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第六章「問いの嵐」
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第六章「問いの嵐」
坂本と蒼が会ったという報告を聞いて、咲は「私も会いたい」と言った。翌週には全員が集まることになった。
場所は倉庫ではなく、今度は凛が手配した商工会議所の会議室だった。長机を囲んで七人が座り、その端に坂本が加わった。
坂本はこの日も同じデニムジャケットだった。内ポケットの膨らみも同じだった。
「皆さんのことを少し聞かせてください」と坂本は言った。「まず一人ずつ、このプロジェクトで自分が一番やりたいことを、一文で言ってもらえますか」
一文で、という条件に、全員が少し戸惑った。普段は長く話せる人間も、一文に絞ると本質が問われる。
蒼「商店街に人が集まる場所を作りたい」
咲「死んだ空間を、生きている空間にしたい」
拓海「人が健康でいられるまちの仕組みを作りたい」
凛「父の店を含めて、地元商売の人たちが生き残れる道を探したい」
健太「宇部に何かが起きていると、外の人に知らせたい」
坂本は一つひとつ聞きながら、頷いていた。メモは取らなかった。
「ありがとうございます。次に聞きます。その『やりたいこと』を、今から三ヶ月以内に実現するために、今あなたたちに足りていないものは何ですか」
「お金」と健太がすぐ言った。笑いが起きた。
「お金以外で」と坂本が静かに返した。
しばらく沈黙が続いた。蒼が「実績です」と言った。「まだ何も形にしていないから、人が信用してくれない」。凛が「それに賛成。信用がなければ物件のオーナーも動かない」と言った。拓海が「住民との関係も、まだ浅い」と言った。
「では、その実績を一つ作るとしたら、今週中にできることは何ですか」と坂本が聞いた。
会議は二時間続いた。
坂本は一度も「こうしなさい」と言わなかった。提案もしなかった。ただ問い続けた。
「それをやると、誰が喜びますか」
「喜んだ人は、次に何をしてくれますか」
「その人に今日、話しかけましたか」
「もしできていないとしたら、何が邪魔しましたか」
問いが重なるたびに、会議室の空気が変わっていった。最初は「答えを出さなければ」というプレッシャーが張り詰めていたが、やがてそれが「自分は本当に何を考えていたんだろう」という内省に変わっていった。
ただ、健太が限界を迎えたのは一時間半を過ぎた頃だった。
「すみません、一つ言っていいですか」
全員が健太を見た。
「答えを教えてくれないなら、正直来てもらっても意味がないと思って。プロの経営者なんでしょ? もっと具体的なこと、たとえばクラウドファンディングのやり方とか、物件の交渉術とか、教えてもらえないんですか」
会議室が静まり返った。
蒼が「健太……」と言いかけると、坂本が手を上げて制した。そして健太に向き直り、「正直に言ってくれてありがとう」と言った。
「俺が答えを教えない理由を、少し話してもいいですか」
坂本は少し姿勢を直して、静かに語り始めた。
「パンデミックが来た二〇二〇年、俺の店の売上が三ヶ月で八割落ちた。その時、俺は毎日部下に答えを出し続けた。『こうしろ』『ああしろ』『これをやれ』と。でも部下は動かなかった。一部の人は動いたけど、ほとんどは動かなかった。なぜだと思いますか」
誰も答えなかった。
「自分で考えていなかったから、です。自分ごとになっていなかったから。俺が答えを出し続けた結果、部下たちは『次の答えを待つ人間』になっていた。自分の頭で考える必要がなくなっていたんです」
坂本は一度目を伏せた。
「そのとき俺はコーチングというものを学びました。問いを立てることで、相手が自分の中にある答えを引き出す。俺がここで答えを言えば、君たちは今日は楽になる。でも来月また同じ壁にぶつかった時、また俺に聞くことになる。それより君たちが自分で考えて出した答えの方が、ずっと長持ちするし、ずっと深く刺さる」
健太は少し黙って「……わかりました」と言った。完全に納得したわけではなさそうだったが、それ以上反論はしなかった。
坂本は出口に向かいながら、鞄から一冊の本を取り出して蒼に差し出した。コーチング!お入門書だった。「よかったら」とだけ言った。蒼が「ありがとうございます」と受け取ると、坂本は軽く頷いて出ていった。
解散後、咲はミーティングの終わりに気づいたことを誰にも言わなかった。
坂本が帰り際、今日もあの場所で立ち止まった。商店街の端。特定の一軒の前。今日は少し長かった。三十秒ほど、じっとシャッターを見ていた。
咲は「あそこ、何かあるんですか」と声をかけようとした。でも坂本が振り返ってメンバー全員に「そろそろ次の問いを持ち帰ってください」と言ったので、タイミングが消えた。
話をそらされた、と咲は思った。
偶然ではないかもしれない、とも思った。
夜、広島へ向かう新幹線の中、坂本は窓の外を見ていた。流れる夜の景色の中に、宇部の街灯の列がまだ残像として残っていた。
坂本はデニムジャケットの内ポケットから、そっと手帳を出した。古い表紙。革の色が褪せている。端が擦れて、少し白くなっている。表紙の内側に、かすかな文字がある。長年の指の脂と汗で滲んでいるが、「義雄」という二文字が、辛うじて読める。
坂本はその文字を一度だけ指先で触れた。
