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 空席の少ない店内は、ピアノの音色が穏やかに流れる落ち着いた雰囲気だった。
席に着いて、ここの店員とも気安く話をしているランドルフに注文を任せ、チラリと周囲をうかがうと急に不安になってきた。
「ね、ねぇ、こんな服装で大丈夫かな。せめてジャケットを着て来ればよかった」
なんの変哲もないブラウスに、肌寒かったので紺のベストを重ねている。
胸元には、母から「お金に困ったら売りなさい」と持たされた、小さなダイヤの付いたネックレス。
低い身長のせいで、ロングスカートが似合わず、成人女性の好む丈より十五センチ短く作ったスカートは、連れのランドルフにも申し訳なく思えるほど、子供っぽく見える。

「なんでだ?清潔だし、普通の恰好だろ」
さっき見たのと逆の方をうかがう。
よかった。ドレスを着ている人は居ない。華やかなおしゃれ着の人が多いが、平日だからか、私のように仕事帰りの恰好の人もいる。

「お前が働きだす前に、みんなで来た時は、確かスカートの奴さえいなかっただろうよ。俺なんかもっと小汚い恰好だったし」

ランドルフは、どんな服を着ても素敵に見えるからうらやましい。
それに斡旋所の女性陣はパンツスタイルが基本だ。調査員はスカートでは仕事にならないし、マリアンさえもスカートに見えるゆったりとしたパンツスタイルだった。

そういえば、こっちに来て一番最初に驚いたのが、田舎との服装の違いだった。田舎では畑仕事をする時も、足首まで隠れるロングスカートだ。女性がズボンを穿こうものなら後ろ指をさされるだろう。

きらびやかなドレスもこちらに来て初めて見た。汚れが目立たない色の服装を見て育ったので、コルセットの必要なドレスはかんべんだが、明るい色の服は着てみたいと思ったものだ。


ホッとしたら、別の心配事に思い当ってしまった。
――お財布にいくら入っていたっけ

給料日前だし、もともとそれほど持ち歩かないようにしている。
ここはひとつ、ランドルフを褒めて持ち上げて貸してもらおう。

「あのぅ、有能で素敵なランドルフ様。手持ちのお金に余裕はありますかね?必ずお返し……へ?」
一瞬でランドルフの顔色が変わったので、驚いて言葉が途切れる。
「ユウノ……ステ……これはもう……こ、こくは……いや、ぷろぽー」
瞳孔を広げて、紅潮した顔のまま、ブツブツつぶやいている。

も、もしかしてランドルフも支払いのことを忘れていたのだろうか。この様子ではランドルフも足りないのだろう。どちらかが取りに帰ろう。

「服か?宝石か?……そうだ、ついでに家もどうだ?」
へ?宝石?このダイヤはいずれ母に返したいと思っている。
「服はもうこれで仕方ないです。家に帰れば支払い分ぐらいはあります」
なんか、熱に浮かされているような顔をしているけど大丈夫かな。
「先の事を考えて広い家にしよう。まぁ、子供は出来なければそれもいい。独り占め出来るしな」
もう!緊急事態だから話をそらさないで欲しい。
「子供ですか?どなたの事でしょう?お祝いくらいはちゃんと出せますよ。それよりも!今は支払いの話です」
まさか、ジェシカが妊娠したんだろうか。
共通の知り合いで妊娠しそうな人は他に思い当たらない。
商家の彼とお付き合いをして半年ほどだ。一年ぶりの帰省は、友達の結婚式と聞いていたけど、もしかすると妊娠報告も兼ねていたのかも。

「おいおい、お前は俺の収入を知っているだろう?貯金もある。支払いの心配はいらん」
ランドルフの貯金はどうでもいいけど、胸を張って言うんだから、足りるだけの手持ちがあるんだろう。
「助かります。明日、必ず返しますから」

「……は?金が要るんだろう?何が欲しいんだ?」
「え?欲しいものの話じゃなくて、ここの食事代の話ですよ。普段からあまり持ち歩かないんです」
「…………!」
ガンッ!!!
「ひぇ、な、なにやってるんですか!」

