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横川ガード下探偵団 結成篇 5 ~あの夏、僕らは名前をつけた~
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第5章「それぞれの事情」
午後一時になる少し前、ユイはガード下を出た。
「行ってくる」と言ったら、ナツが「塾か~」と言って、それだけで終わった。責めるでもなく励ますでもなく、ただ「塾か~」。なぜかそれが、ユイには一番楽だった。
塾は横川駅から電車で二駅のところにある。夏期講習は午後一時から四時まで。夏休み中、週に四日通っている。教科は国語と算数と理科。社会は別の日に英語教室がある。
ユイは成績が悪くはない。むしろ良い方だ。塾でも「田中さんは飲み込みが早い」と言われる。でも、飲み込みが早いのと、やりたいのは別の話だ。
電車に乗りながら、ユイは今日の午前中のことを考えた。
浜田書房の薄暗い中。「本は記憶の箱」という言葉。ナツの、おじいちゃんの本を読みたいという気持ち。ショウタの静かな分析。ケンジの「探しましょうか」という一言。テツのぶっきらぼうだが真っ直ぐな話し方。
面白い人たちだ、とユイは思った。
今まで、商店街の子供とはそれほど話したことがなかった。小学校が同じ子もいるが、クラスが違ったり、習い事のタイミングが合わなかったりで。ミクのことは顔は知っていたが、今日ちゃんと話したのは初めてだった。
こういう夏休みの使い方の方が、ずっといい気がした。
その考えが頭に浮かんで、ユイはすぐに「でも」と思った。親に言われてやっていることを「意味がない」と思うのは、感謝知らずかもしれない。塾の月謝は安くない。英語教室も、習い事も、全部お父さんとお母さんが出している。
でも。
電車が横川駅を離れて川の上を通った。川の水が夏の光を反射してきらきらしていた。
でも、誰も聞いてくれなかった。「ユイは本当はどんな夏休みを過ごしたいの?」って。
ユイはそこで考えを止めた。考えていると、塾の前に泣きそうになる。それは格好悪いからやめた。
塾が終わったのは四時過ぎだった。
帰りの電車に乗らずに、ユイは一駅歩くことにした。少し遠回りして商店街を通る道で。
商店街に入ると、花屋の前に派手な花が並んでいた。夏の花は色が強い。ひまわり、グロリオサ、トルコキキョウの紫。
「夏期講習帰り?」
声がして振り返ると、花屋のエプロンをした女の人がいた。大田マリコだった。三十八歳、「はなまる」の店主。ユイは顔を知っていた。商店街で見かける人だし、たまに店に来てお母さんと話している。
「分かりますか?」とユイが言った。
「雰囲気でね。今日は暑いのに、きちんとした格好してるから」
「まあ、塾なので」
「頑張るね」
「頑張るというか」ユイは少し言い方を考えた。「行くのが習慣になってるので」
「惰性ってこと?」マリコはにこっとした。嫌な笑い方ではなく、共感するような笑い方で。
「そこまでではないですが……なんか、そういう感じがしてきました」
「正直だね」マリコは言った。「それはいいことよ。自分に正直なの、大切だから」
ユイは少し立ち止まった。今日、ナツにも似たようなことを言われた気がした。「嫌いじゃん」と言った時に「正直でいいと思う」と言われた。二度同じことを言われると、何か意味がある気がした。
「マリコさん、一個聞いていいですか」とユイは言った。
「どうぞ」
「浜田書房から本がなくなった話、聞きましたか」
マリコの顔が少し変わった。「あら、あなたも知ってるの?」
「今日、みんなで聞いた。本を探そうとして」
「みんな?」
「ケンジとミクちゃんとショウタとテツとナツ」
「知らない名前が混じってるけど」マリコは笑った。「子供たちが捜索を? 頼もしいね」
「マリコさんは何か知りませんか?」
マリコは少し考えた。「昨日の夕方ね、ここから見てたら、浜田書房の方に向かって歩いていく子を見かけたんだよね。見知らぬ子で。ちょっと暗くなり始めた時間に」
「どんな子でしたか?」
「小柄で、短い髪で、黄色い服着てたかな。遠目で見ただけだけど」
