最後に言い残した事は

白羽鳥(扇つくも)
ファンタジー
 どうして、こんな事になったんだろう……  断頭台の上で、元王妃リテラシーは呆然と己を罵倒する民衆を見下ろしていた。世界中から尊敬を集めていた宰相である父の暗殺。全てが狂い出したのはそこから……いや、もっと前だったかもしれない。  本日、リテラシーは公開処刑される。家族ぐるみで悪魔崇拝を行っていたという謂れなき罪のために王妃の位を剥奪され、邪悪な魔女として。 「最後に、言い残した事はあるか?」  かつての夫だった若き国王の言葉に、リテラシーは父から教えられていた『呪文』を発する。 ※ファンタジーです。ややグロ表現注意。 ※「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載。