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第五章「広島から来た男」
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第五章「広島から来た男」
十一月になった。
プロジェクトは「物件探し」という具体的な段階に入っていた。凛が商工会議所の人脈を通じてリストアップした空き店舗が五件。蒼と咲が一件ずつ内見し、構造と面積と賃料条件を確認する作業が続いた。
しかし資金の問題が、じわじわと重くなってきていた。
賃料が月三万円だとしても、改修費用がかかる。電気・水道の契約変更、床や壁の補修、什器の調達。ざっと見積もって最低五十万円は必要だった。クラウドファンディングの案は出たが、誰も運営経験がない。補助金は先が見えない。個人で出せる額には限界がある。
ミーティングの空気が少しずつ重くなっていた。アイデアは豊富でも、実現の糸口が見えない状態。それはチームの熱量にじわじわと影響していた。
その夜、蒼のスマートフォンに見知らぬアカウントからDMが届いた。
「突然のご連絡をお許しください。宇部市出身で、現在広島で飲食業を営んでいる者です。知人から君たちの活動のことを聞き、少し話ができればと思いました。ご都合が合えばお会いしたいのですが。坂本隆二」
蒼はしばらく画面を見つめた。
知らない名前だった。アカウントを確認すると、プロフィールは「坂本隆二/瀬戸内テーブル代表」とだけあり、投稿はほとんどなかった。「瀬戸内テーブル」を検索すると、広島市内に三店舗を展開するカフェ&レストランチェーンのウェブサイトが出てきた。評判は良いようだった。
怪しい人物ではなさそうだ。しかし目的が分からない。
蒼はチームに共有した。咲は「会いましょうよ」と即答した。拓海は「慎重に」と言い、凛は「ビジネス的な意図があるかもしれない」と言った。
結局、蒼が代表として一度会ってみることになった。
待ち合わせは喫茶ニシキだった。
蒼が先に着いてカウンター席に座り、ドアを見ていた。約束の時間の二分前に男が入ってきた。
五十二歳という年齢より、少し若く見えた。中肉中背。スーツでも作業着でもなく、くたびれた紺色のデニムジャケット。ジーンズ。白いシャツ。髪は短く、目が細くて落ち着いている。内ポケットの辺りが、わずかに膨らんでいた。
「藤原蒼さん? 坂本です」
声は穏やかだった。握手を求めてくることもなく、蒼の隣に座った。マスターに「お茶をください」と注文した。コーヒースタンドでお茶、というのが少し意外だった。
「改めて。宇部出身の坂本隆二です。今は広島で飲食業をやっています」
「藤原蒼です。山口大学の四年です。どこから俺たちのことを」
「友人が宇部にいて、君のSNSの投稿を教えてくれました。それからずっと追いかけていました」
「ずっと、というのは」
「この二ヶ月ほど。静かに見ていました」
蒼は少し警戒を強めた。「何のために会いに来たんですか。何かビジネスの話がありますか」
坂本は首を振った。
「ビジネスの話はありません。アドバイスもしません。ただ、話を聞きたかった」
「……アドバイスをしない?」
「はい。代わりに、一つ聞いていいですか」
坂本がお茶を受け取り、蒼に向き直った。目が静かだった。何かを計算しているような、あるいは遠くを見ているような目だった。
「君たちは、五年後の宇部をどんな街にしたいんですか」
蒼は少し間を置いた。
「シャッターをなくして、にぎわいを取り戻して……」
「それは目標ですか。それとも夢ですか」
「……違いは?」
坂本はお茶を一口飲んでから言った。「目標には、そこに誰かがいる。誰かの顔が見える。夢は、まだ誰もいない場所の話です」
蒼は答えられなかった。
「もう一つ聞いていいですか。今、君たちが一番困っていることは何ですか」
「資金です」と蒼は正直に答えた。
「資金がなければ、何ができないんですか」
「物件を借りられない。改修ができない。動き出せない」
「では」と坂本は言った。「資金がなくてもできることは、今日の段階で何かありましたか」
蒼は答えに詰まった。考えてみると、確かにある。物件のオーナーとの交渉はお金なしでできる。住民へのヒアリングはお金なしでできる。仲間を増やすことも。
「……あります」
「では、明日それをやってみてください」とだけ坂本は言った。
三十分ほどで席を立つ時、坂本がジャケットの内ポケットに手をやった。何かを確認するような仕草だった。蒼はふとそれが気になって言った。
「何が入っているんですか、そのポケット」
坂本は一瞬だけ動きを止めた。ほんのわずかな間だったが、蒼はその間を見逃さなかった。
「ただの手帳です」と坂本は答えた。穏やかな声だったが、目が一瞬だけ揺れた。
「そうですか」
「ではまた。連絡します」
坂本は会計を済ませて先に出ていった。蒼はカウンターに残り、窓から外を見た。
坂本が商店街の方向へ歩いていった。そのまま真っ直ぐ進むと思っていたが、商店街の端のあたりで、ふと立ち止まった。特定の一軒の前だった。立ち止まって、シャッターを見ていた。坂本は蒼のそばを通り過ぎる際、ふと独り言のように言った。「二十七年ぶりに来ました、この街」それだけ言って、また歩き出した。