ユイは「ありがとうございます」と言って、早足でガード下の方に向かった。
黄色い服。小柄。短い髪。
それはナツの特徴だ。テツが見た後ろ姿とも一致する。
ナツが昨夜、浜田書房の近くにいた。それはほぼ間違いない。
ガード下にはミクとショウタがいた。
「ユイ、塾終わったの?」とミクが言った。
「うん。マリコさんに聞いたら——」ユイは昨夜の目撃情報を話した。
「テツが見た特徴と一緒だね」とミクが言った。
「ナツが本を持ち出したのかな」とユイは言った。
「その可能性が高くなってきた」とショウタが言った。「でも、それだけで決めつけるのは早い」
「そうだね」とミクが言った。「ナツがそこにいたのは事実かもしれないけど、だからといって本を持ち出したかどうかはまだ分からない」
「確かに」ユイは頷いた。
三人が黙った。
「でも」とユイが言った。「今日、ナツと話してて思ったけど。ナツって、隠し事がうまい人じゃないと思うんだよね」
「どういう意味?」
「正直な子だから。嫌なことは嫌って言うし、したいことはしたいって言う。だから、本を持ち出したとして、理由があるはずで、その理由は——」
「聞いたら話してくれるかもしれない」とミクが言った。
「そう」
ショウタが「明日、みんなで話を聞こう」と言った。責めるためではなく、理由を理解するために。
「そうだね」
その夜、ユイは自分の部屋のベッドに寝転がって、ぼんやりと天井を見た。
今日一日が、なんかすごく濃かった。午前中だけで、知らない子に何人も会って、古本屋に行って、事件を知って、調べることになって。塾に行って帰ってきたら、また情報が集まっていた。
ユイは手帳を開いた。今年の四月に買ったスケジュール帳で、毎日の予定が塾と習い事でびっしり埋まっている。今日の欄には「夏期講習13:00-16:00」と書いてある。でもその前後に、今日起きたことは何も書いていない。書いておく欄がない。
ユイはペンを取り、空白の余白に小さく書いた。
「浜田書房。横川ものがたり。ケンジ、ミク、ショウタ、テツ、ナツ」
それから「本を探す」と書いた。
読み返して、少し笑った。
これは本当に「やりたいこと」だ。
つづく
午後一時になる少し前、ユイはガード下を出た。
「行ってくる」と言ったら、ナツが「塾か~」と言って、それだけで終わった。責めるでもなく励ますでもなく、ただ「塾か~」。なぜかそれが、ユイには一番楽だった。
塾は横川駅から電車で二駅のところにある。夏期講習は午後一時から四時まで。夏休み中、週に四日通っている。教科は国語と算数と理科。社会は別の日に英語教室がある。
ユイは成績が悪くはない。むしろ良い方だ。塾でも「田中さんは飲み込みが早い」と言われる。でも、飲み込みが早いのと、やりたいのは別の話だ。
電車に乗りながら、ユイは今日の午前中のことを考えた。
浜田書房の薄暗い中。「本は記憶の箱」という言葉。ナツの、おじいちゃんの本を読みたいという気持ち。ショウタの静かな分析。ケンジの「探しましょうか」という一言。テツのぶっきらぼうだが真っ直ぐな話し方。
面白い人たちだ、とユイは思った。
今まで、商店街の子供とはそれほど話したことがなかった。小学校が同じ子もいるが、クラスが違ったり、習い事のタイミングが合わなかったりで。ミクのことは顔は知っていたが、今日ちゃんと話したのは初めてだった。
こういう夏休みの使い方の方が、ずっといい気がした。
その考えが頭に浮かんで、ユイはすぐに「でも」と思った。親に言われてやっていることを「意味がない」と思うのは、感謝知らずかもしれない。塾の月謝は安くない。英語教室も、習い事も、全部お父さんとお母さんが出している。
でも。
電車が横川駅を離れて川の上を通った。川の水が夏の光を反射してきらきらしていた。
でも、誰も聞いてくれなかった。「ユイは本当はどんな夏休みを過ごしたいの?」って。
ユイはそこで考えを止めた。考えていると、塾の前に泣きそうになる。それは格好悪いからやめた。
塾が終わったのは四時過ぎだった。
帰りの電車に乗らずに、ユイは一駅歩くことにした。少し遠回りして商店街を通る道で。