それから手帳を閉じて、またポケットに仕舞った。
窓の外に、夜が流れていった。
つづく
坂本と蒼が会ったという報告を聞いて、咲は「私も会いたい」と言った。翌週には全員が集まることになった。
場所は倉庫ではなく、今度は凛が手配した商工会議所の会議室だった。長机を囲んで七人が座り、その端に坂本が加わった。
坂本はこの日も同じデニムジャケットだった。内ポケットの膨らみも同じだった。
「皆さんのことを少し聞かせてください」と坂本は言った。「まず一人ずつ、このプロジェクトで自分が一番やりたいことを、一文で言ってもらえますか」
一文で、という条件に、全員が少し戸惑った。普段は長く話せる人間も、一文に絞ると本質が問われる。
蒼「商店街に人が集まる場所を作りたい」
咲「死んだ空間を、生きている空間にしたい」
拓海「人が健康でいられるまちの仕組みを作りたい」
凛「父の店を含めて、地元商売の人たちが生き残れる道を探したい」
健太「宇部に何かが起きていると、外の人に知らせたい」
坂本は一つひとつ聞きながら、頷いていた。メモは取らなかった。
「ありがとうございます。次に聞きます。その『やりたいこと』を、今から三ヶ月以内に実現するために、今あなたたちに足りていないものは何ですか」
「お金」と健太がすぐ言った。笑いが起きた。
「お金以外で」と坂本が静かに返した。
しばらく沈黙が続いた。蒼が「実績です」と言った。「まだ何も形にしていないから、人が信用してくれない」。凛が「それに賛成。信用がなければ物件のオーナーも動かない」と言った。拓海が「住民との関係も、まだ浅い」と言った。
「では、その実績を一つ作るとしたら、今週中にできることは何ですか」と坂本が聞いた。
会議は二時間続いた。
坂本は一度も「こうしなさい」と言わなかった。提案もしなかった。ただ問い続けた。
「それをやると、誰が喜びますか」
「喜んだ人は、次に何をしてくれますか」
「その人に今日、話しかけましたか」
「もしできていないとしたら、何が邪魔しましたか」
問いが重なるたびに、会議室の空気が変わっていった。最初は「答えを出さなければ」というプレッシャーが張り詰めていたが、やがてそれが「自分は本当に何を考えていたんだろう」という内省に変わっていった。
ただ、健太が限界を迎えたのは一時間半を過ぎた頃だった。
「すみません、一つ言っていいですか」
全員が健太を見た。
「答えを教えてくれないなら、正直来てもらっても意味がないと思って。プロの経営者なんでしょ? もっと具体的なこと、たとえばクラウドファンディングのやり方とか、物件の交渉術とか、教えてもらえないんですか」
会議室が静まり返った。
蒼が「健太……」と言いかけると、坂本が手を上げて制した。そして健太に向き直り、「正直に言ってくれてありがとう」と言った。
「俺が答えを教えない理由を、少し話してもいいですか」
坂本は少し姿勢を直して、静かに語り始めた。
「パンデミックが来た二〇二〇年、俺の店の売上が三ヶ月で八割落ちた。その時、俺は毎日部下に答えを出し続けた。『こうしろ』『ああしろ』『これをやれ』と。でも部下は動かなかった。一部の人は動いたけど、ほとんどは動かなかった。なぜだと思いますか」
誰も答えなかった。
「自分で考えていなかったから、です。自分ごとになっていなかったから。俺が答えを出し続けた結果、部下たちは『次の答えを待つ人間』になっていた。自分の頭で考える必要がなくなっていたんです」
坂本は一度目を伏せた。
「そのとき俺はコーチングというものを学びました。問いを立てることで、相手が自分の中にある答えを引き出す。俺がここで答えを言えば、君たちは今日は楽になる。でも来月また同じ壁にぶつかった時、また俺に聞くことになる。それより君たちが自分で考えて出した答えの方が、ずっと長持ちするし、ずっと深く刺さる」
健太は少し黙って「……わかりました」と言った。完全に納得したわけではなさそうだったが、それ以上反論はしなかった。
坂本は出口に向かいながら、鞄から一冊の本を取り出して蒼に差し出した。コーチング!お入門書だった。「よかったら」とだけ言った。蒼が「ありがとうございます」と受け取ると、坂本は軽く頷いて出ていった。
解散後、咲はミーティングの終わりに気づいたことを誰にも言わなかった。
坂本が帰り際、今日もあの場所で立ち止まった。商店街の端。特定の一軒の前。今日は少し長かった。三十秒ほど、じっとシャッターを見ていた。
咲は「あそこ、何かあるんですか」と声をかけようとした。でも坂本が振り返ってメンバー全員に「そろそろ次の問いを持ち帰ってください」と言ったので、タイミングが消えた。
話をそらされた、と咲は思った。
偶然ではないかもしれない、とも思った。
夜、広島へ向かう新幹線の中、坂本は窓の外を見ていた。流れる夜の景色の中に、宇部の街灯の列がまだ残像として残っていた。
坂本はデニムジャケットの内ポケットから、そっと手帳を出した。古い表紙。革の色が褪せている。端が擦れて、少し白くなっている。表紙の内側に、かすかな文字がある。長年の指の脂と汗で滲んでいるが、「義雄」という二文字が、辛うじて読める。
坂本はその文字を一度だけ指先で触れた。
それから手帳を閉じて、またポケットに仕舞った。
窓の外に、夜が流れていった。
つづく
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