蒼は「え」と声を出したが、坂本はもう振り返らなかった。
つづく
十一月になった。
プロジェクトは「物件探し」という具体的な段階に入っていた。凛が商工会議所の人脈を通じてリストアップした空き店舗が五件。蒼と咲が一件ずつ内見し、構造と面積と賃料条件を確認する作業が続いた。
しかし資金の問題が、じわじわと重くなってきていた。
賃料が月三万円だとしても、改修費用がかかる。電気・水道の契約変更、床や壁の補修、什器の調達。ざっと見積もって最低五十万円は必要だった。クラウドファンディングの案は出たが、誰も運営経験がない。補助金は先が見えない。個人で出せる額には限界がある。
ミーティングの空気が少しずつ重くなっていた。アイデアは豊富でも、実現の糸口が見えない状態。それはチームの熱量にじわじわと影響していた。
その夜、蒼のスマートフォンに見知らぬアカウントからDMが届いた。
「突然のご連絡をお許しください。宇部市出身で、現在広島で飲食業を営んでいる者です。知人から君たちの活動のことを聞き、少し話ができればと思いました。ご都合が合えばお会いしたいのですが。坂本隆二」
蒼はしばらく画面を見つめた。
知らない名前だった。アカウントを確認すると、プロフィールは「坂本隆二/瀬戸内テーブル代表」とだけあり、投稿はほとんどなかった。「瀬戸内テーブル」を検索すると、広島市内に三店舗を展開するカフェ&レストランチェーンのウェブサイトが出てきた。評判は良いようだった。
怪しい人物ではなさそうだ。しかし目的が分からない。
蒼はチームに共有した。咲は「会いましょうよ」と即答した。拓海は「慎重に」と言い、凛は「ビジネス的な意図があるかもしれない」と言った。
結局、蒼が代表として一度会ってみることになった。
待ち合わせは喫茶ニシキだった。
蒼が先に着いてカウンター席に座り、ドアを見ていた。約束の時間の二分前に男が入ってきた。
五十二歳という年齢より、少し若く見えた。中肉中背。スーツでも作業着でもなく、くたびれた紺色のデニムジャケット。ジーンズ。白いシャツ。髪は短く、目が細くて落ち着いている。内ポケットの辺りが、わずかに膨らんでいた。
「藤原蒼さん? 坂本です」
声は穏やかだった。握手を求めてくることもなく、蒼の隣に座った。マスターに「お茶をください」と注文した。コーヒースタンドでお茶、というのが少し意外だった。
「改めて。宇部出身の坂本隆二です。今は広島で飲食業をやっています」
「藤原蒼です。山口大学の四年です。どこから俺たちのことを」
「友人が宇部にいて、君のSNSの投稿を教えてくれました。それからずっと追いかけていました」
「ずっと、というのは」
「この二ヶ月ほど。静かに見ていました」
蒼は少し警戒を強めた。「何のために会いに来たんですか。何かビジネスの話がありますか」
坂本は首を振った。
「ビジネスの話はありません。アドバイスもしません。ただ、話を聞きたかった」
「……アドバイスをしない?」
「はい。代わりに、一つ聞いていいですか」
坂本がお茶を受け取り、蒼に向き直った。目が静かだった。何かを計算しているような、あるいは遠くを見ているような目だった。
「君たちは、五年後の宇部をどんな街にしたいんですか」
蒼は少し間を置いた。
「シャッターをなくして、にぎわいを取り戻して……」
「それは目標ですか。それとも夢ですか」
「……違いは?」
坂本はお茶を一口飲んでから言った。「目標には、そこに誰かがいる。誰かの顔が見える。夢は、まだ誰もいない場所の話です」
蒼は答えられなかった。
「もう一つ聞いていいですか。今、君たちが一番困っていることは何ですか」
「資金です」と蒼は正直に答えた。
「資金がなければ、何ができないんですか」
「物件を借りられない。改修ができない。動き出せない」
「では」と坂本は言った。「資金がなくてもできることは、今日の段階で何かありましたか」
蒼は答えに詰まった。考えてみると、確かにある。物件のオーナーとの交渉はお金なしでできる。住民へのヒアリングはお金なしでできる。仲間を増やすことも。
「……あります」
「では、明日それをやってみてください」とだけ坂本は言った。
三十分ほどで席を立つ時、坂本がジャケットの内ポケットに手をやった。何かを確認するような仕草だった。蒼はふとそれが気になって言った。
「何が入っているんですか、そのポケット」
坂本は一瞬だけ動きを止めた。ほんのわずかな間だったが、蒼はその間を見逃さなかった。
「ただの手帳です」と坂本は答えた。穏やかな声だったが、目が一瞬だけ揺れた。
「そうですか」
「ではまた。連絡します」
坂本は会計を済ませて先に出ていった。蒼はカウンターに残り、窓から外を見た。
坂本が商店街の方向へ歩いていった。そのまま真っ直ぐ進むと思っていたが、商店街の端のあたりで、ふと立ち止まった。特定の一軒の前だった。立ち止まって、シャッターを見ていた。坂本は蒼のそばを通り過ぎる際、ふと独り言のように言った。「二十七年ぶりに来ました、この街」それだけ言って、また歩き出した。
蒼は「え」と声を出したが、坂本はもう振り返らなかった。
つづく
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