商店街に入ると、花屋の前に派手な花が並んでいた。夏の花は色が強い。ひまわり、グロリオサ、トルコキキョウの紫。
「夏期講習帰り?」
声がして振り返ると、花屋のエプロンをした女の人がいた。大田マリコだった。三十八歳、「はなまる」の店主。ユイは顔を知っていた。商店街で見かける人だし、たまに店に来てお母さんと話している。
「分かりますか?」とユイが言った。
「雰囲気でね。今日は暑いのに、きちんとした格好してるから」
「まあ、塾なので」
「頑張るね」
「頑張るというか」ユイは少し言い方を考えた。「行くのが習慣になってるので」
「惰性ってこと?」マリコはにこっとした。嫌な笑い方ではなく、共感するような笑い方で。
「そこまでではないですが……なんか、そういう感じがしてきました」
「正直だね」マリコは言った。「それはいいことよ。自分に正直なの、大切だから」
ユイは少し立ち止まった。今日、ナツにも似たようなことを言われた気がした。「嫌いじゃん」と言った時に「正直でいいと思う」と言われた。二度同じことを言われると、何か意味がある気がした。
「マリコさん、一個聞いていいですか」とユイは言った。
「どうぞ」
「浜田書房から本がなくなった話、聞きましたか」
マリコの顔が少し変わった。「あら、あなたも知ってるの?」
「今日、みんなで聞いた。本を探そうとして」
「みんな?」
「ケンジとミクちゃんとショウタとテツとナツ」
「知らない名前が混じってるけど」マリコは笑った。「子供たちが捜索を? 頼もしいね」
「マリコさんは何か知りませんか?」
マリコは少し考えた。「昨日の夕方ね、ここから見てたら、浜田書房の方に向かって歩いていく子を見かけたんだよね。見知らぬ子で。ちょっと暗くなり始めた時間に」
「どんな子でしたか?」
「小柄で、短い髪で、黄色い服着てたかな。遠目で見ただけだけど」
ユイは「ありがとうございます」と言って、早足でガード下の方に向かった。
黄色い服。小柄。短い髪。
それはナツの特徴だ。テツが見た後ろ姿とも一致する。
ナツが昨夜、浜田書房の近くにいた。それはほぼ間違いない。
ガード下にはミクとショウタがいた。
「ユイ、塾終わったの?」とミクが言った。
「うん。マリコさんに聞いたら——」ユイは昨夜の目撃情報を話した。
「テツが見た特徴と一緒だね」とミクが言った。
「ナツが本を持ち出したのかな」とユイは言った。
「その可能性が高くなってきた」とショウタが言った。「でも、それだけで決めつけるのは早い」
「そうだね」とミクが言った。「ナツがそこにいたのは事実かもしれないけど、だからといって本を持ち出したかどうかはまだ分からない」
「確かに」ユイは頷いた。
三人が黙った。
「でも」とユイが言った。「今日、ナツと話してて思ったけど。ナツって、隠し事がうまい人じゃないと思うんだよね」
「どういう意味?」
「正直な子だから。嫌なことは嫌って言うし、したいことはしたいって言う。だから、本を持ち出したとして、理由があるはずで、その理由は——」
「聞いたら話してくれるかもしれない」とミクが言った。
「そう」
ショウタが「明日、みんなで話を聞こう」と言った。責めるためではなく、理由を理解するために。
「そうだね」
その夜、ユイは自分の部屋のベッドに寝転がって、ぼんやりと天井を見た。
今日一日が、なんかすごく濃かった。午前中だけで、知らない子に何人も会って、古本屋に行って、事件を知って、調べることになって。塾に行って帰ってきたら、また情報が集まっていた。
ユイは手帳を開いた。今年の四月に買ったスケジュール帳で、毎日の予定が塾と習い事でびっしり埋まっている。今日の欄には「夏期講習13:00-16:00」と書いてある。でもその前後に、今日起きたことは何も書いていない。書いておく欄がない。
ユイはペンを取り、空白の余白に小さく書いた。
「浜田書房。横川ものがたり。ケンジ、ミク、ショウタ、テツ、ナツ」
それから「本を探す」と書いた。
読み返して、少し笑った。
これは本当に「やりたいこと」だ。
つづく
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