大きな音を立てて、テーブルに頭を突っ込んだランドルフに、ちらほらと周りから視線が飛んでくる。
耳まで真っ赤にして微動だにしない。

「お待たせいたしました」
店員の持つ皿の中から、ほんのりと甘い香りが漂って来る。
「ラ、ランドルフ頭上げて下さい。邪魔になってますから」

店員が呆れたようにランドルフを見てから告げる。
「こんな奴ですが、見捨てないでいただけると周りが平和に過ごせます」
「??えっと、頼もしい先輩です」
今度はテーブルにグリグリと頭をこすりつけ始めたが、先に私の前へと置かれた皿の方に視線が釘付けになる。
「エビのミルクムースでございます」
エビ!大好きっ!!!
「どうぞ、こいつの事は打ち捨てておいて、お食事をお楽しみくださいね」
ウインクをして去って行った。

「今日は奢りだから心配するな」
しばらくして復活した、おでこの赤いランドルフに言われたけれど、お金のことはキッチリしておきたい。
「明日、お返しします」
「そうだよな。お前はそういう奴なのに。あの勘違いはないぞ、俺」
なんか落ち込みだしたけど、ランドルフよりエビだ。

「二十歳の祝いをしてなかったから、今日は奢られとけ」
一週間前、ランドルフが任務でいない時に、いつもの食堂で皆にお祝いしてもらった。
「任務から帰って来た時に、パールの髪留めをいただいたじゃないですか」
たまに、調査員の人がその土地のお菓子などをお土産として買ってきてくれる。みんなで分けて食べるのだが、個人に買ってくることはない。
だから、あれはお土産ではなく、誕生日のプレゼントとして受け取ったのだけど。
「あれはあれ。これはこれ」
なんだそれ。
二つも頂いちゃうと、自分がお返しをする時に何をあげればいいのか困ってしまう。

 どうやって説得しようかと考えていたのに、次々と好物が出てきて、すっかり料理に夢中になってしまった。
「どれも美味しいです。連れてきてくれてありがとうございます」
「そうか。そういえば、今日の猫は可愛かったぞ。動物は好きか?」
「実家で猫を飼っていました。弟が拾って来た猫ですが会いたいです」
「一度も帰ってないよな。所長に言いにくいなら、俺が言ってやるぞ?」
帰りたいけど、まだ――――ダメ。
「手紙は頻繁に出しているので大丈夫です。弟がこっちに遊びに来たいと言ってますし」
「――ならいいが。それと、さっきの店には行くなよ」
私の噂を知っているマスターの店か。
「マスターの人柄は問題ないが、二階が宿屋だから地元客より流れが多い」

 斡旋所の求人者の中にも旅人が居る。
難しいのは素性がわからない事だ。犯罪歴があっても軽犯罪なら通達されない。
待ち伏せしていた男性も、地元の人間ではないのだろう。

「わかりました。あの店には入りません。でも、ここならジェシカと来てもいいですよね?」
「ああ、客層も良いし、腕っぷしの強いシェフがいるからトラブルも少ない」
国の中で三番目に人口が多いのに、ランドルフはこの町の事をよく知ってる。
「強いうえに、繊細なお料理を作れるなんてかっこいいですね」
「俺の方が百倍かっこいい」
料理はしないのに、口をとがらせて子供のように張り合う姿がかわいい。

――ランドルフとこんなに和やかに食事が出来るなんて。
いつも、からかってくる時以外は、あまり長くしゃべらない。今日は饒舌で雰囲気も柔らかい。

 デザートまで、しっかりと頂いて、食後のお茶を飲みながらピアノの音色を楽しんでいると、お手洗いに立っていたランドルフが帰って来た。
「クリームを舐めた猫みたいだな」
そうでしょうとも。認めますとも。
「楽しかったので、今月のランドルフの給料計算は間違わずに出来そうです」
「ははっ、来月も連れてこなくちゃいけねぇな」
果たして、また二人で食事することはあるのだろうか。
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